27話 不老不死病 【正義という病】
外を見ると、すでに夜になっていた。
冷たい空気が私達の肌を撫でる。
玉藻前は、私達を睨みつけるように
摩天楼の一番下で待っていた。
「蘇芳、貴方はちゃんと人間なのね」
そう言って玉藻前は、穏やかな顔で私に話しかける。
何かされるのではないか――
緊張して肩が張る。
芹は私の後ろに隠れ、慈眼は玉藻前を睨みつけていた。
そんな私達を見て、玉藻前は、深くため息を吐く。
「4つの病を喰らい、人を殺した悪人への贖罪を与え許したのね。酒呑童子」
玉藻前は、泣きそうな声で慈眼へ問いかける。
「欲を許し受け入れて、それじゃぁ……鬼じゃなくて神よ」
玉藻前は遠い眼をしていた。
あまりにも静かで、目を離せなかった。
警戒していた慈眼が、玉藻前の言葉に首を傾げながら聞く。
「神? どういうことだ」
慈眼が尋ねると、玉藻前は、ふらふらと私達に近寄り、慈眼の目の前まで来た。
そして、無表情で涙を流し始めた。
「やっと……あたしの患者たちは救われた」
闇に紛れるように小さな声。
その声は震えている。
「患者……?」
私が疑問を返すように返答をすると、こちらへ玉藻前は笑みを見せる。
「えぇ、重篤だった患者の病食べてくれたでしょ。
もう、何をしても愛をあたえても駄目だったの」
玉藻前は舞いを踊るようにくるくるとその場を回る。
衣のついた金の刺繍が月明かりに反射して輝いた。
まるで死者への弔いのような舞。
「巨頭病の子には思考の癖の整理を!
薔薇忘病の男からは昔話をきいたの
……肩羽病には自己認識の確認を。
蜘蛛斬病には……眠れる薬を!
あはは!駄目だったぁ」
満開だった花が枯れていく様を見せられている気がして
目が縫い付けられたかのように玉藻前を見てしまう。
玉藻前は私の後ろで怖がっている芹へ目を向けた。
「あなた、一生死ねなくなったら嬉しい?」
芹は突然、話しかけられてびっくりしたのか
私の後ろで顔を引っ込めながら言葉を返す。
「えぇ……それは嫌かも。怖いし」
「そうよね。でも安倍晴明は作ろうとしているのよ
酒呑童子を使って、病も死もない世界を」
芹が答えると満足そうに、私達から十歩ほど離れた場所で立ち止まり、
玉藻前は慈眼をじっと見つめながら、さらに口を開く。
「貴方はよく知ってるわね……苦しさを」
金色の目を細めて、答えを待つように口を閉ざす。
慈眼は一度目を瞑った。
そして私の顔を見て、喉仏が言葉の前で止まる。
何かを押し込めたように慈眼の口が開いた。
「死ねないのは、罰でしかない」
その言葉は、誰かを責めるものじゃない。
まるで――自分自身に向けているようだった。
何度も繰り返してきた言葉みたいだった。
何かを思い出すかのような慈眼のその姿。
いつも戦いでは傷を作る姿が――
私の目の前で重なった。
玉藻前はゆっくり笑い、目を細めた。
その瞬間。
口から黒い炎を慈眼に目掛けて吐き出す。
私と芹は避けるために入り口から左右に避けた。
慈眼だけが違った。
避けない。
慈眼は黒い炎を受けながら、玉藻前の首目掛けて手を伸ばす。
ギリッ――。
慈眼の白い手が首に食い込むのが見えた。
「ぐっ」
首を掴まれた玉藻前が苦悶の声を漏らす。
玉藻前の美しい顔が歪む。
「てめぇ、油断も隙もあったもんじゃねぇな」
慈眼は、手に力を込めて玉藻前の首を絞めていた。
「苦しみっ……から解放してあげようと……思っただけよ」
「余計な世話だ、お前じゃ俺は死ねない」
慈眼はそう言って、玉藻前の首から手を離した。
玉藻前は膝をついた。
ゴホゴホとせき込む。
芹が玉藻前に数歩近づき慈眼の後ろに隠れながら聞く。
「その、慈眼が死ぬと万能薬は作れないんすか?」
芹の問いかけに玉藻前は、袖で口元を覆った。
私の目と慈眼の顔を見る。
慈眼は玉藻前の視線に頷いた。
「えぇ、作れなくなるわ。
だって
――酒呑童子は元々、不老不死の人間だもの」
「え!」
芹が驚いた声をあげる。
「鬼だから、傷が治るんじゃなかったんすか!?」
芹が何度も慈眼の方を見る。
私は思わず声に出した。
「だから……血で傷が回復する?」
私が、食べ物で病を治す食事を作ったおばあさんの言葉を思い出していた。
『でも、あんた妖やないでしょ、どうみても人やないの』
「私も思ったことがあった。
――慈眼は妖にしては綺麗すぎると」
慈眼の方を見る。
その表情は感情の火が……
ふっと消えたようだった。
そして私の方へ目を向ける。
「俺は……化け物だよ。鬼だ」
