13話 終
私が気づいたときには、すべて終わっていた。
警察に保護され、病院へ運ばれた。あの女は死んだ。
あとから何度も事情を聞かれたけれど、何も答えられなかった。それでも、小屋に残されていたものや私の状態から、何があったのかは少しずつ明らかになっていったらしい。
結局、私が罪に問われることはなかった。小屋からは空になった薬のケースも見つかった。でも、中身はもう残っていなかった。
そして、私は元には戻らなかった。
何に触れても、冷たさも熱さも分からない。お腹がすいたことも、喉が渇いたことも分からない。
記憶も同じだった。自分がどこで生まれたのか。どんな家に住んでいたのか。誰と暮らしていたのか。どれだけ思い出そうとしても、何も出てこない。
自分の名前さえ、思い出せなかった。
退院したあと、私は療養のための施設へ移された。
山の中にある、小さなリハビリセンターだった。静かで、きれいで、窓の外には木々が広がっている。
私を知っているという人が、何人か会いに来た。みんな心配そうな顔をしていた。でも、誰の顔を見ても何も思い出せなかった。
そのうち、来る人も少なくなった。
施設での生活には、少しずつ慣れていった。
食事の時間を決める。水を飲む時間を決める。トイレへ行く時間を決める。自分では分からないから、時計を見ながら生活する。
何かに触れても、やっぱり何も感じなかった。
そんな私の担当になった、一人の女性がいた。
短く切った髪に、落ち着いた声。右腕は義手なのだと聞いた。
でも、そう言われなければ分からないくらい、その手は人の手によく似ていた。細い指も、爪の形も、肌の色も、本物とほとんど変わらない。
初めて会った日、その人が私の肩に右手を置いた。
「……あ……」
息が止まった。
分かる。
肩に手がふれている。指の形も、手のひらの温度も分かる。
ちゃんと、感じる。
「……先生の、手……?」
気づけば、そう口にしていた。
「え?」
女性は一瞬だけ目を見開き、自分の右手を見た。ほんの少しだけ、確かめるように。
それから、やわらかく笑った。
「……そう。分かるのね」
なぜ先生と呼んだのか、自分でも分からなかった。でも、その人がそばにいると安心した。
先生はいつも穏やかで、私の話を黙って聞いてくれた。話すことなんてほとんどないのに、急かさず待ってくれた。
そして、先生の右手にふれられている間だけは、自分の身体を感じることができた。
それからしばらく経った、ある日のことだった。
「ねえ。名前、まだ思い出せない?」
先生にそう聞かれて、私は首を横に振った。
「……分かりません」
何度も考えた。でも、何も出てこなかった。
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいのよ」
先生は少し考えてから、私を見て笑った。
「じゃあ、私がつけてあげようか」
「……え?」
「みずほって、どう?」
「みず、ほ?」
「うん。あなたには、その名前が似合う気がするの」
みずほ。
声には出さず、頭の中で繰り返した。知らない名前のはずなのに、不思議と嫌じゃなかった。
私はそっとうなずいた。
「……はい、先生」
その瞬間、先生の目がわずかに見開かれた。けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「ふふ。これからもよろしくね、みずほちゃん」
先生の右手が、私の頭にふれた。
あたたかい。ちゃんと分かる。
私は目を閉じた。
先生はやさしく頭を撫でながら、微笑んでいた。そして、その唇が小さく動いた。
何を言ったのかは、聞こえなかった。
おかえりなさい。




