【第17話】サブロウ
ザザァァァ……
波が打ち寄せる音だけが響く静寂の海岸。
一隻の船が鬼ヶ島の浜辺にたどり着くと、船上の男が憎しみを込めた声で叫んだ。
「ここで野垂れ死ぬんだな、悪魔め!!」
言葉と同時に、彼は力任せにモーモー太郎の体を海岸へと放り投げた。
ズサァァ……
無残に転がる、傷だらけの体。
すでに意識を失い、動くことすらできないモーモー太郎。
深い傷と血に塗れ、まるで息絶えたかのような姿だった。
「さぁ、帰るぞ。」
男が舵を取ると、船はゆっくりと港町へと帰っていった。
置き去りにされたのは、死に瀕した牛の戦士――モーモー太郎。
鬼ヶ島は、かつて鬼が長らく住み着いたことで、その生態系が狂ってしまっていた。
本来ならば緑の豊かな島だったはずが、今ではほとんどの草木は枯れ果て、生き物の気配すら薄い。
空気は重く、湿気と腐臭が入り混じり、どこまでも陰鬱な景色が広がっていた。
この地に放たれた者に、生きる希望などなかった。
_____
「うっ……な、なんだ……ここは……?」
モーモー太郎は、かすれた声を漏らした。
長い昏睡から、ゆっくりと意識を取り戻していく。
目の前がぼやけて、まともに見えない。
だが、少しずつ視界が晴れていくと、彼は自分がどこかの洞窟の中にいることに気づいた。
「洞窟……? 確か、僕はホレスに……」
記憶が曖昧なまま、ゆっくりと体を起こそうとしたその時――
「あなたはホレスとネクターに敗れ、ここ鬼ヶ島に流されたのです。」
不意に響いた冷静な声に、モーモー太郎は驚き、振り返る。
そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
青年は歳の頃、十七か十八。
整った顔立ちに、漆黒の髪。
鋭い眼光を持ち、どこか陰のある雰囲気を漂わせていた。
「誰だっ!?」
モーモー太郎は警戒しながら、疲れた体を必死に動かそうとした。
だが、鋭い痛みが体を襲い、思わず呻く。
「あまり無理をしないでください。怪我人なのですから。」
青年は落ち着いた口調で言った。
その視線は冷静で、敵意は感じられない。
「申し遅れました……私はサブロウと申します。あなたを助けるために、この島へ来ました。そして、あなたの傷の手当ても私が施しました。」
モーモー太郎は、ふと自分の体を見下ろす。
確かに、傷口には布が巻かれ、応急処置が施されていた。
「何が目的だ……?」
「敵ではありません。 安心してください。」
サブロウは淡々と答える。
「まぁ、疑われるのも無理はありませんね。あなたは、ひどい裏切られ方をしたばかりですから……」
その言葉に、モーモー太郎の顔が歪む。
「……目的は、あなたに仲間になっていただきたいのです。」
「仲間……? 何者なんだ、君は?」
「私たちは、そのホレスたち王族に不信感を抱き、立ち上がった者たち――レジスタンス(反乱軍)です。」
サブロウの言葉は、まるで深い霧を切り裂くかのように響いた。
「レジスタンス……!?反王政軍… ホレスたちの敵ということか……?」
モーモー太郎は驚きと共に、警戒の色を強める。
「はい。そこで私はあなたを勧誘しに来ました。モーモー太郎さん。単刀直入に言います。私達と共に戦って下さい。」
サブロウは静かにモーモー太郎の目を見据えた。その眼差しは鋭く、迷いのないものだった。
「この国にもそんな者たちがいたのか……。でも、もう僕には戦う理由が……」
モーモー太郎は、伏し目がちに呟いた。
あまりにも大きな敗北。
そして、あまりにも深い絶望。
すべてを失い、彼の心には戦う気力すら残っていなかった。
「ずいぶんと弱気ですね。噂には勇敢な戦士と聞きましたが……」
サブロウはため息混じりに言いながら、モーモー太郎の傷の包帯を軽く触れる。
「ところで、モーモー太郎さん。この国の現状をご存知ですか?」
「い、いや……。僕はずっと山奥に住んでいたから……」
モーモー太郎は苦しげに答えた。
鬼退治を決意し、故郷を離れるまで、彼はこの国の実情を深く知る機会がなかった。
「そうでしたか。では少し聞いてください。
……今、この国は王政によって課された破格の重税により、民が苦しんでいます。」
「税……!?」
モーモー太郎は驚き、思わず声を上げた。
「そうです。最低限の生活すらままならないほどの、異常な重税が課せられています。」
サブロウの表情が曇る。
「そ、そんなことが……。でも、港町の雰囲気はそんな風には見えなかったけど……?」
モーモー太郎の脳裏には、港町の光景がよぎる。
確かに活気があり、人々は普通に生活しているように見えた。
「それが、この国の最大の異変なんです。
この国の民は、なぜか不満を口にしない。苦しんでいるのに、誰も声を上げない。
まるで、“心”が支配されているかのように。」
サブロウは静かに言った。
「実際に、この国では不自然なことが多すぎる。
王族が民を搾取するだけなら、反乱が起きてもおかしくはない。それなのに、誰も異議を唱えない。」
モーモー太郎は沈黙する。
思い返せば――港町の住民たちの様子も、どこか違和感があった。
笑顔を見せる者もいたが、それはまるで作り物のようだった。
無理やり“そうさせられている”かのように。
「でも……なんのために?」
モーモー太郎は疑問を投げかける。
「ホレスたちは、ただ私腹を肥やすために税を取り立てているのか?」
サブロウは首を振る。
「いや……。王政がなぜそこまで税にこだわるのかは、私たちにも分かっていません。」
その言葉に、モーモー太郎はますます混乱した。
それは何なのか――?
