第47話 迫り来る永遠の夜
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
月と、竹林。完璧な調和だ、と霧雨魔理沙は思った。
完璧なる調和が、眼下、見渡す限り広がっている。
絶望に近いものを魔理沙は感じた。
「この、どこかに……パチュリーが、いるってのか……?」
迷いの竹林の、上空である。
「……あの薬を作った奴に、頼るしかない……パチュリーの奴、そこまで死にかけてたのか……」
自分は全く気付いてやれなかった、などというのは思い上がりであろう。
「パチュリー様は、小悪魔に連れられて迷いの竹林に……大妖精が、そう言っていたわ」
魔理沙の後ろ。魔法の箒に腰掛けたまま、十六夜咲夜が言った。
「パチュリー様のために何かをする資格など、私たちには……ない、のかも知れない」
フランドール・スカーレットが、咲夜に抱かれて寝息を立てている。
2人を同乗させて魔理沙は箒を駆り、博麗神社からここまで来たところだ。
清かな月光の降り注ぐ迷いの竹林は、まるで時が止まっているかのようである。
朝が、永遠に来ない。月は未来永劫、竹林の上空に在り続ける。
そんな錯覚に、魔理沙は囚われていた。
少し離れた所ではレミリア・スカーレットが、偉そうに腕組みをしながら翼を広げ、夜空に佇んでいる。果てしなく広がる竹林を、じっと見下ろしている。
「私に、あの薬を飲ませてくれたのは……お前だったわね、魔理沙」
レミリアは言った。
「……死ぬかと思ったわ、まったく」
「文句なら、あれを作った奴に言ってやろうぜ」
魔理沙は苦笑した。あの壮絶な不味さと、麻酔なしで手術をされるような激痛は、忘れられるものではない。
「ま……本当に言わなきゃいけないのは、お礼なんだけどな」
「パチェがお世話になっているのなら、尚更ね」
レミリアも、微笑んだようだ。
「それにしても……やってくれるわね、小悪魔。あの子がいればパチェは大丈夫、という気はするけれど」
「……私もな、あの薬を作った連中なら大丈夫って思いたい。パチュリーも小悪魔も」
魔理沙は言った。
「だけどな、あの薬を作った連中だから今ひとつ不安なんだよ。パチュリーの奴、何かおかしな研究の実験台にされてるんじゃないかって」
「あの子が散々、他人にしてきた事だけど……ね」
レミリアが言った。
「もし本当に、そんな事が起こっているなら。私は、この竹林を灼き払うしかなくなってしまうわけだけど」
「……随分と物騒な事を言う奴がいるから、誰かと思えば」
声がした。
迷いの竹林の上空に、いつの間にかもう1人いた。
霊夢か。あれからすぐ神社に引き籠もってレミリアを見送ろうともしなかった博麗霊夢が、思い直し追いかけて来たのか。
魔理沙は一瞬そう思ったが、違った。
紅白の衣装に身を包んだ少女。長い髪に、リボンを巻いてもいる。
その髪は、しかし白髪のようにも見えてしまう銀色である。今は月光を受け、冷たく輝いている。
「……お前、レミリア・スカーレットじゃないか。見違えたぞ」
「この幻想郷という場所では……死者が蘇る、事もあるのかしら」
レミリアが、微かにながら驚愕を露わにしている。
「藤原妹紅……お前は、私の目の前で砕け散ったはず。あれは幻覚だったとでも」
「残念ながら現実さ。死ぬほど痛かった、けど死ねなかった」
藤原妹紅、と呼ばれた紅白の少女が微笑んだ。
本当に少女か、と魔理沙は思った。その笑みに一瞬、海千山千の老婆を思わせる陰惨な何かが滲み出たのだ。
「死んだ奴が蘇る事は、私の知る限りではない。だけどな、死ねない奴ってのはいるんだよ。私の知る限り……私を入れて3人ばかり、な。けど、お前らだって似たようなものだろう」
「……どうかしら、ね。試してみる?」
「やめておきたい。今のお前と戦うのは、とてつもなく難儀な事だ」
まじまじと、妹紅がレミリアを観察している。
「……本当に、見違えたな。あんなふうに頭抱えて震えていた奴が、一体何をどうしたら、こんな化け物に成長出来るのやら」
「私は、何も変わってはいないわ」
「ふん。お前が元から持っていたものが、出て来ただけか」
妹紅の視線が、咲夜の方を向いた。いや、咲夜に抱かれ眠っている少女にだ。
「そっちの化け物に、借りを返しておきたいところだが……おおっと待て待て、今それをやろうって気はない」
大量のナイフが、空中で静止したまま妹紅を取り囲んでいる。
「たまげたな。お前、時間を止められるのか……私もちょっと時間が止まってるようなものでね、死ねないんだ。けどナイフで刺されたら痛い、勘弁してくれないか」
