第198話 天
【ミツナ通り】
ガーッ!
車輪が石畳を転がる音が、耳に突き刺さる。
「こんな時間になりましたか」
人形は、今度はキノコの腕に抱えられていた。
キノコは車輪のついた板の上に器用に乗り、板を動かし、通りすがる人に愛想を振りまく。片手で人形を抱えたまま。
彼を見かけた通りすがりの民達は皆驚き、女性達は黄色い声をあげる。随分と人気だな、このキノコ。
「陽射しが心地いいですよね、でも風が強い。明日はよくない天気かもしれないな」
先程から、何やらボソボソと口に出している。
暇なのか、この人形に向かって話しかけているようだ。無駄なことをする、これではただの独り言。
この人形が、本当に物言わぬ物であったのなら。感謝するんだな。
それにしても、よく喋るキノコだ。
「あの話、僕もディスマンタから聞いたことがあるんです」
……ん?
いきなり何の話だ。声が遠くて、言葉がよく聞こえない。
ディスマンタって、一体誰のことだ。長く生きていても、聴き覚えの無い名前。
「その王様は、亡くなってお化けになった! 体をなくして、心も冷えて寒くて寒くて」
──王だと?
突如耳に飛び込んだ言葉に、人形は思わず反応した。動いてしまいそうになる。
王とはまさに、血の王。オロロのことではないか。あのおぞましい存在。
「そして、王様はとても寂しかった。誰もそばにいなかった。あまりにも寂しかった王様は」
何故かここで、一呼吸置く。
「天国の神様に頼った。気が遠くなるほどの時間が経っても、高い高い天にある谷でひたすら祈った」
淡々と語る口調が、どこか恐ろしい。
車輪の音で、掻き消されてしまいそうな程の声。
「そして神はついに、王様の言葉を聞いた。願いを叶えた王様は、お化けの姿のままではあるが、人の世に行くことが出来た」
その顔色は、ピクリとも変わらず。
人の世に行くことが出来た。
──まさか、これはオロロの復活した時の話か? だが、何故このような話が。
「でも、人の世を訪れても、民は誰も王様には気付かない。やはり、寂しいまま」
血の王に民が気付いたら、大騒ぎだろう。
血の王は、まことにこの世に甦ったのか。話が気になり、人形は聞き入ってしまう。
「ひとりぼっちの王様は、それでも探し続けた。王様のことを気付いてくれる人を。誰かのそばに、また誰かのそばにずっと寄り添って」
……なるほど。
誰かのそばに寄り添う。つまり、人に取り憑き、また誰かに取り憑き、人の世で魂となっても生き続けたということか。
誰にも悟られることなく。
そして最近になり、ついにその存在を示した。我、この人の世にあり、と。
──なんたる生への執念。
もしかして、下僕がラナマンの倅から聞いたという話は、このことなのだろうか。
ずっと人と共にいたとは、恐ろしき話だ。そこまでして生きたかったか、この世に居座りたかったか、オロロよ。
「そして、ついに気が付いた」
何に、何に気が付いた。
人形に鳴らす喉は無いが、密やかに次の言葉を待つ。
「敵国の民も、自分の国の民の者達も、自分がいかほどの者達をひとりぼっちにしてしまったのかを」
……は?
敵国の民、自分の国の民?
待て、話が違うぞ。何の話だ?
人形は困惑のあまり、キノコの方に体を向く。
「自分の行いを悔いた王様は、天の国に帰り、かつて祈りを捧げた谷に剣を刺した」
待て待て、話が見えないぞ。
その時、杖をついた気の良さそうな男がキノコに近寄って来た。
まだ若いのに、杖をつく男。
「こんにちは」
「ヨースラ、どうした? 誰もいないのにブツブツ言って」
「好きな映画の、台詞を思い返してたんです。知りませんか、『シュラーンの国の伝説』って」
「あぁ、最近公開された」
「伝説の秘密が明かされる、ドキドキのシーンです! 台詞、もう覚えちゃったんですよ」
「へえー! 流石は役者だな」
──人形は、思わず天を仰いだ。
首を動かせるわけではないけれども。
紛らわしいだろうが!!!