俺の人生は、もう終わった
「落ち着いたか?」
「……うん」
目を真っ赤にし、頬を若干赤らめながらアイは答える。
もはや目に悲しみの感情は宿っていない。
「とんだお涙頂戴だね」
俺とアイのやり取りをあざ笑うかのように、一人の男がこの地下までやってきた。
竜王義景、アイを苦しめていた張本人だ。
アイは俺の後ろに隠れ、怯えた目で竜王義景を見る。
「どうせアイは君を拒絶すると思ってその茶番を放置していたんだけど、アイが自分から外に出ることを決めたんなら、止めないわけにはいかないよ」
「茶番か」
「ああそうだよ。あんなものはただの茶番さ。どれだけ君がアイを好きで、どれだけアイが君を好きでも、その思いが成就されることはない。これを茶番と言わずして何を茶番と言うんだい?」
「どうにか見逃してもらえないかね」
「無理に決まっているだろう。どうやったかは知らないけど、記憶を取り戻した君にはある程度の仕置きが必要だ」
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえって言うぜ?」
雑談を続けながら、俺は周囲の様子を探る。
この場には竜王義景以外に人の姿を確認できない。どうせ逃げられないと高を括って、なんの用意もなしに来たのか? いや、それは考えにくい。
仮にも国のトップに立つ男がそんな軽率な行動をとるとは考えにくい。
おそらく逃げ道は塞がれているとみて、間違いない。
「なあ佐藤君、君がいくら頑張ろうと、アイをここから連れ出すなんて不可能だ。それに万が一に連れ出せたとしても、竜王機関は使える権力をフル活用して君を追い詰める。君が強いといっても所詮高校レベル、3日ともたないだろうね」
「男が好きな女のために頑張れなきゃ、生きてる価値なんかないだろ」
「意地を張るのはやめなさい。君も分かってるんだろう? 今の状況が君にとってどれだけ絶望的なものか」
「意地を張れなきゃ、男なんかやめるこった」
「……もう、何を言っても無駄みたいだね。総員、確保に当たれ。佐藤アキトの生死は問わない。アイも、死なない程度に傷つけても問題はない」
竜王義景が片手をあげて何か合図を送ると、数十人を超える竜王機関の兵士たちがここに勢ぞろいした。
壮観だな。国を支える根幹を担っている人間が、ここまで揃っているなんてな。
敵はついに俺の生死は問わないという判断を下した。殺すつもりで向かってくる兵士相手に俺が勝つ確率は、ゼロだ。
だがそれでも、俺は覚悟していた。こういう状況になるのは想定済み、無ければいいと期待していたが、そんなことがあるはずないと、俺は分かっていた。
いざこの状況になると、チェック……いや、チェックメイトだな。完全に詰んでいる。
この状況からアイを無事に連れ出すことなど、俺程度の力ではできるはずもない。
出来ないということが、やらない理由にはならないがな。
「来いよ。てめえらがどれだけ俺を殺そうとしても、アイは守る」
「……やれ」
静かに命令を下す竜王義景。それを機に、控えていた兵士が俺に向かって走り出す。
こいつらはアイを殺さないために、俺へ全方位攻撃することはない。
アイが俺の傍にいる限り、必然的に近距離攻撃のみとなる。
それが俺の唯一の勝機だ。たとえ敵が竜王機関でも、接近戦なら俺の能力に分がある。
それでも、勝てる確率はゼロのままだろうな。中には見村のように俺の天敵になりうる能力者がいるはずだ。というか、敵は俺の能力について完全に把握している。
一人二人どころか、この場にいる全員が俺の能力に相性の良い奴か、なにかしらの対処法を持っている奴なのは、分かり切っている。
「……アキト……」
アイが不安そうな面持ちで俺の手を握る。それを見て、俺は決心する。
たとえ命に代えても、この少女を守り切ると。
「かかってこ————————うっ!?」
迫りくる敵を迎え撃とうと力を込めた瞬間、俺の視界が暗転した。体の感覚すらも薄れ、半ば無遊状態のような気分に陥る。敵の能力により俺は攻撃された、そう思いこんだが、暗転した視界は一瞬で元に戻り、俺に明るさを取り戻させた。
