第26話 狐狂病 後編【病の成り立ち】
血の匂いが、まだ喉に絡みついている。
――さっきまで、人だったものがあたりに転がる。
私が村人の首を斬ったせいで、
あたりは血の海の中。
円形の部屋の壁に狐の壁画。
その壁の前から離れた数十歩先の部屋の中央にいる慈眼は、壁際にいる玉藻前と睨みあっていた。
私は慈眼から数歩後ろへ離れる。
慈眼は、私を一瞬だけ見た。
「自分の身は自分で守れ」
そう言いながら、目の前に慈眼は立つ。
私は力が入らない体で、糸を天井に張り巡らせる。
「……ちぐはぐですよ」
慈眼は、確実に私のやった事を許さない。
でも、守るのだろう。
この体は、慈眼の大切な人のものだから。
玉藻前は、九本の尾を燃やしながら私と慈眼を愛おしいようなものを見る目で見つめる。
「あぁ……酒呑童子!
全部……あんたが壊したのよ!!
でも、こんな素敵なものを見せてくれたから許してあげる」
「それは……どういうことですか?」
玉藻前の言葉が気になり、疑問を声にする。
私の目の前にいる慈眼の肩が緊張したように動く。
私の疑問に、玉藻前は鋭い眼をして、口だけで笑みを作った。
ほの暗い闇を抱えた目。
「だって、病は昔はこんな形じゃなかったでしょ? 酒呑童子」
玉藻前はそう言いながら谷間から扇を出した。
踊るかのようにくるりと周り扇を一度、振る。
慈眼の息を吸う音が私の耳に入る。
悩むように目を伏せようやく小さく呟いた。
「あぁ、ただの病だった。昔は」
扇から、赤い炎の玉が出てくる。
燃え盛る灼熱の炎。
まるで恋心のような熱さ。
そこから呪いを込めたような黒い炎に変わる。
玉藻前の周りをゆっくりと回る黒い炎。
それを愛おし気に見つめて、玉藻前は表情を失くした。
私の目を暗い影を落としたまま見つめる。
底が見えない洞窟のような暗さ。
「おかしいと貴方は思わなかったの?」
「え……だって病は、欲から生まれて変容するもののはず」
――病は、昔は違った?
一体どういうことなのだろうか。
安倍晴明の部屋で見つけた書物が頭をよぎる。
『【菌――病の元。消毒をすると良いが、穢れ払いとも教える】』
あの本は今。
私の手元にある。
私は疑問に思い、慈眼の方を見る。
慈眼の指が、わずかに震えた。
私の顔を懐かしそうに眺めたあと、玉藻前から目を逸らさずに言った。
「……最初はな」
慈眼の声が、少しだけ低くなる。
「ハンセン病だった。治せる病だった」
私は、息をするのを忘れた。
――治せる?
それなら、どうして今は。
慈眼はかすれたような声で言うと、玉藻前は、慈眼を指さした。
まるで罪人を断罪するような動きで。
玉藻前の首から下の皮膚がどろどろと溶けていく。
そこから覗いたのは紅水晶の骨と
胸の中央には、アザミで出来た紅水晶の塊。
「あたしは、あんたのせいで誰も治療出来なくなった。
ただ一人の欲望のせいで、病の形は変容したわ。
……帝は、あんたのせいよ!!!!」
叫ぶように玉藻前が告げると、周りの黒い炎もさらに大きく燃え盛る。
玉藻前の表情から笑みが消える。
「……返して、私の愛おしい、あの人を」
壁の壁画の狐が炎を撃ち込まれて苦しむ表情と、玉藻前の表情が重なる。
黒い炎が私達に向かって放たれる。
天井から灯篭に張り巡らされた糸で断ち切れるか試してみたが、
炎は切れない。
「だめか!」
私は左右に炎を避けていたが、貧血で足に力が入らず体制が崩れる。
左側から来た黒い炎を避けれない。
「蘇芳!」
慈眼が、黒い炎に包まれる前に私を抱きしめた。
黒い炎が当たった所から、慈眼の皮膚がみるみるうちに腐っていく。
「慈眼! 大丈夫?」
「心配するな、すぐ治る」
慈眼は、私の手を跳ねのけるようにして立ち上がった。
