四
残酷な描写があります。苦手な方は、ご注意ください。
「信じないならそれでもいいさ。けれど、統天神の寵児に手を挙げたんだから、この先無事に暮らせると思ってもらっちゃ困るよ」
「はっ。その小娘が統天神の寵児だという証拠がどこにある。統天神の寵児に治せぬ病はないと聞く。だが昨年この村を襲った疫病から救ったのは、確か…梨園の村の薬師だったはず。……まあ、今回ばかりは戯言も許してやろう。だが、ガキはこの場で殺す」
愉しげに細められた瞳に残忍な光が灯る。
人を殺すことになんのためらいも見せない冷酷な物言いに、本気と悟ったルッドが、腕の中のリーフェルを守るように抱き寄せた。
身体に回された細い腕が怯えのためか、微かに震えたのに気づいたリーフェルは、ずくんと神経に突き刺さった痛みを我慢して、守ってくれる暖かい腕から抜け出した。
祖母を守れるのは自分しかいないのだ。
「私は死なない。あんたなんかに殺されない」
果敢にも役人を睨みつけたリーフェルは、双眸を静かに燃え上がらせると、豪語した。
あまりの暴言に、ルッドが絶望的な目をリーフェルに向けたが、ルッドを守るように立つリーフェルは気づかなかった。
役人を前にすれば、みな恐ろしげに伏するというのに、リーフェルは臆することなく挑もうとする。
その反抗的な態度が気に入らなかったのか、役人は目を吊り上げた。
役人を激怒させたことに気づき、すっと肝が冷えたが、近づいてくる役人を正視したまま動かなかった。
がっしりとした体つきの役人は、リーフェルの胸元を掴むと、無言で頬を叩いた。
歯を食いしばる間もなく、二度、三度と次の手が飛んできて、口の中に錆びた味が広がった。生暖かい血が、薄く開かれた唇の端から一筋垂れる。
頬にぶつかる衝撃がやんだと思った次の瞬間、役人の手はリーフェルの細い首に伸びていた。
「か……、はっ」
瞼の裏が真っ赤に染まる。
息をつけないほどの苦しさと痛みに、酸素を求めて体中の血液が脳へと逆流する。
リーフェル──っとルッドの悲鳴が響く。
遠のく意識の中、最後の足掻きとばかりに、残されたわずかな力で役人の手の甲を思い切り引っ掻いてやった。
小さく呻いた役人の手が緩み、リーフェルの体は床に落ちた。先ほど打ち付けた背から倒れ、骨に直接棒で殴られたかのような痛みが走りぬけた。
引き裂かれるような激痛に、せっかくの新鮮な空気も肺に入らなかった。息を詰めた後、荒く呼吸を繰り返した。頭に上っていた血の気が、ゆるりと戻っていく。
「ガキが……!」
ひっかき傷の出来た皮膚に視線を落とした役人は、すっと剣を抜いた。
「この子に罪なんてありゃしないよ! 届けを出さなかったのはわたしだよ。罰ならわたしに……!」
ルッドの嘆願にも耳を貸さず、役人は剣先を迷いもせずリーフェルの胸に向けた。
そしてそのまま躊躇もしないでまっすぐ振り下ろし────。
「……ぅっ」
「くそっ」
慌てて力加減を調節したが遅かった。
刃は、リーフェルの胸ではなく、寸前で覆いかぶさったルッドの腹を貫いていた。
役人は、舌打ちすると剣を勢いよく抜いた。
ルッドの腹から血があふれ出る。
「リー…、…てる………」
小刻みに震える指先がゆっくりとリーフェルの顔をなぞっていく。
愛おしげに。
その感触に、リーフェルが意識を少し取り戻した。薄く開かれた瞳が、間近にルッドを見てほっと安堵の色を宿すが、それが驚きの色に染まるのにそう時間はかからなかった。
「愛し…――っ」
「しぶといばあさんだ」
ルッドの言葉を封じるかのように、役人が剣を振るった。
リーフェルの目の先で、ルッドの顔が飛んだ。
生暖かい血しぶきが、驚愕に目を見開き、固まるリーフェルにかかった。
声を上げることも忘れた視界が、真っ赤に染まる。ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような衝撃は、肉体的な痛みよりもはるかに強く、そして深く食い込んだ。
な、ぜ……。
声にならない悲鳴が、喉の奥に消えていく。
錆びた鉄の匂い。
かぎなれているにもかかわらず、それが祖母のものかと思うと嘔吐感がこみ上げてくる。
とっさに手で塞ぎたくても、強張った四肢は動かず、瞳はただ綺麗に切断された首を映し出し続ける。
「喜べ。ばあさんの代わりにお前を連れて行く」
リーフェルに被さっていた死体を役人が重たげに引き剥がす。
魂が抜けたかのように放心したままのリーフェルを一瞥すると、ふと何かを思いついたかのように唇の端を持ち上げた。身じろぎもしないリーフェルの胸元を掴むと、銀の箱を片手に、そのまま床を引きずり、馬の元に運んでいく。
馬に備え付けておいた縄をリーフェルの腰に巻き付け、その先を握ると、馬に乗った。
「死なない程度に、な」
瞳の奥が暗く光る。
役人は、うっそりと呟くと、馬の尻に鞭を与えた。
「……あっ…ぅ……────ぁ………っ」
馬が体を引きずっていく。
地面との摩擦が、布を破き、肌を直にこすりつける。
熱い……っ。
小石が、柔肌を切りつけていった。痛みよりも、焼けるような熱さと、めまぐるしく変わる視界に、意識が遠ざかりそうになる。
嘶いた馬が止まると、心の底から安堵した。
冷たい地面が、リーフェルの体を一時冷ますが、呼吸を整える間もなく、役人にくいっ顔を持ち上げられた。見ろ、と絶対的な命令を彼が下す。
顎に指先が食い込むほど力を入れられ、焦点の定まらない瞳が、ゆらゆらとさまよう。瞬きを繰り返す内に、鮮明さを取り戻し、霧がかっていた光景が、鮮やかに浮かび上がる。
「…………っ!」
それを見た瞬間、臓腑をえぐられたかのような痛みが、ずくりと突き刺さった。
青い瞳が、燃えさかる村を映し出し、赤く染まった。
家先で倒れている影と赤黒く染まった地面が、次々に飛び込んでくる。
凄惨な姿に、言葉も出なかった。
ただ呆然とその光景を見つめる。
あまりにも衝撃的で、全身の力が抜けた。
空虚な心に怒りも悲しみも浮かばなかった。
為す術もなく、崩れていく家屋を、炎に包まれていく死体を瞳に焼き付けた。
「この村の最期は、見物だった」
おかしげに呟く役人の声をどこか遠くに感じた。