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金子藩譜  作者: ゆきまる
21/21

二十、《外伝一》豪龍剣

遠州にある金子藩。戦国の世から続く金子城を中心に城下町が整備され、東海道から離れていながらも「烈将」と謳われる金子宗勝が五代藩主となり、側近で筆頭家老の徳村政家が中心となって善政を敷いていた。また、内地の金子藩にとって多くの飛び地も存在する。杷木根はきね村もその一つだが、海に面しているとはいえ、山が多く農地は少ない。小さな漁村があるだけに過ぎない。船が無ければ、険しい山を越えて行かざる得ない場所にも代官が置かれている。この地は代々早川家が治めており、現在の当主は早川康延やすのぶである。康延は松平清之の側近として名を馳せ、知勇兼備の将として宗康から受けた感状は数知れず、城崩しの変の後、隠居した清之の後は清綱、清長の後見を務めるが、康延の度重なる諫言に嫌気が差してきた若き清長とは徐々に対立するようになり、ついに知行地である杷木根村に追いやられてしまった。ほとんど代官で甥の早川倫太郎りんたろうに任せっきりであった知行地であったが、主の帰還に喜びを隠せない民衆の姿があった。領地入りしたのは父である義延よしのぶに従って以来のことで、若き康延の顔を知っている者は多いが、年老いた康延の顔を知る者は少ないと思っていた。しかし、領地に入るとすぐに民衆が駆けよってくる。

「康延様!、康延様ではありませんか!」

「おお!、殿様が参られたぞ!」

皆が表情を綻ばせながら近寄ってくる。

「わしの顔を覚えておる者がいるとはなぁ」

感慨深くなり、誰にも気づかれないように目に涙する。

「殿様が御戻りになられたのだ。これでもう安心だ」

「海を荒らす輩に退けは取らぬぞ!」

首を傾げた康延は気になって民衆に聞いた。

「海を荒らす輩とは如何なる者か?」

「はい。三年程前から漁に出る舟や海を往来する商船を狙う海賊どもにございます」

「何と!?」

領地を治める倫太郎から何の知らせも無かった。

「代官は何の手も打たなかったのか?」

「それが…」

「構わぬ、申せ」

「は、はい。海賊が現れると配下を連れて出張りはするのですが、海賊を捕らえるどころか、ただただ見ているだけにございます」

「………」

康延は目を瞑った。家臣団で最年長の堀本高延たかのぶが康延の仕草を見て緊張する。先代から仕える高延も御番衆として藩に仕えていたが、康延失脚と共に御役御免となっていた。康延の目を瞑る仕草は怒りに満ちている時にする仕草だったからだ。民衆は続ける。

「業を煮やした庄屋様が御代官様に訴えたのですが…」

「何があった?」

高延が代弁する。

「こ、殺されましてございます!」

そう聞いた途端、康延の目が開いた。

「すまなかったな。知らぬことと申せ、わしがもっと早く手を打っておれば、このような大事に至らなかった」

穏やかな口調で伝えるが目は笑っていなかった。康延は改めて庄屋宅に訪れる旨を伝えて民衆と別れた。康延は家臣たちと歩きながら指示を出す。

「高延」

「はっ」

「代官所にはわしが帰る使いは出しているな?」

「御意」

「代官所にいるのは如何程おるか?」

「ざっと三十」

「代官所の門は三つであったな?」

「北、東、南の三つでございます」

代官所は集落を見渡せる高台に設けられている。北門は拝領屋敷に繋がり、南門は集落、東門は蔵屋敷に繋がっていた。

「地の利から申せば向こうが有利だろうが、我らは一騎当千の武者ども。烈将に比べれば恐るに足りぬ」

郎党十三人全員が烈将宗勝の教えを受けていた。その中でも康延と高延は免許皆伝であった。

「高延、十四郎とうしろうと善兵衛を連れて蔵屋敷を落とせ」

雨宮十四郎と土田善兵衛ぜんべえが高延と顔を見合わせる。そして、共に頷くと走り出した。

康次やすつぐ、観十郎、伝次郎、唐左。お前たちは南側から代官所を回り込んで北へ抜けよ。拝領屋敷を落とすのだ」

康次は妻の弟であり、倫太郎の顔も知っている。浅賀あさか観十郎、天津あまつ伝次郎、海原うなばら唐左衛門とうざえもんと共に先行する。

「残りは我と共に代官所を落とす」

「ははっ」

郎党十三人のうち、勇ましい女武士が二人いた。康延の妻のおこうと娘のおてるである。お洸は宗勝の末娘で父譲りの剣術に通じ、門弟たちを幾度も負かしてきたが康延には一本も入れることが出来ず、求めに応じて妻になった。お照も母に似て美形だが男勝りな性格をしていて、いつも康延を困らせている。

