64 夜空
闘技大会を終えた熱狂の中で、アリスは席を立ち、すぐに控え室へと走って行った。部外者お断りの控え室にも、すぐに入ることが出来た。
熾烈な決勝戦を戦った二人の身内だから、申し合わせがあったのかもしれない。
「もう、本当にすっごく、すっごく……! 格好よかった……ゴトフリー!」
控え室で右手に包帯を巻き直してもらっていたゴトフリーは、扉を開けて早々に涙目で叫んだアリスを見て微笑んだ。
「うん。ありがとう」
「大丈夫……? 怪我、悪化してない?」
近寄ってきておそるおそる手元を覗き込んだアリスは、綺麗に巻き直された包帯を見てほっと息をついた。
(よかった。遠目だしどうなっているのか、全然状況がわからなくて、不安だったけど……そうだよね。手のひらだし、すぐに治ると良いな……)
「いや、大丈夫。肉が切れているだけで、すぐに塞がるよ。アリス。もう少しだけ、ここで待ってて……俺たちまだ、授章式が残っているから」
治療してくれていた医者は、ゴトフリーの手をあげて包帯がきちんと巻けているかどうかを確認してから、無言のままで去って行った。
アリスも闘技大会のこの後の流れは知っていたので、何度か頷いた。
「あ……うん。そうだよね。わかってるよ。私、待ってるね」
「うん。優勝してアリスに、お祝いに来て貰いたかったんだけど……ごめん」
目を伏せてゴトフリーがそう言い、アリスは胸が痛くなって、両手をぎゅっと握りしめた。
「……うん」
それ以外は、喉に何か詰まってしまい、何も言えなかった。ゴトフリーは『惜しかったね』なんて、そんな慰めの言葉は、きっと望んでいない。
(そうだよね。私が優勝してって、そう何度も言ったから……ゴトフリーは、必死で、ここまで頑張って……)
ゴトフリーは準決勝戦のブレンダン戦で、氷に守られた彼を出し抜くために、利き手を負傷していた。そのせいで、リカルドと接戦になっていた時に、持っていた槍を取り落としてしまったのだ。
アリスを含めた観客たちは、そんな決勝戦の展開を見て、惜しかったと思った人も多かっただろう。
ゴトフリーはすんでのところで敗れて、彼はもう少しで優勝出来たかもしれないのだ。
「ははっ……アリス。泣きそうになってる。実は、俺は全然落ち込んでないから、安心して」
ゴトフリーの声に顔を上げると、彼はいつものように微笑んでいた。紺色の目には、優しい光が見える。
怪我をしていない手を伸ばして、こぼれそうだったアリスの涙を、親指の腹でそっと拭った。
「……っ! もう! ゴトフリー……私、私……」
アリスはなんだか、心の中がいっぱいで溢れそうで何度か息を吐いて、なかなか言葉が出なかった。
これまでに敵わなかった相手への悔しかった思い……そういう彼の気持ちを、誰よりも聞いて知っていたし、もう少しで勝てるところだったのは、すぐ近くで観戦していたアリスが、誰よりも知っているからだ。
(もう少しだったのに……あと、もう少しで……駄目だよ。一番に泣きたいのは、ゴトフリーなのに)
ゴトフリーが惜しくも負けてしまった時に、すぐに駆けつけなければと思った。自分が発破をかけて、ゴトフリーはそれこそ寝る間も惜しんで努力をしていた筈なのだ。
アリスのために。
「絶対に勝てないと思っていた、ブレンダンには勝てた。それに、リカルドにももう、勝てないとはこれからは思わない。それが、俺の今回の闘技大会で得たもの。十分過ぎるだろ? だから……泣かないで」
アリスは勝手にぽろぽろと頰を流れた涙を、止めることが出来なかった。これは、アリスに対するその場しのぎの慰めの言葉ではないと、理解することができたからだ。
(ああ。ゴトフリー……越えられたんだね。自分の心の中にあった、変えられないと考えていた辛い過去も、いまではもう、いつか越えられると思えるようになった……? 私、嬉しいよ。私がどんなに何を言っても何をしても、それは、自分で越えるしかないものだもん……)
アリスは今のゴトフリーの気持ちを、誤解していたことに気がついた。
彼は決して、悔しがってはいない。誰が見ても実力の拮抗した良い試合であったことには違いないし、勝てたかもしれないと自分が思えている。
それこそが、大事だったのだ。
負けたかもしれないけれど、勝てた可能性が大いにあり、次には勝てる可能性があると自分を信じられる。
