第零幕 無名劇《ノーネーム》
演劇は、一人では成り立たない。
言葉を紡ぐ演者が居る。
空間を共鳴させる音響が有る。
全てを照らし出す照明が在る。
公演に辿り着く前に、世界を語る脚本家が居る。
在り方を導く演出が居る。
幻想を現実にする舞台監督が居る。
そして、その奇跡を観測する観客が、居る。
演劇は、独りでは成り立たない。
***
「すみません、遅れました…」
とある地方公民館の一室。
後ろ手に扉を閉めながら、少し寝癖のついた頭をかいた青年は、申し訳なさそうな顔で部屋の中央へと駆け寄った。
本来横並びになっている縦五列、横二列の長テーブルが、一箇所に集められ、部屋には広い空間が作られている。
隅に押しやられた長テーブルたちとは別の場所に、色の違う長テーブルがひとつ。
「おー、来たか。」
そこに腰掛けた男性、綴目 奏は、青年の姿を認め、持っていたペットボトルの蓋を開けた。
「やぁ…すんません」
寝坊しました…と続け、まだ惹かれ合う瞼をゴシゴシと擦りながら再び謝罪する青年、音羽 恒一に、綴目は「気にするな」というように、ペットボトルの中の飲料水を口に流し込む前のほんの一瞬言った。
「ギスもさっき来た所だから」
遅れて来た恒一に浴びせる雑言を考えていた女性、戯須 真白が、突然向いた話題の矛先にぎくりとしつつ、パイプ椅子を軋ませながら立ち上がる。
「アラームが鳴らなかったんですぅ」
最早開き直りともとれる言葉の雰囲気に、その傍で床に座り込んでいた女性二人、綾織 有栖と、夢路 那奈が、くすくすと笑った。
「さっきまで申し訳なさそうにしてたのに、コウが自分より遅れてきたから元気になってる」
「まあ、真白はいつも遅刻してるもんねえ」
戯須は、いつもじゃないし!と声を張り上げたが、その後過去の記憶を漁っても、これといって自分の遅刻歴を挽回出来るエピソードが無いことに気付き、バツが悪そうに再び椅子に座った。
遅れて来た恒一を本当の意味で咎める空気は、この部屋には無さそうだった。
「あれ?りっちゃんとユーマさんは?」
荷物を降ろしつつ、周囲を見渡した恒一はふと、この部屋に居ないふたつの影を捜す。
彼の疑問に答えたのは有栖だった。
「リチちゃん達は台本印刷しに行ったよ」
「あ、なるほど」
「欲しいものあるなら今のうちに連絡しときな」
そう言ってパイプ椅子の後脚でバランスを取る戯須に、危ないよ と声を掛けながら、夢路はふと床から立ち上がると、部屋の小さな窓を背伸びしながら覗いた。
「もう遅いかも」
そう言うが早いか、部屋のドアががちゃりと音を立てた。
紙の束を抱えた女性、進藤 理知が小走りで部屋の中央に駆け寄る。
「すみません、お待たせしました!」
彼女の忙しない謝罪に、その場の皆が労いの空気を滲ませる。
その後、少し遅れて入ってきた主代 悠真は、重みで持ち手が引き伸ばされたビニール袋を両手に持ち、若干の疲労感を滲ませながらその荷物を床に置いた。
「近くにコンビニ全然なくて…結構遠くまで行ってました」
「車で行ったんすか?」
「あ、コウ来たのね」
恒一の姿を認め、そうそう、と軽く返事をしつつ、床に置かれたビニール袋に群がる四人に大小様々なペットボトルを渡す悠真。
その傍らで、理知は黙々と、手元の紙束を仕分けしていた。
「さて、」
各々に希望の飲み物が行き届いた頃、ぱん、と乾いた手拍きの音が部屋に響いた。
「皆集まった事だし本題でーす」
手拍きで空気を切り裂いた割に、語り出しの綴目の発話は緩い。
「一昨日、ジナっちゃんにとんでもないモノを入手して貰いました。」
そう言って笑う綴目。
彼に釣られるように夢路は、ふふ、と笑みを零した。
とんでもないもの、と聞いて六人はにわかに騒つきはじめる。
綴目奏という人物は、その類い稀なる遊び心で、幾度となく仲間達に真新しい刺激を持ち込んで居たからだ。
「前からアリスとギスマとも話してたんだけど、俺達もう長い事一緒にやってるじゃん。
もう、劇団立ち上げちゃった方がいいんじゃないかって話になってさ。」
綴目の話が、今日この部屋に七人が集結した理由の核心に迫る。
彼に名指しされた戯須はどこか誇らしそうに笑い、有栖は、「もう十年近いですしね」と、遠い昔から今日までを指折り数え、その年数に思いを馳せているようだった。
「今までトーゴのプロデュース公演って形でやってきた訳じゃん。でももうメンバーも固定して来て数年。最早劇団を名乗らない方がおかしいってもんよ。だろ?ユーマ」
「…まあ確かに。
でも、トーゴさんって劇団を立ち上げる感じじゃないですよね。そこんとこどうなんですか?」
壁に寄りかかって話を聞いていた悠真は、この場に居ない「トーゴ」と呼ばれる人物を脳裏に浮かべながら答えた。
「ああ、まあそれは―――」
「そこでこの台本ですよ!」
先程まで黙々と作業をしていた理知が、綴目の言葉を遮り振り返ると、綺麗に整頓された手元の紙束を一人一人に手渡し始める。
文字が詰まった普通の文書とは違う。
台詞の上に連なる役名。
演者を想って読み易く空いた独特な空白。