「お前か」
魔理沙は言った。
「紅魔館へ派手に殴り込んで、レミリアと戦って、フランドールに殺されたっていう腕利きの妖怪退治人……お前の事か」
「自分でも腕利きのつもりだったんだがね」
笑いながら妹紅は、フランドールを睨んでいる。その眼光から令嬢を守るように、咲夜は無言でナイフを構えている。
フランドールが眠っていて良かった、と魔理沙は思った。
「レミリア・スカーレット……そうか。お前、向き合わなきゃいけないものと向き合ったんだな。良かったなあ……」
「私は、ただフランと仲直りをしただけ。そんな事より藤原妹紅、私ともフランとも戦う気がないのなら、そこをどきなさい」
レミリアの真紅の瞳が、仄かに燃え上がった。
「私も今は、お前と戦っている場合ではないの。竹林に住んでいる者たちに用があるのよ」
「やめておけ」
間髪入れず、妹紅が言った。
「あの連中のところへ乗り込むのは……今のお前でも、やめた方がいい」
「脅し? それとも私を、気遣ってくれているのかしら」
レミリアの眼光が、さらに燃え盛り始める。
「どちらにしても、不愉快ね……」
「待て、待てよ」
魔理沙は割って入った。
「藤原妹紅。お前、その連中の仲間なのか?」
「あいつら、この幻想郷に仲間なんていない。敵もいない……私が一方的に、目の敵にしているだけさ」
という言葉以上の何かを、この藤原妹紅が、竹林の奥に住まう者たちに抱いているのは間違いなさそうである。
だが魔理沙が今、確認するべき事は、それではない。
「私は……その連中が作ってくれた薬で、何回も助けられた。敵対するつもりはない、ただ確認したい事がある」
「死にかけの病人が1人、永遠亭に運び込まれた。そいつの事なら心配は無用さ」
永遠亭。
これほど不気味な固有名詞を、魔理沙は聞いた事がなかった。
「レミリア・スカーレット。お前のいる、あの紅魔館ってとこの住人らしいな? 心配して様子を見に来たってわけか」
「私を、パチェの所へ案内しなさい」
レミリアは命じた。
「その永遠亭とやらは、この竹林の地下にあるのかしら? いくら飛び回っても、建物らしきものが見当たらないわ」
「空から見つけようなんて横着者は絶対、辿り着けないようになっているのさ。永遠亭に行きたければ、地道に竹林の中を歩くしかない……おっと慌てるなよ、お前らじゃ無理だ」
竹林へと降下しようとするレミリアを、妹紅は止めた。
「どうして迷いの竹林なんて呼ばれているのか少しは考えろ。案内なしで歩き回れる所じゃない……そして私には、お前たちを案内してやるつもりが今はない。あの病人には、安静が必要なんだ。お前らが行ったって騒がしくしかならない」
「生きてるのか?」
まず確認せねばならない事を、魔理沙は訊いた。
「パチュリーの奴……生きてるんだな?」
「あいつらが受け入れたって事は、そうさ。いくらあの連中でも、死んだ奴を生き返らせる事なんて出来ないからな」
妹紅の眼差しが、魔理沙に向いた。
「心配するな。色々ある連中だけどな、受け入れた病人は必ず助ける連中でもある」
「言いきる事が、出来るのね」
レミリアの眼光は、燃え上がったままだ。
「……聖人君子の集まり、なのかしら? その永遠亭という場所にいるのは」
「ふん……見ようによっては、そうかもな」
妹紅が、またしても荒みきった老婆のような笑みを浮かべた。
「お前らさ……例えば道端で、怪我をしている仔犬か何かを見つけたら、どうする?」
「手当くらいは、してやるかな」
魔理沙は言い、そして気付いた。
「そいつらにとって……パチュリーを助けるのは、あれか。道端の小動物を拾って世話してやる程度の事なのか」
「あいつらにとってはな、幻想郷に住んでる連中は人妖問わず、小動物みたいなものなんだよ。可愛ければ助けてもらえる……お前らだって、その対象だ」
レミリアの燃える眼光を、妹紅は正面から受けた。
「何度でも言うぞ。あいつらが受け入れた病人は、必ず助かる。それまで大人しくしていろ」
「私は今……パチェを、半ば人質に取られているようなもの。なのかしらね」
レミリアは息をつき、燃え盛る目を閉じた。
「藤原妹紅……お前はあの時、私を助けるためにフランと戦ってくれた」
「お前を助けたわけじゃあないぞ」
「私から見れば、そういう事にしかならないのよ」
レミリアが目を開いた時、その真紅の瞳に、燃え盛る炎はなかった。静かな眼差しが、妹紅に向けられる。
「咲夜、それに魔理沙。ここは退きましょう。藤原妹紅の言葉は、信じられる」