「さて、典道のりみち

「はっ」

康延、高延の他に直臣として村木典道が文学博士の役を仰せつかっていた。典道は御役御免ではなく、自ら役を辞していた。

「相手は油断していると思うか?」

「おそらく」

「ならば、堂々と中へ入れようが、蔵屋敷と拝領屋敷が落ちるよりも先に入らなければなるまい。ちと足早に急ぐぞ」

康延ら七人は代官所の階段を上がると門番を務める二人の番士が康延の姿を見て中に走って行く。

観三郎かんざぶろう久右衛門きゅうえもんと共にこの門を死守しろ」

「はっ」

浅賀観三郎は観十郎の弟である。内田久右衛門と門の内側で刀に手を掛けた。

「お洸、お照、春延、典道、わしに続け」

「ははっ」

春延はるのぶは高延の嫡子で、お照の許嫁である。康延が失脚しなければ早々に婚姻していたに違いない。康延らが代官所に入ったのと同時に拝領屋敷と蔵屋敷でも怒声が沸き起こった。刀が弾く音が多々聞こえ、静まるまでそう時間はかからなかった。

「何事か!?」

代官所でも沸き起こった怒声と悲鳴に与力の高塚一基かずもとが叫んだ。

「高塚、お前がついていながら、この体たらくは如何なることか!?」

「うげぇ!?」

血が流れる刀を持った康延の姿に驚いた。

「や、康延さ…ま…、こ、これは一体…」

「海賊とつるみ、私腹を肥やすとは言語道断である!。恥を知れい!」

「お、おのれ…、どこで知ったか知らぬが生きては返さぬ。出会え!、出会え!、曲者ぞ、斬り捨てい!」

すでに抜刀している浪人が数人出てきた。

「ほう、図星とはな。浪人を雇うとは…己の器はその程度か」

「知れた口を聞くなぁ!」

高塚が叫ぶと共に背後から浪人が斬りかかるが康延は軽く交わして袈裟斬りで倒した。さらに正面にいる浪人の肩に乗って上に飛び、そのまま全気力を以て振り下ろした。脳天からぱっくり半分に斬り伏せられる浪人を見て他の浪人が逃げ出す。岩をもいともたやすく斬る「岩砕斬」という幾天神段流の技である。腰を抜かして失禁している高塚をそのままに北門から逃げようとする倫太郎を見つけた。北門はすでに拝領屋敷を抑えた四人の郎党が固めており、刀が弾ける音がしていた。

「この期に及んでどこへ逃げる気だ?、倫太郎!」

「ひ、ひぃぃぃぃ!!」

返り血を浴びた康延を見た倫太郎は悲鳴を上げる。持っている刀が宙に舞うだけで掠りもしない。康延は峰打ちを与えて気を失わせた。康延が自らの家臣を一騎当千と言うだけのことはあり、怪我を負った者は一人もいなかった。倫太郎、高塚以下怪我を負った者も含めて全員切腹を許さず、打ち首に処した。高塚が雇っていた浪人は海賊が代官所を監視するために送っていたものと分かり、早朝には休む間もなく、海賊の拠点を急襲して瞬く間に鎮圧した。わずか二日で終えた成敗劇に民衆を驚きを隠せず、後の世までの語り草となっていった。騒動の後、康延らは拝領屋敷に入り、典道を代官に任命し、高延を組頭兼蔵奉行並、康次を船奉行に命じて領内の安定を速やかに行うよう命じた。この鎮圧劇は遠く金子の地にも及び、康延の失脚に激怒した藩主宗勝は清長を強い口調で叱責した上で、家老に留まることは出来たものの藩政から遠ざけた。代わりに登城を命じられたのが隠居していた清綱である。清綱は我が子の非礼を詫びたが、清綱の人柄を知る宗勝と筆頭家老を勤める政家は咎めるつもりはなかった。清綱の次子清勝を城目付、三子清高を二ノ丸御門城番頭に任じ、清綱を補佐するよう命じた。そんな時に沸いた杷木根村の鎮圧劇である。

「平和惚けした輩が武人に勝てるものか」

同じく武勇を誇る宗勝は笑いながら、康延を讃えた。しかし、政家は眉を潜めながら、宗勝を諫めた。混乱が大きくなれば、藩内に広がる恐れがある。

「殿、今一度、領内の引き締めも必要かと存じます」

「うむ。触れを出せ」

「ははっ」

政家が下がると宗勝は清綱に話しかける。

「康延を今一度、この場に戻したいと思うのだが、如何であろうか?」

「左様ですな。私利私欲に走った輩を討ったのですから、それもよろしかろうと思いますが、今回の件は早川家の不始末でございます。その火消しをしただけならば元に戻す必要はないかと存じます」

「なるほど」

「今しばらく様子を見ては?」

「そうだな」

清綱の助言に宗勝は頷いた。しかし、康延が金子に戻ることは二度と無かった。収入が乏しい杷木根村の開発に力を注いだ。制圧した海賊の拠点をどうにか出来ないかと思い、親交のある廻船問屋久喜屋くきや多兵衛たへえの助力を得て貿易の中継地点として港の大規模改修を行った。当初は目に止める商人も少なかったが、大坂の豪商の目に止まり、次第に蔵が建ち並び、港は大いに栄えた。小さな漁村にも人が集まるようになり、山を崩して土地を開き、道を広くして小さいながらも宿場町を整備し、港に近い場所に代官所を移し、剣術の向上を願って道場を設け、飛び地であるが故、藩境三ヶ所に関所を設けた。配下は十三人から四十人まで成長し、杷木根村は金子藩屈指の貿易港となる。先年、娘のお照が家臣の堀本春延に嫁いだ。春延は康延の婿養子と考えられたが、康次を後継者として養子にしていたことから、お照は堀本家に輿入れすることが決まった。また、杷木根村の評判が宗勝や政家の耳にも聞こえた。