「ゴトフリー……嬉しいんだね。私も、それが、すっごく、うれしいの……」
ここまでにゴトフリーが辛くて悔しかったこと、それが、いまはすべて解けてた。勝てないと思っていた相手に、勝てるかもしれないと思えた。
「うん。ありがとう。アリス。ここまで、出来たのも、アリスが励ましてくれたおかげ。優勝してって言われないと、ここまで出来ていない……ごめん。呼ばれているから、行かなきゃ」
ゴトフリーは立ち上がり、アリスのことを心配そうに見た。今から受賞式があるので、準優勝者の彼は行かなければならない。
「……うん。わかった。ゴトフリー。準優勝……おめでとう」
行かなきゃという彼を送り出すために、アリスはなんとか涙を堪えようとしたけれど、どうしても止められなくて泣いてしまった。
(ゴトフリー。良かった。そっか、私……優勝するよりも、ゴトフリーの心が、楽になる方が嬉しい。ああ……そっか。これで、良かったんだね)
何度も名前を呼ばれたゴトフリーは心配そうに振り返ったので、アリスは涙を流しながら微笑んだ。
◇◆◇
華々しい受賞式を終えて、アリスはゴトフリーと共に帰路についた。
本当は竜騎士団で打ち上げがあるらしいのだが、ゴトフリーはそれを断り、アリスと二人でいることを望んだからだ。
もうとっくに夜も更けているというのに、大いに盛り上がった闘技大会の熱が王都全体を取り巻いているようで、騒がしい集団がそこかしこにいていつもとは違う帰り道だった。
「……あのままだと、アリスの目が溶けるかと思っていたから、泣き止んでホッとしたよ」
隣を歩くゴトフリーから顔を覗き込まれ、アリスはむっとして口を尖らせた。
「もうっ……! そんなわけないよ。それだけ、感動していたんだよ。ほんっとーうに、いい試合だったもん。皆、凄かったって言ってたよ」
アリスは観客席で見ていたけれど、皆ゴトフリーのことを凄いと言っていた。例年通りに優勝候補が決戦を戦うと思っていたのに、それが覆された。
恋人ゴトフリーのことがどれだけ誇らしく思えたか、アリスはどうにも言い尽くせない。
(そうだよ。ゴトフリーは凄いんだよ……! これまでは、色々あって本気が出せなかったけどその気になったら、違うんだから……)
あれはいろいろな感情がないまぜになった涙で、もう本当にアリスは感動していたのだ。負けたから悲しい涙ではなかった。
「そうなんだ。俺はアリスにそう思われたかっただけだから、アリスに凄いって思ってもらえたら、それで満足なんだよね」
「……! また、そういうこと言って!」
ゴトフリーに何でもないことのように微笑まれて、恥ずかしくなったアリスは彼の背中を叩いた。
快活に笑ったゴトフリーは不意に上空を見て、隣にいたアリスにわかるように指差した。
「……アレックだ。あいつも喜んでいるよ。俺が準優勝したって聞いて、皆から良い竜騎士と契約したって驚かれたってさ」
アリスが夜空を見上げると、そこには見覚えのある緑竜が低空飛行していて、唐突に口から緑色のブレスを吐き出した。
まばゆい発光が、まるで花火のようで、王都全体が照らされた。
「……わ!! あいつ。まじか。嘘だろ……」
「綺麗ー!! すごい。アレックもすっごく、喜んでいるってことだよね? ゴトフリー。私と一緒だよ!」
低空飛行が禁じられている王都の上空で、浮かれてブレスを吐いたアレックを見て顔を青くしたゴトフリーに微笑んで、アリスは上空の竜に向けて手を振った。
(こんなこと、なんでもないよ! だって、ゴトフリーはずっとずっと長い間辛かったことを、解消できたんだよ。私とアレックにとっては、記念すべきおめでたい日だもん……!)
喜んでいるアリスとアレックを見て、ゴトフリーはまあいいかというように微笑み、隣にいる彼女の手を取って歩き出した。
本日、コミックシーモア様にて15話先行連載更新日です~!(他書店様12話更新)
原作読んでくださったかたにはたまらないシーン満載なので、ぜひぜひお読みいただけたら嬉しいです♡(ページ下部にリンクあります)
原作のこちらの話、ずっと書きたかった展開なので、なんだかジーンとしています。いつも応援してくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。




