狂想曲は、業都に響く――前奏・剣山——
——気が付くと、ガングルは全く別の場所にいた。一瞬のうちに目に映る世界が変化したのだ。少し呆けてから、ようやく自身が転移したことを理解した。
「一体、どういうつもりでしょう......?」
あの二人が自身を含めた商会長達を逃がす理由が全く思い至らない。彼女達からしたら、二人の繋がりを知っている彼らは絶対に殺さないといけない存在でしかないからだ。
その理由が思い至らない一方で、これは彼にとって好機でもあった。ここで逃げ切ることが出来れば、エイルの目論見は瓦解する。そうすれば大逆転、さらに他の商会が没落すればガズの覇権は握ったも同然だ。ここまでの事態になった以上苦労することは間違いないが、その後で得られる利益は絶大だ。
そうとなれば、まずはこの場から逃げないといけない。そう考え、周囲の状況を確認しようとし。
——彼の両足に激痛が走った。
「あ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
突如走った痛みに絶叫し、彼はその場に崩れ落ちる。痛みに苦しみながら、足に視線を向ければ膝から下があり得ない方向に折れ曲がっていた。片方の足に至っては斬り飛ばされ、遠くにその残骸が転がっている。そしてそれを成したであろう血濡れの剣を手に持った男——闘技場の奴隷闘士の一人がガングルの傍に立っていた。
「あなた、は......」
その男の事は彼も知っていた。闘技場で戦わせていた奴隷の中でも実力者であり、その戦いぶりは彼も気に入っていたから。
男はガングルを睨みつけながら、歪な笑みを浮かべていた。
「よぉ、ガングル・イジ―。随分と良い姿になってるな、おい?」
「なにを......」
自分で人の足を斬り落としておきながらそう嘯く男に対し、怒りが込み上げる。ガングルは足の痛みも忘れて怒鳴り散らした。
「一体何のつもりですかっ!今までどれだけ目を掛けてきたと思ってあがっ!?」
そこまで叫んだところで、ガングルは男に顔を蹴飛ばされた。こめから血を流しつつ、何とか意識を保つガングルに対し、男は静かな口調で、ただしその内に秘める憎悪を隠すことなく話し始めた。
「目を掛けてやった、か......。よくもそんな事が言えたものだな」
「なんですって......?」
「当然だろうが。奴隷に落とされ、毎日のように無理やり戦わされ、貴様らの娯楽として消費されるだけの日々。お前達が俺達の命で金を稼ぎ、飯を食う一方で、俺達は命をすり減らし、仲間はどんどん死んでいく。その元凶に恩を感じると、本気で思っているのか?」
それは彼ら闘士達の魂の叫び。人を人とも扱わぬ者達への憎悪の念。それに同調するように周囲から何人もの奴隷闘士が集まってきた。皆一様に顔に憤怒を湛え、ガングルを憎々し気に睨みつけている。
自身を包囲する闘士達を前に逃げようとするガングルだが、既に足を潰されているため逃げることなど出来ない。それでも何か挽回する方法は無いかと彼は周囲を見回し、......そこでようやくとある異常に気が付いた。
「......待ちなさい。どういうことですか、これは。あなた達の実力は確かでしょうが、いくら何でも......」
彼が飛ばされてきた場所は闘技場の前にある広場。先程通信越しで聞いた報告では、そこは魔物と人が相争い、正に混沌と化しているとの話だった。
だが今はどうだ。魔物の死骸はいくらかあれど、暴れる魔物は何処にもいない。それに商会に属する者の姿も何処にも見えない。なのに闘士だけがこれだけいる。いくら何でもこれはおかしいとしか思えない。
それについて問い掛ければ、彼ら闘士は困惑の表情を浮かべる。予想外の反応にガングルも思わず首を傾げる。先程ガングルの足を斬り落とした男も同じ表情をしながら、彼の問いに答えるべく口を開いた。
「それ何だがな......、何故だか分からねぇがあの魔物達が狙ったのはお前の部下や冒険者たちだけで、俺達は見逃された。しかも魔物はお前の部下たちがいなくなった後はまた闘技場に引っ込んでいきやがった。こっちも何が起きてんのか訳が分からねぇのさ」
「......は?」
今の言葉が信じられず、呆然とするガングル。その脳裏にふと浮かび上がるのは、あの部屋で会った悪夢の微笑み。
「......まさか」
——今回のエイルの作戦。その第一段階は、アリスによる隷属の呪詛の解呪。歌に呪詛を乗せ、都市全域に届ける。呪歌詠唱によりその効果も高まり、余程の物でなければ問題なく解呪できる。
だが、それには幾つか懸念点が存在する。今回の場合、歌による呪詛解除は隷属の呪詛以外の縛りが付いていない。つまりは、違法奴隷だけでなく、中には凶悪な者もいる犯罪奴隷、それどころか捕らえられている魔物の呪詛さえ歌が聞こえる範囲なら解呪されてしまうのだ。流石にアリスとは言え、今の実力では個別に解呪を制御することまでは出来ない。
エイルはそのリスクを承知の上でアリスに依頼したが、彼女からしてもイジ―に囚われているフューリの心配もある。なので次善策として打った手、それが呪詛の上書きだ。事前に魔物の保管所に忍び込み、掛けられた隷属の呪詛を上書きする。そうしておけば今のアリスでも制御が可能なため、解呪の影響を受けることは無い。さらには魔物を使って敵だけを減らし、奴隷の解放と避難もスムーズに行う事が出来る、という訳だ。
——余談ではあるが、潜入の際にアリスが彼女を助け出すという策もあったが、それを行う事はできなかった。
ガングルにはそういった事情は知る由もない。それでも、これがあの悪夢の仕込みであるとしか思えなかった。魔物は解放されたのでなく主が変わっただけ、と考えれば説明がつく。
それと同時に、彼は気が付いてしまった。
——最初から、逃げ場など無く、アリスの掌の上で踊らされていただけなのだと。
「ま、だ......」
それでもまだ、彼は生き逃れようとする。だが今の彼では闘士達の包囲を破るどころか、一人でも殺すことすら不可能でしかない。
地を這って逃げようとするガングルの腕が剣で貫かれて地に縫い留められる。
「ぐっ、ガァ......。まだ、私、は......」
もはや息も絶え絶えになり、声も掠れて、それでもなお逃げようとするガングルの間近に、闘士達が剣を持って集う。
「——いいや、もう終わりさ。お前も、そしてこのガズもな」
——それが、ガングルの聞いた最後の言葉だった。
少し短めの話が数話続きますので、数日間連日投稿にします。
次回投稿は明日10月26日になります。




