紀行記怪談『富嶽三十六景 甲州石班澤』
北斎の見た、富士と富士川の流れは、どこだったのだろう ……
( 葛飾北斎 富嶽三十六景 甲州石班澤 )
江戸時代の有名な浮世絵師、『葛飾北斎』。
師が描いた、富士を題材とした浮世絵、『富嶽三十六景』の版画絵。
その一景、『甲州 石班澤』。
一連の版画の連作、46景の中でも人気が高く、私が最も好きな一枚でもある。
白波が立ち荒れ狂う、日本三大急流の一つ富士川。その本流の太い流れに突き出す岩場の上に立ち、眼下の激流の川面に投網を打つ漁師の姿。
そして、その手前で獲った魚を入れた魚籠を流れに落とさぬよう、必死に守る幼子。
白波立つ川の激しい流れは、岩場の上という危うさに、父子ともに、互いの命を想うかの緊張感をも漂わせている。
そして茜色に染まる朝靄の向こうに、朝日に白く輝く富士の高嶺が覗く。
古く、駿河の国から甲斐の国、更には信濃の国へと続く物流の道、甲州往還。その富士川舟運の港町として栄えた、甲州鰍沢(石斑澤河岸)の宿場町。
北斎の版画は、ここから見た富士の情景を描いている。
なお、版画に記された「石班澤」は、「石斑澤」の誤記であるとも。
北斎がこの絵を描いた所は、「甲州鰍沢宿」。現在の南巨摩郡富士川町鰍沢地区を流れる富士川沿いであるが、実際の、この浮世絵の構図の元となった場所は定かではないようでもある。
ただ、その大体の場所は推測されてはいる。
甲府盆地を左右から挟み込むように、盆地の縁を北から南へと流れ下る、富士川水系の釜無川と笛吹川。
この大きな二つの支流が富士川本流として合流する場所のすぐ下流にあり、現在、「兎之瀬」と呼ばれている場所とされる。
この場所は両岸から山が迫り、川幅も狭く急流が渦巻く岩場だったことから、昔から富士川舟運の難所とされていた場所だった。
現在は両岸の岩場が掘削され、護岸も整備されており、平らかで穏やかな水の流れを見せている。
ただ、この場所からは、手前の山々に遮られ、富士の頂を望み見ることはできないのだが …。
葛飾北斎が、この『甲州 石班澤』の絵を描くための、そのインスピレーションを受けた場所はどこだったのだろう。
何時か、その場所を訪れてみたかった。
… づっと、これまで …。
だから … この地を訪れ富士川沿いを歩き、浮世絵に描かれた、実際に北斎が見たかもしれない構図を探ってみた。
◇◆◇◆◇…
一.《 大法師公園 》
大法師公園は富士川右岸の西側の高台にあって、兎之瀬からは少し上流に位置している。
桜の名所として名高く、丁度桜祭りが行われていた。
前日の大雨に、もう桜も散り際だったのだが、平日にも係わらず、多くの県外ナンバーの車が。
高台にある公園へと続く、一方通行路の坂道を上る。道の脇に、駐車料金を記載した看板が立っていた。
「普通自動車 700円。 !、高っ …」
公園から見える富士の姿を見たかっただけだったから …。
「バック、できるか? …」 だが、Uターン禁止の看板が。
そのまま上って公園入口へ。そこには顔に笑みを浮かべ、領収書を手にした係員のおじさんが。
「すみません …。通り過ぎても良いですか?」運転席の窓からおじさんに、そう声を掛ける。
「いやぁ。すみませんなんて …、良いよ。このまま真直ぐに下って。気を付けて、急な坂道だから」
頭を下げ、下りの一方通行路を進む。
急な下り道のカーブへと。
視界が開け、目の前には富士川の流れと、その向こうにはづっと続く緑の山並みが見える。道の脇の斜面には、霊園の沢山の墓碑が並んでいた。
その山並みの上から、白い雪を被った富士の頂が覗いている。
「綺麗だ …」
車から降り、写真を撮る私に気づいた花見帰りの県外ナンバーのアベックが、車を停めると、やはり富士山の写真を撮りだす。
「カシャっ!」暫し、シャッター音が響く。
