第16話 薔薇忘病 前編 【後悔】
現在二章のため、
初めての方はこちらのプロローグから
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リストカット示唆する表現あり。
辛かったら引き返して下さい。
私達は、崇拝されるようになった慈眼と共に、赤い服の男の家へ連れられた。
摩天楼からだいぶ離れているが、
大きな塔はどこから見ても目に入る作りになっている。
摩天楼の最上階から、黒い煙が立ち上っているのが見えた。
村人たちは、私達について来ていたが、
一人。
また一人と離れていった。
最後は案内係の赤い服の男と私達だけになった。
夜の月が優しく道を照らす。
男の腕をよく見ると、細かい切り傷がある。
やけにその傷が目につく。
もらった紙に書いてあった名前を思い出す。
――薔薇忘病か。
美しい響きの病の名に、心が少しだけ浮き立つ。
摩天楼から遠いのか、街から外れた山の近くまで来た。
まだつかないのかと思い、周りを見渡す。
芹は、私と目が合った途端に百面相をしだした。
「なんか、あの人変じゃない? この村みんな変だけどさ」
芹が小さな声で喋り、赤い服の男性の腕を指さす。
「私も……そう思います。
なぜ、そんな人しかいないんでしょう……」
私が芹に返事をしていると、慈眼が低い声で言う。
「あいつにあまり聞いてやるなよ」
赤い服の男がとある家で立ち止まり、頭を下げる。
「私、みや、と申します。
こちらが慈眼様がお住まいになる家となります。」
私も思わずみやさんに頭を下げる。
芹も同じく下げていたが、慈眼はめんどくさそうに小さく『よろしく』と言っただけだった。
目の前には赤い建物があった。
大きさは24畳くらいの大きさで少し小さめの小屋だ。
入り口は小さい戸が一つだけ。小さな窓が左右に二つあった。
どこもかしこも赤い。
年季が入っているのか赤い塗装が少し剥げている。
「赤ばっかで、目がチカチカする」
芹が、小声でつぶやく。
私も同じ気持ちだった。
なんだかくらくらする。
「蘇芳、どうした?」
慈眼が私を覗き込む。
眉間には深い皺が刻まれているけど目は優しい。
赤の中で、慈眼の白銀の髪が揺れ、それを見て少し落ち着いた。
「なんでもないよ」
私が心配させないために、返事をすると慈眼が私の首を見ながら言う。
「異変を感じたら、すぐ俺に言えよ」
首に優しく触れる。
触れられたところから熱を帯びたように熱く感じ、自分の心が浮足立つ。
なぜ、こんな風に触れるのか知りたい。
慈眼の事を、もっと知りたいと思った。
みやさんが、私達を招き入れる。
襖を掴んで、一瞬止まった。
何かあったのだろうか?
私はみやさんを観察するためにじっと見入った。
そしてみやさんが自身の腕をめくる姿が目に入る。
ちらりと見える、墨の文字。
そして、何事もなかったかのようにこちらを振り向く。
「どうぞ、入ってください」
濁った眼は、黒く沈殿したようだった。
その目に身震いする。
家に入って私は絶句した。
「なに・・・これ」
最初に目に入ったのは『文字』
床から壁、家具に至るまで、すべて文字で埋め尽くされていた。
一か所だけ、壁に絵があった。
女の子の絵。
芹が、呆気にとられながら赤い男に質問をする。
「なんで……こんなに文字を書き詰めているんすか?」
私も知りたい内容だった。
赤い服の男が、芹の質問に答える。
「忘れるから、書いています」
みやさんは、淡々と言った。
「人は、罪を忘れる生き物です。」
芹に答えると筆を取り出し、床の余白に何事か書く。
筆を握る手は震えている。
「忘れてしまったら」
筆先が止まった。
男の首にある×印が赤く光った気がした。
みやさんの濁った眼が、私を見た。
「同じ罪を、また繰り返すでしょう?」
途端に文字がざわつきだす。
『忘れるな』
『忘れるな』
『忘れるな』
狂気じみた光景だった。
私が目を凝らすと壁の文字がただの記録ではなく、
生き物のようにざわざわと動いている事に気が付いた。
壁に書いてある言葉が頭から離れない、引き寄せられるように読み上げた。
『忘れるな、思い出せ!』
『幸せは、罪』
『救えないくせに』
私自身の罪を、言われているみたいに感じた。
今まで救えなかった人々のことを。
文字が跳ねるたび、床や天井からもざわめきが聞こえる気がした。
息を吸うたび、文字の墨の匂いが鼻腔を刺激する。
赤い壁と文字の黒。
そして男の濁った眼。
――それらが混ざり合い、視覚がぐらついた。
「……蘇芳、平気か?」
慈眼が、私の肩を軽く押す。
白銀の髪が月明かりに揺れ、その温かさが不安をほんの少しだけ和らげる。
だが、胸の奥に沈殿する黒い塊は消えない。
慈眼は、とある壁の一点を見つけ続けている。
目が揺れている。
動揺しているように。
その壁に、何が書いているのか私は気になった。
芹が小さな声で囁いた。
「……これ、やばいですよ、ここ」
みやさんは、無表情に文字を書き続ける。
腕の細かい切り傷が、光に反射して血のように赤く見えた。
その上から新しい傷が何度も刻まれている。
まるで自らの肉体に戒めを刻むかのようだった。
「忘れるから、書いている」
みやさんの声は静かで低く、だが部屋全体に響き、壁の文字が一瞬ひるむように動いた。
ーーあれ、あんなのあったっけ?
