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魔女のラプンツェル  作者: 奏白いずも
魅惑の舞踏会
40/63

愚かな女

 あれは凶器も同じ――

 気に入らない奴の足は、遠慮なく踏んでやればいいのです。

 え? そんなことをして痛くはないのかと? ああ、やはり主様はお優しい方ですね。けれど情けは無用にございます。主様に手を出そうなどと、愚かな輩には然るべき報いを!

 

 在りし日の記憶が蘇る。

 ありったけの力を込め、ヒールで男の足に乗った。

「うぎいゃああああー!」

 絶叫が木霊し、悶絶したい一心だろう。直ぐにでも靴を脱いで、踏まれた状況を確認したいはずだ。けれど掴んだ手を離すまいと必死に涙目で堪えている。そんな事態では拘束する力も緩くなっていた。

 メルデリッタはナイフを持つ腕を掴むと、足を引っ掛け反動を利用し転ばせ――背負い投げた。

 ただただ痛みに支配されていた男は、驚愕の表情で背中から床に叩きつけられる。鈍い音が響き、こうして犯人の啖呵は最後まで続かなかった。

「失礼!」

 投げ終えたメルデリッタはドレスの裾を摘まみ、止めとばかりにナイフを持つ手を踏む。靴の隙間部分に腕がくるよう、あくまで苦痛は与えないように配慮している。拍子に手から離れたナイフは遠くへ蹴飛ばした。

 ここまでやれば、あとはルエナが何とかしてくれるだろう。期待を込めた眼差しを送れば、男二人が棒立ちになっていた。投げ飛ばされた犯人も唖然としていたし、誰もが事態の把握に思考を総動員させていた。

 メルデリッタがルエナの名を呼べば、ようやく我に返って犯人を拘束するために動いてくれる。

「君、何したの?」

「何と言われても、護身術でしょうか? 昔、教えてもらいましたので」

「へ、へえ……」

 不逞の輩に絡まれた場合から舞踏会編まで。かつて使い魔に講義されていた。

(そういえばグレイス様と邂逅して以来、一層講義に熱が入っていたわよね。おかげで今日は助かったけれど)

 人生何が役に立つかはわからないと、メルデリッタはしみじみ感慨に耽った。

「ルエナ相手には使えませんでしたが、この方は隙だらけでしから!」

 メルデリッタは誇らしそうに告げるが、使うつもりがあったのかとルエナは疑惑の眼差しを向けた。あえて口に出さなかったのは、まあ思い返せば使われてもおかしくない場面も多かった、かもしれないからだ。

「ふーん……まあ、俺も気を付けよう、かな」

 メルデリッタの破天荒な活躍により事態は終息を迎えた。まさか人質自ら背負い投げを披露するなど誰が予想出来ただろう。

 グレイスはこの場をルエナに任せ、兵を呼びに向かった。


 僅かな痛みに意識を引かれ、メルデリッタは腕を確認する。動かしてみると左腕に切り傷ができていた。初めての実戦にしては上出来だと自賛していたが、怪我を追うようではまだまだ甘い。

 メルデリッタは食い入るように傷口を見つめていた。致命傷ではないが、一直線に引かれた線からは血が滲んでおり、ドレスを確認するが血の染みはなく安堵する。

「怪我したの? 見せて」

 犯人に手刀をお見舞いしたルエナは気遣うように腕を取る。

「痛い?」

「少し、ヒリヒリするだけです……」

 あまりにも心配そうに問われ、申し訳ない思いでいっぱいになった。けれどメルデリッタの視線は動かない。

(傷が、塞がらない)

 薄くなるどころか、斬られたばかりの傷口からは赤が滲んでいる。

 ルエナは胸元に飾られていたスカーフを傷に当てると、強すぎない力で巻いていった。

(人間は、脆い)

 魔女であった頃、怪我をすれば痛いと感じた瞬間には塞がり始める。大怪我だとしても、徐々に薄くなっていく様が見てとれた。

(でも人間にとっては、これが当たり前。傷は簡単に治らない)

 魔女との違いを見せつけられてる。

 暴力を振るわれたとアンは言っていた。あの時は痛かったのだろうと想像したが、メルデリッタの乏しい想像など甘かった。怪我をすれば痛くて傷は簡単に治らないと今さらながら実感していた。

 それでも彼女たちは――人間は強く生きているのに自分が情けない。

 刃物を突きつけられても怖くなかったのは失念していたからだ。怪我をしても以前のように治ると甘く見ていた。現実は魔力と共に治癒力も喪失しているようだ。

「メル、どうしたの?」

 気遣うようなルエナの声で我に返ると瞳から涙が零れていた。溢れだしては止まらない。せっかく化粧まで施してもらったのに、気を配っている余裕もない。

 怖かった、遅れて恐怖が押し寄せる。刺さった場所が違えば、死んでいたかもしれない。そしてこんな簡単な事実に気付きもしなかった愚かな自分が、どうしようもなく情けなかった。

「私、私は……馬鹿です」

「え?」

 あまりに突拍子もない発言で、思わずルエナは聞き返す。メルデリッタの表情はみるみる歪んでいた。

「大馬鹿で、愚かで、どうしようもない人間!」

 メルデリッタは、子どものように声を荒げて泣きじゃくる。

「メル?」

 ルエナの呼びかけも耳に届かないほど、ひたすら己を責めていた。出来ることなら消えてしまいたいのに、ルエナはあやすように頭を撫でる。飾り付けた髪が乱れないよう、そっと触れられていた。もう一方の手では化粧が崩れないよう慎重に涙を拭われる。

 その優しさに、いっそう苦しくなって胸が締めつけられた。


 兵を引き連れたグレイスにより、犯人の身柄は確保される。

 戻ってみれば泣き崩れているメルデリッタに驚愕していたが、落ち着けるようにと人払いを指示してくれた。これから後始末のために忙しくなるというのに何度も謝罪と感謝を告げていた。

 それすらも、メルデリッタには遠いことのように思えた。

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