第35話 思想の逆輸入
エルンスト・カイゼルは、王国軍の報告を静かに読んでいた。
第九戦線の早期撤退。
レオニード戦線の前進。
第七戦線の突破。
数字は揃っている。
「……優先順位を、明言したか」
フォルツがついに“選んだ”。
それが最大の収穫だった。
沈黙は、扱いづらい。
だが、明文化された基準は、扱いやすい。
エルンストは、新たな地図を広げる。
「王国は」
「被害拡大を最優先で回避する」
つまり。
被害が拡大しやすい場所を同時に作ればいい。
「局地突破は、もはや目的ではない」
部下が頷く。
「では、狙いは」
「選ばせることだ」
エルンストは淡々と言う。
「複数の“被害拡大候補”を用意する」
「どれかを守れば、どれかが崩れる」
「守れなかった戦線は」
「内部から、フォルツを疑う」
それが狙いだった。
思想を壊す方法は、単純だ。
“正しくても救えない状況”を増やすこと。
「次の配置だ」
彼は指示を出す。
――補給線に隣接する村落を前面に出す。
――象徴都市の近辺に陽動部隊を配置。
――別戦線では意図的に圧力を緩める。
同時に燃やす。
同時に緩める。
王国が優先順位をつけるなら、
敵も優先順位を利用する。
「フォルツ思想は」
「局地最適化だ」
「ならば」
「全体を歪ませる」
エルンストは、冷ややかに結論づけた。
数日後。
王国側。
「……三方面、同時です」
リーシャの声が緊迫する。
地図の上で、三つの戦線が赤く染まっている。
どれも。
被害が拡大しやすい。
「これは」
アレンは、息を詰めた。
偶然ではない。
あまりにも露骨だ。
「……優先順位を、読まれています」
イリスが低く言う。
「あなたの基準が」
「戦場に、反映されています」
アレンは、何も言えなかった。
敵は、退路を潰すだけではない。
今度は、優先順位そのものを戦場設計に組み込んできた。
守れば守るほど、
他が薄くなる。
「フォルツさん」
「……はい」
「どこを、最優先にしますか」
問いは、冷酷だった。
三つの戦線。
三つの街。
三つの補給拠点。
どれも、理屈は立つ。
どれも、切り捨てられない。
(……これが)
(……逆輸入か)
自分が言語化した「優先順位」は、
いまや敵の武器になっている。
「……分割します」
アレンは、低く言った。
「被害が最大化する前に、全戦線を一段階ずつ後退」
「時間を稼ぎます」
「全体を守るのではなく」
「全体を“薄く守る”」
リーシャが、息を呑む。
「それは」
「どこも完全には守れない」
「はい」
アレンは、目を閉じる。
最適解は、ない。
あるのは、被害の分散だけ。
その夜。
三戦線は、同時に小規模後退を行った。
完全な崩壊は、避けた。
だが、全てで損耗が出る。
数字は、悪くない。
だが、良くもない。
エルンストは、その報告を受け取る。
「……分散したか」
わずかに口元が動く。
「思想は、まだ機能している」
「だが」
彼は静かに続ける。
「迷いが、生まれた」
王国は、今後も選ばされる。
選ぶたびに、疑念が積み重なる。
フォルツ思想は、破壊されていない。
だが。
信頼は、削られている。
それで十分だった。
一方、後方。
アレンは、夜の地図を見つめる。
守れなかった場所は、ない。
だが、守り切れた場所も、ない。
それが、現実だ。
「……思想が」
小さく呟く。
「戦争の中に、組み込まれている」
逃げ道を作る思想は、
いまや戦争設計の一部になっている。
敵味方、関係なく。
アレン・フォルツは、
初めて思った。
――これは、もう俺一人の問題ではない。
思想そのものが、戦っているのだと。
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