「……パチュリーを頼む、としか言えないんだな。私は」
魔理沙の言葉に、妹紅は陰惨な微笑みを和らげた。そうすると、年頃の美少女の明るい笑顔に見える。
静かな眼差しのまま、レミリアが言った。
「1度は言っておきましょうか。もしもパチェの身に何かあったら……私は、この竹林を灼き払う。永遠亭という者たちを皆殺しにする。当然、お前も生かしてはおかないわよ藤原妹紅」
「……嬉しい事を、言ってくれるじゃないか」
否。やはりこれは老婆の笑みだ、と魔理沙は思った。
八雲紫のために、俺は何も出来なかった。
これが幻想郷の戦いなのだ、と思うしかなかった。人間が人間をやめた、くらいでは、あの弾幕使いという連中には勝てない。
「貴方も……よくやってくれたわね。御苦労様」
紫が、慰めの言葉をかけてくれた。
情けない事に、俺は嬉しかった。慰められて喜んでいるようでは駄目なのだ、と頭ではわかっているのだが。
博麗神社の、境内である。
こうして幻想郷側から見る博麗神社は、まあ普通の神社だ。
外の世界から見た博麗神社は、単なる荒れ放題の廃屋である。
そこで俺たちは、博麗霊夢に叩きのめされた。殺されるところだった。霧雨魔理沙が、逃げろと言ってくれた。
逃げなかったせいで俺は今、こんな様を晒している。
逃げなかったおかげで、しかし俺は八雲紫という女神と出会う事が出来た。
「貴方にも……それに藍、橙。貴女たちにも、無様なところを見せてしまったわね」
紫が言った。
真夜中の境内に、紫がいる。八雲藍と橙がいて、ついでに俺もいる。
巫女である博麗霊夢は、早々に神社の中へと引き籠もった。
霧雨魔理沙は、あの紅魔館の怪物どもと一緒に飛び去った。
狛犬は、篝火を全て始末してから狛犬像に戻った。
月明かりの下に放置されたまま、紫はなおも言う。
「無様な私に、何かを言う資格はない……けれど藍、本当は駄目なのよ。あんな事では」
「……罰を、お受けいたします。いかようにも」
「同じ事を何度も言わせないで。負けた私に、そんな資格があるわけないでしょう」
紫が苛立たしげに、悲しげに、息をついた。
「……藍、それに橙も。これだけは肝に銘じておきなさい。私はいつか必ず、貴女たちの命を使い捨てるわよ」
「紫様のお言葉とあらば」
藍が、続いて橙が言った。
「それまで、いっぱい思い出、作るね。紫様と、藍様と」
「……私情に走るのも程々になさい、と言っているのよ」
紫が泣きそうになっている、と俺は思った。
俺に、してやれる事など何もないのか。
「霊夢も……それに藍、貴女もそう。私情に走った時が一番強い、それでは駄目なのよ……」
「おいおい。幻想郷ってのはな、割とそんな奴ばっかりだぞ?」
紫の声でも、藍や橙の声でもなかった。
視覚を失った俺ではあるが、何者かがいるのはわかる。
「どいつもこいつも私情に走りまくって大暴れ、それでも案外どうにか収まっちまうのが幻想郷よ。おめえなんぞが気負ったところで変わりゃしねえ、もうちっと気楽にやれや」
「……いたのね、貴女」
「なかなか楽しいモン見せてもらった。さっきまで射命丸のバカも一緒にいたんだけどな、撮るだけ撮って行っちまったよ……なあ女狐ちゃん。おめえのたまんねぇーカラダ、ばっちり撮られて新聞に載るぜえ? ひっく」
酒の匂いが漂っている。極上の酒だ、と俺は思った。
「それとスキマ妖怪、てめえの見事な負けっぷりもなあ……ま、ぶちのめされるまで戦ったのは認めてやる。やりゃあ出来るんじゃねえかよ、何でそれをやらねえ」
「……あの時の事を、言っているのね」
「別に恨んでるワケじゃあねえ。あん時はな……ま、死んじまった連中が弱かったってだけの話よ」
何者かが、ぐびぐびと酒を呑んでいる。
「だからおめえは、とっとと戦争を終わらせるために……土下座まで、やらかした。そりゃそれで、まあ立派な事だと思うぜ」
「……次の異変は、きっと私が土下座をした程度では終わらない」
「あの連中が攻めて来る、か。そうなったら、私は私で勝手にやらせてもらう」
何者かが、俺の傍を通り過ぎた。
とぷとぷと、酒を浴びせられた。極上の酒が、俺の全身に染み込んで来る。
「……おめえも、頑張れよ」
その言葉は、どうやら俺にかけられたもののようである。
俺は一瞬で酔っ払い、何やら珍妙な返事をしてしまった。
そいつが、笑いながら去って行く。
その背中に、紫が声を投げた。
「私の指示に従いなさい、とまでは言えない。けれど次の異変、貴女の力がどうしても必要になるという事だけは……どうか、わかって欲しいわ。月を砕く鬼……」