「そんなに巻き上げて、一体何をしようというんだ………?」
「その答えを知るために、私たちレジスタンスは戦っています。それに、今回の件でホレスの計画の一部が垣間見えた気がしました。不本意かもしれませんが、モーモー太郎さん、あなたのおかげです。」
その言葉に、モーモー太郎は苦笑するしかなかった。
結局、自分はホレスの計画の駒として踊らされただけだったのではないか。
「……」
彼の肩が落ちる。
「まぁ、そう悲観的にならないでください。戦いはここからです。」
「戦いって言ったって……僕はもう、ホレスと戦う理由がない。」
その言葉を聞いたサブロウは、じっとモーモー太郎の目を見つめた。
やがて、穏やかだがどこか鋭さを帯びた声で言った。
「本当に、そうでしょうか?」
「……?」
「あなたは、鬼と必死に戦いました。それはなぜですか?」
「……民を救うため、だ。」
「そう。あなたは、皆の幸せを願って戦った。」
モーモー太郎は何も言えなかった。
「今は、ホレスがいます。」
サブロウの言葉は、静かに胸の奥に刺さる。
「やつは、この先の世界を必ず破滅へと導くでしょう。あなたも見たはずです。ホレスは卑劣で、自分の目的のためなら手段を選びません。もし放っておけば、あなたの大切な人たちと同じような被害者が増え続けることになります。」
モーモー太郎は、歯を食いしばった。
頭ではわかっている。だが、心がまだ答えを出せない。
「……そこまで、調べているんだな。」
「申し訳ありません。」
サブロウは軽く頭を下げた。
「ですが、私たちにはあなたの力が必要です。」
「……」
「それに……。」
「それに?」
モーモー太郎は、彼の言葉を待った。
サブロウは、ゆっくりとモーモー太郎を見つめ、言った。
「私たちと共にすれば、あなたの“正体”の手がかりを掴めるかもしれません。」
その言葉に、モーモー太郎の心が大きく揺れ動く。
「僕の……正体?」
「はい。あなたは、本当にただの牛なのでしょうか?」
その問いかけに、モーモー太郎は思わず息を呑んだ。
彼の中で、答えの出ない疑問が蘇る。
なぜ、自分は牛でありながら人の言葉を話せるのか?
なぜ、自分だけが異様な力を持っているのか?
「私たちは、そのお手伝いもできるかもしれません。」
モーモー太郎は、迷っていた。
だが、このままでは何も変わらない。
前に進むしかない――。
「……」
彼は、深く息を吸い込むと、サブロウを真っ直ぐに見た。
「……話を聞かせてくれ。」
サブロウは、微かに微笑んだ。
「では――あなたが仲間になってくださるのでしたら、手始めに“この世界の真実”を少しだけお教えしましょう。」
モーモー太郎は息を飲む。
「“この世界の真実”……!?」
「はい。」
「………と、その前に、ひとまずこの島を脱出します
よ。」
「え…?この島を?」
モーモー太郎は驚いて目を見開いた。
まだ鬼ヶ島に流されてから、十分に状況を整理できていない。
しかしサブロウの言葉には、どこか急を要する響きがあった。
「焦らせて申し訳ありません。実は、あなたが仲間になってくれると信じて、もう船は用意してあります。」
「ふっ……用意周到だな。」
モーモー太郎は苦笑する。
サブロウの態度からは、最初から自分を迎え入れるつもりだったことが伝わってきた。
だが、それが決して嫌な気持ちではないのが不思議だった。
「ええ。あなたを信じていましたからね。さぁ、怪我はまだ痛むと思いますが、急いで船に向かいましょう。早くしないと、この島は危険です。」
「危険?」
モーモー太郎は眉をひそめる。
「鬼のいなくなった鬼ヶ島だぞ?何が危険だっていうんだ?」
サブロウは一瞬だけ表情を険しくし、そして静かに答えた。
「ホレスは必ずこの島へ来ます。あなたを捉えに。」
その言葉に、モーモー太郎の背筋が凍った。
ホレスはもう、自分を必要としていないのではないのか?
あんな屈辱を与えて、捨てたのではないのか?
「……僕を?」
「はい。確証はありませんが…」
モーモー太郎は、自分の存在がホレスにとって何の意味を持つのかが分からなかった。
だが、サブロウの次の言葉が、その疑問に答える。
「あなたは“特別”だからです。ホレスが、それを見逃すはずがありません。」
「……特別?」
「その答えを探すのです。私たちと共に。」
サブロウの瞳は、決意に満ちていた。
「さぁ、続きは私たちのアジトに向かいながら話しましょう。船へ向かいますよ。」
_____
モーモー太郎は、自分の足元を見た。
そこにあるのは、傷だらけの身体と、疲れ果てた心。
だが――まだ、終わったわけじゃない。
「レジスタンス……共に戦う仲間……信じていいのか」
疑心はあった。
それでも彼は、ゆっくりと前に踏み出した。
自分自身の過去と、そして未来に向き合うための一歩。
――これが、レジスタンスの戦士サブロウと、
モーモー太郎の出会いであり、新たな戦いの始まりだった。




