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亡霊と少年

海岸まで片道約二千五百メートル、俺が小春さんと一緒にいれるタイムリミットは刻一刻と迫ってるのにどう言うわけか、今に限って彼女はなにも語らず、俺も何も語れないでいる。

肝心なときにいつも言葉は出ない。頭のなかじゃ言いたいことや言わないといけない事が次から次へと沸き上がって来るのに、言えることが限られてるから何も言えない。そんな事してると言えることが余計減ると言うのに。


少しだけ潮の臭いがしてきた、海岸はもうすぐそこまで来ている。なにか言わなければ、そう思えば思うほど何も言えなくなる。全く不便な生き物だ。


「夏輝」

「なっ何ですか?」

「私は貴方にあえて、私はちょっとだけ報われた。ありがとう」

「…………」


俺の人生がもっとアプローチ上手だったら今頃きっと、大号泣してるのだろう。涙で前が見えず顔もくしゃくしゃ、そんな風になっていたのかもしれない。しかし俺は人生と言うゲームにどうも弱いらしく、感動とかよりも安心が前に来てしまっていた。

彼女の長い長い死後生活、結局目的のものは見つからなかったけどそれでも、彼女は報われたと言ってくれた。だから感動ないし感涙なんてまるでないけど、彼女に付き合わされた時間は有意義だと思えた。


「海岸見えてきましたよ」

「昔の方が綺麗だったわ」

「でしょうね」

「私もあと十歳若かったら……見た目の話よ?」

「言われなくてもわかってますよ」


背中越しに小春さんの声が何度も聞こえてくる。うるさい蝉の声や横切る車のエンジン音を無視して、その瞬間で何よりも早く聞こえてくるこの声も聞き納めか。


「十歳って言うと、私は十九歳ね」

「そんなに歳上だったんですか」

「何せ亡霊だもんね」

「見た目の話じゃなかったのかよ」

「夏輝はすぐに拗ねる、子どもみたい」

「小春さんに比べりゃ子どもも良いとこでしょ」

「減らず口」

「小春さんほどでは」


小春さんのおかげでそんな軽口を叩きあえた。そうしてると、海岸に打ち付ける並みの音が聞こえてくる。この海は泳ぐ用には整備されてないから、夏というシーズン真っ只中でも人気はなく、寄せては返す並みの音がはっきり聞こえた。

適当な場所に自転車を止め砂浜に続く階段を降りていく。


「でも、私が生きてて十九歳なら夏輝なんて見向きもしないけどね」

「俺も小春さんなんて眼中にないですよ、そうなったら」

「それに夏輝は恋人って感じじゃないもの。どちらかと言うと、弟かな。それも親が私に付きっきりで放置されてるタイプ」

「ひねくれ者って言いたいならそう言いましょうよ」

「そう言う所がひねくれものなのよ」


ふと下の砂浜を見るとやはり彼女の足跡はひとつもなかった、しかし確かに砂浜を歩いてる。

自然にも人間にも、その存在は認めてもらえない生活がどんなのか、俺のレベルではまだ分かったとは言えない。だからって見えないものの方が大切で重要だとも言わない。少なくとも俺からすれば、見え隠れす悪意も害意も気遣いよりも、触れて感じれる小春さんのような存在の方が遥かに真実に近いのだ。

真実なら仕方ないな。


「私が居なくなっても夏輝のこれからは続くわよ、だから聞かせてもらえるかしら?」

「変わりませんよ。朝起きたら飯つくって、昼になったら家事。日課の勉強が済んだら、晩飯の買い出しとかその他もろもろ。何も変わりはしませんよ」

「つまんないの」

「でも確実に暇な時間は増えますね」


俺が波打ち際に座ると、小春さんは寄せて返す海水に新しく波を作ることなくその感触を楽しんでいた。それこそ水溜まりではしゃぐ子どもみたいだ。

それでも俺との会話は続き、何も変わらないと告げると小春さんは激しく動かしていた体を止め、まだ少し高い太陽を背にこんなことを言った。


「なら私と来る?」

「…………」

「っていっても、私もすぐに消えてしまうのだけど。この世に残る未練なんて何もないでしょ、だったら来世でまた一緒に過ごせるようにしない?」

「……来世ですか」


そんな都市伝説的でまるで信じられないことも、小春さんが言うと説得力が増す、てか多分来世的なもの実際にあるのだろう。でもきっと現世での記憶は何一つ引き継がれない、じゃないと世界中超人だらけで歴史の勉強も必要なくなる。

記憶がないのに出会って惹かれあう。そんなドラマチックな事は、経験則から言うと無きにしもあらず。現に俺は小春さんと言う存在と巡りあっている。しかし現実は現実だ。


「俺は来世とかもう要らないです。現世だけでもこんなんなのに次があるとかきついですよ」

「言うと思った」

「でももしまた来世で会うことがあればよろしくしてやってください」

「少しでもひねくれものが治ってる事を祈るわ」

「俺のひねくれを嘗めないでください」


これが第六感って奴なのだろう、何となくその時がもうそこまで来てるのが分かった。最後にもう一度だけ艶のあるあの長い髪を触らせてもらえば良かったな。綺麗な柄の着物をもう一度よく見ておけば良かった。ほどよく冷たくてすべすべとした手を握っておけば良かった。

溢れ出す名残惜しい感覚をきっと忘れない。見るものを虜にするその美貌も、聞くものの脳裏に焼き付く美声も、俺は死んでも忘れないだろう。来世とやらになるとさすがに忘れてるだろうけど。


「じゃあまたね夏輝」

「……はい」


■□■□■□■


日常とは何か些細なことが変わったくらいじゃ大して姿を変えない、むしろ日の常と書く位なのだからそんな簡単に変わってもらっても困る。とにかく茹だるような暑い季節が終わり、指先が割れそうな寒い冬がやって来た。それでも日常は変わらない。静電気と石焼き芋が増えたくらいだ。


大きな世界の日常は季節が変わろうと大きな括りで姿を変えない。だが俺程度のちっぽけな人間には季節の移ろいは大事件だ。やることが多くて仕方ない。季節が変わったくらいで日常が少し慌ただしくなるのだ、あの人が居なくなったら、口では強がったけどそれでも大きく日常は変わるのだろうと思っていた。

でもそんな事はなかった。変わった事と言えば、エアコンが自由に使えるようになったのと食費が一人分減ったことくらいなものだ。あとは縁側が少し汚くなった、というよりか華がなくなった。


「こんなに殺風景だったのか」


そろそろスーパーに行って食料品でも調達するか。寒い玄関で履き古したスニーカーを履き、少しだけ雪の降り積もるいつも道を歩く。陽気な鼻唄でも歌えば散歩気分だ。

これからもきっとこんな風に日常は続くだろう、少しずつだが姿を変えながらそれに気づかない日常は続くだろう。そんな風に思えた今日この頃だ。

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