交わる道
今話より三章「劫火の内で騎士は咆える」に入ります。
——その光景を私は生涯、いや死んでも忘れない。
蹂躙される祖国を。
倒れていく部下たちを。
逃げまどう民たちを。
護り切れなかった主君を。
——目の前で失った、あの方を。
だから、あの日、私は誓ったのだ。
死してもなお惨めに今生に縋ってでも。
たとえ、この身が怨敵によって生かされているだけだとしても。
——祖国を、あの怪物の手から解き放つことを。
ギラール山脈。アルミッガ大陸北部と中央部を分断する大山脈にして、大陸で最も魔物が生息する地。標高の高い辺りでは常に暴風が吹き荒れ、雷雲が掛かっていない日は存在しない。生息する魔物も上位のものがゴロゴロしており、環境面でも魔物の数や種類においてもタナク砂漠に劣らぬ危険地帯である。
三国や帝国が山脈を越えての侵攻を行わないのは、それだけ危険な地だからである。故に山脈麓に住まう者はほとんど居らず、大国が魔物に対抗するために建造した砦も、そこを視認は出来ても離れた地に留まっている。特に、近年ある災厄が起きたことも影響して。
——だからこそ、遠目に見張られてはいても、それから姿を隠しながら山脈沿いを進むのには苦労しなくて済むのだけど。
「それにしても、寒くなったわね。この躰だから問題ないけど」
春先に召喚されてから半年以上経つ。もう冬に差し掛かっており、既に標高が高くなりつつある山脈の麓付近にも雪が積もりつつあった。上では万年雪に覆われる地もある為、それに比べれば随分マシとも言える。
『......キュウ』
反対に参っているのがイオ。夜の砂漠でも十分やられていたけど、ここら辺はさらに厳しいのか懐から出てこようとしない。......かわいそうだし、何か用意してあげたいところ。何か良い魔術具があったか、後で空間収納内を調べてみようかな。そろそろあの中身も一度整理しておきたいし。
『私は問題無いですね。先程手に入れた体も上手い具合に馴染みますし』
そう言うフューリの姿は白い毛を持つ二足歩行の犬人。スノーコボルトというコボルトの亜種で、下位の魔物に当たる。元々フューリが寒さに強い上に、魔物の体もそういう種類の為かすこぶる調子が良さそう。
——そして、もう一人も。
『私もだな。死霊のこの身では気温の影響は無いな。流石に雪や氷ともなれば動きに支障は出るが、まあ私の場合は慣れている』
そう口にするのはハルバードを背負った全身鎧——黒騎士。彼からすればある意味地元と言ってもいいため、慣れたものなのだろう。雪道でも問題なく進めているのは彼の先導があるからと言ってもいい。まあ、ワタシは浮遊していてイオはそもそも籠っている、フューリは雪に慣れた魔物の体とこういう環境でも全く問題ないけど。
——砂漠を越えたワタシ達は、再び大陸中央部に戻ってきていた。今いる場所は、グラム王国北東部の山脈沿い。いや、まさか三月も経たないうちにこっちにトンボ返りすることになるなんて想像もしていなかった。ガズの件にワタシが関わっていることはいずれ露見する。そうなったら今まで以上に教会はワタシを追うだろう。力をつけるまではそれの相手はしていられないから、時間を稼ぐためにも本来は西のニールヘル大陸に行くつもりだったし。
ところが今はグラムに逆戻り、どころか目的地は何とイザールとビレストの北の国境。よりにもよって教会と勇者という、ワタシの敵の両本拠地に近づく羽目になるとはね。
けど、ガズを脱出した日。あの夜にワタシは決めた。
——黒騎士に協力することを。
『ここから先は、より注意せねばな。いよいよイザール聖教国の国境に差し掛かる』
「さすが、土地勘があると楽ね」
フロトを脱出した後、地理を詳しく知らなくて苦労したから。いや、知識としてはある程度知ってはいたけど、実際に歩くのはまるで違う。だからこそ、彼の正確な案内はとても助かる。これなら思っていたよりも早く目的地に着けそうだし。
『......だが、その先は私だけではどうにもならん。頼りにしているぞ』
「ええ、最善を尽くさせてもらうわ」
先導する黒騎士は冷静に見えるが、よく見れば瘴気を抑えられていない。まあ、無理も無いか。今目指しているのは彼の故郷。とある魔物によって滅ぼされ、魔境と化した地。
その名は——。
大陸東部、ビレスト国北部。その地を進む、一つの集団があった。少なくとも百人はいるであろう、鎧を着た集団。旗を掲げてはいないものの、鎧や馬車に刻まれた紋章からそれがビレスト王国の軍であることを示していた。
馬に乗って進む集団だが、その中央には幾つか馬車が走っている。その多くが食糧などを運んでいる物なのだが、一つの馬車だけ人を乗せた物であった。
中にいるのは四人だけ。全員が外の者達より上質な武具を纏っている。特徴的なのは、彼らの年齢が外の騎士達より年若い事と誰もがこの世界では珍しい黒髪である事だろう。