「康延は武勇だけの男ではなかったようだな」

「左様にございますな」

「金子に戻れと言っても聞かぬであろうな」

「松平の家を嫌っているようでございますからな」

「ならば、どこか知行地を与えてやろうか」

「それがようございます」

二人の談義により、康延は藩の直轄地となっていた宮部村を与えられることになった。宮部村も飛び地だが杷木根村とはそんなに離れておらず、農村である。米を得る上で、大変有難いものとなった。康延は宮部村に陣屋を設け、康次を留守居役とし、浅賀観十郎・観三郎兄弟を付けて補佐させた。康次が抜けた船奉行には春延に任じた。これで数年は安泰すると思われたが、翌年の正月、代官所に直訴した者がいた。宮部村の農民寛吉かんきちである。本来、直訴は重罪であり、死罪も覚悟しなければならない程である。拝領屋敷にいた康延は典道から報せを受けて代官所に赴いた。

「これは事実か?」

「じ、事実でございます!」

寛吉が持ち込んだ書状は庄屋で郷士の保田やすだ重左衛門じゅうざえもんが書き記したものであった。書状には、宮部村は康延の知行地となる前から不作続きで、陣屋留守居役となった康次の年貢の厳しい取り立てに不満を訴えた多数の農民が捕縛され、殺害されたという。さらに、藩御用達の米問屋村形屋文吾ぶんごから賄賂を受け取り、融通を利かせる不正行為に庄屋の重左衛門が訴えたところ、その場で斬られて殺害。庄屋屋敷も襲撃されて家人を含めた全員が皆殺しに遭ったという。これが事実ならまた身内からの不祥事である。必死の思いで駆け込んできたのであろう、寛吉の衣類は汚れ、体には傷もあり、汗まみれであった。

「ここまでのことをしていれば村も封鎖されていよう」

「は、はい。その通りでございます」

「ならば、お前はどこを通ってきた?」

「廃坑です」

宮部村と杷木根村の間には銀山があった。すでに銀は堀り尽くされて廃鉱になっていたが、坑口は多数存在し、時には家を失った者が住み着くため、完全な無人化にはされていなかった。

「宮部村の南側に奥倉という小さな集落があり、その奥に廃坑があります。その廃坑は隣の井筒村まで続いています」

井筒村は御礼掛改役を勤める葉祇はぎ金吾きんご宗貞むねさだが治める知行地である。葉祇家初代宗通むねみちは勇猛果敢な武将として数多くの戦功を立てた。嫡子の宗頼むねよりも騎馬隊を率いて父に劣らぬ武勇を見せたが、仕えていた犬居藩が本藩の意向で取り潰しとなって以降は浪人となり、城崩しの変後は先崎家に仕え、勝理・義勝の二代に渡って側用人を勤めた。宗貞は宗頼の次子である。嫡子宗友むねともは宗勝に仕えて御番衆として本藩に復帰。御番小頭、御番頭を歴任し、多忙な宗勝に代わって藩道場頭取となった。宗貞も剣術に通じていたが、兄程ではなく、我が身を守る程度の実力でしかなく、早くから文学博士であった典道に師事して頭角を現し、推挙を受けて書物庫番となる。その後は書物庫番頭、書物奉行を経て、藩の儀式儀礼を司る御礼掛改役ごれいがけあらためやくに抜擢された。宗貞の嫡子宗和むねかずも典道に師事して書物奉行として父の補佐をしている。

「井筒村とは付き合いあるのか?」

「ございます。まだ鉱山がありました時にはお互いの村から人を出して協力しあったものです」

「左様か…」

康延は目を瞑った。二年前、不正を働いた倫太郎を討って以来の行動に誰もが緊張感を漂わせた。

「至急、皆を集めよ。早急に手を打たねばなるまい」

「はっ」

側に控えていた天津伝次郎が足早に退いた。

「典道、宗貞殿にも話を通しておかねばなるまい。頼めるか?」

「御安い御用でございます。では、早速」

典道も退いた。

「寛吉、疲れていようが、もう少し話を聞かせてくれるか?」

「はい、何なりと」

「村形屋は以前から宮部村の商人か?」

「いえ、三年程前に出来た大店と重左衛門様はおっしゃられていました」

「それ以前はわからぬか?」

「わかりません」

「ふむ…、浪人は抱えていような?」

「はい、常に五、六人は」

康延の脳裏に何かが浮かんでいた。

「久太郎」

「はっ」

代官所与力の内田久太郎きゅうたろうが応じる。久太郎は久右衛門の嫡子である。

「三年前の藩家譜と以前宮部村について調べた目録を持ってきてくれ」

「承知致しました」

久太郎も書庫へと向かう。

「寛吉、もう一つ頼みがある」

「何でしょうか?」

「廃坑から奥倉への道案内を頼みたい。廃坑内は複雑で精通していない我らでは抜けるのは到底不可能でな、頼めるか?」

「はい、私に出来ることならば」

康延は頭を下げて感謝した。寛吉が退くと久太郎が全藩士の家と役職名が網羅した藩家譜と宮部村の目録を持ってきた。先に目録を開き、商屋一覧を見るが確かに村形屋の名は無い。次に藩家譜を開き、藩内の集落を管轄する郷村方を見る。目付を筆頭に米奉行・道中奉行・蔵奉行が続き、それぞれの役所に所属する役職が連なっている。藩家譜は書物方が毎年作成する文献である。

