廃工場侵入
『構造を見ろ。設計者が何を隠そうとしたかではなく、施工業者がどこをケチったかを見抜け』
リハビリ中、図面を広げたスペンサーが俺の頭を殴りつけたときの声が、脳内で再生される。工場の正面や搬入口は、警戒が最も厳重なチョークポイントになるが、突くべき脆弱性はそこではない。
フェンス沿いに身を低くし、工場の裏手へと回り込むと、予想通り未精米の穀物を運び入れるための投入口と、その脇にある錆びついた非常口を発見できた。経年劣化で建付けが歪み、指二本分の隙間が開いている。指をかけ自重をかけてゆっくりと引き上げると、キィ...と微かな金属音が擦れ合うが、屋根に叩きつける豪雨が完全に打ち消してくれるだろう。工場内部は、日中だというのに厚い雨雲のせいで漆黒に近い薄暗さに包まれている。フラッシュライトは、敵に自分の位置を教える自殺行為。まずは暗闇に目を慣らす。
『一歩進むのに三秒かけろ。焦りは音になる。足元を見ずに、空間の歪みを見ろ』
スペンサーの言葉が思い出される。床には錆びたボルトやプレハブの破片が散乱している。踵から静かに着地し、足裏全体で地面の感触を確かめながら重心を低く進み、壁のシルエットに自身の影を溶け込ませる。ゆっくり、ゆっくり、音を最小限にして進む。
ふと、人の気配に首筋の皮膚が粟立つ。 俺は瞬時にコンクリートの柱の影へと身を隠し、息を殺す。鉄骨のキャットウォークの上で銃身の金属光沢が動くのを見た。ライフルを構えた見張りの足音がカツーン、カッシーンと規則的にこちらに向かって響いてくる。
(見つかったか?)
柱の陰に身を隠し、靴音をカウントする。1,2,3,4… 戻るまでに約12か。スカルの連中にしては、ずいぶんと正解な所作だな。もしかしたら雇われの同業か。
音が遠ざかるタイミングを見計らい、低い姿勢のまま、柱から古い機械の影へと滑り込む。こちらに気がついている気配はない。ふぅ…と小さく息を吐く。
通路の分岐点、古びた工場内配置図が目に留まる。クアンにつけられているGPSの座標と照合するといるは電子制御室。 キャットウォークからは距離に離れているが、ルートは逃げ場のなく遮蔽物の少ない一本道か、上から回り込んで裏から。いや、上に登った時点で、さっきの歩哨に見つかる。
しかし、キャットウォーク以外に人の気配がない。この規模の工場にしては、敵の数が少ないのが気になる。チームがあれば索敵に時間を割きたいが、単独では難しい。最短ルートを素早く移動するしかない。
やがて目的地に続く扉。その前に、ダボついたパンツにバスケットのユニフォームを着た巨体の男が立ちはだかっている。スカル・ファングのリーダーだったバラムの護衛役達があんな格好をしていたな。首元の鈍い光を放つ太いシルバーのマイアミキューカンチェーンが、動くたびにジャラジャラと音を立てるのが不快だった記憶がある。
腰のホルスターに手が伸び、サプレッサー付きのハンドガンに触れる。だが、この閉ざされた屋内での発砲は、いかに消音されていようとも全体の警戒を即座に招くリスクが高すぎる。音を立てずに排除するには、どうすればいいのか。
『銃がないなら、そこにあるすべての物質を武器に変えろ。相手の身に付けている装飾品すら、首を絞める武器になる』
再び脳裏をかすめる、スペンサーの容赦ない言葉。足元にあった錆びた太いボルトを拾い、男の視界の端、通路の奥にあるドラム缶へ向けて放り投げる。カラン、と鋭い金属音が響く。
「あ? なんだ?」
男が首を傾げ、音のした方へ向けて数歩、足を踏み出す。扉の前から完全に引き剥がされる。 好機。潜んでいた死角から、壁伝いに一気に距離を詰める。
背後から跳躍し、男の首に巻かれた太い金属ネックレスへ両手を伸ばす。パームをチェーンの隙間に引っ掛け、全体重をかけて一気に後ろへ捻り上げる。チェーンが肉に食い込み、気管と頸動脈を同時に圧迫する。
男は声をあげる間もなく、激しく悶える。だが、不思議とこちらを殺しにくるような無秩序な暴れ方ではない。完璧にチョークが入ったことを理解し、抵抗を諦めるかのように、数歩で巨体が崩れ落ちる。
チェーンが本物で良かった。偽物だったらちぎれて弾き飛んでいただろう。男を床へ静かに寝かせ、扉の隙間から室内を覗き込む。
部屋の隅では、古びたポータブル発電機が低い駆動音を唸らせていた。そこから伸びた作業用クリップライトの白光が、黒い袋を頭から被せられたクアンらしき少年だけを鋭く照らし出している。
まるで舞台のスポットライトだ。
その光景を見た瞬間、血が一気に頭へ昇る。視線を横へ滑らせると、少年の傍らには目出し帽を被った男が一人立っていた。先程の男と同じ系統の装備服。手には銃器が握られている。
(片目を暗闇に慣らせ。ナイトアダプテーションだ。光が落ちた瞬間、動けるのはこっちになる)
突入前の数秒。俺は左目を強く閉じ、右目だけで室内の光景を捉える。呼吸を整え、ハンドガンを両手で保持し、照準線を発電機の燃料タンクへと固定する。
激しい雨音が建物を叩く。その瞬間を狙って、引き金を絞る。放たれた一発の弾丸が発電機を撃ち抜くと、ブゥン...と駆動音が途絶え、クリップライトが消え室内が暗くなる。
暗転の一瞬、男の気配が遮蔽物へと鋭く移動するのを感じる。即座に戦闘態勢を切り替えるプロのそれ。
俺は左目を開き、暗闇へ順応した視界が、残像の中に男の位置を鮮明に浮かび上がらせる。一気に間合いを詰め、男が銃口をこちらの予測位置へ向けるより早く、突き出された腕を上方へ弾く。そのまま手首を極めて銃器をもぎ取り、胸元へ鋭い掌打を叩き込む。姿勢を崩し、床へ倒れ込もうとする男の顎へ、奪った銃の銃床を正確に叩きつける。
グッ……という低い呻き声を漏らし、男は床へ崩れ落ちた。
「クアン!」
床にへたり込んでいる少年の元へ駆け寄り、頭部の黒い袋を一気に剥ぎ取った。
「……タツヤ」
掠れた声が、暗闇の中で震えた。
俺は即座にクアンの全身へと手を走らせる。頭部、首筋、四肢の関節。大きな外傷はない。四肢の拘束もない。生命に関わる異常がないことを確認し、俺はその小さな肩を強く抱き寄せた。
良かった。クアンは問題なさそうだ。少年の目元に涙の痕跡はない。暗闇の中で、じっとこちらを見据える瞳だけが微かに光を反射している。
(こんな状況でも泣かないのか……)
胸の奥に、静かな安堵が広がった。
ガサリ――。
背後の闇で、硬質な衣擦れの音が鳴る。意識を失ったはずの目出し帽の男が、音もなく上体を起こしていた。




