11.龍との邂逅
クレーター。
隕石の落下や大量火薬の爆発などでできる円形状のくぼみ。
さすがに隕石孔のように深いものではなかったが。
「……これはひどいな」
見渡す限りの大地が、赤くくすぶっていた。
本来木々が生い茂っていたであろう場所にはその鱗片さえも見当たらず、焼け焦げた土と、薄く色のついたガラス質の物質が広がっていた。
僕のいる場所を先端として、縦長上に広がっていた。
さく、さく、と焦土やガラスを踏みながら僕はクレーターの中へと進む。
トリニタイトというんだったか。
砂が一瞬のうちに超高温にさらされてできるガラス質。
それが細長い範囲に生成されているということは、核爆発にも引けを取らないほどの威力を持つ爆発が、指向性をもって放たれたということになる。
深層でもこんな威力の攻撃を放つ魔獣は、見たことがない。
可能性としては奈落の底にいた、あの悪鬼ぐらいだろうか。
しかしあれは僕が倒してしまったし、あんなのが何体もいるとは考えにくいので悪鬼ではないだろう。
ないと信じたい。
「まあなんであれ、これが原因だろうな」
こんな化け物が中層に来てしまったら、ここに住んでいる魔獣が逃げ出すのは当たり前のことだろう。
僕だって帰りたいくらいなんだから。
「これどうにかできるかなあ……」
ただの熱線や爆風、灼熱や放射能であれば防ぎきることができる。
核爆発の直撃ぐらいであれば耐えられるだろう。
ただ、魔窟の安全を脅かすような魔獣が単純な物理法則の範囲内で語れるような存在であるわけがない。
ただの魔法生物であるわけもないだろう。
もっと複雑で、奇怪で、不気味な生物のはずだ。
「こりゃあほんとに、神様案件かも……」
この惨状を目の当たりにして、いささか弱気になってしまう。
この件はどうにかして神にでも預けてしまおうかと考え始めたその時。
不意に、あたりに影が差した。
さっきまでいたジャングルの中のように、日光が遮られたのか暗くなる。
「ちっ……雷雲でも近づいてきたのか?」
魔窟の天気は変わりやすい。
晴れから一気に雷雨になることも珍しくはない。
むしろ今までずっと安定した気候を保っていたことが不思議でもあるくらいだ。
「ここまで暗くなるなんて、よっぽど大きな雲でもやってきたのか」
そう思い、僕は空を見上げるように目線を上へ上げる。
雷雲はどんなものかと確認するために。
しかし、
「――な、んだ?」
視界に入ってきたのは、雷雲などではなかった。
巨大な影のもとは、現象なんかではなかった。
そこには
――暴れている、生き物がいた。
「……龍、なのか?」
思わず口をついたその言葉が疑問形だったのは、僕のこれまで見てきたこの世界の龍とは似ても似つかないものだったからだ。
胴体は長く、小さいのか、あるいはないのかわからないが手足のようなものは見られない。
また、翼のようなものもなく、体は白いうろこでおおわれている。
遠目でもわかるような鋭い牙を持つ口の上には、目のようなものが六つ、付いていた。
その姿は西洋風の龍というよりかは、どちらかといえば和風の龍。
現存する生き物の中で最も似ているものを探すのであれば蛇、だろうか。
不気味で醜悪なはずの龍の姿は、しかしなぜか神々しさを感じずにはいられなかった。
しかしその生物の最大の特徴を上げるとしたら、六つの目でも蛇のようなフォルムでもない。
大きさだ。
龍を雲と間違えてしまったそのせい。
長く伸びるその影から、あるいは魔力の探知に引っかかってないことからも龍とはかなり距離が離れていることが理解できるが、僕には龍がすぐ目の前の空に浮かんでいるようにしか見えなかった。
遠近法が正しく機能していないのではないかと思えるほどの巨体。
目測でも全長がキロで数えられるほどなのが分かった。
そして、それほどの大きさを誇る龍が、魔窟の空でさえも我が物顔で飛行できそうな怪物がなぜ暴れているかというと。
「……戦闘している?」
戦闘ではなく、一方的な攻撃なのかもしれないが。
魔法攻撃なのだろうか。
龍の周りの空間に、赤く輝く光球がいくつも現れて地上へ降下されていく。
その一つ一つが大地へ当たる瞬間に、大地が少し揺れて大きな土煙が上がっていた。
地上のほうからも何か光線が飛んでいたが、龍は一向に気にした様子もなく浮かんでいる。
あの龍と対峙しているのは何だろうか。
深層をも牛耳っている魔獣か、そのさらに奥に潜んでいた魔獣か、あるいは神様か。
相当強力な生物であることは確かだが、そのどれでもあの龍に勝てるビジョンは浮かばなかった。
それほどまでに強烈な存在感を、龍は放っている。
龍は体をうねらせながら、地上へ一心に攻撃を放ち続けている。
相手がなかなか倒されないことに、苛立ちを感じているのだろうか。
一層激しく動き出した龍の頭が、偶然も僕の方を向いた。
その瞬間だった。
「――-ッ‼」
