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2.土の緋色      

 

 

 自力で動かないオフロードバイクを押すのは、骨が折れる。そしてこっぱずかしい。


 だが、郊外なので人目が少ない。それが不幸中の幸いである。


 女の子が難渋しているというのに、まばらに通る車から、救いの声はかからない。

 まして春の終わりの陽気は、あなどりがたい。さっきから喉が渇いてしかたなかった。


 眼前に無人レストランなる自動販売機郡がなければ、生命の危機に陥っていたであろう。


 車の流れを肌で追いながら、自販機にコインを投入する。

 できるだけ炭酸がきつく、カロリー控えめの350ミリ・アルミボトルを選んで、中身をひと口含む。当然、口の中に強烈な刺激が走る。


 うーん、……気のせいだろうが、たぶん体に悪い飲み物だと思う。


 そんなことを虚ろに考えていたある昼下がり、一台の黄色いスポーツカーが砂塵を巻き上げて止まった。

 ようやく熊本から脱出できそうだ。


「春菜君! 春菜君じゃないか! よかった、無事だったんだね!」

 勢いよく車から飛び出してきたのは、薄ベージュ色のスーツを着た緋色だった。


「あの時見捨てたくせに」

 もう一口、ボトルの中身を喉に流し込んだ。鼻と顎に貼った絆創膏が鬱陶しい。


「まあそう言わず」

 緋色は眉毛をハの字にして、恥ずかしそうに非を詫びた。


「見たところガス欠のようだね。乗っていかないか?」

 エスコートするように背中にそえられた手を振りほどき、緋色に旋毛を見せてやる。


「えーと、春菜君。確か、一番近いガソリンスタンドは、十キロ先だと思うんだけど」


 よーし、このへんでよかろう。

 しかたない、といった面持ちでサイドシートに滑り込んだ。


 真摯な態度をとる緋色は、丁寧に車をスタートさせる。


「あの後、崖下に降りて春菜君を捜したんだよ。川が増水していて君を見つけられなかったんだ。でも本当に無事でよかった」

「きっと水龍ね。よくわからないけど、主だった怪我は治っていたわ。小さいのまでは手が回らなかったみたいだけど」

 鼻の絆創膏を押さえてみせた。


「あいつも芯まで悪いやつじゃなかったってことだろう。歪んだ性格の持ち主だったが、できれば仲間として、共に正義のため戦ってほしかった。残念だ」


 いくつか言葉を紡ぎだしたい衝動をぐっとこらえて、えーと……。


「これあげる!」

 手に持った強炭酸ボトルを緋色に差しだす。心を読まれないように目をそらす。外の景色が時速八十キロで後ろへと流れていく。   

 

少しの間、戸惑ってから、ボトルを手にする緋色。

「……これって間接キッス?」

「バカ!」


 はにかみながらボトルの中身を喉に流し込む緋色。

「グハッ!」

 強炭酸だってば。してやったりと笑ってやった。


 恥ずかしそうに、残りを飲む緋色。意地になったのか半分くらい一気飲みする。


「あっ! ちょっと車を止めて」

「え?」

 急ブレーキにつんのめる。


「どうしたの?」

 ボトルをホルダーに納めて、緋色はにこやかに聞いた。


「事故ると危ないから」

 こちらもにこやかな笑顔で返してやった。納得のいかない表情を浮かべる緋色。


 ここまで来ればこっちのもの。さらにたたみ掛ける。


「歪んだ性格で悪かったな! てめえたぁー頼まれたって組まねぇよ!」

 顔色を変える緋色。さっきから忙しいぞ「土」の緋色よ!


「お前……ぐっ!」

 体の崩壊を知らせる激痛に堪えられず、自分の胸に指を食い込ませる土ノ神緋色である。


「勘のいいお前のことだ。ただの水だったら用心して飲まなかっただろう? そのための強炭酸だ。体内を駆けめぐる『水』に、おまえは抗う術を知らない。どうだ? 俺の『水』は?」


 いついかなる時でも勝利の雄叫びは気持ちい!


