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【病を喰らう酒呑童子と、病を祓えない陰陽師の怪異譚】  作者: 白瘡
二章 摩天楼編

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第24話 狐狂病 前編【美しい檻】

 足を踏み入れると黒い煙が、部屋に充満していた。

 伽羅のような甘い香りと酒の濃厚な香りが鼻孔をくすぐる。

 思わず入口で私は立ち止まる。


「う……」


 思わず、その甘さにくらくらして袖で鼻を覆った。

 慈眼が、私達の前で足を止めた。


「これは……芹は見ない方がいいかもな」


「え、なんすか」


 私は部屋の中をようやく見た。


 部屋に中には、人。

 人。

 人。

 その人たちの肌がぶつかり合う。

 円形の部屋の壁には窓がいくつも並んでおり、

 町から消えた人が全員ここに集まっているのではないかと思うほど密集している。


 部屋の天井には規則的に灯籠をぶら下げる金具があり、人々の熱気に呼応するように窓からの風を受けてゆらゆらと影を動かす。


 密集していているのと、黒い煙で部屋の奥がよく見えない。


 お揃いの黒い着物を着た人々が、酒を飲み、食べ物を頬張り、男女問わず口づけをしている人がいる。

 なんというかとても熱い口づけだ。

 少し汗臭い匂いもする。

 芹が私の後ろで、上ずった声を張り上げた。


「なんと、え、これ見ていいやつ?」


 芹の顔は真っ赤。

 手で顔を覆っているが指の隙間からばっちり見ているようで目を動かしている。


 私は芹の態度に笑いながら、もう一度前を見て酒を口移しで飲みあう男女が目に入る。

 思わず目を背けた。


「ちょっと、刺激が強いですね、これ……」


 なんというか見ていられない恥ずかしさがある。

 芹が慈眼の方へ寄って行った。


「慈眼は恥ずかしくないんすか?」


「は、俺はお前らよりだいぶ生きてるぞ、糞餓鬼」


 慈眼はまったく恥ずかしくないと言う風に普通に見ている。

 なんというか、見た目は私達と同じ少年なのに、年はいくつなのか気になる。


 酒を飲ませあっていた男女の一組がこちらに寄ってきた。

 ふらふらと赤い顔で幸せそうに笑う。

 目は濁っている。

 思わず、そのちぐはぐな表情に背筋に冷たいものが走った。


 男は左側から寄ってきて、私を見て口を開く。


「欲は最高だよ!」


 男が私に手を伸ばすと、慈眼がその手を叩き落とした。


「触るな」


 まるで狼が威嚇している時のように牙が見える表情で言った。

 男は慈眼の表情を気にも留めずにへらへらと笑う。


「いいじゃん、楽しく行こうよ」


 私達が男と話をしていると、一番後ろにいた芹が左側から女に腕を掴まれる。


「え、お姉さん。なに?」


 女は芹の手を掴むと部屋に漂う黒い煙を吸って、芹へと口づけをする。


「むゔー!」


 黒い煙が芹の口へを注がれるのが目に入った。

 みるみる目が曇っていく。

 女と男は、笑い声をあげて集団に戻っていった。


「あはは、楽しいっすね。周りがきらきらする!」


 芹が顔を真っ赤にしながらくるくると回りながら、歩き出し入口から数歩離れて、集団へ入ろうとする。

 思わず私は芹を止めた。


「ちょっと、危ないですよ」


「……?」


 芹は焦点が合っておらず、不思議そうにこちらを見る。

 明らかに、何かおかしい。

 よく見ると、首に×印が刻まれていた。


「慈眼!これ……」


 私は慈眼に声をかける。

 慈眼は芹の肩を掴み、無理やり首の印を見た。


「蘇芳のと一緒だな」


 慈眼の表情が曇る。

 私は自分の首の印を腕で触った。


「私も、煙を吸わされたんでしょうか」


「たぶんな」


 慈眼はそう言いながら、芹が集団に入ろうとする首根っこを押さえていた。

 芹が、私達の心配なそうな顔を気にも留めず、集団にまた入ろうとする。


「おねぇさん、ちゅーしましょ」

 酒によっぱらったように、呂律の回ってない喋る方をする芹。


「糸で巻いとけ……」


 慈眼は、ため息を吐くと私に芹を押し付けた。


「芹、少し窮屈かもしれませんが、美しく巻いてあげますからね」


