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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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狂想曲は、業都に響く――前奏・弔花——

「っ、クソッたれがぁっ!?」


 今自分が置かれている状況にグロットは思わずそう叫びながら、必死に逃げ回っていた。


 ——屋敷の廊下を掛ける彼の後ろに迫るのは、無数の触手。濁った肌色に赤黒く脈打つ血管を浮き上がらせ、部分部分から骨らしきものが突き出している。触手が伸び縮みするたびに肉が裂けては血が噴き出し、砕ける音と共に更に骨が飛び出してくる。それが屋敷を破壊しながら迫りくる光景は、恐怖でしかなかった。

 懸命に逃げ回りながら、グロットはどうしてこうなったのか思い返していた。





 ——グロット、そしてフロズが転移で飛ばされた場所はフェニア商会の屋敷、その最上階にあるフロズの執務室だった。


「っ!?ちょっと、父さんにグロット!?一体どこから現れたのよっ!?」


 執務室に偶然居合わせたミュゼが驚きの声を上げているが、グロットはそれに答える余裕は一切なかった。先程何かを——あの正体不明な真紅の種を飲まされたフロズの様子が明らかにおかしかったから。


「——あ......、うがぁ......」


 フロズは普段の威厳ある姿と打って変わり、奇妙な声を上げながらその場に蹲っている。体も不規則に震え、不穏な気配を放っている。

 ——そしてその体から漂ってくる——先程あの種が放っていた香りが、グロットに恐怖を抱かせていた。


「父さん?どうしたのよ、いったい......」


「っ!?お嬢駄目だっ!離れろっ!」


 そして、その性で反応が遅れた。おかしい様子のフロズを心配してミュゼが近寄る。途端に増した香りと気配に慌てて警告の声を上げるが......、もう間に合わない。


 グロットにはその全てが見えていた。彼の叫び声に振り向くミュゼの背後。跳ね上がったフロズの体が起き上がり、その顔が捲れて骨がむき出しに——惨劇に見舞われたあの傘下の商会跡地で見た、あの人花と同じになっていることに。そして体が膨張し、触手に——肉の蔦へと変じるところを。


「お嬢っ!?」


 ミュゼを助けるために駆け寄ろうとするが、あまりの光景に反応が遅れてしまう。そのせいでグロットが動くよりも先に蔦の一本がミュゼの足に巻き付く。それでもまだあれを斬れば間に合う、そんな彼の考えを嘲笑うように事態は進行していく。


「きゃあぁっ!?何こ、れれれレレレレれレれレれ」


「......お、嬢?」


 巻き付いた蔦に悲鳴を上げたミュゼだったが、直後様子がおかしくなる。顔が無表情になり、奇妙な声を上げる。そして、漂ってくる臭いがさらに濃くなり。


「ぐべっ」


 一瞬全身が脈打った後に、彼女の父と同じような人花へと変貌した。


「......おい、嘘だろぉっ!?」


 グロットは一部始終を見ていながらも、目の前の光景が理解できなかった。あの肉の蔦はミュゼに触れただけ、それだけなのだ。だが、それだけで彼女はフロズの成れの果てと同じものへと変質してしまった。

 そして彼は理解してしまう。つまりあの人花は他者に触れただけで対象を変性させ、自らと同じものにしてしまう、そんなとんでも無い存在なのだと。

 そしてこの部屋にいるのがグロットだけである以上、次の標的は既に決まっている。


「クソがぁっ!?」


 瞬時に踵を返し、扉に駆け寄る。背筋に怖気が走り、直感に従って頭を下げれば、彼の頭上を蔦が通り過ぎ、そのまま扉を破壊した。その好機を逃さず、蔦に触らぬように部屋の外へと飛び出した。


「何だ今の音......、おい何だあれはっ!?」


「こんな時に一体何が、ってグロットさん!?」


 扉の破れる音を聞きつけ、外に騒動に対処するために屋敷で動いていた者達が駆けつけてくる。部屋から突き出てくる蔦や外に出ているはずのグロットの姿に、全員の足が止まる。

 まずい、と彼は直感した。このままでは、取り返しのつかないことになると。


「お前ら、とっとと逃げろぉっ!!」


 そう叫ぶが、蔦は既に次の狙いを定めていた。グロットの背後から幾つもの蔦が伸び、商会幹部や彼の部下たちに襲い掛かる。彼自身はそれを何とか避けるが、事態を理解しきれていない者達にそれは無理だった。


「あ、があぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」


「ぐごげげげげげげげっ!?!?」


 それに触れた者達がミュゼと同じように変貌していく。いや、取り込まれる人が増える度に蔦も膨張し、本体であろう人花部分も大きく咲き誇り始める。


「あ、あああ、来るな来るな来るなぁ!」 


 運よくそれを避けた者がそれをどうにかしようと火の魔術を放つ。魔術が当たった肉の蔦は一瞬の抵抗も無く燃え始めた。まさかの光景にグロットが目を見開く。まさか魔術にここまで耐性が無いとは思っても見なかったのだ。


「はっ、はははっ!なんだこんなの魔術でどうにでも......、は?」


 魔術を放った部下も、偶然放った魔術の効果に笑いがこみ上げる。が、その直後に起きた出来事に言葉を失ってしまった。

 燃え盛る肉の蔦だったが、その周囲から別の蔦が巻き付き、その炎を消火してしまったのだ。しかも燃えて体積を減らしていた蔦もすぐに再生し、あっという間に元に戻ってしまう。


