(9) だって恰好悪いじゃない
かくして。ゴールデンウィークが始まった。
俺は自転車を飛ばして、一軒の農家を訪ねていた。入学祝で買った新車はギア付きのハイスペック機種で、けっこうな上り坂でも登りきれる。息は上がるけど。
「おはようございます、丸岡さんの紹介でお手伝いに参りましたー」
午前10時。指定された時間だが、農家の人はどこで何をしているかわからないから、軒先で叫んでみる。
「はーい」
どこからか声がして、麦わら帽子のお婆さん、もとい高齢女性が出てきてくれる。
「あー、田植えの手伝いに来てくれた子?」
「はい、そうです。立花といいます、よろしくお願いします。」
「はいはい、こちらこそよろしくね。こっち。」
田植えの手伝いというと、稲の苗を田んぼに突き刺していく仕事と思われがちだが、たいていは田植え機に育苗箱をセットしたり、あるいはその育苗箱を運んだりする力仕事だ。
たまに、機械の入れない棚田の手植えをすることもあるが。
この日は育苗箱を運搬用の軽トラックに積み込む作業から始まった。一箱はさほど重くない。5キロ前後だろうか。だが、それを100、200と積んでいくのは骨が折れる。
高齢化した農家の人だけでは苦労で、都会に出ている家族が帰郷したり、農家同士で手を貸しあったりしているようだ。
俺のような割安で頑丈な人材は喜んでもらえる。元気だけが取り柄の高校生でも、軽トラック二台分の積み込みが終わると、びっしょりと汗をかく。
「はい、ちょっと休憩。おつかれさん。」
この時の麦茶は至福だ。こんな幸福感をもらえて、さらにお金までいただけるとは。
田植えの素敵なところはまだある。自分が手伝った田んぼはその後も見る機会があるから、夏には緑の絨毯に風が渡っていく風景を、秋には黄金色の稲穂の垂れる実りの喜びを、格別の思い入れとともに眺めることができるのだ。
「じゃあ、行きましょう。自分は自転車で追いかけるので先行してください。」
軽トラックが走り出す。その後ろを追いかけて、田んぼに着いたら、今度は荷下ろし、田植え機へのセットの補助、という段取りになる。
田植え機は一軒の農家で持っているわけではなくて、数軒で共有しているから、田植えの日程を農家同士が融通しあってスケジュールを立てる。俺はこの機械とともに農家を渡り歩くことで数日分の作業にありつける、というわけだ。
田植え機に苗をセットする作業が終わると、機械は田んぼの中へと発進する。
俺は空いた箱を手に用水路に行って、箱を洗う。洗った箱を日なたに広げ、いや、どこも日なただけども、戻って来た田植え機にまた苗をセットする。
昼になると、農家に戻ってお昼をいただく。米農家のご飯はほんとうに美味い。
「ごくろうさん、たしか高校生だったよな。」
と、田植え機を操縦していたおじさんが声を掛けてくれた。この農家には去年に続いて二回目の訪問だ。
「あっ、すみません、去年は実は中学生だったんです。今年はちゃんと高校生になりました。」
「ええっ、去年は中学生だった?それはわからなかったなあ、体格もいいし。」
「ありがとうございます。家が貧しいもので中学時代からいろいろな体験をさせていただいています。」
「へえ、立派なもんだ。じゃあ一年生ってことか、うちの娘と一緒だな。」
「あ、そうなんですか。」
としか言いようがない。会話を続けるのって難しいよね。
「おーい、みなえ、ちょっと来いやー」
いや、おじさん、紹介とかいいですから。
「なに、大きな声出して」
と、奥からお嬢様が登場。日焼けした健康的な肌、額の汗もすがすがしい。汗は俺の方がすごいけど。
「なっ」
お嬢様、俺を見て絶句。あれま、たしかこの子は。
「た、立花君?」
ホームルーム議長だからクラスメイトに顔と名前を覚えられている。中学時代とは勝手が違うな。
「えーと、佐伯さんだっけ。」
そう、ここは米農家、佐伯家だ。佐伯美苗。クラスメイトの一人である。
「佐伯さんの家だったのか、いいなあ。」
