有馬瑞樹
部屋を出て、俺はふらふらと廊下をさまよう。
割り当てられた部屋は303号室。どういった部屋割りなのか不明だが、この階に泊まるのは俺一人だけのようだった。
「……」
無人の廊下にもかかわらず、鏡のせいで見られている感じがする。しかも先の電話終わり、相澤さんが『本当に今、あなたしかいないのよね?』などと確認してきたため、余計意識が過敏になっていた。
「いやいや、何怖がってんの俺。ガキじゃねえんだから」
声に発することで弱気を飛ばす。ついでに背後を振り返り誰もいないことを確かめ――
「……」
髪の長い女がいた。
足元まである白服を着た、顔を黒髪で完全に覆った女が、いた。
俺は一度前に向き直り、念入りに目をこする。それから自然な動作で再度背後を振り返り、
「……いない。なんだ、ただの幻覚か」
無人の廊下。視界に映る人影は鏡の中の己のみ。
大げさに息を吐きだし、やれやれと首を振る。
全く本当に、子供か俺は。ちょっと雰囲気のあるホテルで怖いこと言われただけで幻覚見るとか。現実にリアル貞〇とか存在するわけないだろう。
やれやれ全く。
「………………ふう。佐久間さんどこですかああああああああああ!!!」
俺は全力で店長の名前を叫びながら階段に向かって走って行った。
なんというかまあ、人というのは会いたいと思ったときこそ会えなくなるもので。普段なら呼ばずとも瞬時に現れる店長が、何をしているのか一向に姿を見せず。
仕方ないので少しでも人が通りそうな場所にいようと、一階のロビーに移動した。
歓談用にソファとテーブルが置かれているため、ひとまずそこに腰を下ろす。普通なら外の景色を楽しむための窓が取り付けられていそうな壁は、天井まである巨大な鏡に席を奪われ、目のやり場を失わせていた。
よくよく考えれば、ここを含めてこのホテルには窓がないなと思い至る。異常なまでの鏡張りといい、一体どんなコンセプトのホテルなのか。
黎深館という名前らしいが、由来も全く想像がつかない。
「というか、どうして俺はこんなとこにいるんだ」
理由は明白。仕事だから。
だけどこの仕事、成功してもしなくてもだれも幸せにならない。まさにやりがいゼロの仕事。
さっき先客三人と話して、改めて気付かされた。これから俺のやろうとしていることは、まごうことなき詐欺行為。客を騙し、金をむしり取る犯罪活動。
それは、俺のやりたいことではない。
佐久間さんと相澤さんには悪いけれど、今回の商談は断る気になっていた。百万も返して、正直に偽物だと話す。そして可能なら、ほか三人の未来予知も嘘であることを暴き、詐欺に遭うことを阻止する。
「それが、今俺がここにいる理由」
当初の目的が気にくわないなら、別の目的で上書きしてしまえばいい。
この二か月、佐久間さんと一緒にいることで培われた現実肯定能力。嫌な現実を、理想の現実に塗り替える認識改変力。
ここにいる理由が更新されたことで、今まで感じていた重荷がすっと軽くなるのを感じる。人を騙すのでなく、騙されている人を救う仕事なら何一つ躊躇うことはない。
心が軽くなりホッとしたのか、急に眠気が迫ってくる。
――どうせ今はすることがないし、寝てしまってもいいか。
今夜の催しとやらで彼らの目論見を見破るためにも、頭と体の休息は必要だ。俺はそう自分を納得させると、睡魔に身を委ねた。
「大丈夫ですか? 寝るのならお部屋で寝た方が良いと思いますよ」
優しい手つきでゆさゆさと体を揺さぶられる。
椅子に座って寝ていた影響か、やや体がきしむ感覚。
俺は両腕を伸ばし、ぐっと全身に力を入れた。
「すいません。つい眠気に負けて――と、あなたは?」
てっきり谷上さんかと思って見れば、そこには全く見知らぬ男性が。
年は俺より少し上か。知性を漂わせる整った顔立ち。やや目尻が下がったタレ目から、柔和で親しみやすい雰囲気が感じられた。
「はじめまして。本日黎深館に招待された有馬瑞樹と申します。あなたは、斎藤頼一さんでしょうか?」
柔和な顔立ちにぴったりな、聞き取りやすく優しい声。どんな不眠症の人でも、彼に見つめられながら子守唄を歌われればすぐに寝てしまうのではないか。そう錯覚するほど優美なものだった。
せっかく起きた頭がまた眠りにつこうとするのを必死にこらえ、俺も頭を下げる。
「あ、はい、はじめまして。斎藤頼一です……って、どうして俺の名前を?」
「本日招待される方の名前は既に聞いていましたので。その中で、あなたのお名前だけ存じ上げなかったものですから」
「消去法的に俺が斎藤だと分かったわけですね」
谷上さんの口は意外と軽いらしい。まあ玉藻さんたちも俺の名前を知っていたわけで、今更な気もするが。
「あ、でも、今はもう一人参加者増えてますよ。その話は聞いてますか?」
「いえ。どなたがいらしたのでしょうか」
もう一人増えたという言葉に、有馬さんの顔が曇る。
そう言えば、彼もここに招待されたということは、他の客同様に未来予知をしにきた詐欺師側ということになるのだろうか。
そう言った怪しい雰囲気は感じないけれど、見た目で判断するのは早計だ。
寝起きで下がっていた警戒心を引き上げる。彼もまた、俺が論破する必要のある相手かもしれない。
とはいえ警戒していることがばれても得はない。俺は平静を保ち、笑顔で言った。
「まあその、俺の付添人になるんですけど。佐久間喜一郎っていう、何でも屋みたいなことをしている人で――」
「佐久間、喜一郎」
佐久間の名前を聞いた瞬間、有馬さんの顔が一層険しくなる。
よもやこの人とも因縁があるのかと、驚きと呆れが入り混じる。一体どれだけ多くの人から恨みを買っているのか。もういっそ尊敬の念すら込み上げてくる。
「ええと、佐久間さんとお知り合いですか? というか、有馬さんはどういった職業で何をしにここへ?」
有馬さんは小さく首を振って表情を元に戻す。そして少しはにかみながら、再度自己紹介を行った。
「僕はただの配信者ですよ。自称超能力者や霊能力者の正体を暴く企画動画をメインに行っているだけの。今回は未来予知が本物かどうか見極めてほしいと依頼されてきました」
「なるほど……」
まさかの判定人枠。いや確かに、一般人が詐欺師の嘘を見破るのは容易ではないはず。だれか専門家を呼び、嘘かどうか見極めさせるのは合理的な判断だ。
ただそれが配信者というのは少し意外だが。俺が知らないだけでかなり有名な人なのだろうか?
何にしても、俺にとってはかなり都合のいい相手。ここはしっかりこちらの事情を話し、協力関係を築きたい。
「あの、実は俺も――」
「それで、喜一郎君との関係ですが、実は幼馴染なんです」
「へ!???」
本日一番の衝撃発言を受け、俺はしばらく言葉を失った。