1-13 仲直り
あの日から3週間ヨアンと口をきいていない。
気合いと根性って何?わたくし、本当に怒っているのよ。
でも、最初の1週間はヨアンが何か言いたそうにしていたのを無視したら、それからあとは、ヨアンは何も言ってこなくなってしまった。
今日はお母様とお庭でお茶をしている。
バラが見ごろを迎えたので、バラ園をのぞむ場所にテーブルをセッティングしてもらっていた。
「エヴァンゼリン、あなた、まだヨアンと喧嘩しているの?」
「……」
お母様には2週間前にも一度、喧嘩をしているのかと聞かれていた。
聞かれてから後も、ずっとヨアンとお茶を一緒にしていない。お勉強の時に一緒になるだけ。
「ヨアンが謝ってくるのを待っているの?」
「……」
お母様には言えないけど、本当のところはそうです。
「何にも言わないってことは、そうなのね」
……。
「エヴァンゼリン。前に聞いたとき、ヨアンが悪いって言っていたけど、本当にヨアンだけが悪かったの?あなたには何も悪いところがないの?ヨアンが何も言ってこない理由を考えたことはあるの?」
わたくしの悪いところ。
ヨアンが何も言ってこないわけ。
「今日のあなたのこの後の予定はキャンセルしておくから、少し考えなさい」
そう言い残して、お母様は先にお茶の席を離れた。
予定をキャンセルされたものの、侍女がいる部屋には戻る気がせず、かと言って庭だとヨアンに遭遇する可能性も高く、どこにも行く場所がない。
自分の家なのに行く場所がないなんて、なんてことなの……。
考えあぐねた結果、いけないけどお父様の執務室に入ってしまった。今日は、お父様は王宮でのお勤めで、誰も来ることがない場所だったから。
ここなら、侍女もヨアンも来ない。
誰にも見つからないようにそうっと入る。
はあ。ソファの背に隠れるようにしゃがんで足を引き寄せた。
本当の本当はわかっている。ヨアンだけが悪いんじゃないこと。もちろん、気合いと根性で何とかって言ったヨアンのことは悪いって思ってるけど、あの時は考える時間もなかったから、とっさに出た言葉だっていうのもわかってる。
そして、あの日の何が許せなかったのか――それもわかってる。
本当は、もっと構ってもらいたかっただけ。
朝食の後ももっと話を聞いてほしかったし、お勉強のあとだって親身に相談にのってほしかったの。なのにつれなくされて、自分勝手に怒っちゃった。
いくらサヨコさんがいるといっても、ヨアンはまだわたくしと同じ10歳。しかも従者の仕事も、執事の修業もあって、わたくしなんかよりずっと忙しい。
あの日だって、朝食を食べただけのわたくしと違って、ヨアンはすでに剣の鍛錬が終わっていた。午後からだってたくさんの仕事があるだろうに、わたくしが宿題を増やして彼の時間を奪ったのよ。
ヨアンから見たら、わたくしって自分勝手で嫌なやつよね。もしわたくしがヨアンだったら、こんな主人無理……。
引き寄せた足の膝に顔をうずめる。
お母様は、きっとわたくしから謝れと言っている。
うん。それが正しい。
わかってるけど、なかなか勇気がでない。自分から謝るとか。
だって、この2週間はヨアンからも全く話しかけてこないもの。それってヨアンも怒ってるってことでしょ?なんたってこんな嫌な主人だし。もし謝っても許してもらえなかったらどうしたらいいの。
なんでもない時にはすぐにごめんなさいって言えるのに、肝心な時に言えないなんて情けないわ。
ああ、もう、しっかりして、エヴァンゼリン。
無理やり顔を上げる。
このままでいいわけがない。園遊会だって、あとひと月と少しでやってくるのに。
こんな弱い心のままじゃ、ほんとに4人に『メロメロ』になってしまうかもしれないわ。
そうなったら、大変なことになるのよ。ミハエルが追放になってもいいの?