「やはりな。わしの考えは当たっていたわ」

「ならば、村形屋は元武士で?」

「ああ」

久太郎の問いに康延が頷く。

「三年前までは御用米吟味役とある。米奉行に次ぐ要職にあった者が何故、商人になったのか、気になるところだな」

「調べましょうか?」

「頼む」

「承知致しました」

久太郎が退くと大広間へ向かう。近づくにつれ、ざわざわした気配が感じられる。大広間に入ると全員が姿勢を正して平伏する。

「皆、宮部村の異変については聞いてもらった通りだ。早急に手を打たねばならぬ事案だ。心して掛かるよう」

「殿、一つお聞きしたいことがございまする」

代官所同心の古沢大八が尋ねてきた。

「如何した?」

「万が一、康次殿の罪が明るみになった場合、如何なる処断をなさいますか?」

「切腹は許さぬ。打ち首が相当だろう」

「し、しかし…!」

大八が慌てる。康次は仮にも康延の養子である。厳罰に処せば御家の大事に関わる。

「構わぬ。跡継ぎとは申せ、罪を犯して良いわけではない。しかも、人を殺める等、言語道断である。もし、この場に康次に同調する者あらば早々に立ち去るが良い。咎める事は致さぬ」

そう康延が言うと、大八を含めた約半数の家臣が無言のまま、立ち去った。康延は目を瞑っておらず、しっかり開眼している。

「ここまでとはな。わしの知らぬところで金を握らせて味方にしておいたのであろう」

「如何なされますか?」

康延の言葉を受けて娘婿の春延が答える。

「去った者の中には康次に報せる者もいよう。幸い、どのようにして討つのかは誰も知らぬ。今、ここにいる者たちだけで宮部村に行くとしよう」

わずか十三人である。前回の騒動で加わった康次と浅賀兄弟、留守を任せてあるお洸、嫁いだお照の代わりに久太郎、宿場奉行古場こば利兵衛りへい代官所与力鶴岡高信たかのぶ、蔵屋敷留守居役緒方千十郎、目付山川儀兵衛ぎへいが加わった。利兵衛と高信は前回の御家騒動前より康延とは旧知の仲で利兵衛は下士を取り締まる下目付、高信は燈籠奉行であった。しかし、康延が人材を集めていると聞いて役を辞して駆けつけたのだ。儀兵衛は徳村政家の推挙を受けて家中を取り締まる目付の役職に就いていた。

「殿、申し上げたい儀がございます」

「儀兵衛、如何した?」

康延も儀兵衛の実直な性格を買っている。

「今回の件、大殿には?」

「この一件は我が家の不始末。我らだけで決着を付けようと思う」

「勇猛果敢な殿ならば大事ないと思いますが、万が一、事が露見した場合、御家断絶することにもなりかねません。我らが路頭に迷うならまだしも民には何の関係もないこと。主が変われば再び苦しめることにもかりかねません」