その時の光景を見て、俺は唖然として口をパクパクと動かす。
「ここ……って……?」
見覚えのない、だがどこにでもありそうなホテルの1室、のように見える。
ベッドが2つにテレビが1つ、簡易冷蔵庫が近くにある普通の部屋だ。
間違っても竜王機関の地下ではない。
「少年、そこに座り給え」
聞き覚えのある声で、聞いたことのあるようなセリフが聞こえた。
声のした方を見ると、そこには白衣姿の理知的な女性、轟霊が佇んでいた。
状況を飲み込めない俺は、彼女を呆然と眺めているだけだ。
「色々と言いたいことはあるだろうが、まずは私の能力の欠点を教えよう。瞬間移動の対象になったものの触っているものは付随して移動できるが、触っているものの触っている物は移動できない」
そう言いながら、轟霊は俺ではなく、下に向かって指をさした。
指さした方向を見てみると、そこには一糸まとわぬ、裸のままのアイがいた。
「きゃっ!」
短い悲鳴をあげながら、アイは体を隠すようにうずくまった。
「……みない、で……」
うーん、マーベラス……じゃなくて、何か服は……
「これを着るといい」
轟霊が部屋のクローゼットの中から衣服を取り出した。ご丁寧に下着付きだ。
こうなることを予期して準備していたということか。だとすれば単純に感謝なのだが、
「ちょっと待て。何だこの服?」
アイに渡そうとした服は、いわゆるメイド服だ。
メイド姿のアイを見たいかどうかと言われれば満場一致で見たいなのだが、状況が状況だ。ふざけている場合ではない。
「むぅ、お気に召さないか。なら仕方ない。こちらのバニースーツに……」
「助けてくれたことには礼を言うが、アイをおもちゃにするのは許さねえぞ」
俺が睨みつけると轟霊がため息をつき、しょうがないと言いながら普通の子供服を取り出した。初めからそれを出せばいいものを。
アイは渡された服にせっせと着替えた。裸でいることが恥ずかしいんだろう。顔を真っ赤にしながら、若干涙目で着替えている。
着替え終えたアイは、再び俺の手を取り、ゆっくりと視線を移動させて轟霊を見る。
「轟さん、この状況に対して説明してもらいたいんだけど」
「ああ、分かっている。まあ立ち話もなんだ。そこにかけ給え」
轟霊の言う通り、俺はベッドに腰掛ける。
さっきまでの状況を考えると緊張感がないが、これぐらいがちょうどいい。
ここに敵はいない。落ち着けるときに落ち着き、今後の指標を定めることは必要だ。
というか、落ち着ける状況になれるかどうかが一番の問題だったわけだから、この状況は俺にとって最良ともいえる状況だ。
「では話すが、取り立てて不思議なことはない。私は君同様、医務室に足を運んだ志村拳人君に触れ、記憶書き換えの能力が解除されたことにより記憶を取り戻した。そこで君とコンタクトを取ろうと思ったのだが、私が記憶を取り戻した時、すでに君は会場を後にし、連絡を取る手段がなくなっていた。君、携帯の電源切っていただろう?」
言われて、俺は自分のポケットから携帯を取り出そうとするも、ポケットの中に携帯は入っていない。ああそうか、ズボンの中の物に俺は触れていなかったから、瞬間移動の能力でここに持ってくることは出来なかったのか。
「というか、番号教えましたっけ?」
「大会名簿で一発だ。君は携帯番号で登録していたからな」
ああそっか、考えてみると、俺って結構うかつな行動ばっかしていたな。
なんでもかんでも適当に何となく済ませようとするのは俺の悪い癖だな。
「まあ、そんなこんなで私は一応竜王機関に忍び込み、様子をうかがっていると君が来て、アイを連れ出そうとしているところを目撃したわけだ。私が記憶を失っている時にアイの名前を出したのは軽率だが、それが結果的に功を奏したということだな」
怪我の功名、俺のうかつな行動が絶体絶命のピンチを救った、というわけか。悪い癖だと思った直後に、結果論とはいえそれが最善とは言えないまでも、良い行動だったとは。
複雑極まりない。
「それで、これからどうするつもりなんだ?」
轟霊が神妙な面持ちで、腕を組んで聞いてきた。