みやさんの胸に先ほどまでなかった赤い薔薇が見える。
見事な、赤い薔薇。
その花弁がゆっくりと一枚ひらりと落ちていくのが見えた。
妙にその赤い薔薇が気になった。
ただそれよりも今起きている壁中の文字の圧力に目が奪われる。
私は、もう一度壁の文字に目を移した。
『救えないくせに』
文字はただの言葉ではなく、圧力として心に食い込んでくる。
胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。
芹も肩を震わせ、視線は床の文字に釘付けだ。
「蘇芳、近くに来い」
慈眼が低く言う。
その声が、私を現実に引き戻した。
手を握られ、温かさを感じる。
私は首の×印に手を当て、微かに脈打つ熱を感じながらも、安心感と恐怖が交錯する。
部屋の奥で、みやさんが書き終えた文字が一斉に動き出した。
墨が流れ、言葉が絡み合い、まるで小さな生き物が群れを成して床や天井を這い回るようだった。
『価値がある者は選ばれる』
『価値のない者は罰される』
声にならない囁きが頭の中で反響する。
文字が私の意識を掻き回す。
――心の奥底で、自分が評価されない恐怖が芽吹く。
「……病か」
慈眼が低く呟いた。
文字とみやさんを交互に確認するように目をやった。
慈眼は、喰らうべき病を見据えるように見つめていた。
私はそっと、手の中の小さな病の欠片
――赤い宝石のようなウサギの残骸を握り締める。
微かに震え、光を揺らすその欠片は、まるで生き物のように脈打っていた。
【……キラワナイデ】
私の小声は文字のざわめきに飲まれそうになったが、それでも私は欠片を抱きしめる。
――カランッ……。
その瞬間、みやさんの筆が床に落ち、文字は急に静止した。
濁った眼が私たちをじっと見つめる。
「……ゆっくりお休みを、ここでは自分の罪と向き合えますよ。
あなた方の目につく文字が自分自身の罪です」
みやさんは幸福そうに笑った。
笑うと同時に文字がざわざわと揺れた。
呼応するように。
ぞくりと背筋が冷える。
ドアが閉まる音がして、文字の蠢く音だけが耳に入る。
芹が、耐えきれないように言った。
「いや……泊まりたくないんですけど!!」
泣きそうな音色で。
慈眼は深くため息をつき、肩をすくめる。
「……泊まるしかねぇな」
芹が、壁を見て言った。
「ばかとかあほとか能天気とか!! そんなことしか目につかないすけど!!」
一部の壁を指さしながら、泣きそうな顔で続けて言う。
「ただの悪口じゃないですか!!!」
慈眼は、芹に
「事実だな」
と言って、騒ぐのをうっとおしそうに見ている。
私と、見ている文字が違う?
じゃぁ、慈眼が見ていた壁の文字は一体なに?
