十九、慶応一揆《後編》
「まだ落ちぬのか!」
有経が喚いた。落城は目前かと思われたが頑強な大手門と文武両道を重んじ、藩の内紛を幾度も潜り抜けてきた藩士の勇猛さ、石垣や櫓からの鉄砲や大筒により苦戦を強いられた。何より、先の騒乱の際に破棄されたと思われていた洋式の武器が城の蔵に隠されていたことも功を奏した。戦国時代から長く受け継がられてきた城は数だけで落とせる城ではない。灰塵と化した城下町では兵糧の確保もままならない。逆に城内の蔵には米が蓄えられており、しばらく籠城しても問題なかった。時間だけ無駄に過ぎていく本陣に明確な指示を出せる者は誰一人なく、苛立ちだけがそこにあった。さらに、追い討ちを掛ける事態が舞い込む。
「法主様!、い、一大事にございます!」
駆け込んできたのは宗安村から参加していた農民である。
「何事じゃ!?」
「近松様が討たれた!」
「何じゃと!?」
有経は驚いた。近松文蔵は新町を仕切る香具師で金で動いた人物だが、二十数人の手下を巧みに動かして農民たちの心を掌握。有経より本陣の前衛を任されていた六守頭の一人である。その直後にまた違う農民が入ってくる。
「た、大変だぁ!」
「今度は何じゃ!?」
「文啓様が殺されたぁ!」
有経の顔が真っ青になる。文啓は慶照寺の末寺で麹町にある浄雲院の院主である。今回の挙兵では六守頭の一人として大手門への寄手を担った。一気に二人の幹部を失った報せは本陣内に動揺を広がらせた。すでに大将を失った大手門寄手と本陣前衛の一揆勢は混乱に陥っており、それを城の物見櫓から確認した蔵奉行寺田新兵衛頼信(新左衛門の甥)は勝機と判断。すぐ様、側に控えていた使番の島田経義(経興の子)を二ノ丸に走らせる。二ノ丸には城側の本陣が置かれていた。頼義に扮した宗康が真ん中に座り、左に筆頭家老長居直弘、右に城代家老島田経興が座る。
「申し上げます!。敵方寄手に混乱の兆しあり!」
「うむ、御苦労。殿」
報せを受けた直弘が頼義に向く。
「今が好機にございます」
「良かろう。全軍に突撃させよ」
「はっ」
経義が騎馬隊を率いる二ノ丸御番頭小笠原政頼の許に向かう。政頼は脱藩した政尚の従弟であり、剣術や槍術、馬術にも精通する武人である。
「相解った。行くぞ!!」
「おおっーーー!!」
騎馬隊と言ってもわずか十騎だけしかいない。後に続くのは具足に身を包み、刀を腰に差した藩士や足軽、郎党等の陪臣たちである。大手門の閂が外され、門が大きく開かれた瞬間、騎馬隊が飛び出した。
「ワアアアァァァァァーーーーーーーーーー!!!!!」
喚声が城外に広がり、一揆勢の寄手を真っ二つにしていく。瞬く間に本陣の前衛に突撃していく騎馬隊に為す術がない。副頭格の者も討たれると農民たちは烏合の衆でしかない。あっという間に四散していく。こうなると寄手を失った金子城は万全の構えとなる。
「後は任せた」
頼義は直弘に任せて奥居頭曽我親氏と共に本丸へ向かう。その後ろ姿を見つめる二人は落胆した。
「殿は変わられた」
「左様。先の騒乱の時はいち早く動かれたのに、最近は人が変わられたようじゃ」
頼義が暗殺されたことなど露知らず。
「京都の時は烈将の再来と言わしめた程の御方だったそうだ」
烈将とは五代藩主金子宗勝のことである。単身、金子城を攻め落とした。頼義の性格も烈火の如く、動乱の京都で不逞浪士たちを斬り捨てたこともあった。剣術に優れ、一時は藩士たちの人望も厚かった。
「変わられたのは宗連様を失ってからかのう」
