【第22話】桃九郎の過去2〜回想編〜
桃九郎は、生きる意味を失っていた。
「世のために生きろ」――命尽きる間際、桃七郎が残した言葉は、心の奥深くに突き刺さったままだ。
だが、それは重すぎた。あまりにも重く、具体性のない言葉だった。
どうやって“世のため”に生きればいいのか。
何をすれば、それが果たされるのか。
誰も教えてはくれなかった。
桃の集いは壊滅した。
桃から生まれた者たちはもういない。
桃九郎は、生き残ってしまったただ一人の存在となった。
_________
桃暦145年
そして、三十年の月日が過ぎた。
桃九郎は四十歳になっていた。
その間、桃から生まれたことを隠し、影のようにひっそりと暮らしていた。
(……俺がいなくても、世界は平和だったじゃないか)
そう自分に言い聞かせることで、彼は己の無力さと向き合わずに済んでいた。
桃の力は封じた。剣も握らなかった。
“桃九郎”という名前すら捨て、世間から隠れて生きてきた。
それでも時折、彼の中で問いが渦巻いた。
桃の集いは、本当に必要なものだったのか?
初代が築き上げた誓いと使命は、ただの幻想だったのか?
何も変わらぬ世界が、その答えを拒み続けているように思えた。
――だが、その年。
静かな日常が音を立てて崩れた。
王政が突如、国中に向けて布告を出した。
「鬼の復活は時間の問題である」――そう高らかに宣言されたのだ。
王政は続けて
「その脅威に備えるため、防衛体制を強化せねばならない。よって国民の皆には、防衛費として相応の負担をお願いする」
つまりは、増税だった。
“鬼復活の日”に備えるという名目で、民から莫大な税を徴収しようとしていたのだ。
それは国民の肩にのしかかり、民は疲弊していった。
桃九郎は、悩み抜いた。
(鬼の復活だと!?本当に……俺がやらなきゃいけないのか?)
その問いに対する答えが出せず、日々をやり過ごした。
頭では理解していた。桃七郎の言葉の意味も、力を持つ者の責任も。
だが、心がついてこなかった。
あの夜の恐怖、失った仲間たちの顔、自分が手をかけた桃八郎の断末魔――
すべてが心に棘のように残っていた。
自分が再び“桃九郎”として立てば、また誰かが死ぬのではないか。
それが怖かった。
だから何もできずに、ただ時間だけが過ぎていった。
――そんなある日、彼の前に運命が訪れる。
ある男が、桃九郎の家を訪ねてきた。
「すみません。桃九郎さんですよね」
「……なぜ、その名を」
桃九郎は目を細めた。三十年、誰にも名乗ってこなかったはずの名前。
それを口にしたこの若者は、漆黒の髪に鋭い眼光を持ち、どこか深い闇を背負っているように見えた。
「あなたを、ずっと探していました」
青年の名はジロウ。元は王族に仕えていたという。
語られる真実は、桃九郎の思考を凍りつかせた。
「私は最近まで王族に仕えていました。しかし……ある恐ろしい真実を知ってしまったのです」
ジロウは真剣な眼差しで続けた。
「今、世間を騒がせている“鬼の復活”――あれはすべて、王族が仕組んだ偽りです」
「……嘘だと?」
「はい。今の王政は、腐りきっています。
鬼の復活を偽装し、民から金や食料を搾取している。
重税はそのための方便に過ぎません」
桃九郎は言葉を失った。
「なぜ……なぜそんなことをする?」
「分かりません。ただ……今の王族は、何かに取り憑かれたように異常なのです。
そして……その背後にいるのが、“ホレス”という男です」
「ホレス……?」
「はい。――彼は、“桃から生まれた者”なのです」
「……なに……?」
その瞬間、桃九郎の背筋に冷たいものが走った。
「桃の力が……闇に堕ちている」
ジロウの言葉が鋭く響いた。
「桃の集いが消え、正義を導く声を失った今。
ホレスはその力を、自らの欲望のままに使い始めたのです。
このままでは、世界は破滅へと突き進む。桃の力を止められるのは……あなたしかいないんです!」
ジロウの言葉が胸を抉った。
「やめろ……そんな大それたことを俺に押しつけるな……俺には、何もできないんだ……!」
震える声は、桃九郎の本心だった。
目の前の若者の“期待”は、過去の“責任”そのものだった。
逃げ続けた三十年の、すべてを突きつけてくるようだった。
「……無理だ。もう、俺には……」
「いえ、あなたしかいないんです」
世界を混沌へ導こうとしているのが、“桃の者”だという現実。
初代が築き上げた誓いを、正反対の意思で利用しようとする存在がいる――
それを聞いたとき、桃九郎の中で何かが崩れ、同時に目覚めた。
桃七郎の声が脳裏で響く。
「この力は、世のために、民のために使え」
「それが、桃から生まれし者の“使命”だ」
心の奥にずっと残っていた“自分を責める声”と“どうせ俺なんか”という諦め。
だがそのどちらも、ジロウの言葉が切り裂いていく。
「……世界を救ってください」
ジロウが頭を下げる。
その姿に、かつての自分が重なった。
幼き日、桃七郎に導かれ、あの屋敷に足を踏み入れた日。
誰にも言えない孤独と、それでも守りたかった“正義”の想い――。
「……俺のせいだ」
桃九郎は呟いた。
「俺が動かなかったから、桃の力が“悪”に使われた……」
「七様……俺は、何も出来ませんでした……!」
膝をつき、拳を握り、嗚咽がこぼれる。
だが、それは過去の自分を断ち切るための涙だった。
そして桃九郎は、静かに顔を上げた。
その目に、かつて失ったはずの――確かな意志が、再び灯っていた。
揺れることのない覚悟。
桃から生まれた者としての、宿命を背負う決意。
しばしの沈黙の後、桃九郎は静かに口を開いた。
「……ジロウ。仲間は?」
その言葉に、ジロウは一瞬驚いたように目を見開く。
だがすぐに頷き、真剣な眼差しで答えた。
「……まだいません。これから募ります」
「この国のどこかには、想いを同じくする者たちが、必ずいるはずです」
桃九郎はゆっくりと立ち上がった。
その姿には、かつての迷いも、弱さも、もうなかった。
「ならば――始めよう」
「民のために、世界のために。そして……俺自身の贖罪のために」
力強い言葉とともに、桃九郎は拳を握りしめる。
「ここに、反乱軍――“レジスタンス”を結成する!」
かつて桃から生まれし少年が、己の過去と向き合い、今ふたたび歩き出す。