遠目で見ても、直ぐに「彼」の脚本だと分かるのは、長年彼の作る舞台に触れてきた者たちの性だろうか。
その場に居る皆の視線は、配られた手元の紙に縫い付けられていた。
それでも構わず、理知は捲し立てる様に続けた。
「トーゴさんは忙しい人ですから。
プロデュース公演では基本おひとりで沢山のタスクを背負ってます。劇団立ち上げたいって言ったら、重荷になってしまうかもしれません…。
だから、私たちで、私たちだけでもここまでやれるよ!っていうのを見せれば、皆でつくるって、私たちが劇団である意味をトーゴさんに見せられれば……!」
「オーケー、リチ、ストップ。」
興奮気味の彼女の両肩に手を置いた戯須は、その熱狂ぶりに低く喉を鳴らしながら笑う。
理知は、この中部屋の中で最も若い。
年齢的な意味でもあるが、彼女のひたむきさと前に突き進む力は誰よりも高く、この仲間内での様子は、この部屋に居る全ての歳上を師として仰ぐ勢いだ。
「りっちゃんアチィ~」
「コウさん黙って。」
若干一名を除いて。
恒一を睨み付けている理知の肩に、身体を預けるように戯須がのしかかる。
当の本人は、確かに肩に重みを感じているはずだと言うのに、何処か嬉しそうだ。
固く握り締められた彼女の拳の力が抜けたのを確認すると、戯須は続けた。
「リチが印刷して来てくれた、それ。
トーゴさんが書いた“未完成”の台本なんですよ。
だからそれをアタシらで“完成”させれば、なんか、アツくね?って。
アリスとスズメさんと話してたの。
劇団発足は盛り上がっちゃったから話が出た感じで。」
綴目は深く頷く。
「劇団立ち上げとかは一旦置いといて、」
七人の視線があちらこちらで交わる。
続く言葉は、この七人には不要だった。
この脚本を、
やるか、やらないか。
聞かずとも、この部屋の空気は明らかだ。
「――――――めちゃくちゃ良いじゃん」
誰からとも無く発された言葉に、次々と肯定的な反応が繰り出される。
そんな皆の空気に、綴目、戯須、有栖の三人は満足しつつ、ホワイトボードに身体を向けた。
綴目が、細部の塗装が剥げた年季の入ったホワイトボード専用のペンのキャップを取りながら言う。
「あと三十分くらいでトーゴが来る。
そしたら劇団を立ち上げるって事だけは伏せて、この脚本を使っていいか聞いてみよう。」
まあ、答えはYESだろうけど、と付け足しながら、綴目はホワイトボードにペンを走らせる。
トーゴと呼ばれる人物と綴目は旧知の仲だ。
彼の反応くらい手に取るように解るのだろう。
ただ、この部屋の中で、彼の反応を安易に想像出来るのは、綴目だけでは無かった。
入手経路が正当じゃないのに、いいんスか?と思い出したかのように真っ当な疑問をぶつける恒一に対して、夢路、有栖、戯須はそれがどうしたといわんばかりに笑った。
「別にハッキングとかして手に入れた訳じゃないし…。
普通にこの前の台本のデータが欲しくて、トーゴさんに連絡入れたら脚本データのファイル丸々投げてくれたの。
で、そのファイルの一番下にあったってだけ。」
夢路が少し、悪戯に微笑む。
「まあ、実際にこれがガチ読まれたくなかった黒歴史だったとしても、トーゴさんの事だから、『しまった、何処でそれを…!』とか言って頭抱えそうだよね~」
怒んない、怒んない、と戯須がひらりと手を振る。
続く有栖は、普段淑やかに笑みを浮かべている口を僅かながら大きく開け、何処か興奮気味だ。
「トーゴさんの脚本は全部読んだと思ってたんだけどなあ。
まさか、未完成の本が出てくるなんて!しかもファイルの日付的に、処女作じゃない?」
板書を進める綴目の傍らで、女子三人は年相応にきゃっきゃと騒いでいる。
彼女達は、トーゴの一番弟子を名乗る程、彼の持てる技術と、作品と、人柄を好んでいた。
そしてそれぞれが、少なからず彼の作品作りに対する姿勢や技術、心持ち等を受け継いでいる。
彼女達の実力は実際、弟子を名乗る者の責務も果たしているようにも思えた。
「取り敢えずトーゴが来るまでになんとなく配役決めるかあ。」
「まず名前書きましょう、名前」
「タイトル書かにゃ始まらんよ」
「これタイトルないんだよなぁ…」
「あ、ほんとだ」
はじまりとはいついかなる時も心躍るもので、七人の取り留めのない会話はやがて心地の良い喧騒になった。
ホワイトボードには、大きく書かれたカギ括弧が、無題を意味するように空白を閉じ込めている。
「よし。」
綴目がホワイトボードからペン先を離す。
大きなカギ括弧に続けて、七人の名前。
そしてその名の横に、彼等が本名よりも呼びあった、慣れ親しんだ名が書き記された。
主代 悠真 ユーマ
夢路 那奈 ジーナ
綾織 有栖 アリス
戯須 真白 ギスマ
進藤 理知 リチ
音羽 恒一 コウ
綴目 奏 スズメ
「トーゴさんは?」
喧騒を悠真の声が掻き分ける。
「書くよ、書く」
好きな物は最後に食べる、とでも言いたげに、綴目はゆっくりと、丁寧にその名をホワイトボードに書き記した。
幕原 冬弧 トーゴ
彼等の縁はこの男から始まった。
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