こんな美味いご飯が毎日食べられるなんて、本当にうらやましい。
裕福家庭だった頃に食べてた米よりずっと美味い。
佐伯さん、踵を返して家の奥へ引き返す。驚かせて申しわけなかったな。
「ありゃ、もしかして同じ学校だったか。」
と、お父様。不可抗力ですよね、しかたがないです。
「ええ、同じクラスですね。」
「そうか、あいつはあんまり学校の話はしないからなあ。」
いやいや、たとえしたとしても、その「学校の話」に俺は登場しないです。
実際、佐伯美苗とはほとんど接点もなかったし、話したこともなかった。
美苗は学校ではあまり目立たない、大人しいタイプの女生徒だ。家にいる時のほうが溌剌として見えた。
「オレはあんまり詳しくないんだけどさ、美苗の学校ってのはレベルとしちゃどうなんだい。」
「えーと、自分で言うのもなんですが、県下の県立高校では上から二、三番目だと思います。」
第一高校が圧倒的なトップだから、二番目以降はドングリの背比べ、数校がしのぎを削っている。
「ほう、そらあ、大したもんだ。あいつは、大学の農学部に行きたいんだってよ。」
クラスメイトってわかったんだからペラペラしゃべらないほうがいいのではないでしょうか、お父様。
「たしかに、農業ってのは日進月歩なんだよ。土づくりや化学肥料、品種改良とかいろいろあってなあ。県の農業試験場でときどき説明会なんかもやってる。」
「このあたりも気温が高くなっているって聞きますよね。」
話が逸れそうだったので、そっちの話題に誘導を試みる。
「ああ、まあな。それであいつなりに、なんだ、危機感っていうのか、きちんと勉強しないといけないって思ってくれてるみたいなんだよな。自分でも小さな菜園作って野菜を育ててる。親としちゃ、複雑な思いもあるけどなあ。」
娘の話題に引き戻してから、おじさんは照れたように笑った。なんだかんだ、家の心配をする娘がかわいいんだろうなあ。
おじさんの父親らしい笑顔にほっこりして、昼の休憩は終わった。
午後の作業も、田植え機への苗のセットと育苗箱の洗浄の繰り返しだった。
箱を洗いながら、用水路の水でジャブジャブと顔も洗う。まだ冷たくて気持ちいいっ!
佐伯家の田植えは16時に完了。もっと大きな農家だと日没までかかる場合もあるし、逆に小さな農家なら午前中で終わることもある。このあたりの稲作農家では中規模だろう。他に、豆類やハーブ系などの畑作も手掛けているようだ。
心地よい疲労感と達成感を覚えながら、佐伯家の玄関前で待っていると、給金を持って出てきてくれたのは娘の美苗だった。
「これ。えっと今日はごくろうさまでした。」
「ありがとうございます。」
受け取った封筒を恭しく頂いて、鞄にしまう。
「それと、これ、迷惑でなければなんだけど。お父ちゃんから、去年の米。」
ずしりと重い袋を渡される。軽々と持ってきたけど、佐伯さん、けっこう力持ち?
「玄米だから精米して食べてね。」
やった!またコイン精米所のお世話になろう。
「ありがとう。何より嬉しいよ。」
「あと、ちょっといいかな。」
「ああ、どうした?」
美苗は言いにくそうに口ごもって俯いた。
「うん、さっきはごめん、逃げちゃって。」
昼休憩の時のことか。
「気にしてないよ。そりゃ誰だって驚く。」
「あの、できれば、その、私の家が農家だって、あまり言いふらさないでほしいの。」
「それも大丈夫。雇用主のことをよそで話したりはしないよ。でもどうして?」
「えっ、だって恰好悪いじゃない、農家の娘だなんて。」
え、そうなの?そういうもの?
「ごめん、それはわからないや。恰好悪いとはまったく思わないし。」
少なくとも俺みたいなドン底家庭の息子よりはかなり格好いい。
「ありがとう。やっぱり立花君は弱者の味方だね。」
おいおい、ちょっと待て。弱者の味方なんかしないって、はっきり宣言しなかったっけか?
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