7.魔獣の群れ
「あ、これも食べられるやつでしたっけ」
洞窟を出発してから約1時間。
イースは森の中で木の実などを集めていた。
手にしたかごの中にはいくつかの果実があったがその数は少なく、かごの半分も埋まっていない。
「今日はなかなか見つけられませんね……。もう少し頑張りますか」
普通は昼が近くなるといったん洞窟へ戻って休憩したりするのだが、今日は朝ご飯を食べるのも遅かったので大丈夫だろう。
イースはそう判断すると、採集を再開しようと辺りに生えている木を見回す。
すると、ある大きめの木の根元のあたりに大きなバツが描かれているのが目に入ってきた。
まるでそこから後ろへの侵入を禁止しているような印に、イースは首をかしげる。
「……?ああ、そういえば子供のころに聞いたことがあったような気が……」
久しく忘れていた子供時代。
森に入るなという大人の注意を全く聞かずたびたび森で遊んでいたイースに、本当にこれだけは守ってくれと必死の形相で村長から聞かされた印。
これはここから先へ行くと邪龍の住処があるということを知らせるためのものだ。
同じようなものがこのあたりにいくつもあって、一つ見逃してもすぐにほかのも目に入るように工夫されていた。
さすがのイースも邪龍の怖さは少し理解していたので、この印を無視することはなかったが。
「この印があるってことは、近くに村があるってことですね……」
イースは普段、村と洞窟の間の森を採集の場としていた。
邪龍の住処のあるこちら側には村人はめったに来ることがなく、イースが見つかる心配もないからだ。
ちなみに洞窟の逆側は魔窟となっているので、そこだけは危ないよとエルに止められていた。
しかしここから先は別。
ここからの森は、村人の活動の範囲内。
彼らに会う可能性も高くなるということだ。
もし見つかって、生贄の役目を果たさず逃げてきたと思われたらどうなるか。
最悪殺されてしまうかもしれない。
「……別の場所へ行きますか」
イースは村人に見つかった後のことを想像して身を震わせると、今来た道を戻るようにして歩き出した。
しばらくして昼もだいぶ過ぎた頃、イースの持っているかごは、いっぱいになっていた。
「ふう、これくらいでいいでしょうか。……だいぶ遅くなってしまいましたね」
イースはそう言いながら汗をぬぐう。
場所を変えたせいか、いつもより時間がかかってしまったようだ。
早く戻らないと心配されるでしょうか、とつぶやいたところで、イースは自分のその思考に驚いた。
「忌み子である私が、誰かに心配されることを考えるなんて……」
今までにはあり得ないことだった。
イースが死にそうになっても、悲しまれるどころか気にもかけてもらえないのが当たり前だった。
村の人たちは、生贄がなくなるということで焦りはするかもしれないが、それでも本質的な意味で心配されることなどありえない。
そしてイースにとってもそれが当たり前のことで、特に気にもしていなかったし心配してほしいとも思ってはいなかった。
しかしエルとあってからのわずかな間。
人間扱いされることが分かったからか、イースの心も少し解け始めてきたのかもしれない。
自分自身を大事にする心が少しずつ芽生えてきているともいえるのだろうか。
「ふふっ、これもエルのおかげですかね」
イースは顔をほころばせると、エルの待っているであろう洞窟へ、急いで帰ろうと歩き出そうとする。
――その瞬間だった。
イースの目が、端に何か動くものをとらえた。
次いで葉擦れの、がさっ、という音が耳に届く。
何かがいると、イースはそう気づいた。
「獣、でしょうか」
大きさはイースの腰辺りまである動物だった。
魔窟から割と離れていて、エルが大丈夫と判断したところからは出ていないはずなので、魔獣ではないはずだ。
しかしただの獣でも大きいサイズのものだと危険だ。
「早くここから逃げた方がいいですね……」
イースはそう呟き、獣がどこら辺にいるのかを確かめるために耳を澄ませる。
すると、遠くの方から何かが動くような音が聞こえてくるのに気づいた。
獣はイースに気づかずに遠くへ行ってしまったようだ。
「ふう、どうにかなりましたか……ん?」
ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、遠くから聞こえてくる音が何やらおかしいことに気づく。
一つではなく、複数音がしているのだ。
何匹もの獣が移動しているように。
しかし、異常はそれだけではなかった。
音が段々と大きくなっている。
「もしかして……近づいてきている?」
さっきの獣の音ではなくて、別の、獣の群れの音なのだろう。
運の悪いことにそれらの音も、イースの方向に動いてきている。
エルを呼ぶ、という考えがイースの頭をよぎる。
邪龍を倒したエルならば、ただの獣の群れくらい、もしかしたら魔獣の群れだって簡単に倒してくれるだろう。
ただ、別に今イースに命の危険があるわけではない。
獣の群れならばどこかに隠れてやり過ごしてしまえばいいだけのこと。
もし獣に見つかってしまうことがあったらその時にエルに助けを求めればいいだろう。
イースはそう考えると近くの木の上へと登る。
近くに茂みあまりなかったのもそうだが、万一見つかっても安全だと考えたからだ。
「木登りなんていつぶりでしょう……」
イースはどこか場違いにそんなことを考えながら、木の上でじっと待つ。
音は段々と近づいてきて、ついに音の発生源が姿を見せる。
「―――っ!」
現れた姿に、イースは声にならない悲鳴を上げる。
音を出してはいけないとわかっていても、上げずにはいられなかった。
その圧におされて。
目がなく、鋭い牙のある巨大なミミズ。
赤く光る、不気味な瞳を持った双頭の獅子。
一つ目の、ぶよぶよの肌を持った人型の巨人。
ほかにも狼、牛、蛇、虫といった姿をした魔獣の、十数匹にもなる群れがあった。
そんな醜悪な、しかしなぜか目が離せないような力を持った化け物たちが、走り抜けていく。
何の統一性もないような怪物たちは、しかし高位の魔獣という点で共通点があった。
イースはその間、身を隠すことも忘れてそれらを見ていることしかできなかった。
それが恐怖によるものなのか驚きによるものなのかわからなかったが。
幸いにもそれらはイースに気づかずに、気づいても放っておいただけなのかもしれないが木の下を通り過ぎる。
その間は一分にも満たないものだったが、イースには何時間もそこにいたように感じられた。
魔獣の群れが去った後も力が抜けたのか、しばらく動くことはできなかった。
無意識のうちに手を額にやると、びっしょりと汗をかいていたことに気づいく。
「……あ、れは」
震える声で、どうにか言葉を紡ぎだす。
あれは何だったのだろうか。
子供のころに何回か見たことのある魔獣とは比べ物にならないほどの圧。
それは聞いたことしかない、邪龍にも劣らないのではないかと思えるほどだ。
そして、まるで地獄の底から湧いて出てきたような、異質感があった。
「エルに知らせないと……」
そう言って、魔獣たちが向かっていった方向に目を向ける。
そして。
イースは気づいてしまった。
魔獣たちが向かった方向。
それはイースが去ってきた方向でもあり、
村のある場所でもあったことに。