どうするか、そんなこと聞かれるまでもない。
「どっか逃げるさ。外国でもどこへでも、アイが安全でいられる場所にな。そうだ、バイク持ってない? 移動手段はそれがあれば十分だ」
瞬間移動時、俺はバイクから手を離していた。結果、俺のバイクは敵の本拠地に置き去りにしてしまったというわけだ。ごめん、セイクウ号、お前の分まで頑張るから。
「それは無理だな」
俺の決意をあざ笑うかのように、轟霊は間髪いれずに否定した。
「確かに逃げ切れる可能性は限りなく0に近いけど……」
「いいや、完全に0だ。君の力ではあと半日もすれば捕らわれるだろうな」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ」
「分かるな。君は確かに強い。だがそれは高校レベルでの話だ。一国を相手にして逃げ切れるなど、君も本当は無理だと分かっているだろ?」
「ぐっ……!」
言い返したいが、言い返せない。俺の言っていることは何の根拠もない、ただの根性論だ。何の考えもない、まさに愚かな行動だ。
そう、本当は分かっていたさ。俺がアイを連れて逃げ切るなんて不可能なことに。
ただそれでも、俺はただ黙ってアイを見捨てるなんてマネは出来なかった。
たとえそれがどれだけ無謀で、無為に終わるものだとしても、アイのために行動したという結果が欲しかった、ただの自己満足だ。
今だって轟霊に助けられなければどうなっていたか、それが分からないほど俺も馬鹿ではない。
「だけど、ならどうしたらよかった? 何か作戦が思いつくまで黙ってろってのか? そんなあるかどうかも分からない細い希望を抱いて生きるぐらいなら、玉砕覚悟で行動したほうがマシだ。大体、あんただってアイを助けただろ。それとも何か勝算があったのか?」
「……いいや、なにもなかった。私がこの子を逃がしたのは突発的な感情からだ。この子が傷ついていることが許せなくなった。だから逃がした。君と同じでどうしようもない愚かな行動だった」
「それを、あんたは後悔しているか?」
「まさか。私が逃がしたからアイは感情を取り戻し、好きな男までできた。まあ、多少年は離れているが、アイが幸せなら私は満足だ」
「だったら俺のやってることがどれだけ愚かでもとやかく言われる筋合いはない。俺は俺で、気のすむままにやらせてもらう」
俺はアイを連れ、この場から出ようとした。もはや轟霊と話すことはない。
この人の言っていることは正論だが、正論がすべて正しいとは限らない。
正論とは人間の感情を度外視した論理、人間に感情というものがある以上、正論で納得させることなど不可能だ。
「方法がなくもない……と言ったら?」
「なに?」
轟霊の言葉で、俺は部屋から出ようとした体を止めた。
この状況を打破する方法、それは俺が最も知りたいことだ。
「方法は二通り、どっちを選んでも、どっちも選ばなくても君の自由さ」
「その方法ってのは、なんだ?」
「そう急かすな。すぐに教えてやる。まず一つは、単純に力押し。アイが本気を出せばいかに竜王機関といえども1日で壊滅する」
確かにアイが能力を用いて奮闘すれば、竜王機関などあっという間に滅ぼせるだろう。何といっても海を操れるのだ。
アイに勝てる人間は、おそらく過去、現在、未来においても存在しないだろうことは確信を持って言える。
だがダメだ。そんな作戦、俺にとって論外以外の何者でもない。
「俺の目が黒いうちは、アイに一滴たりとも血は流させない」
たとえそれが、ほんの指先を傷つけるだけの行為だとしても、俺はそれを許容しない。
アイが自らの意思で傷つけることを決心したのだとしても、それだけは俺は認めない。
「君ならそう言うと思っていたよ。目的のためにアイに能力を使わせるというのは、大なり小なり竜王機関と同じだからな。なら必然的にもう一つの方法しかないな」
正直、アイに能力を使ってもらう以外の方法があるとは思えない。敵は俺たちよりも、力においても数においても、全てにおいて勝っている。冷静に考えれば何も打つ手はない。
