1-4 ヒロイン2
それからしばらくふたりで泣くだけ泣いた。
近くに侍女がいなかったのが幸いだ。ふたりとも鼻水出しながら泣いてる姿なんかみられていたら事件になったところだ。
「なんでヨアンは泣いたのよ?」
ふたりとも落ち着いてきたので聞いてみる。
窓からは傾いてきた太陽の光が入っていた。だいぶ泣いちゃったな。
夕日がまぶしくてヨアンの表情がよく見えないが、鼻のてっぺんが赤くなっているのはわかった。
「ぼく、お嬢様を悪役令嬢って言いながら自分は無関係だと思ってました。だからお嬢様さえ頑張ってくれればヒロインを守れると思ったんです」
あれ?お嬢様を守るではなくヒロインなの?
ものすごい疑問が浮かんだが、とりあえず、うなずくだけにとどめて先をうながす。
「でもお嬢様にお金のことを言われて、自分がヒロインに手を下していた可能性を突きつけられて……自分がヒロインを傷つけることもあるってわかったら、どうしていいかわからなくなって……泣いてしまいました」
また、ヨアンに涙がこぼれる。あわててハンカチを差し出す。ハンカチは――ドレスのポケットにちゃんと入っていた。
それにしても、やっぱりヒロインにこだわってない?これってもしかして……。
「ヨアン、もしかしてヒロインのこと好きなの?」
ふと、頭に浮かんだ言葉が考える間もなく口からこぼれ出てしまった。
あら、鼻だけじゃなく顔まで真っ赤になったわ。これ、夕日のせいだけじゃないわよね。なんてことを思っていたら、小さな声で返事が返ってきた。
「……はい」
認め、た?
ええー、本当なの!?尋ねたのはわたくしだけど、びっくりよ。
だって実際に会ったこともない女の子だし、しかも相手は16歳、よね?で、わたくしたち9歳。7歳の歳の差ってそれほどでもないのかしら?それとも小さい頃の姿もそのゲームには出てきて好きになったとか?え?いつ、どこで好きに?
じわじわと混乱がやってくる。
心臓がどきどき鳴ってるし、きゃーって叫びたくなったので、急いで両手でしっかり口を押えた。
落ち着かなきゃ。
なんとかみっつ深呼吸して、胸に手をあて、落ち着いたことを確認する。
とにかく、いつから好きになったのか聞いてみることにしよう。
そうしたら意外にも素直に答えてくれた。
昔の記憶が戻ってきたときにかわいいなって思ったのが最初で、お嬢様にいじめられるヒロインがたびたび涙する姿を記憶に思い出して胸が痛くなり、笑った顔がまたかわいくて、気づいたら好きだったと。
あの分厚い資料は、わたくしのためでもあったけど、ヒロインが涙することがないように、との思いも込めて仕事の合間にこつこつ作ったのだそうだ。
そんな思いを顔を赤らめたまましゃべるヨアンは、わたくしの知らない人よ……。
そして今、わたくしの心にはすきま風が吹いている。さっきまでの驚きと興奮はどこかにいってしまった。だって、わたくしのためだけの資料だと感動したのに、ヒロインのためでもあったとか。たしかにわたくしのためでもあるんだけど。
それにしても、恐るべし、ヒロイン。
いつもは嫌味だらけだけど、とっても頼りになるヨアンが、記憶にあるというヒロインの姿だけで好きになって、人前で泣いちゃったり、赤い顔のまましゃべったりしている。
ヨアンをこんなふうにしてしまうなんて、恐ろしい少女だわ。これがヒロインの持つ力だとしたら、『攻略対象』全員がヒロインを好きになるのも納得よ。
それで『攻略対象』に好かれない悪役令嬢がヒロインをいじめる。
むむ。わたくしもやっぱり7年後にいじめるのかしら?どうしてもそこがぴったりこない。資料で読むヒロインはヨアンでなくともかわいいと思ったもの。そんな子に意地悪をするようになるのかしら。このヒロインの持つ力が女の子には反対に働いて、女の子はみんな嫌いになるとかならわかるのにな。
