泣いている者は
本当に驚いた時、人は絶叫するのか、それとも声すら出ないのか。
このテーマに答えはないのだろうが、少なくとも俺は後者だったらしい。
座り込む双葉さんの隣で、馬鹿みたいに口を開け、呆然と立ち尽くす。
気絶こそしなかったものの、頭は完全に真っ白になっていた。
目の前の光景を受け入れられない。認識できない。夢でも見ているんじゃないか。
試しに腕をつねってみる。痛い。でも、夢でも痛い時は痛い。
だけどこれが夢だとしても、仮に夢じゃなかったとしても、こうして立ち尽くしていては何も進まない。
取り敢えず、双葉さんに何が起きたのか聞かないと。
「あの、双葉さん――」
「ひゃっ!」
俺がすぐ近くまで接近していることに気付いていなかったらしい。彼女はこちらを見ると小さく悲鳴を上げ、怯えた表情で後ずさった。
なぜ後ずさられたのか理由が分からず、俺は曖昧な笑みを浮かべ敵でないことをアピールする。しかしそれは逆効果。彼女はより顔を強張らせ、距離を取った。
理由は分からない。分からないが、良くない誤解を生んでいる気がする。
誤解を解こうとさらに彼女に接近するも、それがより彼女を刺激してしまい、
「ひ、人殺し! こっちに来ないで!!」
と、大きな、大きな悲鳴を上げられることとなった。
彼女の悲鳴を聞きつけ、屋敷にいる人が続々と集まってくる。
ほどなくして、一人を除く全員が集結した。
続々と人が集まってくる中驚いたのが、真っ先に姿を見せたのが佐久間さんだったことだ。というのも、佐久間さんは死体のすぐ目の前の部屋で寝ていたらしく、全身泥だらけの髪もぼさぼさな状態で飛び出してきたのだ。
そして死体――水嶋文義さんの姿を見つけると、滝の如く大粒の涙を垂れ流し、双葉さんの悲鳴よりも遥かに大きな慟哭の声を上げた。
ぶっちゃけ、この佐久間さんの慟哭があったからこそすぐに全員が集合できたと言っても過言ではないだろう。それほど大きく、悲哀に満ちた声だった。
死体を見た人は皆、最初は驚きの表情を浮かべた。けれどその先の表情は意外にもばらけていた。
佐久間さんは今言ったように泣き喚き。
相澤さんは感情を持たないロボットのような瞳で周囲を見回す。
文義さんの妻である昭子さんは悲しげな瞳で、ぎゅっと口を結び顔を伏せ。
アカリさんは現実を受け入れられずに呆然とした面持ち。
他の文義さんの子供たちは、皆一様に俺や佐久間さんに対し敵意ある視線を向けていた。
因みに俺は、多分呆けたままの表情だっただろう。頭の整理が追いつかず、ただこうして、人の顔を見るくらいしかできなかった。
そんな俺の耳に、長男である和彦さんの声が流れ込む。
「まさか、殺されるとはな。親父は本当に馬鹿だ。だからこんな胡散臭い連中を家に入れるなと言ったのに」
続けて、長女の由理枝さんの声が聞こえる。
「全くだわ。人が好過ぎるというのもやっぱり考えものよね」
さらに次男の竜也さんの声が。
「くそ! こんなことになるならぶん殴ってでもジジイを止めとくんだったぜ」
最後に双葉さんの声。
「本当に、許せない。パパをこんな目に遭わせるなんて、死んで償ってもらわないと!」
怒りや諦観を強く含んだ彼らの声。しかし一番強い感情は、父親を殺した者に対する敵意――いや、殺意であった。
そしてその殺意の矛先がどこに向けられているかと言えば、それはもう明白で――ようやく俺は話の流れを理解し、慌てふためいた。
「ちょ、ちょっと待ってください! もしかして俺たちが文義さんを殺したと思ってるんですか!」
「それ以外に誰が親父を殺すんだ。この詐欺師――いや、人殺しどもが」
完全に、俺たちを犯人と決めつけている。
いやそれも仕方のないことかもしれないけれど、天地神明に誓って俺は殺しなんてしていない。回らない頭を必死に振り絞り、なんとか言い訳をひねり出す。
「お、俺たちには文義さん殺す動機がないはずです! 購入は済んだわけで、彼を殺したとしても――」
「アカリの提案で、お前らはそこの雑草から金が咲くまでこの家から出られなくなった。だが当然、いつまで待っても金が咲くわけもない。だから焦ったお前たちは、親父にまた交渉を持ちかけたのだろう。だが聞き入れてもらえなかったため、仕方なく殺すことにした」
「そ、そんなわけ――」
「違うというなら他に誰が殺したって言うんだ。まさか俺たちが殺したとでもいうつもりか? この異常者どもが!」
「な……」
違う、彼らは間違えている。俺たちは、少なくとも俺は絶対に殺していない。
間違いを指摘したいのに、頭が真っ白になって何も思い浮かばない。咄嗟に佐久間さんと相澤さんを見るが、二人とも一切口を開く気配はなかった。
このままじゃ、殺人犯にされる。
