第七話
自身の身長の二倍を優に超える巨大なガラス扉を開け、温室に一歩踏み入れる。国内最高峰と言われる温室は、暖かな日差しと柔らかな空気に満ちていた。ヨウは一つ深呼吸をする。幸福感が肺を満たす。首元の花も嬉しそうに葉を揺らした。
「なぁミュータ。俺たち、ここに来て良かったな」
蔓が指に巻き付く。ヨウは空色の朝顔に唇を寄せ、幸せそうな笑みを浮かべた。
これでもかと緑の生い茂る巨大なガラスドームの遊歩道を、ヨウは軽い足取りで歩く。お祭りの子供のようにきょろきょろしながら、急にふらっと近づいていく。
「うわ、ヒネツじゃねぇか!すげぇ、初めてみた」
ヨウがしゃがみこんだ足元に生えているのは、緋色のとげとげしい花であった。ヒネツは本来常夏の国でしか咲かない花であり、本来この国ではお目にかかれない代物である。
「どうやって気温保ってんだ。やっぱ国一番ってのは伊達じゃないんだな。あ、あれナンカイスイレンじゃね?」
またも目ざとく希少植物を見つけたヨウは、青い蓮の浮かぶ池に向かって走り出した。地表に咲く草花を踏まないようにしながら、猛スピードで駆けてゆく。
「やっぱりそうだ。はは、やっぱり実物は違うな!」
興奮冷めやらぬ様子で、ヨウは指を池に突っ込んだ。今度はその指を自分の口に咥える。はたから見たらただの奇行である。
「ぬるい!しょっぱい!すごすぎる!」
指を吐き出しそう叫ぶ姿は、外見の美しさでは誤魔化せないほどの変質者である。だがヨウの行動にはしっかりとした意味がある。ナンカイスイレンは海水の混じった温かな池に咲く花であるが、生育環境に非常に厳しい植物でもある。水温、水深、水質、気温、塩分濃度。どれか一つでも狂えば途端に全て枯れてしまう繊細でこだわりの強い花なのだ。
「どんな技術があったらこんなめんどくさい環境維持ができるんだ。あーメドウズ先生早く帰ってこないかな。聞きたいことが多すぎる」
かつてないほどのハイテンションで、ヨウは温室のさらに奥へと進んでいった。
温室の最奥はとてつもなく巨大な木の下に広がる、日光の届かない深い森が形成されていた。おそらく辺境に広がる魔の森でしか見られないような、無気味な色の木々が生い茂っている。命の気配を感じない暗い森は冷たい静寂に満ちていた。ヨウは不気味な森を歩き続け、森を見下ろす大樹の根本にたどり着いた。冷たい光だけがところどころ射す木陰には、消えてしまいそうな儚く白い花畑が広がっていた。
「ユウランが、しかもこんなに…。信じられねぇ」
深い森の最奥にしか咲かない幻の花の群生地。その美しさに魅せられ、ヨウはふらふらと花畑の中心、大樹の幹に近づいて行った。
「ありがとうございました」
クレイヴは額の汗を拭いながら、剣術クラブの先輩達に頭を下げた。
「いやーお前ホントに筋がいいな。一年生とは思えないぞ」
「本当ですか?ありがとうございます」
「ねぇクレイヴくん、この後空いてる?」
「すみません、僕友達持たせてるので。失礼します」
名残惜しそうな先輩達にもう一度頭を下げ、訓練場を後にする。親友の待つ温室までは少し距離があるため、クレイヴはトレーニングがてら走って向かった。
数分後、ようやくたどり着いた温室の巨大な扉を開ける。汗でベタついた運動着の不快感さえ忘れるような心地よい風が吹き抜けた。漂う花の香りを楽しみながら遊歩道を進む。木陰に隠れているかもしれない親友を探すのは忘れない。平地エリア、常夏エリア、雪国エリアを見回るも見つからない。遂にあの暗い森エリアにたどり着いた。冷たい森を進み、白い花畑に行き着いた。世界樹のような大木の真下に広がる、霞のような辺り一面の花畑。踏み潰さないよう慎重に大樹に近づくと、幹には朝顔の蔓がこれでもかと巻き付いていた。クレイヴはその根元にしゃがみ込み、蔓の群生に向かって優しく声をかける。
「ヨウ、お待たせ。起きる時間だよ」
空色の朝顔に彩られた蔓の塊―ヨウがうっすらと目を開けた。身体のあちこちに蔓が巻き付き、左目には瞳と同じ色の朝顔が咲いている。
「…クレイヴ?」
「そうだよ。随分気持ちよさそうに寝てたね」
「…そうだな」
「良かったね、賭けは僕の勝ちだけど」
「…あ」
蔓と花を纏った幻想的な少年は、口をぽかんと開けて固まってしまった。その様子を見て青年と朝顔は顔を見合わせ、可笑しそうに笑った