「お嬢様?どうされました?」
だいぶ長い間考え込んでいたようだ。完全に泣き止んだヨアンがたずねてきた。
その様子はすでにいつもの調子を取り戻しているようで安心した。
なので聞いてみる。ひとりで悩んでもわからないなら聞いてしまおう。
「わたくし、誰かをいじめるようなタイプ?さっきも性格に問題がある的なことを言っていたけど、大きくなったら資料に書いてあった悪役令嬢のようになる素質がある?」
「……このまま何もしないと、素質あるかもです」
「あるの!?」
「ほら、ここ、お嬢様のページに書いてあるでしょ」
資料をめくられて指で示された。
お嬢様のページじゃなくて、悪役令嬢のページよ!とツッコミたいのを我慢して、示された場所を読んでみる。そこには悪役令嬢は王子様の婚約者候補で、学園で一番身分も高いのに誰もがヒロインをちやほやするのが気に入らない的なことが書いてあった。
「読みました?お嬢様の嫉妬が原因ですけど、普通の人なら嫉妬しても過激な行動までは起こさないものなんですよ」
うん。
「でもお嬢様は行動に出てますよね。」
さらにページをめくられて悪役令嬢の悪事の数々が書かれたページに移動する。
「おそらく、このままだとお嬢様は嫌なことがあると我慢できない人間になるんだと思います。そこに権力と財力が重なってとんでもない行動にでてしまう」
嫉妬はよくわからないけど、悪役令嬢は自分が『メロメロ』になった人に相手にされず、ヒロインがちやほやされるのを見て嫌な気分になり意地悪をする。7年も経つと自分もそんなふうになってしまうのか。やっぱり、そんな風になってしまう自分はさっぱり想像できない。
「対策の第一にして最終目的はヒロインを虐めないことです」
ヨアン先生がわたくしに説明を始めた。
「究極論ですけど、もしお嬢様が『攻略対象』にメロメロになってヒロインにとてつもなく嫉妬しても、虐めさえしなければ何も問題ないんです」
その説明に大きくうなずく。そこがなければ国外追放はないものね。
「ぼくたちが考えなければいけないのは、どうすれば嫉妬しても虐めなくなるのか、そもそもの嫉妬を取り除けないか、ですね」
それって結構むずかしいことじゃないのかしら。
首をかしげただけで、ヨアンは察してくれたらしい。
「資料を読んでもらったのだって、『嫉妬しても虐めなくなる』の一つなんですよ」
「そうなの?」
「ええ。お嬢様はヒロインが王女様だってこと今は知ってますよね?知ってることで、抑止力が生まれる可能性があります」
なるほど。ヒロインの出生を知っていれば、7年後の自分は身分の高い相手に対していじめることを考え直すかもしれないってことね。
「虐めないための可能性を広げていくことです。幸いにもヒロインが入学するまで時間がありますしね。その間にお嬢様がとんでもない行動にでるような性格にならないように、ぼくも頑張りますね」
かわいく微笑めば許されるとでも思っているの?ほんと、最後の言葉は気に入らないけど、とにかくわかったわ。
それにしても、とってもわからないことがひとつ。
「ねぇ、ヨアン。なんでヒロインだけ名前が書いてないの?」
他の登場人物はフルネームだし、モブと言われる悪役令嬢の取り巻きたちにすら名前が書かれている。けれどヒロインだけはヒロインとしか書かれていない。
「それはですね――」
やっと聞いてくれましたか、って顔をしている。
あ、これはダメ、話が長くなりそう。
「やっぱり今度でいいわ、ヨアン。もうお茶にしましょ。お腹すいて倒れそう」
9歳。そんなにシリアスな話は続けられない。