 芹を糸で巻いて、木偶人形に括り付ける。

 入り口の近くで万一の為に、木偶人形で固めて芹を隠す。


 このまま、この部屋を通ることになるのか、私は自分の首にも同じ×印のことを考え不安になる。


「この部屋、早く通るぞ」


 慈眼が私と手を繋ぐ。

 胸が思わず、温かくなる。


 私は前を向いて一歩踏み出し歩き出した。

 あまりの人の多さに肩がぶつかる。

 人々の熱気で息が苦しい。


「……苦しい」


 つい弱音が口からでる。

 私と手を繋いでいた慈眼が無言で、私を包むようにして歩き出した。

 少し息が楽になる。

 そういう優しさが私は好きだ。


 狂乱にふける人々を避けながら部屋の中央まで来た。


 私達を気にも留めていなかった、集団が皆こちらを同じタイミングで首を向けた。


「え」


 その濁った眼は、私達を捉える。

 私達から一切目を逸らさないまま、集団はまるで操り人形のように手足を動かし、壁際へと寄っていく。

 思わず、息を潜めて肩に力が入る。


 「なんだ」


 慈眼は、周りを警戒するように腰を低くしてあたりを見回す。


 黒い煙が部屋に立ち上り、食べかけの残骸が床に落ちている。

 足で踏まれたのか、床の色は混ざり合って茶色い。


 私達だけが、部屋の中央に取り残された。


「あら、ここまで来れたのね。偉い偉い」


 私の緊張を打ち破るかのように、優しい声が響いた。


 私は声がした方向をじっと見つめる。

 黒い煙が薄くなり、だんだんと声がする方の景色が見えてきた。


 私達から数十本ほど離れた場所が部屋の一番奥だった。


 壁の一面には大きな狐が書かれた絵が描いてあり、その絵の狐は炎をまとった弓矢を何百本も撃ち込まれていた。


 その絵のすぐ下の中央には、男達が折り重なって倒れていて山となり、

 男たちの目は皆、虚ろだが嬉しそうに恍惚とした笑みを浮かべている。


 その上にあざねが膝を組んで座って、煙管を吸っていた。


 黒髪の長い髪に前髪は眉上に切り揃えられている。

 白い肌に赤い唇。

 黒い眼がじっとこちらを見る。


 あざねは首をゆっくりと傾げた。

 着物は赤地に折れた弓が金の刺繍で縫われているその衣が揺れる。


「死体が、ちゃぁんとここまで来れるなんて偉いわぁ」


 あぜねは煙管を吸いながら、弧を描くように口角をあげる。

 艶やかなあざねの仕草に私は目を逸らせない。


「……あざね」

 私が呟くと、慈眼が飛び出した。


「あざね!!」


 慈眼が、牙を剝き出しにして中央から壁際へ、一瞬であざねの元まで駆けていく。

 その牙であざねの首を嚙み切ろうとした。

 あざねが目を細めて笑った。


「かわいい子」


 その瞬間。

 あざねは煙管をただ床に落とした。


 それだけ。


 それだけで周りの人々が、慈眼に襲い掛かる。


「なっ」


 慈眼が驚いたように目を見開く。

 避けようと思ったのだろう。

 床に叩きつけられる前に、空中で体制を変えた。


 だが、あまりの数の人が一斉に来たため避ける事が出来ず、慈眼は黒い着物を着た人々に押し潰される。


 あざねからたった数歩先の目の前で、床に突っ伏した。


「あざね! てめぇ!! 卑怯な手使いやがって……ぐっ」


 慈眼が、人々に押さえつけられる。


 抑えている人が慈眼に近いほど、外から押しつぶされて首が変な方向に曲がっているが、痛みを感じていないように恍惚とほほ笑んでいる。


 壁際の狐の壁画と相まって、異様さが際立つ。


 慈眼が無理に動けば、何人かの人間が死ぬだろう。

 そんな危うさのある抑え方だった。

 あざねは慈眼の顔を見て優しく微笑む。


「酒呑童子、貴方は甘いわねぇ、殺しちゃえば早かったでしょ」


 あぜねは優しい声で言うと、男たちを踏みつけて慈眼をそのままに壁際から中央にいる私へ近づく。

 にっこりと慈愛の笑みを浮かべて。


 その表情に、足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。

 恐怖で、あざねの方を見た。

 いや正しくは目を向かされた。


「蘇芳、それとも霞? 貴方はどちら?」


 また数歩、あざねは近づく。

 息が苦しい。