「左様。あれが全てを変えてしまったのやもしれぬ」
二人は頷いた。城外からの喚声が響き渡っていた。宗連が偶々出入りしていた志士たちの屋敷で新選組の手入れに遭って巻き添えで殺されてしまった。しかも、その死体を運んできた幕府見廻組の者を怒りの如く殺害してしまい、京都守護職を担う会津藩主松平容保と金子藩主金子義忠の間で問題となり、義忠は江戸城の登城停止を命じられた。頼義も京都から金子へと身柄を移されたものの、相次ぐ脱藩騒動と父の死を受けて藩主となった。藩主となった頼義であったが何かが抜け落ちた状態で、かつての威厳も欠片も無い。腑抜けとなった頼義を傀儡にしてしまうには十分過ぎた。時の筆頭家老松平備前守頼清は藩の実権を握り、挙げ句には金子藩を飲み込もうとした。それに立ち塞がったのが頼義である。その後押しをしたのが正室のお心結の方である。お心結の父は越中新川藩主松平慶安で百万石で北陸三国を支配する加賀藩を牽制するために慶安の祖父斉安が二万石で入封した。新川に面したところに朽ちた石垣を修理して陣屋を建て藩庁としたのが始まりだが金子藩とはほとんど縁がない家柄だった。しかし、お心結付きの家臣だった松川平十郎直望はその逆で、平十郎の叔父は姓名を改めた幕府目付金子左近将監頼綱であり、頼綱の父は烈将宗勝だった。お心結の存在は頼義の心を癒し、元気付けた。徐々に本来の姿に戻ってきた頼義に立ち塞がったのが頼清ら保守派の存在だった。そこで、頼義は唯一の血縁である尾張藩に仕える宗康を頼り、騒乱を解決に導くに至った。
「やはり、お心結の方の死が原因かのう」
「おそらくそうであろうな」
お心結は長州征伐が行われる直前に病死していた。最後までお心結に従っていた平十郎は病死の報告をするため、金子藩でお抱えになれなかった女中たちを連れて大館に戻ったが金子には戻ることはなかった。頼義はまた腑抜けの状態となり、今に至っている。家臣たちに見せなかった頼義の狡さがここにあった。本丸屋敷に戻った頼義は化けの皮を剥がす。
「愚かな連中よ」
「どちらがですか?」
「両方ともかな」
親氏の問いに変装を解いた宗康が笑いながら答えた。親氏はいち早く頼義の異変に気づいていた。主の全てを見抜いてこそ奥居頭の務めである。仕草や所作が普段の頼義と違って見えたのだ。夜半、頼義扮する宗康が書物を読んでいた時のことであった。
「殿、夜分遅くに失礼します」
廊下より声がした。強い殺気がしたが応じる。
「親氏か?、如何した?」
すうっと障子を開くと親氏が刀を抜いて飛びかかってきた。咄嗟に懐の扇子で刀の動きを流し、片膝をついた状態で両足の踵を掬った。たまらず、背中から落ちる親氏に対して宗康は脇差しを抜いて刺しにかかるも親氏が宗康の腹を蹴ってかわした。お互いに間合いを開けて身構える。
「さすがは奥居頭。よくぞ気づいた」
「何者か!?」
問いには答えない。
「気づかねば殺してるところであったわ」
「何者かっ!?」
「愚か者め。まだ気づかぬか?」
宗康は頼義の変装を解いた。鬘を外して髪を掻く。
「お、お前は!?」
「久しいな、親氏」
「な、何故、お前がここにおる!?。殿はどうした!?」
「わしがこの場におるのだ。頼義がどうなったかぐらい察しているのではないか?」
「ま、まさか…」
親氏は息を飲む。
「そのまさかよ。今頃は慶照寺で眠っておるわ」
頼義の遺体は秘かに菩提寺である慶照寺に葬られていたが、これを知るのは宗康ともう一人いた。