公園を下った、富士川沿いを南北に走る国道52号線脇の土手沿いからも、白い富士の頂が山の上から僅かに覗いているのを見ることができた。
( 大法師公園からの富士山遠景 )
☆ 写真だけのイメージでは、富士川と富士山が一枚に収まるこの一枚が、浮世絵の画角に近いような …。 (遠景の拡大写真ではあるのだが ……)
二.《 兎之瀬 》
鰍沢の街並みを過ぎ、富士橋を通り過ぎると、やがて山が迫る左岸にコンクリートの護岸がされた富士川の本流の流れが見えてくる。
この富士川が緩くカーブしている辺りが、兎之瀬と呼ばれている場所だった。
舟運が行われていた頃は、兎之瀬渓谷とも言われる、両岸に岸肌が迫る激しい流れの難所だっととのこと。
当時の河川普請による掘削や、その後の河川整備で、今はゆったりと穏やかな流れを見せている。
車を右車線の待避所に停め、国道の大型トラックが盛んに行き交う激しい車の流れを避けながら、道路を渡り川岸に。
だが、川岸に大きく迫る山に遮られ、残念ながら富士山の姿は見ることはできなかった。
「うーん 、やっぱり そうか …。」
( 兎の瀬遠景 )
◇…◆…◇…
車に戻り、周囲を眺めてみる。
国道の先に、2軒屋と書かれたバス停があった。そしてその脇に、右手に迫る山へと上る道が。
道の先に続く山並みを見上げる。
「ここを登れば、富士山が見えるかも …」
その道へと車を乗り入れる。
その道は林道に近く、狭い上にカーブも多い、かなりの急こう配だった。
「おっ!」
道を上るにつれ、林道脇に生い茂る竹林や灌木の立ち木の向こうに見える山並みの向こうから、白い富士山の頂が少しづつ顔を覗かせてゆく。
そして見下ろす眼下の底には、やはり生い茂る灌木の木々に隠れながらも、富士川の兎之瀬辺りの川筋を望み見ることもできた。
やがて道は開け、山の中腹にあった集落が現れた。
集落を過ぎた辺りの木々の茂みが切れた場所からは、真下に兎之瀬の川の流れを見下ろす山の上から、白く残雪を纏った富士の姿が大きく立ち上がって見える。
( 集落近辺からの富士山遠景 )
( 林道から見下ろす兎之瀬の富士川の流れ )
集落を過ぎ、更に林道を上へと上る。
林道周辺には段々に耕された畑が。畑の石垣や、林道わきの林の開けた傾斜地には、沢山のタラノ木が生え鮮やかな新緑の芽を吹いている。
そして林道を取り巻く鬱蒼とした灌木の茂みが切れると、谷底の富士川の向こうの山並みの上に雄大な白い富士山の姿が聳え立って見えた。
( 林道の上からの富士山遠景 )
林道のその先は、通行止めとなっていた。私は車をバックさせると、元来た道を戻った。
三.《 富士川水系の支流 小柳川合流地点 》
兎之瀬から更に下流に下った、富士川水系の支流 小柳川との合流地点。
富士川沿いの国道からは、手前に迫る山並みに遮られ、富士の頂を見ることはできなかった。
( 小柳川合流地点 )
四.《 塩の華前 》
地元富士川町の歴史文化館 塩の華。
併設されている、『富士川 舟運歴史館 』。
無料の展示施設では、富士川舟運300年の繁栄の歴史を展示している。
塩の華の駐車場に車を停め、前を走る国道沿いの富士川河川敷へ。
しかし、ここからも富士の頂を見ることはできなかった。
… が、舟運歴史館の展示資料の一角に、それがあった。
『葛飾北斎 富嶽三十六景 甲州石班澤』の浮世絵。
その説明文にはこうあった。
【 … この兎之瀬周辺は両岸とも山が近いため、残念ながら富士山は見えません。少し下流の月見橋付近で見た富士山をイメージして、一枚の絵に描かれているとも言われているそうです 】 … と。
( 塩の華前遠景 )
五.《 塩の華から少し下った下流沿い 》
富士山の白い頂が、僅かに山の上に見えた。
( 僅かに覗く富士山頂 )
六.《 富士川水系の支流 大柳川合流地点 》
手前の山に遮られ、富士山は見えない。
( 大柳川合流地点 )
◇…◆…◇…