「うむ…」

「それならば、大殿に助勢を願い、我らと行動を共にして頂くことでこの先々の道筋をつけては如何でしょうか?」

「一理あるな。よし、わかった。儀兵衛、一日だけ待つ。急ぎ金子へ向かえ」

「ははっ」

儀兵衛はすぐに早馬にて金子城へ向かった…。


「何!? 、またしても家中の不祥事とは如何なることか!?」

金子城中にて、目通りを願い出た儀兵衛に理由を質した本丸御門番頭澤田さわだ宗茂むねしげが驚きの表情と困惑の眼差しを儀兵衛に向けた。

「殿の御厚意を無駄にしたばかりか、民を理由もなく殺すとは!」

口調はますます厳しくなる。

「早川家は断絶も免れぬ!」

勝手に決めつける澤田に横槍が入る。

「断絶とは物騒なことを申すな」

澤田が振り向くと政家が立っていた。

「こ、これは御家老!」

「澤田殿の役目は目通りの理由を質すだけでござろう。断絶云々の話はお主が決めることではない」

重要な案件は藩主・筆頭家老・国家老・次席家老・目付衆支配・町奉行が集まって話し合う。

「も、申し訳ございませぬ」

「下がると良い」

「は、ははぁ」

恐縮しきった澤田は早々に大広間から引き下がる。

「さて、儀兵衛、久しいな」

「御前も変わらず」

かつて主従関係にあった二人の信頼は厚い。

「また騒ぎだそうだな」

「はっ、実は…」

儀兵衛は事細かに説明した。

「何とのう…」

政家は事の重大さに絶句する。

「康延殿は死ぬ気だな」

わずか十三人では犬死でしかない。

「ならば、今一度、救うてやろうではないか」

藩主宗勝も大広間に入り、上座に座ると二人とも畏まる。

「殿、公儀の目もありまする。そう簡単には…」

「無論、康延も理解していよう。少数精鋭で事を済ませる」

「承知致しました」

政家が向き直る。

「儀兵衛、お主は目付であったな?。敵の数はわかるか?」

「およそ百」

政家は目を細め、宗勝は豪快に笑う。

「康次め、こうなる事態をわかっていたかのような行動じゃな。本来ならわしが行って奴の首を取るところだが…」

康次や浅賀兄弟の剣術の師は宗勝である。

勝成かつなりと御番衆を呼べ」

「御番頭の葉祇殿は実家の井筒村におります」

「ほう、良い場所にいるではないか。使いを出して井筒村との境を封じるよう命じよ」

「承知致しました」

政家が頷くと、

「誰ぞ、あるか?」

廊下に向けて声を掛ける。すぐに人影が障子の向こうに写る。

「八十郎、郷村目付先崎勝成殿と御番衆をここに呼んでくれ」

「はっ」

奥居番の横川八十郎が下がる。

「勝成殿と御番衆はどうお使いになるおつもりで?」

「策など必要ない。北と東側から堂々と入れば良い」

「藩が周知していると敵に知らせると言う事ですか?」

「左様、それだけで抑えることが出来る」

「敵の士気を下げることが出来れば、百とてただの烏合の衆。手筈は昼であれば狼煙、夜であれば火矢を上げると致しましょう。儀兵衛」

「はっ」

「先に把木根村へ戻り、康延殿にこのことを伝えよ」

「はっ」

儀兵衛が立ち上がろうとすると、

「待て」

宗勝が止める。

「付け加えよ。お前には『豪』の技を与えてある。使うことを許すとな」

儀兵衛が何のことかわからないと言った仕草をするが、すぐに思い直して「承知」と言って下がった。それと同時に勝敬が大広間に入ってくる。

「お呼びと聞き、馳せ参じました」

「おう、来たか」

勝成は宗勝の次子で、嫡子以外は他家へ養子に行く決まりにより、宗勝の実家である先崎家を継いだ。剣術に優れ、後に影島騒動の立役者となる。

「康延は知ってるな?」

「無論。同門ならば」

宗勝も頷く。

「まもなく御番衆も来よう。康延を助けるぞ」

「はっ」

猛る若き武者を見つめながら、烈将は何を思うのだろうか…。


翌日の夜半、康延ら十三人は寛吉の案内で迷路化した廃坑を通って奥倉の集落まで来ていた。奥倉は二十軒程の小さな集落で鉱山が閉山した後は農業や林業を生業としている。その集落の東側にある高台で煌々と明かりが見えていた。

「あそこは?」

棟方むなかた様の御屋敷でございます」

「ほう、あれが」

康延は目を細める。集落のまとめ役を担う棟方仁左衛門は、かつて鉱山奉行であった。隠居した後も集落に屋敷を構えて影響力を残した。当然、康延とも顔見知りである。夜半にも関わらず、屋敷内外は篝火が炊かれて物々しい雰囲気になっている。

「あの様子だと我らが来るのは知っているようだな」

「向かわれますか?」

「案内を頼む」

「御安い御用です」

寛吉の案内で鉱山から棟方の屋敷に向かった。屋敷の門番が暗闇から足音がすることに気づく。それは山からではなく、集落の入口となる橋からであった。

「何者か?」

足跡は止まるが返答は無い。再度問う。

「何者か!?」

返答代わりに刃が門番を襲った。悲鳴を上げる間も無く、門番は絶命した。闇から現れた男はそのまま屋敷の中へ入って行った。その直後に阿鼻叫喚が聞こえ、それは闇を覆う集落全体に響いた。

「殿!」

先頭を歩いていた久太郎が振り返って叫ぶ。

「急ぐぞ!」

康延らは下っていた坂道を転ばん勢いで走り出した。屋敷に近づくにつれて血の匂いが漂い始める。長屋門を潜ると死体があちこちに見え、うめき声も聞こえた。全員が抜刀して中に入ろうとした時、返り血を浴びた男が出てきた。

「遅かったな、康延殿」

「お前は…」

そこにいたのは浅賀兄弟の叔父善十郎ぜんじゅうろうであり、康延とは汗を共に流した剣友であったが、早くから武者修行の旅に出ていた。頬に刀傷がある。

「いつ戻った?」

「半年程前、文をもらってな」

「文?」

「左様、我を見下す康延を討ち、天下に我が名を高める好機だと記してあったな」

「何だと!?」

文の主は康次であろうが、事実なら謀反を起こしたことになる。

「これは如何なることか!?」

「災いを消したまで」

「災い?」

「我らの前に立ち塞がる者は必要なし」

「それで保田重左衛門も斬ったのか?」

「如何にも」

当然だと言わんばかりの口調である。

「この戯けが!」

「お前にはわかるまい」

「わからいでか!」

「ならば、語ることはない。死ね」

切っ先をこちらに向けながら、強い殺気を放つ。

「お前たちは退がっていよ」

康延が一歩前に出る。刀をだらんと下げて自然体の構えである。ここから放たれる技は一つしかない。

「相変わらずだな。まるで成長していない」

善十郎も同じ構えになる。

「ぬかせ!」

ほぼ同時に動き、八塵の刃が相殺する。善十郎の頬がわすがに斬れる。

「ほう、わしを上回るか。ならば…」

上段に構える。康延は正眼に構えて一気に間合いを詰める。刃と刃が火花を散らして交じり合う。双方とも退くことを知らない。善十郎が刀霞を放つ。鍔ぜりあいの状態で刃を相手の刀の刃に沿わして手首を斬り落とす技である。しかし、技を見切っていた康延は一歩退いて体を反転させて相手の死角から刃を振り上げる回殺を繰り出すと柄頭で弾く。善十郎が下段の構えから刃を逆さに顎を狙う雷電を放てば、康延は最小限の動きで刃の動きを見極め、善十郎の肩から飛んで渾身の一撃を与える岩砕斬を繰り出して地面を抉る。少し間合いが開く。