私が考え事をしていると芹が、私と慈眼を見て言う。
「あの病、いつ食べます?」
聞いた慈眼が、眉根を寄せながら返す。
「早く、4つ食べてぇが、あまり腹が減らねぇんだ」
私は、慈眼の言葉を聞いて不安になる。
腹が空かないなど珍しいことだなと思った。
いつも喰わせろ喰わせろとうるさいのに。
芹は気にしていないのか、布団を既に引きながら
「じゃぁ、明日にするしかないですね」
寝る準備万端で言った。
三人で布団を並べて私達は、寝ることとなった。
窓際に芹、その次に慈眼、私は壁近く。
芹のいびきが聞こえる。
落ち着かない、慈眼は寝ているのか目をつぶっている。
そっと身を起こして気になっていた――慈眼が見つめていた壁を見てみる。
壁にはこう書いてあった。
『死なせた罪を償え』
『ばけもの』
『代わりにするな!』
そう書いてあった。
その壁の文字をそっと、なぞる。
これが慈眼が、目を逸らせないと思ったもの……。
私は、慈眼のいつも目を逸らす癖を思い出した。
そういえば人魚病の時に、月明かりが綺麗ですねと言ったら、目が動揺していた。
あれは、なんだったんだろうか。
私は、きっと慈眼の何か琴線に触れている。
聞きたい。
私をどう思っているのか、今までどう暮らしてきたのか。
なぜ、鬼になったのか。
よく目を凝らすと、薄くもう一文字書いてあった。
読み上げようと目を凝らす。
「えっと……」
その時だった。
何かが動く気配がする。
「おい」
慈眼の声が、後ろから聞こえた。
その声は怒りとも、悲しみともとれる震える声だった。
振り向くと私の頬を、風が通り抜けた。
慈眼の拳が、壁にめり込む。
ミシッと音を立てて文字が砕け散った。
「病が好きなのはわかるが、もう寝ろ」
そう言って、私の手をやさしく握り引く。
私は、壁の欠片を見る。
砕けた文字の欠片。
そこには、一部だけまだ残っていた。
『……殺した』
私は、耐えきれなくなって聞く
「死なせた罪、代わりって何を後悔しているの?」
慈眼が、息を吸い込む音が聞こえた。
こちらを振り向く。
振り向いた青い瞳は、泣き出す前みたいに揺れていた。
「……何も、後悔していねぇ」
かすれて、絞り出すような声だった。
嘘は、言っていない気がした。
でも、声の震えから見て何かを押し殺していると私は感じた。
「嘘。
あの壁の文字は、自分の後悔のはず、私は救えなかったって書いてあった」
どうしても教えてほしいから食い下がって聞いた。
慈眼は、私の方へ向かいあい私の片手を軽く握る。
私の手が慈眼のおでこに当たった。
その感触に、驚きと戸惑いが交じる。
「俺は、嘘はつかない」
手が、わずかに震えていた。
どういう感情か、私には推測できなかった。
なぜ私の手を神聖なものに誓いをたてるかのようにするのかわからなかった。
慈眼は、私を見ず頷いていたから。
「嘘だよ。
慈眼はたまに私に隠す。
知りたいの! ねぇ教えて」
そう言う私の首が、熱を帯びた気がした。
×印の所が熱い。
この印に振り回されているのか、それとも私自身の行動なのかわからなくなる。
私の手をおでこから外し、ややあって慈眼が、私を青い瞳でとらえる。
「蘇芳・・・おまえは、蘇芳だ」
明らかに違う人を見ている目で私を見る。
心臓に鋭利な刀で何度も切り裂かれたような、心地になる。
目から涙が溢れだした。
私は、慈眼を好きになっていたのだ。
そして、自覚したときはもう遅い。
聞いてはいけないことを聞いてしまったから。
自分の胸の内にある薔薇が、枯れた。
胸が苦しくて喉がつっかえる。
私は無理に笑った。
「何言っているんですか、名前くらい知ってますよね」
ここで何かを言えば、慈眼が私から離れるかもしれない。
慈眼は、青い瞳を揺らして何も言わず布団に入った。
私も、布団へ入る。
胸がざわつく。
私は貴方を手放したくない。
絶対に。
他の誰かを救えなくなったとしても。
慈眼が、別の女の名前を呼ぶのも嫌だ。
慈眼が、誰かのために悲しむのも嫌だ。
私だけを見てほしい。
私だけを。
たとえこの欲で、病にかかり妖になったとしても。
それでも――
私は、貴方の傍にいる。
あざねがつけた×印が、また熱い。
墨の匂いが濃くなった気がした。
その瞬間だった。
目の前の壁がざわりと、動いた。
墨の文字がゆっくりと、形を変える。
そこに書かれていく言葉を見て、息が止まった。
『奪え』
『隠せ』
『独り占めにしろ』
『誰にも渡さない』
『それは恋ではない』
『ただの欲だ』
胸の中の薔薇の棘が、心臓をえぐるように突き刺さる。
私は目を逸らした。
しかし、文字は逃がしてくれない。
『お前も病だ』
私は、その日。
自分の首を落とされる夢を何度も、何度も見た。
いつも目を閉じる瞬間、慈眼の顔が見える。
そんな夢。