「お、おのれ…玄十郎!」
「呼び捨てとは無礼であろう」
仮にも藩主一門である。呼び捨てにされる謂れは無い。
「ふざけおって!」
怒りで顔を真っ赤にする親氏に対して宗康は至って涼しい顔である。
「やめておけ。お前の腕ではわしには勝てぬ」
「知れたことかっ!!」
怒声を浴びせる親氏に宗康は扇子を開いて投げつける。扇子は空気を切り裂くように親氏に向かって襲いかかる。親氏はわずかに輝く光が見え、刀で弾く。扇子は障子に突き刺さった。無数の刃が仕込まれていたのだ。視線を宗康に移すが姿を消していた。いや、消していただけで気配は室内にある。親氏はゆっくりと動いて壁を背にし、刀を構えて周囲を警戒する。
「惜しかったな」
壁から声が聞こえた。咄嗟に翻ようとするが時すでに遅し。口を塞がれて首を斬り裂かれた。血飛沫が舞い、畳を真っ赤に染めた。
「前に意識を飛ばし過ぎだな。武士たる者、敵に背を向けてどうする」
魂の抜けた親氏の体が畳に横たわる。
「今の家臣の中では随一の気概の持ち主であったかな」
そこに気配がした。すうっと襖が開く。
「これから、如何なされるのですか?」
暗闇にシルエットが写し出される。女性であった。
「無論、あなた様にも手伝って頂きますぞ」
そう言うと女性の顔が蝋燭の灯に写し出される。
「お心結の方様」
「如何なる結末になろうとも私は受け止めるだけです」
「その覚悟があらば、この先のことも打開できよう」
宗康の言葉はお心結の心に強く焼き付いた…。
城外では喚声と怒声が響いている。一揆勢の大手門寄手と本陣前衛は四散しており、騎馬隊は本陣が置かれている寺町に入った。寺町は幾分延焼が少なかったようで慶照寺の他に塔頭寺院の厳安寺、理方院の二寺は健在であった。厳安寺は幾分山寄りにあり、慶照寺と少し離れていたこともあって抜刀隊が真っ先に落としていた。住職の法経は有経の門弟であり、六守頭を任されて慶照寺に入っていたが残された農民たちは抜刀隊の前に降伏するか逃亡していた。寺町を包囲した城方であったが重厚な守りに入った一揆勢に対して攻め手を欠いており、膠着状態となった。一方、本陣窮地の報せを受けた勢田村の庄屋で郷士の勢田伴倫は六守頭の一人として西の守りを固めていた。大坂から舞い戻る可能性がある木村綱敬率いる藩兵二百人を藩内に入れるのを防ぐ役目を負っていた。
「寺町は城の東側の守りを強化するために造られた場所だ。そう簡単に落ちぬ」
そう判断して勢田村から動かなかった。もう一人の六守頭である七房壽隆は先の次席家老を務めた笹堀史隆の次子で稚児の時に代々鱶橋口番頭を務めていた七房壽金の養子となった。藩中枢より派遣される代官より力が強く、代官領である鱶橋村や笹堀村の農民からも信頼を置かれていた壽金の人柄を利用しようと企んだのだ。しかし、史隆が粛清により失脚した時はすでに壽隆は元服を済ませていたが、養子に出された経緯から連座は見送られて御役御免で済んだ。七房家の失脚は代官所の求心力を失う結果となり、再起を計りたい壽隆は藩転覆を狙う慶照寺の思惑に乗って鱶橋村と笹堀村から集めた農民三百人の隊長として六守頭の一人となった。一揆が始まると鱶橋代官所を襲撃して制圧、代官尾津野文哉を殺害した。鱶橋口を抑え、近隣の村にも侵攻を試みたが小石山村を知行地とする御城番頭亀井忠義の嫡子忠佐が配下五十余人を率いて巧みな戦術で防ぎ、侵攻を許さなかった。勢田伴倫、七房壽隆両守頭の動きを封じたことで寺町の本陣は厳しい情勢となっていた。荒れ果てた麹町、茅場町を完全に抑えた城方は寺町を牽制しつつ新町や藩内の村にも鎮静化させていく。そんな中、麹町に本陣を移した長居直弘の許に報せが入る。