 自分の呼吸音が耳に響く。


「私は、蘇芳」


 絞り出すようにあざねに言った。

 私から手の届く距離であざねは立ち止まる。


「そう、壊れてないのね」


 あざねは私の答えに対して、唇に手を添えた。

 唇が小さく動いた。『ざんねん』と動いたように感じた。


 心臓が喉元まで跳ね上がる。

 ただそれだけなのに、自分の心臓を掴まれたかのように鼓動が早まり、周りの音が遠く感じる。

 ――怖い。

 ガタガタと体が震える。

 歯が小さくぶつかって音を立てる。

 呼吸が浅くなる。


 慈眼が、叫びだす。


「その女の話を聞くな!」


 慈眼は、なんとか自分を押しつぶす人々から出ようともがく。

 慈眼の方など一切見ずにあざねは私を黒い瞳で見る。


「しょうがないから、酒呑童子をバラバラにしちゃおうかしら、私ね。

 万能薬は作りたくないのよ」


 あざねはそう言うと、壁際にいた男たちが刀を持って慈眼を押しつぶしている集団へ向かう。


「鬼って何回殺したら死ぬのかしら、ねぇ酒呑童子?」


 慈眼の方をちらりと見て言った。


「げす……女」


 慈眼はつぶされながら悪態をつく。

 逃げだすかどうか迷っているようだった。

 刀が煌めく。


 慈眼は死なないかもしれない。

 だけど、傷が治るたび帝に浸食されているとしたら――。


 私の思っていることを、察しているように口角を上げた。

 私の目をあざねが見つめてくる。

 その瞳は黒色ではなく黄金に光っていた。


「万能薬の材料は、貴方と酒呑童子が揃わないといけないのよね。

 片方失くしちゃえばいいんだわ、ね? 蘇芳」


 私は恐怖で声が出ない。

 でも、慈眼だけは失くしたくない。

 恐怖で引っ掛かる声帯を震わせた。


「や……めて」


 あざねは私の懇願の声を聴いて、嬉しそうに笑い手を合わせる。


「素敵! 好きな人の為に勇気を振り絞ったのね」


 心を掴むような優しい声であざねは私を褒めた。

 表情が嫌に優しい。

 でも目は獲物を狙う獣のように鋭かった。

 あざねはもう一歩私に近づいてくる。


「恋は病。愛は呪い」


 あざねは表情を失くして言った。

 目がおち窪み、影が出来ているせいかがしゃどくろのようにも見える。


 その落差に、息を吸うのを一瞬忘れる。

 心臓が飛び出そうなほど、嫌な音が響く。

 ――本能が逃げろと私に叫んでいる。

 でも足は動かない。


「貴方、恋の病にかかったのね

 欲望に汚れて……治るなんて残念」


 あぜねは、ゆったりと歩を歩みながら言ってきた。

 声は優しいが、掃き溜めに向けるような喋り方。


 でも首の×印が熱い。

 目を逸らすことも、この場から逃げることも許されない。


 あざねの背で、何かが揺れた。


 一本。


 白い狐の尾。


 ゆらりと揺れる。


 そして、もう一本。


 ゆらりゆらりと動き、動くごとに本数が多くなる。


「ねぇ、あたしのこと、知ってる?」


 あぜねはそう言いながら、何かを撫でるような手つきで自分を指さした。

 指の先から足先まで、その動きに見とれてしまう。

 巨大な花が今か今かと花弁を広げて芳香を放つような優美な――目が追ってしまう、美しさ。

 私の頭の中で昔聞いた話を思い出していた。


 陰陽師では有名な話だ。

 都を惑わせた妖狐。

 帝さえ狂わせた美貌。

 安倍晴明が正体を見破って都から追い出した稀代の悪女。


「……九尾の狐」


 私は、恐怖に彩られながらもあざねに答える。

 あざねは私の答えにゆっくり瞬きをした。

 それだけの仕草なのに睫毛の一本一本の動きを目で追ってしまう。


「あら、知っていたのね」


 あざねが笑うと私の首の×印が熱い。

 この人に全て身を委ねたいそんな気持ちになる。

 思わず生唾を飲む込んだ。


 慈眼が造形の美しさであれば

 慈眼とは別の――仕草が全て美しい。


 食虫植物が、甘い香りを吐き出すかのような死を感じながらも引き寄せられる――そんな表情で、あざねは笑った。

 あざねの後ろにはゆらゆらと揺れる白い狐の尾が九本。


「私、玉藻の前っていうの」






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