第24話 退けるのに、退かない
その戦線は、数字だけを見れば順調だった。
敵の抵抗は想定内。
補給も届いている。
兵の士気も高い。
――勝てる。
前線指揮所で、レオニード・アルヴァは地図を見下ろしていた。
「ここを押せば、敵は崩れる」
「今、退く理由はない」
参謀が慎重に口を挟む。
「将軍」
「退路は、確保されています」
「夜明け前に一度下がる判断も――」
「必要ない」
即答だった。
「フォルツが止めていない」
「つまり、まだ行ける」
その理屈に、誰も反論できなかった。
事実として。
後方からの連絡は、ない。
撤退命令も。
警告も。
沈黙だけが、続いている。
「進軍を続行する」
「損耗を抑えつつ、前に出ろ」
命令が下りる。
兵士たちは、顔を見合わせながらも従った。
将軍は、勝っている。
今までずっと。
一方、後方拠点。
アレン・フォルツは、補給報告に目を通していた。
(……近すぎる)
レオニードの戦線は、敵拠点に寄り過ぎている。
撤退可能な距離は、まだある。
だが。
(……止めるほど、確定した情報がない)
敵の伏兵情報は、不明瞭。
補給線も、まだ生きている。
今ここで止めれば、
「臆病者」「腰抜け」と言われるだろう。
それでも、言うべきか。
アレンは、ペンを持つ手を止めた。
通信装置に、手を伸ばす。
――だが、止まる。
(……分からない)
分からないことを、命令にはできない。
沈黙は、続いた。
夜。
前線では、空気が変わり始めていた。
「……敵の動きが、妙だ」
「静かすぎる」
兵士たちが、ざわつく。
「将軍」
「一度、様子を見るべきでは」
レオニードは、首を振った。
「敵は、崩れる直前だ」
「ここで止まれば、無駄になる」
その確信は、信仰に近い。
「フォルツが」
「何も言っていない」
その一言が、決定打だった。
夜半。
敵の反撃が始まる。
左右からの挟撃。
補給路への奇襲。
想定されていた“最悪”が、形を持って現れる。
「退路を!」
「後退命令を――!」
その時には、もう遅かった。
混乱。
怒号。
闇の中での錯綜。
それでも。
退路は、あった。
フォルツの設計した道が、
かろうじて生きていた。
「負傷者を先に!」
「照明、点灯!」
多くは、戻れた。
だが。
全員ではない。
夜明け。
後方に届いた報告は、重かった。
「……戦死者、確認」
「数は、少なくありません」
アレンは、その文面を、しばらく見つめていた。
胸が、締め付けられる。
(……来てしまった)
止められたかもしれない。
だが、止めなかった。
それは、事実だ。
リーシャが、静かに言った。
「撤退は、可能でした」
「はい」
「それでも、退かなかった」
「……はい」
アレンは、目を閉じた。
沈黙が、意味を持った。
最悪の形で。
彼は、まだ何も言っていない。
だが。
誰かが、死んだ。
それが、第二部の現実だった。
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