第一幕 転生劇《イニシエイション》
幕原 冬弧は、教師である。
進藤 理知と、音羽 恒一の高校時代の元担任だ。
幕原 冬弧は、旅人である。
綴目 奏の学友で、大学時代は彼と共に簡易的な手荷物一つで、日本一周を目指した。
幕原 冬弧は、創設者である。
現在、主代 悠真が五代目の団長を務める劇団の、最初の公演に携わった。
幕原 冬弧は、演出家である。
彼の開催したワークショップに参加した 夢路 那奈、綾織 有栖、戯須 真白の役者としての強みを見出し、道を拓いた。
幕原 冬弧は、交差点である。
今迄接点の無かった七人を、舞台という自由な鳥籠で囲った。
生き方も、考え方も、年齢も性別も違う彼等を、幕原 冬弧が引き合わせたのだ。
冬弧は足早にコインパーキングを出た。
ポケットに入れた携帯が忙しなく振動を繰り返している。
どうやら、先に到着している七人が例のSNSをメモ代わりにしているらしい。
―――盛り上がっている。
彼等とは長いだけに、内容を見ずとも伝わって来る。
ポケットの中の振動が、冬弧の足を更に早めた。
目的の公民館の専用駐車場に、少し曲がって駐車された悠真の黒い車を一瞥し、自動ドアをくぐる。
この車が少しでも白線を跨いでいなければ、コインパーキングから早足で歩かなくても済んだだろう。
今日、自分が公民館に呼ばれた理由を冬弧は知らない。
何をするとも言われては居ないが、綴目からの招集、そして、此処に集まっているであろう面子を考えれば、何か面白い事を企んでいるに違い無かった。
彼等の役に立つものを、と思うと自然と荷物が増えてしまい、冬弧の両手には紙袋が抱えられている。
建物の最も奥の部屋。
そこに近付くにつれて、自分の持った紙袋が擦れる音より、聞き馴染んだ彼等の声が大きくなる。
紙袋を片手にまとめ、冬弧は部屋の扉に手を掛けた。
***
「まあ、ユーマが主役だろうなあ。」
綴目が顎を撫でながら、手元の紙に目を落とす。
誰もが納得の雰囲気を醸し出す中、曖昧な表情で悠真を見詰める者が一名。
「ギスマ、顔、顔。」
本来であれば整った見た目をしている筈の彼女は、人目もはばからず鼻の横にしわを寄せ、口角は床につかんばかりの勢いで下げている。
「なんでいっつもユーマさんが主役なんすか」
気に食わん、とでも言いたげにパイプ椅子から投げ出された四肢をだらんと垂らし、天井を見上げながら声を上げる戯須を横目で見やり、悠真は手元の紙をひらりと戯須に寄せた。
「じゃあお前やる?」
「無理でしょ、だって男役じゃないですか。」
戯須は自身の長い黒髪を指に巻き付けながら拒否し、
悠真は差し出した紙を手元に引き戻しながら あ、そう。と短く返す。
その乾いたやりとりは、この仲間達にとっては日常茶飯事だ。
「でも、ギスマも出来そうだもんね、この役なら」
有栖が言う。
実際、戯須の声は通常の女性と比較するとかなり低く、背丈も申し分ない為に男役を演じる事は過去の公演を見ても珍しくなかった。
しかし、当の本人は相変わらず不服そうだ。
「いや、バランス的に、主役出来んのはユーマさんしか居ないっしょ」
態度とは裏腹に彼の配役を認めては居るようで、その様子を有栖は微笑ましく見守っている。
「まあ、ギスマが突っかかるのはいつもの事だろ」と、綴目は気にする様子もなく再びホワイトボードに向かった。
白地に乗った黒や赤や青の線が、書き手によって表情を変え、ホワイトボードを満たしている。
様々な舞台を経験して来た彼等だったが、配役がここでまでに順調に決まったのは、過去一番と言って良い程だ。
時代設定や生い立ち等の細部に目を瞑れば、ほぼ本人といって相違ない登場人物。
まるで、皆に演じられるのを待っていたかのような役と役者の合致だった。