だが轟霊は、自信を持って竜王機関から逃れる方法と言うのを語りだす。
「簡単なことだ。アイのことを世間に公表する。傷だらけの肌を晒し、世間から同情の目を集め、世間を味方に付ける。その後、きちんとした施設に入れればいい。竜王機関が介入しようとすれば、私や君が傍にいれば強硬手段に出ざるをえなくなる。そうなれば竜王機関の信用が失われる可能性が高いので、アイはちゃんとした生活が出来る。どうだ?」
なるほど、中々に良い手だ。竜王機関の目的はあくまでも世界平和、この国の住人の不信感を募らせるような事態は避けたいはずだ。国民からの信用と、アイの能力、どちらに天秤が傾くかは確定しないが、やるだけの価値はある。
うまくいけばアイの平和な生活が約束される。
だけど、
「ダメ! 肌を晒すなんてお父さん認めませんよ!」
「君はアイの父親じゃないだろ」
轟霊は額に手を当て、呆れながら言った。
俺が反対すること、それも理由が予想外だったらしく、轟霊は頭を悩ませる。
しかしどれだけ考えても、アイが肌を晒すのは、なんかいやだ。
「というか、確かにいま打てる手の中じゃ結構有力だ。だけど穴はある」
「穴? どこだ?」
「俺と轟さんがアイの傍にいれば強硬手段しかできないから手が出さないってのは、理想論だ。無理やり強行して、施設の人間と周辺の人間の記憶を消せば、手間がかかるが信用を失わずにアイを取り戻される」
「た、確かに……」
「それに、公表するって言ってもどうやってだ? テレビでなんて竜王機関がやらせちゃくれないぞ」
「ああ、その点は心配ない。ネットの動画配信サイトを使えばな。信憑性は公共の電波よりも劣るかもしれないが、不特定多数の人間にアイの存在を認知させることが出来る」
轟霊はそう言って、スマホを取り出していくつかの動画サイトの閲覧をしている。
ニコニコ動画やユーチューブなどを使えば、有効な手であると言える。信憑性はさておき、世間の同情の目を集めると言うならばうってつけかもしれない。
そう思っていると、轟霊のスマホを動かす動きが急に止まり、目を見開いて驚いている。
「どうしたんだ?」
俺が聞くと、轟霊は手を震わせながら、スマホの画面を見せてきた。
画面に映った概要を、俺は確かめながら端的に口に出す。
「なになに、幼女誘拐事件。容疑者は佐藤アキト、いまだ逃走中。容疑者は誘拐した幼女に暴行を繰り返す異常犯罪者、見つけ次第通報を求める…………ハア!?」
画面に映る信じられない内容に、俺は何度も目を通して確認する。
だがどれだけ確認しても、認識した事実と変わりはない。
俺がアイを誘拐し、暴行をしたことで指名手配されている。
「これで世間に公表して同情を買うことが出来なくなった。なにせ君が傷をつけた張本人とされているのだからな」
「こ、こんなの信じる奴なんて……」
いまだ信じられない現実から必死で目を逸らそうとするも、次に画面に映った光景に、俺はすべてが現実であり、俺が犯罪者と扱われている事実を悟る。
『うちの子が……まさかこんなことをするなんて……! アキト! お願いだから自首して頂戴!』
涙ながらに俺に自首することを懇願する母親の姿が画面に映されていた。
その後ろでは、兄と弟が悲しみに満ちた表情で立っている。
「竜王機関は君を完全排除することを決めたらしい。私に関して何の報道もないのは、利用する価値がある、そう考えているからだろうな」
竜王機関は俺を殺すことを躊躇わない、そう考えることはすでに予想していた。
その結果、俺はこの国の敵と断定している事実でさえ、俺は理解していた。
しかしこの状況は、はっきり言って予想外だ。
まさか現実を歪曲させ、竜王機関のみならず、ひいてはこの国の人間すべてから汚らしい性犯罪者として扱われようとは、誰が予想できる。
「フ……フフ……アハハハ……!」
信じがたい事態に、もはや笑うしかない。
俺はこの国のすべてに、他人に知人に友人に親類に家族に、一生軽蔑されることだろう。
性犯罪者のレッテルを張られ、誰も俺のことをまともな人間と見ることはないだろう。
俺の人生は、もう終わった。