 緋色が俺の胸ぐらをつかんできた。

「おまえ、水龍か? 水魔水龍なのかっ!」

 応える代わりに、口を歪めて微笑んでみせる。


「貴様っ! あの時、春菜君の体を社にしたのか?」


 そう、あの時。春菜が崖に宙づりになっていた時、契約が成立した。

 春菜は死にたがっていた。死に憧れていた。ただ、苦痛が嫌だったのだ。


 そこへ俺が取り入った。直接肌を接した精神感応は、緋色には聞こえない。


『苦痛を和らげてやろう。眠るように死なせてやる。そのかわり、お前がこの世に残した物全てを俺にくれ!』


『それこそあたしの望み。死んだ後のことなど知ったこっちゃない。なんでもあなたにくれてやるわ』


あとは簡単だった。

 俺のチカラで春菜の神経を麻痺させる。春菜は失血により意識を喪失。あとは俺の本体である水を血液と共に春菜の体に注入。軽々と肉体を乗っ取った。

 抜け殻となった俺の体は、緋色の攻撃により、塵となって砕け去っていった。


 こうして、「正式」な春菜の了承の元、彼女の肉体を社として譲り受けたのだった。


「苦労したんだぜ。リアリティを出すために小さい怪我は治さないでいたんだ。お前の根城に続くこの道をバイクを押して何往復したと思ってんだ。たいがいにしろよ!」


 緋色は答えず、殴りかかってきた。

 殴りかかって、……腕が土塊となって砕けて落ちた。胸ぐらをつかんでいた手の指が、土となって崩れていく。

 乾いた粘土のような粉が顔中を覆う。

 色男が台無しだな、緋色。


 体の崩壊が始まった神にこぼす愚痴はこのくらいにしておこう。俺には消化試合が残されているのだ。

 土のエレメンタル神である緋色が、水のエレメンタル神である俺にしようとしていたこと。勝ったエレメンタル神に与えられた特権の行使。


 血の気が失せた緋色の唇に、自分の唇を重ねて気を吸い取る。

 途端に、残った部分が一瞬で土と化し、崩れ去る緋色。


 ヤツの本性は土だ。運転席には、服に埋もれた土の柱ができあがっていた。

 誤解しないでほしい。「水のエレメンタル神」たる俺には、生まれもっての性別がない。


 俺が本来の住処をやんごとなき理由によって退去。初めて「社」に選んだ人間が、たまたま男だった。だから「社」に移って十年間。人間社会で浮いてしまわぬよう、意識して男を演じてきただけだ。


 もっとも、緋色着剣のように、入れ替わり立ち替わり五百年近く男を演じていれば、自然と男になるのだろうが。

 ぶっちゃけ、なんだ。いわゆる俗世間一般で言われるキスの概念が俺には理解できていない。


 話を戻して、社が崩れ去ったエレメンタル神は無力。他のエレメンタル神はその力を吸収、自分の能力として使うことができるのだ。

 そして、緋色と名乗っていた土のエレメンタル神は、水のエレメンタル神である俺の能力の一部となった。これがエレメンタル神の死である。


 こうして俺は、土の属性というオプションを手に入れたこととなった。……冷静になって考えてみると、水を弱らせる土の能力を手に入れてもなー。


 こうなると、何とかして金気を手に入れなきゃいかんな。


 その時は、お荷物ぐらいにしか考えてなかった「土」の能力だったんだが……。


 それはさておき、昨今の俺を脅かす存在が一つ消えたわけだ。俺の望月を曇らせる要因は見あたらなくなった。喜ばしいかぎりだ!


「今日から俺が春菜だ!」

 自然に笑いが込み上げてくる。モロい、モロいぞ正義!


 所詮、正義だの悪だの、逃げるだの立ち向かうだの、二極的カテゴライズで物事をおしはかる者は、小さい世界で甘い人生を送っているのさ。


 さらば緋色よ、さらば春菜よ。強者である俺は一人笑って生きていく。

 ぶらじゃぁがおっぱいを締め付けて痛いけど、パンツが小っちゃくて薄くて頼りないけど、俺は生きていくったら生きていく!


 さて、世間を騒がせないため、人目のつかない場所に車を移動。車内より緋色氏の衣類をとりだす。


 この衣類は、どこか遠くで燃えるゴミとして出しておこう。


 続いて車内を掃除する。指紋を拭き取ったり、髪の毛を拾ったりと。緋色にとどめを刺したボトルは言わずもがな。


 仕上げに、車内へガソリンをまいて火をつける。


 ……人、それを証拠隠滅と呼ぶ!



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