「やるな…」

「お主も…」

お互い小手技から大技まで繰り出しているのに一向に疲れを見せない。その時、善十郎の腰にぶら下がっている赤い煙草入れが目に入った。浅賀家の家紋が入っている。

「それは…?」

「ああ、これか。観十郎に譲ってもらったのだ」

「譲ってもらっただと!?」

康延は厳しい口調になる。

「気に入ってしまってな」

「戯けが!。その煙草入れは浅賀家代々当主だけに伝えられてきた家宝の煙草入れだ。そう簡単に譲るはずがない!」

怒声を浴びせる康延に善十郎は涼しい顔だ。

「お前…まさか…、観十郎を斬ったのか?」

「くれぬと言うんでな。奴から奪ってやったのよ」

背後から襲ったのだと白状した。

「この外道がぁ!」

「くくく…、お主も欲しくなったか」

善十郎が嘲笑する。それを見た康延が目を瞑る。そのわずかな動きに善十郎以外の誰もが緊張した。

「悲しいか?」

善十郎の問いに答えず、静かに目を開いた。康延は刀を納めて、左足を後方に退いた。善十郎は動じず、上段に構える。

「ふん、烈将気取りか。お前の仲間もろとも始末してやろう」

善十郎が知る限り、抜刀の姿勢から繰り出される技は奥義一龍斬以外知らない。先に動く。一気に振り下ろすと、凄まじい剣圧が康延を襲う。流牙散布一之形である。続けて右袈裟からの二之形、左袈裟からの三之形、横一文字の四之形、最後は突きの五之形が繰り出される。多勢が相手に放つ大技である。剣圧で塀や瓦が吹き飛ぶ。康延は流牙散布の隙である中央に狙いを定めて一気に抜き放った。剣圧を食い止め、さらにそれを力として龍を描いた。龍は善十郎の体を左逆袈裟に斬り裂いた。

「な…何だ…この技は…」

「秘伝豪龍剣」

「な…」

善十郎は目を見開く。

「我が師宗勝より受け継ぎし技よ。お前は武者修行と称して旅に出ていたため、知らぬだろうが、この技は奥義の過程で編み出された出来損ないよ。結局のところ、わしもただの人斬りに過ぎぬ」

幾天神段流奥義継承者であった宗勝の嫡子宗匠むねたけが脱藩した後、免許皆伝を経て、次期宗家候補となったが、奥義を我が物とすることが出来ず、奥義の模倣技である豪龍剣を秘伝として伝授された。

「ぐ…」

善十郎は目を見開いたまま、絶命した。二人の戦いに終始見守っていた家臣たちに指示を飛ばす。

「殿、お怪我は?」

久太郎が近寄る。

「大事ない。善兵衛、この事を井筒村の葉祇殿に知らせよ」

「はっ」

善兵衛が慌てて走り出す。

「春延、久右衛門と儀兵衛を連れて、集落の入口である橋を守れ」

「承知」

三人も駆けて行く。

「寛吉」

「はい」

「お前は村人たちにこの事を知らせよ」

「わかりました」

寛吉も駆けて行く。

「残りの者は屋敷内で生き残ってる者を助けよ」

「はっ」

各々が動き出した。康延は赤く染まった煙草入れを目にする。

「まだ死んだと決まったわけではない。観十郎、生きておれよ」

康延は煙草入れを懐に入れると遠く闇に輝く宮部村を眺めていた…。


翌日、宮部村で事態を揺るがすことが起きた。早朝、井筒村に繋がる橋が轟音と共に落ちたのだ。その手前にある番所はすでに炎上している。

「逆賊ども、よく聞け!。金子藩御番頭葉祇宗友である!。すでにお前たちの罪は明白!、覚悟せよ!」

声を張り上げた宗友の声は康次方を動揺させた。この番所の煙が狼煙代わりになって、北から御番衆、西から勝成率いる郷村役所の捕り方、南から康延ら十三人が一斉に攻め入った。それに呼応するかの如く、庄屋保田重左衛門の一子重三郎じゅうざぶろうが農民十数人を率いて気勢を上げた。

「代官を殺せぇぇぇ!!」

四方と内から攻められた形になった康次はすぐに守りを固めた。陣屋の周りは堀で囲まれ、北側のみ出丸を造っていた。塀の覗き窓から火縄も見えた。近づく者に容赦なく轟音が鳴り響くが、宗勝の三子で、御番衆二番隊を率いる大絹内おおきぬうち勝貞かつさだが立ち塞がる。大絹内家は戦国の世において遠州北部を治めた武家であったが、時の当主政貞まささだが武田家との戦いを前に臆してしまい、初代宗康の逆鱗に触れ断絶した。しかし、宗勝により再建された。再建した理由は我が子を養子にするための無嗣の家柄が無いという単純な理由であった。ただ、兄の勝敬と違い、父の実家である先崎家は城中に屋敷を構え、知行地があるのに対し、大絹内家は麹町の西側にある組屋敷に居を構えた。その負い目が勝貞を強くした。藩道場において、メキメキと頭角を現し、四天王にも劣らない実力をつけるようになり、着々と出世。御番衆に加わり、二番隊を預かった。