「ちょっと読んでみましょうか。」
理知の提案に、その場の空気が少しだけ変わる。
「俺音響なんでト書読みまーす」
恒一の進言に、夢路、有栖、理知の三人が手短に感謝の言葉を述べる。
先程まで和気藹々としていた空気は、これから始まる読み合わせに向けて静かに研ぎ澄まされ、即座に喉を潤せるようにと役者達の傍らに引き寄せられた飲料水の水音が微かに響いた。
「じゃあ、いきますよ」
紙束を膝の上に置き、両手を胸の位置に持って来た恒一は、皆をゆっくりと見渡した。
誰一人として、こちらを見ていない。
ただそれは、これから物語を紡ぐ第一工程の集中である。
「よーい、」
恒一の手が重なり、音を発する寸前
部屋の扉が音を立てて開いた。
その人物に皆の視線が集まると同時に、恒一の手が音を立てて鳴った。
瞬間。
突然部屋の電気が落ち、辺りが闇に包まれる。
「えっ…え?」
驚きと困惑が部屋を満たす。
「停電ですか?」
「携帯どこ?」
「とんでもないタイミングで来ちゃったな…」
「タイミング完璧過ぎてトーゴさんのせいみたいでしたよ」
「ブレーカー落ちたとか?」
「コウの手拍きが一番ジャストじゃね?」
「え、俺ぇ~…?」
この状況を理解する為に原因を探る者、タイミング悪く到着した冬弧を気遣う者、軽口を叩きながら周囲との距離感を測る者、各々がこの突然の現象にそれぞれの距離感で向き合っている。
大半の者の思考が、無難な答え 「停電」 に集約しかけていたが、夢路と悠真の二人だけは、とある事に気が付いてしまった。
「停電なら、外は明るい筈だろ。
昼間なんだし…」
悠真の言葉に、数名がハッとする。
確かに、この部屋には小さな窓が三つあったはずだ。
恒一がこの部屋に来る前、理知と夢路が日向ぼっこをしていた、日光が差し込んで来る窓が、この部屋には確かに存在している。
カーテンを閉めた覚えは、誰も無い。
短い沈黙を経て、恒一が口を開いた。
「いやでも、雨降ってるとか?
ゲリラ豪雨的な?」
「だって雨の音聞こえないでしょ。」
夢路の言う通り、確かに、何も聞こえない。
その言葉の通り、
何も聞こえない
のだ。
不可解な現象を認めた八人は瞬時に恐怖に包まれた。
皆が、この状況の現実味を帯びた要因を探したが、言葉になる前に自身の思考がそれを制する。どうしたって説明がつかない。
お互いの呼吸音以外何も聞こえない静寂。
しばらくして、その静寂を破ったのは冬弧だった。
「何か、聞こえないか?」
彼の言葉に、皆が耳を澄ませる。
一番に異変に気が付いたのは、理知だった。
「あ、やっぱり雨ですよ!ほら、音が聞こえる!」
皆が耳を欹てる。
微かにだが、遠くで何かが叩き付けられる音がしている。
雨の音だとして、突然の暗闇と外の静けさには説明のつけようが無かったが、それでも理知が言うように、その音は雨の音に似ていた。
「いや、」
恒一が小さく否定する。
「これ、拍手っす。」
彼の言葉に皆、心臓を貫かれた様な衝撃が走る。
音響を担当しているだけあって、彼の耳は良い。
普段、比較的適当に生きている彼だが、彼の“耳”は、嘘をつかない。
―――拍手だ。
拍手なのだ。
大きな劇場に反響する様な轟音。
徐々にその音が八人を取り囲む様に近付いてくる。
突然、耳を劈くような機械的な音が鳴る。
異様な音が響き渡るが、この場に居る皆は、これを知っている。
低音とも高音とも取れない、決して柔らかく無い人口音。
この場の八人が、本能的に理解していた。
これは、ベルだ。
開幕前の本ベルが鳴っている。
気が付くと八人は意識を失っていた。
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