全身から冷や汗が噴き出る。
吐きたい。吐きそうだ。
耐え切れずその場に蹲りかけた直後、
「……異常者は、兄さんたちの方でしょ」
アカリさんの、震える声が場を貫いた。
和彦さんが眉間に皺をよせ、「何だと」と彼女を睨みつける。しかしアカリさんは目に涙を浮かべて、もう一度「異常者は兄さんたちよ」と呟いた。
「アカリ。まさかお前、この詐欺師どもの肩を持つ気か?」
和彦さんが、そして他の兄弟姉妹も皆険しい表情をアカリさんに向ける。
まるで裏切り者を見るかのような、間違っても家族に向けてはいけない視線。
アカリさんはそれらの視線を真っ向から受け止めた上で、涙を流しながら家族の名を叫んだ。
「和彦兄さん! 由理枝姉さん! 竜也兄! 双葉お姉ちゃん! よく見てよ! お父さんが、死んだんだよ!」
「そんなこと分かっている。だから親父を殺したこいつらを――」
「違う! ねえちゃんと見て! お父さんが死んだんだよ! 亡くなっちゃったんだよ!」
「だから――」
「なのに……! どうして泣いてるのがその詐欺師の人一人なの!」
「「「「…………」」」」
アカリさんの、心からの絶叫に、彼ら兄弟は気まずそうに口を噤んだ。
彼女の言う通り、今泣いているのは、佐久間さんと、アカリさん自身のみ。それ以外の人は涙は疎か、悲しみの表情すら浮かべていない。
どちらが異常かなんて、一目瞭然だった。
堪えきれず、アカリさんはその場に泣き崩れる。
――誰か、誰か慰めに行けよ。俺が悪かったって、彼女に謝れよ。
そう思うも、彼女の兄弟姉妹は動こうとしない。
代わりに、相澤さんがゆっくりと近づき、アカリさんの手を無理やり掴み、起こした。
「シャキッとしなさい。今は泣いている場合じゃないでしょ」
「ちょっと、相澤さん!」
父親が殺された少女に対し、いくら何でも無神経過ぎる。流石に注意しようとするも、相澤さんの真剣な瞳に圧倒され、動きを止める。
アカリさんも最初は怒りに満ちた表情で言い返そうとしたが、相澤さんの瞳を見て何かを察し、我慢したようだった。
相澤さんは、ひたすらにまっすぐな瞳で、はっきりと言う。
「あなたが、正しいわ」
「……」
「あなたが、この家で誰よりも正しくて、まともなの」
「…………」
「あなただけが、今この家を、父親を守れるの」
「……………はい」
小さいながらも、噛みしめるような肯定。
相澤さんの手を借り、アカリさんは立ちあがる。そして何度も服で目をこすり、涙を拭くと、決然とした表情で指揮を執り始めた。
「和彦兄さん! 今すぐ、西村さんに電話して! 殺人事件が起きたから早く来るようにって!」
「いや、な、分かった……」
「竜也兄は上方さんを呼んできて! けが人がいるからちゃんと医療道具一式忘れず持ってくるように伝えて!」
「お、おう……」
「由理枝姉さんはスマホ……じゃなくてカメラを持ってきて! 今すぐ!」
「か、カメラなんてどこにあったか覚えてないわ」
「倉庫の入ってすぐ右の戸棚の下から三段目に入ってるから! 早く!」
「わ、分かったわ」
鬼の形相。だけど間違いのない指揮。
ついていけてない俺が、「写真ならスマホで撮ればいいんじゃ?」と尋ねると、「死体の写真がスマホに残っていいならぜひ撮ってください」と返され、縮こまって身を引いた。
「私は別に構わないわ。先に撮っておきましょうか」
「お願いします」
相澤さんが男前な提案をし、すぐさまアカリさんが頭を下げ依頼する。
強い女性二人に圧倒され体を小さくしていると、アカリさんはさらに指揮を続けた。
「双葉お姉ちゃんが第一発見者で間違いないんだよね」
「う、うん」
「だったら見つけるまでの経緯を今ここで、できる限り詳細に教えて」
「え、でも、皆が集まってる時の方が――」
「どうせ後で何度も聞かれることになるから関係ない!」
「で、でも……」
「お姉ちゃん。もしかしたらその詐欺師さんたちが犯人だから自分は関係ないって思ってるかもしれないけど、警察が来たら間違いなくお姉ちゃんも疑われるからね」
「な、何で!」
「何でじゃないでしょ。私たちにも十分に動機がある。それに第一発見者となれば疑われて当然の立ち位置だよ。警察に厳しく追及された時、お姉ちゃんしっかり答えられる自信ある? 焦って本当は見てないことを嘘ついて言っちゃったりしない? 余計な嘘をつけばより疑われる原因になるからね」
「う、うう……」
「だから今ここでしっかりまとめておくの。それから、佐久間さんたちもお話し聞かせてもらいますけど、嫌とは言いませんよね」
「も、勿論」
気迫に押され俺は頷く。
いつの間にか俺の隣に並んでいた相澤さんが、「彼女、本当に強い子ね」と呟いた。