「下がってろ」

刀を抜くと飛び向かってくる鉛弾を俊敏な動きで的確に弾いていく。砲弾返しという技である。戦国の世において鉄砲隊から身を防ぐ技として用いられたが、安泰の世となってからはあまり見ることが出来なくなった技でもある。敵の視線も前方ばかり注視して他が疎かになる。警備が手薄な不明門から陣屋内を知り尽くした康延らが侵入すると瞬く間に康次がいる本丸屋敷に近づく。屋敷の裏門前に陣取るのは村形屋文吾である。

「もうここまで来ましたか、早川康延」

「わしを知るか」

「当然。嫉妬深き康次様からどれだけ貴方のことを聞かされたことか」

康次が嫉妬深かったと初めて知った。

「お前が康次を焚き付けたのか?」

「焚き付けたとは心外な。康次様は根っからの野心家でございますよ」

「ほう、ならばお前は卑しき泥棒猫というところか」

「またおかしなことを」

のらりくらり交わしていく文吾に康延の口調が厳しくなる。

「戯けが!、知らぬとでも思っているのか!。勘定方として御用米吟味役の要職にありながら、御用米を横流しして私腹を肥やすとは言語道断の所業である!。ましてや、身分を隠すために借金に苦しむ大店の株を買って商人に成り済ました挙げ句、己の利益のためだけに謀反を唆すとは愚かなり!」

久太郎が一夜にして調べあげた情報である。

「さすがは御家老の懐刀だっただけのことはある」

「懐かしいことを言い寄るのう。その懐刀に喧嘩を売ったのだ。覚悟するがよい」

文吾お抱えの浪人が立ち塞がる。

「やめておけ。昨晩、浅賀善十郎を始末した。お前たちが奴の力量を上回るとは到底思えん」

文吾の表情から余裕が消える。善十郎の強さを知っているのだろう。

「そんな戯れ言、通用すると思うのか!。やれい!」

浪人たちが刀を抜いて向かってくる。康延の前にいた春延が抜刀と共に横一文字に斬り伏せる。続けてその後ろにいた浪人を右袈裟で斬り捨て、その左脇から来た浪人の喉に突きを食らわせ、すかさず脳天から一刀のもとに振り下ろした。神段連撃という技で、本来ならば一人に対して行う技だが、瞬く間に四人を倒した。

「うむ、見事」

残り一人の浪人は逃げ出そうとして退路を塞いでいた海原唐左衛門が刀を叩き落として捕縛した。

「残るはお前だけだ」

康延は刀を逆にすると峰打ちで文吾を気絶させた。文吾の処罰は評定所が行うことになるため、勝手に死なせるわけにはいかなかった。

「伝次郎」

天津伝次郎を呼ぶ。

「はっ」

「裏門の守りを兼ねて利兵衛と久太郎と共に二人の見張りを頼む」

「承知致しました」

康延は残りの者を率いて本丸屋敷へと踏み込んだ。その頃、出丸では弾薬が尽きた鉄砲隊が後退し、康延から康次に寝返った把木根代官所の与力や同心が討って出てきた。しかし、手練揃いの御番衆相手に勝負にならず、討たれるか捕縛された。もはや宮部陣屋は落城寸前であった。康延らは真っ直ぐ大広間に突っ込む。立ち塞がる者たちは元々康延の配下だった者ばかりだ。本丸まで乗り込まれて戦意を喪失しないわけがない。忽ちにして降伏する者が現れる。その中に深手を負っていた古沢大八の姿があった。

「と、殿…。も、申し訳…ござい…ませ…ぬ…」

息も絶え絶えになっている。

「その傷では助からぬ」

「………」

「お前の妻子には類は及ばぬ。安心して逝くがいい」

「あ…有り難き…」

「許せ」

康延が介錯し、大八は絶命した。

「あとは康次か…」

上座から死臭が漂っていたが、その前に座する浅賀観三郎が見据えていた。

「観三郎、勝負は着いた。降れ」

「断る」

観三郎が立ち上がった。

「お前にはもう守るべき者はいない。そうであろう?」

「黙れ。信念は曲げぬ」

「己の信念とは何ぞや?」

「………」

「愚か者を守ることか?、兄を守ることか?」

目を瞑っている。

「観十郎は如何した?」

「…ここにはおらぬ」

「浅賀善十郎は斬ったぞ」

観三郎がはっとなって目を見開く。

「き…斬った…だと!?」

「ああ、斬ってこれを取り返した」

康延は懐から赤い煙草入れを取り出した。

「ま、誠に!?」

「これを見てまだ嘘だと思うのか?。早く観十郎に渡したい。どこにおる?」

「あ、兄上は座敷牢に…」

康延は観三郎を堀本高延に任せて走り出した。陣屋内を知る康延にとって庭みたいなものだ。座敷牢は御用部屋の隣にある。見張りはいない。障子を開くと木製の格子の奥に観十郎がいた。