全身に鳥肌が立つのを感じた。
久しく感じることのなかった恐怖が、胸の奥底から湧き出てくる。
そして自身を守るための防衛本能が発揮されたのだろう。
無意識のうちに、僕は龍へ向かって魔力をありったけに込めた光線を、放っていた。
「あ……」
わずかに遅れて自分のしたことに気が付くが、もう遅い。
工夫も何もあったものじゃないが、それでも込めた魔力が桁違いのために村一つ分ほど消し飛ばせるほどの威力を持った魔法。
それが龍へと向かい、一瞬の間をおいて――直撃した。
龍を包む火球が見えたかと思うと次の瞬間には空気の爆発するような音が聞こえてくる。
爆風もわずかに届いてきた。
それほどの攻撃。
しかし煙がはれた後にそこにいたのは、目立った傷すらついていない龍の姿だった。
どんな生物でも当たるのはおろか近くにいただけで重大なダメージを負いそうな一撃だったのにもかかわらず。
その直撃を顔面に受けても、大した負傷もなし。
しかし煩わしくは感じたのか、龍は地上への攻撃をやめて僕のいる方角をじっと見つめてくる。
そして、体を反るようにいったん引かせると、牙に覆われた口を、ゆっくりと開いていった。
「まずいまずいまずい……」
僕はその光景を見た瞬間、龍に背を向けて飛び立っていた。
魔窟の空は危険だということも忘れて。
ブレス。
口を開いて行う、龍族にとって最大の攻撃方法である。
普通は自身と同等か、あるいは格上の相手に使われる龍の切り札とも呼ぶべき必殺技。
それをするまでに僕のことを敵認定したということか。
あの巨体から放たれるブレスの威力は、今まで見てきたどの龍族のそれをはるかに上回ることは容易に想像できる。
あのクレーターは、もしかしたら今放たれようとしているブレスによって作られたものかもしれない。
ただ僕が逃げ出したのは、龍がブレスを放とうとしているからではない。
確かにあの大きさの龍のブレスは脅威だろうが、ただの熱線を吐き出すだけの魔法であればどんな威力があろうと防ぎきれるし、魔法そのものに干渉してブレスをキャンセルさせることもできる。
では、なぜそうしようとしなかったのか。
否、試そうはした。
しかし、干渉することができなかったのだ。
僕が能力を十全に扱えるようになってから、魔窟で受けたどんな攻撃にも現象にも、僕が干渉できないものはなかった。
いくら未知の多い魔窟の中であろうとも、物理の法則と魔法の法則で説明ができる範疇のことしか起こりようがないからだ。
この世界にある以上、それが正しくて当たり前のこと。
だから僕の危険を脅かすようなこともたいして起きなかったし、あってもそれは僕のミスによるものだけだった。
しかし今。
不気味なほどゆっくりあけられた口に集められてたまっていく力は。
魔術でも呪術でも聖術でも物理でも説明のできない、謎の法則を持つ見たこともない力。
この世界にあるものとは思えない、まるで世界の外側から引っ張ってきたような、そんな力。
僕には消滅も干渉も観測もできなかった。
あの一瞬で試そうとしたことはすべて失敗に終わった。
これでは逃げるしかない。
背後でものすごい力がたまっていくのが分かる。
その圧から逃れようとするように、僕は妨害をしてくる魔獣たちを吹き飛ばしながら逃げる。
斜線上から逃れるように、なるべくあの恐怖から遠ざかれるように。
「もっと、もっと遠くに……」
気軽に来ようとするんじゃなかった。
そんな思いが僕の胸の中を駆け巡る。
龍がどうか僕に興味を失ってくれますようにと、わずかにも可能性のない希望にすがる気持ちが現れ始める。
しかしそんな気持ちをあざ笑うかのように、龍は僕を追いかけるようにして首を動かして、
――ブレスを、発射した。
白い光が爆ぜた。
音さえ消えたように感じた。
ただ何かがこちらへ向かっているということだけが理解できる唯一のことだった。
熱エネルギー無効化、光エネルギー無効化、核エネルギー無効化、運動エネルギー無効化、魔力エネルギー無効化……。
はっきりとしない意識の中で、試せることはすべて試した。
ブレスの直撃さえ避ければその二次被害である熱風や放射線、光線などは防げる。
とにかく無我夢中で、白く輝く光の線から逃げまといながら能力を発動させていた。
生き延びるために。
◇◆◇◆
気づいたら、森の大地に大の字になって寝そべっていた。
「助かった、のか?」
声が漏れる。
疑問形なのは、逃げられたことを信じられないことから。
やがて、あたりの風景からここがさっきまでいた中層ではないことに気づくと、現実感が戻ってきた。
生きていた、そう実感すると今までの疲労感がどっと出てくる。
「……とにかく早く洞窟へ戻りたいな」
そう思い、僕はふらふらと立ち上がって上を見上げる。
龍は見当たらない。
そのことを確認すると、空へと飛び上がって帰路へ着いた。




