合戦
それは、移動する山だった。
漂うのは瘴気。肉は溶け、骨がむき出しとなり、眼球は零れ落ちているのが神経の束で辛うじてつながっている。長大な背骨は頭蓋から尾の先まで一直線であり、胴体から伸びる四肢は、腐りはてた鱗に覆われていた。背には裂けた翼。口に生えそろった牙は、そこだけは生前の名残を残していると言えよう。
―――骸竜。邪悪なる魔力で動き出した、竜の屍。夜間にこれを屠ろうと思えば、強力な火神の神官に率いられた千人の戦士が必要であろう。少なくない犠牲者も。
そして、それだけではない。
たった一体で小国を滅ぼせる怪物と並んで夜の森を行進しているのは、多種多様な闇の軍勢。小鬼。大小鬼。巨鬼。変身巨人。闇妖精。
そして彼らを率いるのは、漆黒のローブに身を包んだ闇妖精の神官―――闇祭司。
怪物の引く戦車に乗る彼は、骸竜に繋がる鎖を掴んでいた。
彼らは、攻め込むつもりなのだ。人の類の領域へ。殺戮と略奪と凌辱と流血。それらを求めて。地下に住まいし流血の女神へと捧げる供物を求めて。
月光が照らす中、軍勢は静かに進んでいた。
◇
―――なんだ。あれはなんだ!?
夜になり起き出してきた女剣士が甲冑を纏ってすぐのこと。雑多な気配を感じた彼女が身を潜めた先で、強大な闇の軍勢が通り過ぎていくのである。
もっとも、それだけならここまで驚きはしない。だが。木々をなぎ倒し、突き進んでいくあの巨体はなんだ。あの腐りはてた山のような怪物はなんだ。
―――まさか。竜。
あんな怪物を相手にするのは不可能だ。倒すには、太陽神の加護の下、近隣諸国の総力が必要になるであろう。
―――知らせねば。
女剣士は、その場をすぐさま後にした。
◇
そこは地母神の神殿にある宿坊。
女神官が目を覚ましたのは、彼女にしか聞こえぬ魂魄の叫びが枕元から響いたからだった。
「……どうしたんだ?」
眠気眼をこすりながら、女神官。ここ数日村の神殿で奉仕に勤しんでいたから、昼夜逆転しているのである。はっきり言って眠い。
「……ぅ…!」
「何?腐った竜?闇の軍勢?―――なんてことだ。骸竜を連れた大軍が迫っているだと!?」
飛び起きた女神官はすぐさま法衣を羽織り、横で眠っていた黒衣の少年を蹴り飛ばし、相方の隠れ場所とそして戦棍を手にした。
「いたっ!?何が―――え?」
「敵襲だ!急いで神官たちを叩き起こせ!!」
蹴り起こした少年に命じ、女神官はすぐさま外へ飛び出した。
◇
遠視の魔法で、田園の向こう側―――地平線を越えるギリギリの風景を確認した女神官は戦慄した。もはやすぐそこまで敵勢が迫っている。骸竜だけでも手におえぬというのに、見えるだけで何百という大軍が森の中から出てくるではないか!!
駆けつけて来た黒衣の少年。そして神官たちへ、女神官は告げた。
「闇の軍勢がもうそこまで迫ってる!とんでもない大軍だ、村人を叩き起こして避難させろ!!」
「神官様はどうされるんですか?」
少年の問いに、女神官は笑顔を浮かべた。
「私は、相棒と一緒に奴らを少しでも食い止める。君は村人を守れ」
「―――いいえ。オレも行きます」
断固たる決意で、少年は告げた。彼が女神官の意向に背いたのはこれが初めてである。
「……死ぬぞ」
「ここで死んでも無駄死にじゃありません」
「―――いいだろう。来い」
こうして、合戦が始まった。