「あ、あ、あああああああああ!?!?」


 目の前の光景が信じられず、男が叫び声を上げながら再び魔術を放つが、今度は蔦の表面を軽く炙っただけで炎はすぐに消えてしまった。その結果に男は呆然とその場に立ち尽くしてしまい、そんな彼に蔦は容赦なく襲い掛かり、人花と肉蔦へと変貌させる。

 先程までいた周囲にはアレだけ部下がいたというのに、僅かな時間で彼らは全て取り込まれた。屋敷の最上階は肉の蔦で覆われ、あっという間にグロットを取り囲んだ。


「っ、クソッたれがぁっ!?」


 彼に出来ることはそれらの猛攻を掻い潜りながら、必死で逃げる事だけだった。





 ——弔花の呪詛。アリスによって生み出された、徒花の呪詛の副産物より生み出されたもの。

 かつて徒花の呪詛が使われた場で彼女が回収した物——破裂せずに残っていた心臓(果実)全てを一つにまとめ上げ、そこへさらに呪詛を込めたことでそれは——真紅の種の形をした呪詛の格が誕生する。

 そうして出来た種を対象に埋め込むことでそれは発動し、依り代となった者を人花へと変貌させる。さらにそれは周囲の者にも襲い掛かり、触れた者を同じ存在に変貌させるとともに自らの一部として取り込む性質を持つ。


 徒花の呪詛との違いは、人花そのものの強度だろう。徒花では枯れた見た目で耐久性も低かったが、弔花の茎や葉は瑞々しく——肉々しく脈動し、動き回る。高い再生力を誇り、蔦そのものが切断されても数秒しないうちに元通りにまで再生してしまうほど。それに加え適応力も高く、一度受けた攻撃への耐性をすぐに獲得してしまうのだ。


 もちろんの事、欠点も多く存在する。まず、これを生み出す前提として、徒花の人花から心臓を摘んで種へと加工することが必須となる。それに、これは一度花開けば無差別に周囲に襲い掛かってしまう。今回はアリスが細かく調整しており、事前に秘密裏にマーキングしていたフェニア商会所属の者(無論違法奴隷以外)のみを標的として狙うようになっているが、もしそうでなければ甚大な被害を生むことは確実だろう。

 そして何より、弔花の呪詛で生まれた人花は強力な分その命も短い。最初の人花の場合、一度花開いたら、長く持ってもせいぜいが三十分ほど。無論の事、新しく人を取り込めばその限りでは無いが、花が大きくなるたびにその命の残り火はさらに減ることとなる。それに加えて耐性を獲得するのにも命を燃やす為、どうやっても長持ちはしない呪詛なのだ。



 ——裏を返せば、それは短時間であれば、人花は十全に猛威を振るい続けることが出来るという事でもある。そしてその猛攻が、今グロットに襲い掛かっていた。



「どうしろってんだ、あぁっ!?」


 逃げまどう彼がそう叫ぶのも当然だろう。触れるのは厳禁である以上、迂闊に近接戦をするわけにもいかないし、魔術に関してはすぐに対処されてしまう。彼は知りもしないが、最初に花が開いてからまだ数分しか経っていないため、まだ花が枯れることも無い。


 まさに絶体絶命の状況であったが、グロットは未だに諦めてはいなかった。まだ手はある。もうフェニア商会は終わりだとしても、彼自分が生き残ることは不可能ではない。必死で蔦を避け、手持ちのナイフを使い切りながら駆ける彼の視界にようやくそれが目に入った。屋敷の外へと繋がる扉の一つが。


「これで、俺の勝ちだぁっ!」


 勝利の雄たけびを上げながらグロットは全力で扉を蹴破り、逃走経路を見極めるべく周囲を素早く確認し、——目の前の光景に絶望する事となる。


 普段は綺麗に整えられ、大貴族のそれとも遜色ない完成度を誇る屋敷の庭。それが今は見る影もなく、肉の蔦によって一面覆われていた。下手すれば屋敷の中で蠢くそれよりも密集しているそれらに、彼の顔から血の気が引け、体が絶望感で震え始めた。


「まだ、まだどこかに......」


 それでもなお突破口を探し周囲を見回した彼の視界にとあるものが映る。あちこちから蔦が突き破り、原形を辛うじて留めているだけの屋敷、その最上階。そこに咲き誇る、真っ赤な百合のような人花が、花束のように纏まっているのを。その数は数十、下手すれば百はあるだろうか。

 それを見て思い知る。生き残ったのはもう彼一人で——ここから逃げる方法など、端から皆無であったことに。 


「はっ、ははっ、ハハハハハハハハッ......」


 その場に崩れ落ち、渇いた笑いを上げることしかできないグロット。肉の蔦はそんな彼にも容赦無く四方八方から襲い掛かる。彼は抗うこと無くそれに呑まれ、絡まった肉の蔦が塊となって中庭で蠢いた。





 ――少しして肉塊と化していた蔦が解けた時、その場には血塗れの人花が一輪、ただそれだけか鮮やかに咲いていた。





次回投稿は明日10月28日になります。

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