表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/37

残酷な描写があります。苦手な方は、ご注意ください。

「信じないならそれでもいいさ。けれど、統天神の寵児に手を挙げたんだから、この先無事に暮らせると思ってもらっちゃ困るよ」

「はっ。その小娘が統天神の寵児だという証拠がどこにある。統天神の寵児に治せぬ病はないと聞く。だが昨年この村を襲った疫病から救ったのは、確か…梨園(りえん)の村の薬師だったはず。……まあ、今回ばかりは戯言も許してやろう。だが、ガキはこの場で殺す」


 愉しげに細められた瞳に残忍な光が灯る。


 人を殺すことになんのためらいも見せない冷酷な物言いに、本気と悟ったルッドが、腕の中のリーフェルを守るように抱き寄せた。


 身体に回された細い腕が怯えのためか、微かに震えたのに気づいたリーフェルは、ずくんと神経に突き刺さった痛みを我慢して、守ってくれる暖かい腕から抜け出した。

 祖母を守れるのは自分しかいないのだ。


「私は死なない。あんたなんかに殺されない」


 果敢にも役人を睨みつけたリーフェルは、双眸を静かに燃え上がらせると、豪語した。

 あまりの暴言に、ルッドが絶望的な目をリーフェルに向けたが、ルッドを守るように立つリーフェルは気づかなかった。


 役人を前にすれば、みな恐ろしげに伏するというのに、リーフェルは臆することなく挑もうとする。

その反抗的な態度が気に入らなかったのか、役人は目を吊り上げた。

 役人を激怒させたことに気づき、すっと肝が冷えたが、近づいてくる役人を正視したまま動かなかった。


 がっしりとした体つきの役人は、リーフェルの胸元を掴むと、無言で頬を(はた)いた。

 歯を食いしばる間もなく、二度、三度と次の手が飛んできて、口の中に錆びた味が広がった。生暖かい血が、薄く開かれた唇の端から一筋垂れる。

 頬にぶつかる衝撃がやんだと思った次の瞬間、役人の手はリーフェルの細い首に伸びていた。


「か……、はっ」


 瞼の裏が真っ赤に染まる。

 息をつけないほどの苦しさと痛みに、酸素を求めて体中の血液が脳へと逆流する。


 リーフェル──っとルッドの悲鳴が響く。


 遠のく意識の中、最後の足掻きとばかりに、残されたわずかな力で役人の手の甲を思い切り引っ掻いてやった。

 小さく呻いた役人の手が緩み、リーフェルの体は床に落ちた。先ほど打ち付けた背から倒れ、骨に直接棒で殴られたかのような痛みが走りぬけた。

 引き裂かれるような激痛に、せっかくの新鮮な空気も肺に入らなかった。息を詰めた後、荒く呼吸を繰り返した。頭に上っていた血の気が、ゆるりと戻っていく。


「ガキが……!」


 ひっかき傷の出来た皮膚に視線を落とした役人は、すっと剣を抜いた。


「この子に罪なんてありゃしないよ! 届けを出さなかったのはわたしだよ。罰ならわたしに……!」


 ルッドの嘆願にも耳を貸さず、役人は剣先を迷いもせずリーフェルの胸に向けた。

 そしてそのまま躊躇もしないでまっすぐ振り下ろし────。


「……ぅっ」

「くそっ」


 慌てて力加減を調節したが遅かった。

 刃は、リーフェルの胸ではなく、寸前で覆いかぶさったルッドの腹を貫いていた。

 役人は、舌打ちすると剣を勢いよく抜いた。

 ルッドの腹から血があふれ出る。


「リー…、…てる………」


 小刻みに震える指先がゆっくりとリーフェルの顔をなぞっていく。

 愛おしげに。

 その感触に、リーフェルが意識を少し取り戻した。薄く開かれた瞳が、間近にルッドを見てほっと安堵の色を宿すが、それが驚きの色に染まるのにそう時間はかからなかった。


「愛し…――っ」

「しぶといばあさんだ」


 ルッドの言葉を封じるかのように、役人が剣を振るった。

 リーフェルの目の先で、ルッドの顔が飛んだ。

 生暖かい血しぶきが、驚愕に目を見開き、固まるリーフェルにかかった。

 声を上げることも忘れた視界が、真っ赤に染まる。ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような衝撃は、肉体的な痛みよりもはるかに強く、そして深く食い込んだ。


 な、ぜ……。


 声にならない悲鳴が、喉の奥に消えていく。

 錆びた鉄の匂い。

 かぎなれているにもかかわらず、それが祖母のものかと思うと嘔吐感がこみ上げてくる。

 とっさに手で塞ぎたくても、強張った四肢は動かず、瞳はただ綺麗に切断された首を映し出し続ける。


「喜べ。ばあさんの代わりにお前を連れて行く」


 リーフェルに被さっていた死体を役人が重たげに引き剥がす。

 魂が抜けたかのように放心したままのリーフェルを一瞥すると、ふと何かを思いついたかのように唇の端を持ち上げた。身じろぎもしないリーフェルの胸元を掴むと、銀の箱を片手に、そのまま床を引きずり、馬の元に運んでいく。

 馬に備え付けておいた縄をリーフェルの腰に巻き付け、その先を握ると、馬に乗った。


「死なない程度に、な」


 瞳の奥が暗く光る。

 役人は、うっそりと呟くと、馬の尻に鞭を与えた。


「……あっ…ぅ……────ぁ………っ」


 馬が体を引きずっていく。 

 地面との摩擦が、布を破き、肌を直にこすりつける。


 熱い……っ。


 小石が、柔肌(やわはだ)を切りつけていった。痛みよりも、焼けるような熱さと、めまぐるしく変わる視界に、意識が遠ざかりそうになる。  


 嘶いた馬が止まると、心の底から安堵した。

 冷たい地面が、リーフェルの体を一時冷ますが、呼吸を整える間もなく、役人にくいっ顔を持ち上げられた。見ろ、と絶対的な命令を彼が下す。

 顎に指先が食い込むほど力を入れられ、焦点の定まらない瞳が、ゆらゆらとさまよう。瞬きを繰り返す内に、鮮明さを取り戻し、霧がかっていた光景が、鮮やかに浮かび上がる。


「…………っ!」


 それを見た瞬間、臓腑(ぞうふ)をえぐられたかのような痛みが、ずくりと突き刺さった。


 青い瞳が、燃えさかる村を映し出し、赤く染まった。


 家先で倒れている影と赤黒く染まった地面が、次々に飛び込んでくる。

 凄惨な姿に、言葉も出なかった。

 ただ呆然とその光景を見つめる。

 あまりにも衝撃的で、全身の力が抜けた。

 空虚な心に怒りも悲しみも浮かばなかった。

 為す術もなく、崩れていく家屋を、炎に包まれていく死体を瞳に焼き付けた。


「この村の最期(さいご)は、見物だった」


 おかしげに呟く役人の声をどこか遠くに感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