そう、彼らは普通の騎士や兵士ではない。彼らは勇者——異界より召喚された、橘有栖と同郷の者達だ。
「まったく、いつになったら着くんだよ?」
「こら、文句言わないの。私達は馬車で楽してるんだから」
「「......」」
そう不平を漏らす男の一人に、横にいた女が苦言を呈す。それに対して男は何も返しはしなかったが、その目がありありと女に不満があると告げていた。それが分かっている女も文句があるかと睨み返し、二人の視線がバチバチとぶつかる。険悪な雰囲気に包まれる馬車内だが、残った二人は呆れた視線を向けるのみ。本来なら止めるべきなのだろうが、言い争う彼ら——宇野晃と来栖京香にとってこれは日常茶飯事、じゃれ合いの一種なのだと知っているから。
だがいつまでもそうしている訳にもいかないと残った二人の男女——城之内拓馬と三塚綾はそろそろ止めに入る。
「京香、そろそろやめておきなって」
「晃、お前もだ。いくら言ったって意味はないだろう?」
声を掛けられた二人はバツが悪そうにしながら、視線を逸らす。
「......仕方ないわね」
「分かったっての......」
止めに入った二人には謝りはするが、お互いには視線が合ってもふんっ、と逸らすのみ。その姿に思わず苦笑してしまうのを我慢しながら、拓馬が話を変える。
「さて目的地も近づいてきたし、もう一度任務を確認しておくか」
真面目な話に変わり、他の三人の表情も引き締まる。
「まず、今回の目的は先行偵察任務。この後の作戦を進める為に大事な任務になる」
彼らが向かうのは、ビレスト王国北部——そこから更に進んだギラール山脈麓。
「任務の鍵となるのは、綾。その護衛としての拓馬。サポート要員として私。そして......」
「俺が、切り札って訳だ!」
京香の話を遮って声を上げる晃だが、その途端に彼女に睨まれる。
「あんたはもしもの時の備え。最悪の場合に、諸共吹き飛ばすためよ」
「わ、分かってらぁ......」
流石に任務に関係する話の為か、今回は晃も強く言い返せない。
「今回の任務は、今までの小規模任務とは訳が違う。標的である魔物——アルミッガに巣食う、災害級の魔物を討つための第一手。目指すのは......」
「——まさか、彼らがもう災位を狙うとは」
そこは、一言で表すなら白。白い壁、白い天井、白い床。どこまでも白で彩られた礼拝堂。
——イザール聖教国、その首都にある大聖堂の一角。そこにおいて二人の人物が話をしていた。片方は教会の聖騎士団に勤める聖騎士——教会騎士の中でも上位に当たる騎士の一人。そしてもう一人は彼の上司でもある聖騎士団の幹部である男。
彼らにはビレストに召喚された異世界人、特に聖痕を保有する勇者を監視するという任務が与えられていた。そしてその過程で彼らはとある情報を手に入れた。——ビレスト王国が、ギラールに巣くう災位を討伐するために動き出したという情報を。
「討伐とは言っても、まだ偵察だろう。だが少なくとも、動き出したという事は召喚された者の中に攻略に必要な能力持ちがいたのだろう。——ギラールに進むための入り口、そこにある滅びた国を閉ざす、呪われた地を破る為の力を持つ者が」
それは、教会としても求めていた物でもある。環境ゆえに入るのが困難なギラール山脈。だが、唯一山に入るのに適した入り口とも呼べる地がある。57年前に災位の魔物の手で滅ぼされ、かの者の手で鎖されてしまった国があった地が。
「だからこそ、あの小隊を派遣したのですか?」
「ああ、いくら偵察が目的とは言えビレストが向かわせた戦力は百人程度の騎士と召喚者が数名のみ。いくら何でも、奴らはあの災害級を舐めすぎだ」
「......骸王、ですか」
——骸王。無数の骸を使役する、死霊の王。死の軍勢により蹂躙されたかの国は魔の手に堕ち、一夜にして滅んだとされている。それだけの力を有する相手に対し、たかだか百名程度の戦力しか向かわせないなど教会からしたら無謀としか思えない。彼らには切り札はあれど、それを失ったら全てが無意味となるのだから。
だから彼らは勝手に戦力を派遣した。最悪召喚者達に敵視される可能性もあるが、それよりも彼らの命を失わせない為に。
「......それにしても57年ですか、あの国が滅びてから。とは言っても、俺は元の国を知らないのですが」
「私もだ。だが、かつてはその名は広く知れ渡っていた。ギラール山脈の入り口にして、魔物が最も降りてくる地。その地に押し寄せる魔物の侵攻を防ぐために建国された、騎士の国。今は亡き、滅びた地......」
『『『——亡国、ヒダルフィウス』』』
——アリス、召喚者、聖典教会、......災害。
——亡国にて、彼らの道が交錯しようとしていた。
次回は12月25日12時投稿予定になります。