※ 番外 甲州鰍沢温泉 『かじかの湯』
国道52号線の大柳川合流地点の信号、「十谷入口」を右折して、約3km山道を登ったところににある天然温泉。
カジカガエルをモチーフにした、甲州随一とも称される泉質評価の高い日帰り温泉で、「食塩泉、芒硝泉、石膏泉がミックスされたようなユニークな温泉」とのことだった。
山深く、山々に遮られ富士山を望み見ることはできないものの、無色透明の温めの温泉はリラックスしてゆっくりと浸かることができた。
(かじかの湯)
七.《 月見橋周辺の遠景 》
更に、富士川沿いの国道52号線を南へと暫く南下する。
トンネルに入る手前の信号を左折すると、その橋は架かっていた。
塩の華の舟運歴史館で目にした、北斎が富士山の姿をイメージして、『甲州石班澤』として一枚の浮世絵として描いたという富士の姿を見た月見橋。
南巨摩郡身延町と旧 六郷町(現在は、西八代郡市川三郷町として合併)とを結ぶ、山梨県で最初に架設された永久トラスト橋とのこと。橋長は約157m。
富士川の流れと、橋の向こうの連なる山並みが切れた上から、大きな白い富士山の姿を眺め見ることができた。
月見橋からの富士の眺めは、「山梨県の新富嶽百景」の一景として選定されている。
橋から見下ろす川幅も広い富士川の流れは、かつて富士川に舟運が栄えた頃を忍ばせるという。そして、山梨県内を流れる県内での富士川べりでは、最後の裏富士の見納めの姿でもあるそう。
前日降った大雨で増水して、濁った水の流れる富士川はいつにも増して珍しく、水量の多いゆったりとした流れを見せていた。
舟運の盛んだったかつての時代も、この太い川の流れを大きな渡し船が行き交っていたのだろうか …
つい、そんな感傷にも思いが走る。そしてこの富士を、北斎も見たのだろうかと … …。
( 月見橋遠景 )
( 月見橋と富士山 )
◇◆◇◆◇…
葛飾北斎が描いた『富嶽三十六景 甲州石班澤』の原風景となった場所を求め、大法師公園から兎之瀬、そして山梨県内を南流する富士川沿いで、県内で最後に富士の姿を望み見ることのできる月見橋周辺まで、富士川に沿って南下する国道52号線を走ってみた。
結果として、富士川沿いに富士山の頂が僅かに見える場所はあるものの、富士川の太い本流の流れが渦巻く渓谷で、川沿いに富士山の姿を望み見ることのできる場所には出会えなかった。
しかし、かつては岩場の岸壁が川の両岸に迫っていた兎之瀬周辺でも、富士川西側の山道を登り上がれば、兎之瀬の渓谷を眼下に見下ろす、雄大な富士の姿を望み見る場所を探すことができた。
だが、浮世絵の視線は、絵の手前の網を打つ漁師から富士の高嶺へと、川岸から上へと見上げる視点で描かれている。山の上から、富士川を見下ろす様な視線ではなく。
今回、昔の石班澤河岸近辺から、富士川沿いで富士山が望み見える南限である月見橋までの間を車で走り、この絵に合致する場所を訪ねた限りでは、川岸で該当しそうな場所は確認できなかった。
まぁ、北斎の生きた江戸の時代と現在では、川の護岸も川を取り巻く道も、違って当然ではあるのだが。
恐らくは、やはり『富士川 舟運歴史館 』で見た展示の説明文の通り、北斎は実際に見た別々のイメージを組み合わせ、この浮世絵を描いたのかもしれない。
江戸の時代、実際にこの地を訪ねこの富士川の流れを目にした葛飾北斎が、思い描く浮世絵のイメージを探すため、富士山の姿を求めて深く急な山の中へと分け入って行っただろうか。
昔の、整備された林道も無い時代に。
絵師の探求心が、どれほどのものだったのかは、もはや計り様もないのだが …。 … もしかして ……。
だが、果たして、真実はどうだったのだろうか …。
(了)
お読み頂き、ありがとうございました。
富士川の流れと、富士山。
『甲州 石班澤』の浮世絵のイメージと重なり、素敵な場所でした。