痛ましいその傷が、徐々に修復されていく。
美しい相貌が、傷などなかったかのように整った。
玉藻前は、慈眼を姿を見て、唇を食む。
さらに扇を振る。
「なぜ貴方だけ、そんなに綺麗なの!?」
玉藻前は、自分の腕に爪を立てた。
ひび割れた紅水晶を見つめて、うっとりと笑う。
「壊れたものの方が、愛おしいでしょう?」
叫ぶようにして、玉藻前は舞った。
数十個の黒い炎が玉藻前の周りを囲む。
避け切れる数じゃない。
その黒い炎を私達へ向けて玉藻前は舞いを舞うかのように放った。
私は、思わず唾を飲み込んだ。
「避け切れない」
私が呟くと、隣に立つ慈眼が私の顔を覗き込んだ。
「蘇芳、お前は俺の為になんでもするんだな」
その声は、どこか掠れていた。
青い瞳が、私の心を掴む。
この青さは海に似ている。
底なしの海。
私はきっと溺れ死ぬ。
慈眼が天井へ視線を送った。
私は、右手で自分の真上にある天井の灯篭へと糸を張る。
その糸を私と慈眼へ繋げた。
「もちろん、貴方は私の鬼ですから」
「霞とは全然違うよ。お前は」
慈眼が呆れたように私に笑う。
一瞬息が詰まったような思いだった。
その一言さえあれば、私は私のしたいように生きていける。
慈眼が、黒い炎を避けて玉藻前の方へ走り出した。
一瞬で壁際の玉藻前の目の前まで来る。
だが、玉藻前は笑った。
「あら、近くに来てくれてありがとう」
玉藻前は、口から黒い炎を慈眼の顔面の前に吐き出す。
黒い炎で体を焼かれながら、慈眼は笑った。
空中で体制を変えて玉藻前のすぐ下の床を殴る。
「俺を狙うと思ってたよ、狐」
地面が波打つように揺れて、
床が割れる。
そのヒビは私の元まで来る。
瓦礫が落ちていく音。
塔の内部が吹き抜けになった。
ふわっとした浮遊感。
玉藻前は、割れる床になすすべがなく下へ落下する。
「もう一発受けて見ろよ!」
その玉藻前に空中でさらに慈眼が殴った。
玉藻前は避け切れず下方向へ吹っ飛ばされる。
「貴方達も死ぬわよ!!」
「賭けです」
私は左手で玉藻前の体に左手で糸を巻き付けた。
玉藻前の落下する重さで、右手に繋いだ私と慈眼の糸が上に上がる。
滑車のように。
「っつ!!」
下に引っ張られる重さに支えきれなかったのか、私の左肩が脱臼する。
私は玉藻前に繋がる糸を途中で切り離す。
「なっ」
玉藻前は驚愕した顔のまま下に落ちて言った。
「貴方は欲に汚れたのね」
階下から声がした。
下を見ると、割れた床のさらに下で、嬉しそうに玉藻前は笑みを浮かべた。
そしてどんどん下に落ちて姿が小さくなる。
「あぁ、邪魔ができた」
子供がいたずらに成功したような音色で言う声が聞こえる。
玉藻前が下の地面にぶつかり、
また穴が開くのが見えた。
私と慈眼は
抱き締めあうように、灯篭にぶら下がっている。
慈眼は下を見つめる。
「喰いそびれた」
慈眼は心底残念そうに呟いた。
なんだかその姿がおかしくて笑う。
「もう、お腹が空いたんですか?」
「あぁ……。あれは喰わないといけないのに」
慈眼の言動に違和感を感じて、瞳を見た。
瞳が一瞬白く光る。
その目に羽。
「……慈眼?」
私が、慈眼に呼びかけると
「なんだ?」
瞳の色はいつもの青色に戻っていた。
背筋がぞっとした。
私は、嘘をついた。
「なんでもないですよ、肩が……痛くて」
私は笑って慈眼に返事をした。
「肩の痛みくらい我慢しろ」
慈眼は私にぶっきらぼうに言った。
「ひどい……褒めてくれませんか?」
私が、深刻そうに言うと、慈眼と目が合う。
「褒める事なんてなんもねぇよ、ただ痛みは共有してやる」
じっと海のように青い眼が私の内側を覗くように見つめる。
唇が震える。
呼吸が早くなる。