「申し上げます!。城の不明門より足軽隊が出た由」
「何?、率いているのは誰か?」
「殿にございます!」
「何だと!?」
不明門は落城の際、藩主が脱出の時に使われる門のことで築城以来、開かれたことはなかった。本丸の埋門から二ノ丸を通ることなく、東側の不明門まで行くことが出来る。門から寺町へ抜けられるが、有事に備えて普段は激しい藪で覆われて見えにくくされており、この道を知る者は民衆は愚か藩士の中でもごくわずかである。守りの固い寺町門を通らず、すんなりと内部に突撃した足軽隊の大半は忍びであり、宗康が尾張から連れてきた名古屋探索方の面々だった。駿府組頭鬼影弥十郎や浜松組頭小笠原政尚の姿もあった。一揆勢の大半が農民ということもあり、突然の奇襲に対応することが出来ず、右往左往するばかりであった。油断していた慶照寺でも同じような状態に陥っており、至るところで火の手が上がると拍車をかけた。農民たちは我先にと逃げ場を求めて兵糧の搬入口となっていた川を目指す。しかし、すでに船奉行森長敬が封鎖しており、悉く討たれた。そうこうしているうちに寺町門も開かれて騎馬隊を始めとする藩士たちが雪崩れ込む。外の喧騒を他所に本堂内でも戦いが起きていた。
「有経よ、藩を乱した罪、重いと知れ!」
宗康が扮する頼義が叫ぶ。有経は最後の抵抗を見せる。
「まさか、藩主自ら参じるとは恐れ入る。腑抜けとばかり思っていたがそうではなかったわ」
「ふん、金子しか見えぬ生臭坊主が戯言を申すな。わし自らその首を落としてやろう」
頼義が刀を抜いた。有経の後ろで盟主の稚児経清が泣かずにじっと見つめている。宗康は大器の器ありと認めた。本堂の離れたところでは六守頭の一人で副頭の法経が騎馬隊に属する馬廻坂部平太郎に討たれた。
「仏を恐れぬ愚者どもに天罰を!」
と、叫びながら突進してきた有経の刃をもろに体に受ける宗康であったが同時に有経の首をはねていた。体が崩れる宗康に駆け寄る面々であったが本堂の火の回りは激しく、宗康と有経の亡骸を持ち出すこともままならないほどであったという。こうして、慶応一揆は藩主の死と城下町全焼という形で幕を下ろした。しかし、藩主を失うというまさかの結果に誰もが茫然とした。まだ世間には死を知る者はいない。直弘の独断で事実を秘匿とし、尾張藩にいる唯一の血族である宗康に家督相続を願うべく使者を送った。再興には長い月日を要することが見た目ではっきりとわかり、人々には不安と絶望しか残っていなかった…。
「ようやく幕があがりましたね」
寺町炎上を城から眺めていた女性が言う。お心結扮する曽我親氏が振り返りながら言う。
「ああ、そうだな。頼義も最後まで英傑であったわ」
そう答えたのは壮絶な死をしたはずの宗康である。対峙していた時まで宗康であったが、同士討ちになる寸前で身代わりの術を使って近くにいた農民と入れ替わり、本堂が炎上する頃には城へ戻っていた。
「まもなく世も動くであろうな」
お心結を抱きしめながら、遠く江戸の地を見つめる。
「わしはともかくお前まで生きておると知れば皆どのような顔をするであろうな」
「面白いではありませんか」
お心結は笑っている。
「思い起こせば事の始まりはあの時からだったかもしれませぬ」
