亡霊の寿命
台風がひっきりなしに列島を襲うこの頃。先日にはかなりの被害を出した大型台風が猛威を奮い、いつもよりも被害範囲が広がってるらしい。そして我が家はどうなのかと言うと、縁側にしばらく出れなかった小春さんが機嫌を崩していた。
これはこれで台風の目なのだが俺には晴れた今のうちに洗濯物を干すと言う使命がある、今は相手にしてられない。
先日までのどんよりとした曇天は嘘だったかのように空は青く晴々と雲一つなく、しかし地面は台風が来たことを確りと覚えている。
物干し竿にいつもの調子で洗濯物を干していく。これだけ日が出てるのなら昼頃には回収できそうだ。
「夏輝」
「何ですか?」
「私は自分でも機嫌が悪い自覚があるの。だから何か面白いことしなさい」
「何の無茶ぶりだよ」
「いいからはーやーくー!」
面倒くせぇ。
「面倒くさそうな顔」
「えっ」
「どうせ私はろくに家事もしないタダ飯ぐらいの面倒な女ですよーだ」
それだけ言うと小春さんは拗ねてそっぽ向いてしまう。
ちょっと待て、何だ俺が悪いみたいなその態度。あんたが家事しないのは事実だしタダ飯食らってんのも本当の事だろ。それに今さらとやかく言うつもり無いし。
俺としては毎日せっせと炊事洗濯掃除、家のあらゆる事をこなしてる俺を少しでいいから労って欲しいわけですよ。そんな少し縁側でお茶飲めなかったからって拗ねられても……なぁ。
こうなってしまった小春さんに何言っても無駄なので、と言うか何か言おうモノなら十倍にして返されるので、とりあえずはそっちは放置して、もう一人の居候である千秋さんの寝室の掃除を開始した。
洗濯物とおぼしきものを回収し、枕元に置いてある小説を出版社、作者順に本棚にしまっていく。既に万年床になりかけている布団をたたみ、畳に掃除機をかけていく。一時間もすれば、某リフォーム番組のBGMが流れるほど見違えるようになった。
「はぁ、もう少し物の場所決めたらいいのに」
少しの疲労感を引き摺りながら居間に戻ると、縁側から鳥が数匹飛び立った。そして若干見えてた小春さんの微笑みは暖かいものから冷たいものへと……。
「なんか、すみません」
「別に良いわよ、気にしてないから。それよりお茶淹れてきてくれる?」
「冷たいの?」
「そうよ!」
やっぱり気にしてんじゃん。
気迫に気圧されながら麦茶を湯飲みにグラスに注ぐ。それを小春さんの隣に置いて戻ってきたとき、少し見とれてしまった。風鈴が微かに吹く風を感じ、何処までも澄み渡った夏の青空に浮かぶ眩しすぎる太陽が小春さんのいる縁側を照り付けるその風景に、本の少しだけ見とれてしまった。
「そんなに熱い視線くれて、何か用?」
「何でそんなに機嫌悪いんですか?」
「夏輝は人と関わってこなかったから知らないでしょうけど、機嫌の悪い人にどうして機嫌が悪いかなんて聞いたらなおのこと悪くなるのよ」
「別に小春さんのご機嫌とりなんてしてませんし構いません」
背筋にヒンヤリと冷たいものを感じながら小春さんと睨み合う。視線を逸らせるなら今すぐにでも逸らしたいがそれはならない。いま視線を逸らしたら殺られるみたいな、よく分からない危機感に襲われてるからだ。
彼女の冷たい目と目を会わせること恐らく数秒、危機に瀕したとき本能的に入るゾーン的な何かのおかげで時間の感覚は既に薄れている。
「千秋が来てから夏輝と話せる時間が減ったからよ」
「……はえっ?」
「千秋が学校に言ったと思ったら誰かが貴方を訪ねてきたり、それもないと思ったら夏輝はずっと家事ばっかり。退屈なの!」
そんな事で機嫌崩してたのか……何か急に相手するの馬鹿らしくなってきたぞ。
「私はもしかしたら貴方より先に消えるかもしれないの、だから、私が見えるならもっと言葉を交わしたいだけ」
「えっ、亡霊って寿命あるんですか?」
「そうよ。強い念も年を重ねる事に薄れて行くもの、いまの私は明日明後日消えても可笑しくないの。だから一秒も無駄にしたくない、その気持ち分かって貰えるかしら?」
「…………」
てっきり俺は、小春さんはずっとこの家の縁側にいるものだと思ってた。俺が死んだ後もきっと誰かがまた彼女を見つけて、今までみたいの生活をしてるものだと、何の根拠もないのに信じこんでいた。
でもそれはどうやら違ったみたいで、彼女の様子からするともうあまり長くないのかもしれない。
小春さんが消える? また俺を残して誰かが消えるのか。
「嫌……だ」
「夏輝?」
「いや、何でもありません。とにかく小春さんはもう老い先長く無いんですね」
「えぇ、そう言うことよ」
「ならもう、関わらないでください」
「…………嫌よ」
どいつもこいつも踏みいるだけ踏みいって勝手にいなくなる。残された奴の気持ちなんてまるで考えないで、自分の都合だけで消える。そりゃ両親みたいな場合もあるかもだけど、それでも独りは寂しい。
小春さんのせいだ。長い間圧し殺してた気持ちが今になって溢れだしたのは、間違いなく小春さんのせいだ。だから他人は嫌いなんだよ。
「他人の事は嫌いでもいいわ。でも私や千秋を嫌いになるのは可笑しいじゃない。私の最後の未練は貴方よ」
「……俺なんて忘れてもう消えて――」
「お断りよ」
「…………」
「今まで色々我が儘言って悪かったわね、でもこれが最後よ。私を海につれていって」
自分はもうすぐ消える癖に、真っ直ぐで芯のある彼女の二つ瞳は俺をじっと見つめていた。先ほどまでの背筋に冷たいあの感覚はない、どちらかと言うと何だか少しだけ暖かいような気もする。
とにかく小春さんは今、現世にとどまる念が薄れてもう消える寸前だ。落ち着け、こういう時はまず落ち着くこと。
「だめ、かしら?」
「わかりました」
「じゃあこの町の海岸に私を連れていって」
そんなとこで良いのかとかは一切思わなかった。彼女が消える寸前どうしても行きたいって言うんだから、なんかしらの理由があるのだろう。
彼女は消える、思いでの他には何も残らない。ずっと探していた扇子は見つからず終いでも、亡霊の寿命に従って小春さんは輪廻の輪に還る。もう時間は殆んど無いなら急ごう。
気持ちの整理なんてまるでつかないのに体だけは何故か動いた。以前小春さんに、外に行けるか聞いたときの回答の意味もようやく分かった。
「しっかり憑いててくださいね」
「えぇ」
彼女が俺に取りつき、重くなった体で自転車を走らせた。




