第41話 俺は戦場から逃げたいだけだ
戦争は、終わっていない。
敵は依然として国境線に張りつき、
象徴都市の外縁では小競り合いが続いている。
勝利宣言もなければ、
決定的敗北もない。
ただ、消耗と再編を繰り返す日々。
それでも。
以前とは、空気が違っていた。
第十一戦線の撤退以降、
前線指揮官の報告書に一行が増えた。
――本戦線、退いてもよい条件を満たす。
あるいは。
――本戦線、退くべきではないと判断。
勝てるかどうかではない。
退いていいかどうか。
その視点が、浸透し始めている。
アレン・フォルツは、倉庫の片隅でそれを読んでいた。
「……広がっていますね」
リーシャが、静かに言う。
「あなたの基準が」
「基準と呼べるほどのものでは」
「でも」
「前より、壊れていません」
医療区画も同じだった。
イリスが、帳簿を閉じる。
「重傷者は、減っていません」
「でも」
「間に合わない人は、減りました」
それは、小さな差だ。
戦争全体から見れば、
誤差に近い。
それでも。
確かに、違う。
レオニードが、再び訪れる。
「敵が、様子を見ている」
「ええ」
「押し込めないと、判断したらしい」
無理に前に出れば、
こちらが退く。
だが、退くことは敗北を意味しない。
その認識が、敵にも伝わっている。
「……面倒な戦争になった」
レオニードが、苦笑する。
「派手な勝利もない」
「決定的な崩壊もない」
「退いては、立て直す」
「押しては、止まる」
「ええ」
アレンは頷く。
「壊れにくい戦争です」
「勝ちにくい戦争でもある」
「はい」
それでも。
壊れない。
夜。
宰相バルドから、最後の正式通達が届く。
――アレン・フォルツを、特定戦線の専属判断役から外す。
昇進でも、左遷でもない。
ただの、役割変更。
思想が制度に固定される前に、
切り離した。
それは、バルドなりの選択だった。
倉庫で一人、アレンは地図を眺める。
戦線は、今日も揺れている。
完璧ではない。
正義でもない。
それでも。
「俺は」
小さく、呟く。
「戦場から、逃げたいだけだ」
英雄になるつもりはない。
国家を背負うつもりもない。
ただ。
退いていい場所を、決める。
退いていいと、言える。
それだけでいい。
戦争は、続いている。
だが、少なくとも今日。
退いていい戦場が、一つ増えた。
それで、十分だった。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
この物語は、最初から「戦争に勝つ話」にするつもりはありませんでした。
強くなる話でも、
英雄になる話でも、
敵を打ち倒して世界を救う話でもありません。
ただひとつ。
「退いていい」と言える人が、戦場にいたらどうなるのか。
それを書いてみたかった物語です。
戦争は、勝つか負けるかで語られがちです。
けれど現実には、その途中に無数の判断があります。
進むか。
止まるか。
退くか。
そして時には、
「勝てるかもしれない場所で、勝たない」と決める選択もある。
主人公アレンは、最後まで大きく成長しません。
覚悟を決めて突撃もしません。
劇的な覚醒もありません。
それでも、彼は一つだけ選びました。
「退いていい場所を決める」
それが、この物語の結論です。
戦争は終わっていません。
世界も救われていません。
けれど、壊れにくくはなった。
その小さな変化を書き切れたなら、
作者としては満足です。
ここまで付き合ってくださった皆さまに、心から感謝を。
もしこの物語のどこかに、
あなた自身の「退いていい場所」が重なったのなら、
それ以上の喜びはありません。
ありがとうございました。