お心結は一度死んでいる。しかし、三途の川は渡っていない。鬼に会う前に引き戻されたのだ。仮死状態で安置されていた天守台地下の石室で目を覚ました。死を認めた御典医榊原長明の見立てが間違っていたのだ。長明は代々御典医の家柄で唯一初代長安から一度も養子を得ることなく続いた一族で、金子城下の茅場町にある不破家と並んで二大医術師としてその名を内外に広めた。長明で十代目となる。わずか八歳で父長恩を失った長明が家督を継ぐがすぐに御典医になれる訳でもなく、父の門弟であった須賀谷囹銘が御典医となった。長明は江戸に出て蘭学を学び、メキメキと頭角を表し、二十一の時に推挙を得て松平慶続に仕えた。お心結の祖父である。慶続の死後に家督を継いだ慶安の命により、お心結付きとなり、輿入れの際に同道した。幼い時に離れて以来の金子の地であったが、筆頭家老松平備前守頼清が権勢を奮っており、輿入れした頼義は藩政を顧みない男であった。長明の出自はすぐにわかり、頼義の表御典医に就き、頼義とお心結の橋渡しを行った。二人は徐々に打ち解けていき、頼清率いる保守派の粛清にも一役買ったのだが、頼清らが集めた武器や弾薬等を蔵へ運び込んでいたところを偶々お心結の側に仕えていた女中が見つけてお心結に告げたことで急変する。話を聞いたお心結はすぐに頼義の書院を訪れて事実を確認した。頼義は驚いた表情をしたかと思えばすぐに顔を真っ赤にして何かを叫んだ瞬間にお心結は息苦しさを感じた。そう、首を絞められたのである。意識が徐々に遠退いていき、目覚めたのは二日後であった。検死を務めたのは長明ではなく、長明の子長範である。お心結の脈がわずかに振れることを見逃さなかった。しかし、その事実を頼義には告げず、父長明に告げた。長明は首に手形があったことに気づいていたが心の病と決めつける頼義に不信感を抱いていたこもあり、蘭学の師である蘭学医遠藤周嶽に書状を送った。周嶽は江州三上藩主遠藤胤城の縁戚であり、胤城の意向で江戸で町医者をしていたが幕末の不穏な情勢に友人を頼って避難した。その友人というのが尾張藩大高郡代松平伯耆守頼長である。頼長は周嶽を快く迎え入れ、嫡子で名古屋探索方留守居役の頼直とも面識があった。頼直はずっと拠点である耶谷に引きこもっているわけではない。大高に屋敷を与えられており、父の死後は遺領の二千石を継いでいる。しかし、立場が違うことで藩内でも頼直の存在に異議を唱える者もおり、大高の屋敷と五百石を周嶽に与えて残りは返上した。周嶽は屋敷に診療所を設けて士分のみならず、庶民にも門を開いて治療を行った。その最中に届いた書状に周嶽は驚いた。金子藩の最奥で起きた事件に自分一人では困難だと判断し、耶谷にいる頼直に助けを求めた。頼直は主で義弟の宗康に告げたことで頼義の狂事が発覚し、宗康はお心結の身柄をうまく隠して死を偽装した。その間、長明にも会って事の重大さとお心結の後見を務めるよう伝え、お心結は城下の麹町にある空き屋敷で、先の騒乱で断絶となった原長常の屋敷である。世話は宗康が派遣した探索方のくノ一が警護を兼ねて担い、探索方の拠点としても使われた。慶安一揆の際に屋敷は焼失したが、その直前に本丸屋敷に移っており、宗康の指示で死んだ親氏に扮装していた。側には長明が控えており、何ら問題はない。
「いずれ徳川の世は終わる。それまでは平穏な道を歩むことはあるまい」
宗康は来るべき世のためにもう一働きしなくてはならないと思っていた…。
天まで昇ろうとする炎は龍の如く、盛んに燃えあがりながら全てを食らう勢いであった。