いいわけがない。
まずは、ヨアンにこれまでのことを謝って、自分勝手にならないって約束して、また一緒に考えてほしいってお願いするのよ。
大丈夫、できるわよね?と自分自身に言い聞かせて、勢いをつけて立ち上がった。
ヨアンに謝りに行くわ。
その勢いのまま部屋を出たとたん――誰かとぶつかりそうになってしまった。
危ないって思ったと同時に最悪の図式が頭をよぎる。
お父様の部屋に侵入→見つかる→叱られる!
相手は誰?わたくしの侍女だったら最悪の事態よ。ヨアンに謝りに行くどころではなくなるわ。
鼻のあたりを抑えながら、恐る恐る目を開けてみると、そこにいたのは、バルタザールだった。
「お嬢様、大丈夫でございますか?このようなところでいかがなされました?旦那様は本日は王宮にいらっしゃいますよ」
よ、よかったわ、とにかく侍女じゃなくてよかった。
バルタザールには知らないふりで何とか取り繕う。
「そう、お父様は今日は王宮なのね。お部屋にいらっしゃるかと思ったから」
それにしても、ちょうど良いところにバルタザールもいたものだわ。
「バルタザール、ヨアンがどこにいるか知らない?」
「ヨアンでしたら、今日は菜園におりますよ」
「お話しても大丈夫かしら?」
「ええ、特に仕事の時間ではありませんので問題ありません」
その返答を聞くなり駆け出してしまった。ああ、どうか走ってる姿をわたくしの侍女に見られませんように!
菜園は使用人が好きに使えるスペースで自分好みの野菜やお花を植えたりしている。厩舎よりさらに奥にあるので、屋敷からはかなり遠い。
ようやく菜園までくると、何かの苗を植えているヨアンの姿が見えた。
「ヨアン!」
こちらを向いて、ヨアンが目を丸くする。
「お嬢様……」
走った、から息が乱、れる。謝るのに、息が荒い――とか、ダメよね。ちょ、ちょっと整える、から待って。
何度か息をすって、はいてを繰り返すと落ち着いてきた。
「ヨアン、いま時間ある?話しても大丈夫?」
「ええ……大丈夫ですけど……」
ヨアンが菜園近くにあるベンチに連れていってくれた。使用人用だからちょっと汚いんですけどといって、ハンカチを敷いた上に座らせてくれる。
「どうしても、今すぐ話したくて。ヨアン、今までごめんなさい。ヨアンの都合も考えず、ヨアンの考えもちゃんと聞かず、いろいろ言って困らせて勝手に怒ってしまったの。」
きちんと頭を下げた。
「それで反省したの。いつも自分の都合だけでヨアンの都合なんて考えていなかったこと。直す努力をする。全部すぐには無理かもしれないけど、でも、約束するわ。だから、もう一度一緒に対策を考えてほしい。助けてほしいの」
ヨアンは驚いた顔をしたままで何も言わない。
もしかして……ヨアンが怒っているポイントとずれてるの?それは考えてもなかったわ。他にも直すところがあるのね。
「あ、あの、他にも直すところがあるなら言って。わたくし、わからないから……」
そう言ったら、ヨアンが見たこともないような優しい顔をした。
「お嬢様。ぼくの方こそ、すみませんでした。お嬢様が最も気にしていることなのに、あんな風に言ってしまって。ぼくも反省しています」
ヨアン怒ってない?
ほっとしたら、涙が出てきた。見ると、ヨアンの目にも涙が浮かんでいる。
ヨアンは慌てて目をこすって、サヨコさんが感激してるから、なんて言い訳をしている。
ふふ。でも仲直りできてサヨコさんも喜んでくれてるわよね。
それからは、一緒のお茶も復活。改めて3人で園遊会の対策も考えることになったの。
そして、あの日の走るわたくしの姿は、それはもう何人もの使用人に見られていて、わたくしの侍女に伝わったわ。
もう屋敷内では走らないと誓う。