何も失わせないでくれ
差し伸べた手を、アイはとってくれない。俺の存在を認識し、助けに来たことを理解しているはずだ。なのに、下を向く顔を上げてくれない。
それは俺を拒絶しているように見えた。
「どうしたアイ? 早くしないと誰かが……」
「……って」
想像以上に低い声が聞こえた。アイから微かに聞こえた言葉を、俺は聞き間違いだと信じたい。
そう思い、再びアイに手を差し伸べ、声をかける。
「早くここから出るんだ。じゃないとずっとここに……」
「かえって!」
聞き間違いではなかった。
初めて聞いたアイの叫び。そこには明確な俺への拒絶の意が含まれていることが分かった。何故かはわからない。だけどアイは、俺と逃げることを拒んでいる。
つらいはずなのに。苦しいはずなのに。
こんな暗い空間に一人ぼっちでいることに、耐えがたいほどの苦痛を感じているはずなのに。
それから、俺が何も言えない時間が1分、2分と続く。
幸いにもこの時間帯は誰もいないらしく、人ひとり姿を現すことはない。
だが、このままではいずれ見つかってしまう。ここは強引にでもアイを連れて行くしかない。そう思い、俺はアイの腕を握ろうとした。
「いやっ!」
俺の手を振り払い、アイはその場から動こうとしない。
その時、アイの顔がわずかに見えた。それが俺に、あることを確信させた。
「かえって! 私は……アキトがきらい!」
アイの言葉が痛い。
拒絶されていることがではない。アイが自分の心を押し殺して俺を拒絶しているんだと分かったから。アイは俺のために言いたくもない言葉を言っている。
自分の心を傷つけながら、それでも歯を食いしばり、拒絶しているのだ。
「アキト、なんか、だいっきらい! アキト、なんか……」
「……さすがに、傷つくな」
俺がそう言うと、アイはそれ以上言葉を吐きだすことはしなかった。
俺は卑怯だな。こういう言い方をすれば、アイが黙ることを分かっていた。
心優しいアイは、人への悪口を決して言いはしない。
だからこそ、直接アイに傷ついたと言えば、アイが口を閉ざすことは、分かっていた。
だけど、俺の言葉をアイに伝えるためには、一度こうするしかなかった。
たとえ卑怯な手であろうと、アイに俺の話を聞いてもらいたい。
「アイ、なにも言わなくていいから、聞いてくれ」
「……………」
アイは返事をしない。だけど俺は、構うことなく言いたいことを言う。
「俺はアイが好きだ。誰よりもアイのことを愛している。何があってもずっと一緒にいたいって思ってるんだ。だから俺はこうして来た」
「わたしは……わたしはきらい! アキトと、いっしょになんか、いたくない!」
「たとえアイが俺を嫌いでも、俺はアイが好きなんだ。どれだけ拒絶されても、俺はアイがここを動くまで動かない」
「かえってよ……! おねがい、だから……かえって……」
アイの声が、だんだんと小さくなる。懇願するように俺に帰ってと繰り返し、顔を上げることさえしない。
「悪いな、アイ」
俺は能力を使って、アイの頭を無理矢理あげた。アイも抵抗を見せ、かたくなに顔を見せようとはしなかったが、なんの能力も使わずに俺の力に抗うことなど不可能だ。
苦しい。
好きな人に、私利私欲のために能力で無理やり顔を上げさせる。
たとえアイのためを思っての行動だったとしても、心が苦しい。
だけど、アイは俺なんかよりも苦しんでいる。
どんな行動だろうと、俺はこの辛さを乗り越え、アイのために行動する。
「いや……アキト……おね……がい……!」
そんなお願い、聞けるわけがないだろう。
「つらかったよな」
上げられたアイの顔は、涙でぬれていた。悲しみに満ちた顔だ。
これは……俺のせいだな。
「やっ……わたっ……もう……」
アイは大粒の涙を流しながら、必死に声を押し出して俺に聞かせた。
「わたし、は……もう、なにも……うし、ないたく……ないっ……!」
……そうか。アイは、俺のために涙を流しながら、拒絶してくれてたんだな。
俺という存在を失わないために、必死に戦っていたんだな。
こんな幼い少女が、歯を食いしばって、耐えていたんだな。
だけどもう、耐えなくていいんだ。
これからは俺が、守るから。
「なあアイ」
アイが俺のために行動してくれていたんだ。その気持ちは素直にうれしい。
好きな人にここまで言ってもらえて、俺は今までにないほどの幸福を、感じている。
だけど、どんな理由があったのだとしても、俺はアイに泣いてほしくない。
アイが泣けば泣くほど、俺の心もまた傷つき、死にたくなる。
なにより俺も、アイと同じ気持ちなんだ。
「俺にもう、何も失わせないでくれよ」
「……っ!」
アイは流していた涙を押し止め、黙って俺を見つめた。
俺もそれに倣い見つめ返すと、アイは再び大量の涙を流しながら、抱き着いてきた。
「うわあああああ! ごめんなさい! アキト……きらいなんて、言って……ごめんなさい! 私も、アキトのこと……大好きだよ!」
「ああ、分かってるよ。俺もアイが好きだ」
「うああああああん!」
それから5分ほど、アイは俺に抱き着きながら泣きじゃくっていた。