――人を殺した。
違う。
違う、あれは。
そう思おうとしたのに、
頭の中に、あのときの感触が蘇る。
指先に残っている。
温度も、重さも。
消えてくれない。
私は震える唇で慈眼へ言う。
「許しもしないし、褒めてもくれないんですね」
「それを抱えて、生きていけるかだな」
慈眼の表情を見ようとしたけど、
水の中に入ったときのように
目の前がゆらゆらして見れない。
何度も息を吸った。
慈眼は私を見ているだけだった。
瞬きひとつせずに。
逃がさないみたいに。
そこへ、入り口があった右側から声が聞こえる。
「これ、一体どうなって、しぬぅ!!!」
芹の声だった。
芹は入り口に木偶人形の腕が引っ掛かり、落ちるのを防いでいた。
床の底が抜けているため、芹が動いただけで下に落ちそうだ。
首には×印はもうない。
――忘れてた。
「ごめん、芹。今なんとかするね」
私は、芹に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら謝る。
芹は鼻水と涙でぐしゃぐしゃの顔で私達を見た。
「ひどくない!忘れてたでしょ!」
芹が大きな声で木偶人形に巻き付けられた蓑虫状態で吠えた。
図星をつかれて私は苦笑いをする。
「おまえは……なんか放っても死なんだろ」
慈眼が目を逸らしてばつが悪そうに芹へ言った。
そういえば、宙吊りなのはいいが、どうやって入り口に戻ろうか
中央から入り口までは数十歩ほどあり、ここから飛んでいくことは不可能。
私の糸を巻き付ける場所が、入り口にはない。
左手は脱臼をしていて動かないし……
私が思案していると、慈眼が左手で天井の灯篭に手を伸ばして私を右手で抱える。
「糸を外せ」
慈眼が私に指示をする。
私は右手の糸を外した。
左の筋力だけで天井に足をつけ、入り口側を向いた。
そして足で天井を蹴り、入り口近くの壁左の飛ぶ、
そのまま壁で体制を変えて回り込むように右へ飛んだ。
そのまま入口へ滑り込む。
勢いをつけたまま左手を伸ばした。
芹が巻き付いている木偶人形を引き寄せる。
私をおろして慈眼は、自分の衣で私の手についた血を拭いた。
血がなくなると、芹の元へ向かう。
「芹。歩け」
慈眼は芹に巻いてある糸を噛み切った。
入り口を出てすぐの階段は来た時と違い、
すごく長い。
構造が歪んでいる。
芹が階段を眺めて、膝をついて下を見る。
「えぇ、これ降りなきゃいけないの?」
「来た時と違いますね……」
私もげっそりした気持ちで、階段がどこまでも下に続くのを見ていた。
慈眼が私の左肩に触れる。
「蘇芳、肩見せろ」
「え、はい」
私が返事をすると、慈眼は手で挟み込むように私の肩を抱いた。
「痛みは、我慢しろ」
ゴリッ。
脳内に骨が入る音が頭に響く。
芹が私の痛そうな顔を見て、青ざめている姿が目に入った。
余りの痛みに泣きそうになる。
「あっ……つっ!」
慈眼は、そんな私を見て言った。
「痛みは抱えて生きていけるか?」
慈眼が、私を真っすぐに見つめる。
私は自分の頬についた他人の血を拭う。
「えぇ、これは私の、蘇芳の意志ですから」
慈眼は、私の返答に対して目を伏せた。
一瞬だけ、顔を歪める。
そして私を見る。
「人を救う方法ならいくらでも教えてやる」
芹が、私の血と、慈眼の血を見て何かを察したような表情になる。
そして、私に言った。
「今までおれらがしていた事と、抹消と同じですよ」
慈眼はそんな芹に凛とした顔をして言った。
「違うものだ。蘇芳は自分で選んだ」
そう言って私の手を引いて一緒に階段を下りる。
階段を降り切った先に、影があった。
「……遅いわね」
声がした。
顔を上げると、玉藻前が立っていた。