慈眼は、低い声で玉藻前の言葉を否定した。
眉間に皺を寄せたまま、唇だけが冷たく歪む。
それは嘘を付いていなかった。
慈眼の心から出た言葉のように感じる。
慈眼の言葉を聞いて、玉藻前は口だけで笑った。
「……結局、貴方は安倍晴明の思惑通り。
私も、そう」
「貴方は何をしたかったんすか」
芹が、玉藻前の涙を見て、心配そうに聞いた。
玉藻前は芹を静かに見つめ
「私は、心の病を治したかったの。
薬や愛の力で寄り添っていたのに
こんな風に変容するまでは……
治せないなら殺すしかない。
こんな世界壊れてしまえ!!」
そう言って、玉藻前は泣き崩れた。
玉藻前の袖は涙で色が変わる。
玉藻前の言葉が、胸の奥に刺さる。
――治せないなら、殺すしかない。
理解が出来てしまう自分が恐ろしい。
さっきしたことと
玉藻前がしたことは何が違うのか分からなかった。
慈眼の背中を見た。
何かが――胸の奥で燃えている。
それは消えずに、ずっと揺らめいていた。
――逃げられない。
優しさも、許しも、ここにはない。
目が離せなかった。
あまりにも、圧倒的に美しかったから。
芹が私の背中に隠れるのを辞めて玉藻の前で背中を撫でた。
「なんか……この人可哀そうっすよ」
芹が鋭い眼で睨む慈眼を諫めるように言う。
玉藻前の言葉で気になっていたことがある。
何度も治したいと言っていた。
私は、気になった事を聞く。
「誰を治したかったのですか?」
私の問いに、ピタリと泣くのを辞めた。
「欲を持つ人全て」
玉藻前はそう言って九十八結と呼ばれた摩天楼を見上げた。
「お前は、集落の人間を弄んでただろうが!」
慈眼が、玉藻前を睨み付けて問いかける。
そんな、慈眼に不思議そうな顔で玉藻前は返事をした。
「あたしは、治療して救ってるわ」
崩壊しかけた摩天楼の瓦礫の中の人々を玉藻前が見る。
「あれ、死んでるわね……」
玉藻前は、呟くように言うと、自分の頭をかきむしった。
目を見開く。
呼吸が浅い。
その瞳の中に『正』という字が見えた気がした。
思わず私は自分の首へ手をやる。
「あぁ……愛を与えていたはずなのに、うふふ」
様子がおかしい。
私は、玉藻前に声をかける。
「玉藻前……?」
その声に、見開いていた目が冷静さを宿し、落ち窪んだ瞳で私を見る。
「帝を……あの人はね優しすぎたの」
「帝? ……あの化け物か」
慈眼の眉間に、ごく浅い線が浮かぶ。
玉藻前は、震える指先が空中で止まり、慈眼を指す形になった。
「帝は、ただの人間よ! あんたが血を渡したんでしょ!?」
歯をわずかに見せて、口元がひきつっている。
その顔を慈眼は、理解できないような顔をした。
「俺は、人だった頃の帝と直接会ったことはない」
玉藻前は、慈眼の不思議そうな表情に対して驚いたように口を開けた。
その口を何度か開け閉めする。
唇から急に色が失われた。
「……安倍晴明にやられた」
小さい声だった。
私だけがその声を聞き取ったように思う。
さきほどの玉藻前の瞳の中の『正』という字が浮かぶ。
慈眼も芹も、玉藻前が何をするのか見ている。
震える唇を玉藻前は開いた。
「貴方、もしかして何も知らないの?
あたしてっきり……。
あぁ、駄目よ! 蘇芳の意味をちゃんと知らなきゃ!」
――蘇芳の意味?
私の名前。
「それってどういう意味ですか?」
私が玉藻前に言うと、私の手をすごい力で掴む。
手に爪が食い込む。
ぴりっとした痛みが走った。
「絶対に欲を捨てては駄目。貴方は慈眼と居られなくなるわ」
玉藻前の言葉が、頭の中で跳ね回る。
――慈眼と、居られなくなる?
言葉の意味が、まるで冷たい水のように体に沁みていく。
心臓がぎゅっと締め上げられる。
私は思わず慈眼の方を見る。
慈眼は何も言わず、ただ玉藻前を見つめている。
その背中に、何かが燃えているのを感じた。
消えないまま、ずっと――。
「どうして、それで――」
声にならない声を呟く。
私は、無意識に慈眼の方を見た。
その時だった。
背筋が寒くなる感覚がした。
自分の首を絞められたような圧迫感。
玉藻前の後ろから、足音。
軽やかな足音と、重い足音。
重い足音が、こちらへ駆けてくる。
カチャ……。
金属音を耳で拾う。
思わず玉藻前の後ろへ目をやる。
玉藻前も慈眼も芹も足音の方へ視線をずらす。
誰かが、息を呑む音。
何かが、光った。
次の瞬間には、玉藻前の胸に刃があった。
鈍く輝く日本刀が玉藻前の骨の間を通り
その刃が宝石を貫いている。
玉藻前の、花が咲くような顔が――
醜く歪んだ。




