四つの足跡
「西村に連絡したぞ。用事を済ませてから来るから少し時間がかかるそうだ」
「はあ! 今この村でこれ以上に大事な用件なんてあるわけないでしょ! 今すぐ来るように伝え直して!」
「う、上方の野郎電話に出ねえから、取り敢えず留守電入れといたけど――」
「どうせ寝てるか散歩してるかでしょ! こっちは一分一秒を争うんだから、今すぐ探して連れてきて!」
「か、カメラ持ってきたわよ。わ、私はこれでいいのよね?」
「それじゃあ現場写真撮っておいて。何枚でもいいから、とにかく全体を漏れなくお願い」
「え! し、死体を撮るのはちょっと……そういうのは西村さんに任せれば……」
「犬に吠えられただけで腰抜かすポンコツ駐在に頼ってる余裕はないの! できることは私たちでやらないと。姉さんに写真が無理なら私が代わりに撮るから貸して」
不甲斐ない兄姉を容赦なく捌いていくアカリさん。
完全に蚊帳の外に置かれた俺の隣には、今、場違いに歓声を上げる店長がいた。
「いやあ、流石は文義様が絶賛する娘さんですね! 今世紀最大の才媛と言っても過言ではないでしょう!」
「今世紀最大は流石に過言だと思いますけど……。ていうかもうすっかり元気ですね」
さっきまで湖でも作らんとするほど涙を流していた佐久間さんだったが、今はすっかり満面の笑みでアカリさんの活躍を応援していた。
演技であそこまで泣けるとは思えないし、文義さんに対する涙に嘘はなかったのだろうけれど。今の悲しみなど一度も経験したことがないと言うが如き幸せ顔を見ると、つい穿った見方をしてしまいそうになる。
勿論そんな他人からの目を気にするような人でないのは知っているが。
皆最初こそ化け物を見るような物凄い視線を投げかけていたが、理解が及ぶ相手でないと判断したようで、途中から完全に意識外に追いやっていた。
そんな変人はともかく。アカリさんはできるだけ現場を荒らさないようにしながら死体と、その周辺の写真を撮影していく。その間もしっかり頭と口を動かし、双葉さんから聞いた発見までの経緯をまとめていた。
「金の咲く木がどこに植えられたのか気になって、日が出ると同時に庭に出た。苗を探して歩いていたらお父さんを発見。目の前の光景を理解できずにへたり込んでいたところに斎藤さんが来た。そこで殺されると思って悲鳴を上げ、その後全員が集合し今に至る。これで間違いないよね」
「う、うん。間違ってないよ」
「お父さんを発見した時、近くに人の気配とかしなかった?」
「たぶん、いなかったと思うけど……。驚いてそれどころじゃなかったから……」
「足跡に関してはどう?」
「足跡?」
「そう。昨日の夜に雨が降った影響で、庭がぬかるんでるでしょ。そのおかげで足跡がくっきり残ってるの。まあ今は皆が好きに歩いたせいでよく分からなくなってるけど。双葉お姉ちゃんが来た時はどうだった?」
「いや、そんなの覚えてないよ……」
答えられず、萎れた葉のように項垂れる双葉さん。
まあそんなこと注意して見てるわけないよなと同情していると、急に矛先が俺に向いてきた。
「斎藤さんはどうですか。お姉ちゃんを見つけた時、足跡がどうなっていたか見てませんか」
「え! いや、その、すいません、覚えてないです……」
俺も項垂れて言う。
死体を見るまで裸足で地面を歩くことに浮かれてたし、見た後は完全にフリーズして周りを観察する余裕など皆無だった。
今にして思えば双葉さんが殺人犯だった可能性や、近くで殺人犯が監視していた可能性もあったわけで、だいぶ無防備というか危険な状態だったと思うけど。しかし人の死体をがっつり見たのは人生で初めてのこと。そこは勘弁してほしいところだった。
などと心の中で言い訳を募らせていると、佐久間さんが勢い良く手を挙げた。
「はいアカリさん! 文義様の第三発見者である私めが見た時、足跡は四つありました!
一つは当社のホープである頼一さんのもの! こちらは縁側のすぐ横を一直線に並び、そして立ち尽くす彼の居場所で止まっておりました!
二つめは双葉さんのもの! 頼一さんとは真逆の縁側から一直線に続く足跡が、これまたへたり込む彼女のもとに収束しておりました!
さらに三つめはまさしく私が寝ていた部屋から一直線に文義様のもとに向かう足跡!
そして最後の四つめは、文義様の元から私のいる部屋までまっすぐ戻ってくる足跡!
この計四種類の足跡が確認できました!」
「……貴重な情報、有難うございます。それにしても、よく見てましたね」
「それは勿論! 双葉さんの悲鳴が聞こえた時点で何か事件が起きたことは察しましたから! 周囲にしっかり目を配り海馬に刻み付けておりました!」
「……分かりました」
疑うべきなのか、信じるべきなのか。あまりにも怪しいがゆえに逆に判断を困らせるという佐久間さんお得意の罠(?)にアカリさんは嵌っているようだ。
少し悩んだ素振りを見せた後、ひとまず真実であると仮定して彼女は話を進めた。
「佐久間さんのお話の通りなら、雨がやんでから誰か一人、お父さんの元まで行った人がいるようですね。その目的は、何となく想像がつきますが」
アカリさんは写真を撮るのを止め、死体の上に積み上げられた札束から一枚つまむ。
先ほどから風が吹くたびに数枚飛ばされている諭吉さん。そのことから分かる通り、積み上げられた札は雨に濡れていないことが窺えた。つまり文義さんの元へと向かった足跡の人物こそが、金をばらまいた人物で間違いないと考えられる。
ただ、なぜそんなことをしたのかという点は不明のままだが。
アカリさんはお札を元の位置に戻すと、顎に指を添え、ぶつぶつ呟き始めた。
「行きと帰りの足跡が一つずつということは、殺されたのは雨が降る前だった可能性が高い。そうだとして、足跡の人物はお父さんを殺した犯人と同一人物? それとも別人? どちらにしても理由は不明だけど、もし後者ならその人はどうしてお父さんを助けずにお札を撒いたのか……。いや、そもそもお札を撒いた理由が――」
「……アカリさん、なんだか探偵みたいですね」
俺は思わずそう呟く。小声のつもりだったがアカリさんの耳に届いてしまったようで。「不謹慎だと思いますか?」と尋ねられた。
慌てて首を横に振るも、「そう思われても構いません」と俺の反応を無視して彼女は言う。
それから由理枝さんと双葉さんをちらりと見て、
「はっきり言いますが、私は家族の誰かがお父さんを殺したと思っています」
と、一切濁すことなく断言した。