序章
その日、王の死を知らせる王鳥がひときわ高く鳴いた。
甲高い声は、それほど大きいものでもないのに、扉を抜け、廊下を通り、城中に響いた。
第五十六代光王、崩御の瞬間であった。
悲しいぐらい澄んだ鳴き声に、城内にいた者たちははっと顔を強ばらすと、厳粛な面持ちでその場に伏せ、叩頭した。
「昨夜は元気でいらっしゃったのに……」
だれもが、予期していなかった王の死に狼狽し、その死を心の底から悼んだ。
哀惜の念に堪えきれず、ある者は静かに涙を浮かべ、ある者は慟哭した。はらはらと流れ落ちる涙が悲しみの深さを物語るかのように、床をぬらし、堪えきれない嗚咽は、徐々に大きくなって人々に伝染した。
政治のことに関してはあまり意見を述べたりはしない王だったが、重大な採決のときには判断を誤らず、臣下の信頼を得ていた。性格はいたって温厚で、使用人にも気安く声をかける親しみやすい王であった。
即位からちょうど五十年目ということもあり、来月の頭には城で華やかな催しが開かれる予定だった。一年も前から着々と準備が進められてきたおかげで、その豪奢な作りはこの世のものとは思えないほど美しく、豪華絢爛であった。
……しかし。
円状に広がった高い天井に描かれた聖像画も。
宝石をふんだんにあしらった装飾品も。
意匠を凝らした金細工の食器類も。
壁紙一枚から衣装に至るまで、光王のためだけに作られたすべての物が、光王の目に映る前に逝ってしまった。
「おお、光王様、なぜ……」
涙に沈む者たちに、いつもなら働け、と口うるさい侍従長や女官長も、今日ばかりは働く気すらなくしている者たちを叱りつけはしなかった。
そうして城中の者が嘆き明かし、太陽が灰色の空から頭を覗かせる頃ともなると、城はまだ憂いに包まれながらも、少しずつ活気を取り戻し始めた。
休んだ分を取り戻すかのようにあくせくと働く侍女たちは、泣きはらした目のまま、それでも精一杯の笑みを浮かべながら、城を覆っていた鬱とした雰囲気を取り払うかのように、城のいたるところに摘まれたばかりの花を添えていく。みずみずしい花が一輪差してあるだけで、ぐっと城内の雰囲気は明るくなり、花を抱えた侍女たちの目にも、そこを通る使用人や官吏の目にも柔らかな光が宿った。
「諸君、われらに悲しむひまはない。光王崩御はわれらにとって新たな時代の幕開け。さあ次代の光王を玉座に据えようではないか」
花を飾るよう指示した人物が、城の一室で重々しく口を開いた。
会議の間には、光王を失い塞いでいた重臣たちが、召集の知らせを受け、我先にと集まっていた。
円卓を囲む十五人の重臣。
けれど、光王だけが座ることの許された上座だけは空席だった。
重臣たちは一様に、亡き人の面影を探し、上座に視線を走らせたが、穏やかな王の顔が見えないことを知ると、かすかに失望の色をにじませながら、すぐさま上座の向かいに座っていた人物に目を向けた。
豊かにたくわえられた髭と、鋭い眼差しが印象的な男性は、彼らの目をしっかりと見返しながら朗々(ろうろう)と語りかけた。
「悲しみのとばりをいつまでも下ろしていては、亡き王も心安らかにはなれまい。あの方は、春の陽射しのような陽気を好んでいた。次代の光王が何事もなく政務を行えるよう、われわれが一丸となって対処しなければならない。そのためにはやらなければならないことが山ほどあるだろう。次代の光王を迎える準備もいたせねばなるまい」
彼らの手によって光王の亡骸は手厚く神の元へと送り出された。月の光をまといながら、光王は天にかえったのだ。
もう、この島には……聖リブルのどこを探しても光王の姿はない。
島の主である限り、これまでの慣わしに従って、光王の遺体は火葬され、その灰は空と海にまかれる。
それで終わりだ。
仰々しい葬儀はなく、民は喪に服することもない。
それはすべて、次代の光王を迎える準備をするためだった。崩御した光王に時間を割くよりも、新光王のために時間を使えというのが、暗黙の掟だった。
「しかし、各島にいる次期光王候補たちがこの本島へ集まるまで時間がかかりますぞ。それから選ぶにしても一ヶ月余りはかかりましょう。光王の印が早急に必要な書類もあるというのに、その件に関してはどうすれば?」
右隣に座っていた老大臣が口を挟む。
「それらのことに関しては、聖帝にお伺いを立てるとしよう。光王の印が必要でないものは、これまで通りわたしが目を通そう」
宰相と呼ばれた男性は、卓の上で手を組んだ。堂々たるその姿に、ほかの大臣たちは圧倒されたように、かすかに頭を下げた。
光王の補佐的位置にいる宰相の権力は、ここにいる大臣たちよりも強い。それは、光王亡き後、次期光王を選出するまでの間、宰相が本島の主として君臨するからだ。
聖帝とは本島とそれを囲むように浮かぶ五つの島の王を統べる者のことである。光王よりさらに上の地位にいる聖帝は、神の声を聞き、神々と交流する、神に最も近いお方。本島のひときわ高い山、天昇山から島々を見渡し、安寧を願う聖帝はめったに島民たちの前に姿を現さないが、光王と宰相、それに光王と同等の地位にいる各島の公主とその補佐官は別だ。特別な方法で聖帝と逢うことが許されている。
そのとき、一人の伝令兵が扉から入ってきた。青年は宰相の前で片膝をつくと頭を垂れ、
「オルヴィス様に申し上げます、無の島の公主がおいでになりました」
「沙主が……? 王鳥の鳴き声が届いたにしてはいささか早すぎる到着だな。…沙主を薔薇の間へご案内いたせ。あそこは、亡き光王が一番気に入っていたところ。きっと気に入るだろう。──侍従と女官の長に、公主は光王と同等の身分ゆえ、心してお仕えし、くれぐれも粗相のないようにと伝えなさい。…下がってよろしい」
命じられた伝令兵は慇懃に一礼すると部屋から出ていった。
伝令兵が出ていくのを待ってから、宰相が口を開いた。
「さあ、われわれも行こうではないか。あの方を待たせては、礼を欠く。会議はまた後日ということでいかがかな」
「異議なし」
宰相の言葉に異を唱える者はいなかった。だれもが古株である彼の言葉は信用していたし、公主に不快な思いをさせたくなかったからだ。
公主は、光王候補たちの中から次期光王を選ばれる、重大な任を帯びた方。もし機嫌をそこねて無能な人など選ばれたら大変とばかりに、彼らは素早く身の回りの整理をすると、身支度を整えにいったん下がった。
「──やれやれ、国を担う者たちがそろいもそろって公主のご機嫌伺いとは。公主がどのようにして光王をお選びになるか知らぬはずないというのに……」
「何かおっしゃいましたか。オルヴィス様」
左隣に座っていた若い大臣が、広がっていた書類を片づけながら、宰相に聞き返す。もう、部屋には彼と宰相しかいなかった。
「いや、何も」
彼はそう言うと口元に苦い笑みを刻んだ。