「観十郎!、無事か!?」

「これは…殿!」

包帯でぐるぐる巻きにされた観十郎がいた。元気そうである。錠を開いて中に入る。

「無様なお姿をお見せして申し訳ありません」

「随分と元気そうだな」

「観三郎が手当てしてくれたおかげです」

「善十郎に斬られたそうだな」

「よく御存知で」

赤い煙草入れを見せる。

「こ、これは!?」

「善十郎から取り返した」

「何と!?」

観十郎は煙草入れを両手で包み込む。

「有り難や…」

「わしはお前が生きていてくれただけで嬉しく思う」

「もったいないお言葉。それで叔父上は?」

「斬った」

「左様でございましたか」

観十郎は目を瞑って呟いた。

「殿から見て叔父上はどう映りましたか?」

「お前はどう見た?」

「ただの人斬りにて」

「あれを呼び寄せたのは誰だ?」

「村形文吾でございます」

「やはりな。面識はあったのか?」

「村形屋の用心棒をしておりました」

「何だと!?」

康延が驚きの声を上げる。

「用心棒をしていたと言うのか!?」

「我らも驚きました。十数年ぶりに会ったと思えば、まさか村形文吾に雇われていたとは思いませなんだ」

「文吾は止められなかったのか?」

「反対は致しましたが、康次殿の寵愛を受け、我らは遠ざけられました」

「何故、わしに知らせなかった?」

「知らせる手筈を整えている最中に使っていた小者が文吾に内々に知らせたのです。そこで善十郎が差し向けてきた」

「それで斬られて捕らえられたわけか」

「左様にございます」

煙草入れの件はただの言い訳に過ぎなかった。

「その時、観三郎は?」

「偶々、別件で陣屋を離れていました故。危急を聞き付けて私を守るのが精一杯だったはず」

「では、康次を斬ったのは誰か?」

「おそらく、文吾でございましょう」

「やはりな」

観十郎は戸板に乗ることなく、屋敷の外まで歩いてきた。

「兄上!」

「難儀をかけたな」

「兄上こそ、よく耐えられましたな」

感慨に耽る兄弟を横目に康延は上座に向かう。踞る物言わずの康次がそこにいた。

「愚か者めが…」

康次はすでに果てていた。各所で戦い、逃れてきた者たちも見たであろう、主の成れの果てを…。戦意を失うには十分過ぎた。だが、結果的に勝ちを得た形になったが、まだ終わりではなかった。首謀者である康次は死んだものの、謀反を唆した村形文吾は評定所に連行された上、厳しい尋問を経て打ち首となり、捕縛された浪人も磔刑となった。また、加担した者の多くが改易や国払いを命じられている。そのため、家臣の大半を失う形となった康延は監督不行き届きとして宮部村の返上と家督を娘婿の春延に譲ることを申し述べるため、堀本高延を連れて金子城へ登城した。御役御免となって以来の登城である。

「ようやくわしの許に来たか」

「このような形で会いとうございませんでした」

「済んだことは仕方ない。これからの事を考えねばな」

「ははっ」

大広間にて上座に座る宗勝を前に平伏した。

「殿に申しあげたき儀がございます」

「宮部村は返上しなくても良い。隠居も許さぬ」

康延は言いたいことを宗勝に先に言われて場を失う。

「し、しかし、それでは!?」

戸惑う康延に脇に控える政家が言葉を発する。

「此度の事は不運が重なったまでの事。早川殿には罪はこざらぬ。ただ、藩内を騒がせたことは許し難き事、なれば、一つ条件がございまする」

「条件?」

問い返す康延に対して、政家は後ろの障子を開く。現れたのは次席家老松平清綱であった。

「こ、これは、備前様!」

備前の呼び名は代々の官名である備前守から来ている。

「わしを覚えていてくれたか。今のわしがあるのはお前のおかげよ」

「もったいないお言葉、痛み入りまする」

康延は恐縮する。

「わしはお前に詫びねばならぬ。馬鹿息子が仕出かした事を許してくれぬか」

逆に頭を垂れた清綱に驚く。

「お前には難儀を掛けた。そればかりか、また難儀を掛けることになるとは…」

その言葉にまた驚く。

「清綱、まだ話しておらぬ」

「これは早とちりを…」

宗勝の指摘に清綱が控える。

「康延、条件というのはな、お前に跡取りとして養子を取ってもらいたい」

「養子を?」

「今回の件で後嗣の康次が死んだ。娘はすでに嫁いで家におらず、このままでは早川家を断絶させる事になる。そこで、お前に養子を取ってもらうことにした。嫌とは言わせぬぞ」

「はっ、殿が申されるのあれば…」

「よし!、決まった!」

宗勝は満面の笑みを浮かべ、政家は安堵の表情を見せ、清綱は真剣な表情を見せた。思わぬ形で本領の安堵と家の存続、さらに養子を得ることになった康延は戸惑いながらもこれから苦難が来るなど知る由も無かった…。


久しぶりの投稿になります。前話を書いたのが、もう何年前でしょうか(汗)。リハビリがてら外伝を書いてみました。また止まるかもしれないし、続くかもしれませんが、気長に待って頂けると有難いです。

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