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【完結】鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~  作者: 木風


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第一話 月下の剣士

 刀を振るう、その背を初めて目に焼き付けた時。

 なんて美しい舞なのだろうと、息をすることさえ忘れて見惚れていた。


 月光が冷たく透ける刃が、夜の闇に一筋の光線を引く。

 白刃は、月光をすくい上げるように、無駄なく、迷いなく弧を描いた。

 その太刀筋が空を斬ったと思った、次の瞬間。

 私の視界はどろりとした鮮血に塗り潰され、辺りは一瞬にして、咽せ返るような生臭い匂いに支配された。


 返り血を浴びながらも、月明かりを澄んだ鏡のように反射させる日本刀。

 蒼い月を背負い、異形の鬼を瞬時に切り刻んだその横顔。

 肩越しに覗いた眼差しは、あまりに静かで、かえって恐ろしいほどだった。

 頬に飛び散った熱い飛沫を拭うことすらできず、私はただ、茫然とその背中を見つめ続けていた。


 いつもとなんら変わらないはずの、平穏な一日だった。

 言いつけ通りに家事を済ませ、泥にまみれて畑を耕し、陽が傾けば井戸から水を汲み、夕餉の支度に取り掛かる。

 まだ幼い弟と妹にご飯を食べさせ、汚れた手足を拭い、寝かしつける。

 そうして、ようやく自分も眠りに落ちる。


 母が身罷り、あの継母がこの家に上がり込んでから、幾年も繰り返してきた日常。

 息をするように、いつの間にか覚えてしまった日々。


「梓(あずさ)さん」

「……新八さん」

「これ、町へ行った折の土産なんだ。受け取って」


 差し出されたのは、小さな硝子瓶(がらすびん)に詰められた金平糖(こんぺいとう)。

 夕刻の残り香を吸い込んで、星の欠片のようにキラキラと輝いて見える。

 瓶の中で触れ合う小さな音まで、甘く聞こえた。

 綺麗。

 ……ああ、本当に綺麗。けれど。


「あの……これは、鈴(すず)には?」

「鈴には内緒です。君に、食べてほしかったから」


 はにかむような笑みを残して去っていく、彼の後ろ姿を見送る。

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 それが彼なりの、優しさであることは痛いほど解っていた。

 けれど、彼に思いを寄せている異母妹の鈴がこのことを知れば、一体どうなるか。

 継母と一緒になって、嫌みの礫を夜通し投げつけられる光景が、容易に目に浮かんでしまう。


 私が罵倒されるだけなら、いくらでも耐えられる。

 言葉で打たれることには、もう慣れている。

 けれど、何より胸が締め付けられるのは、鈴よりもずっと幼い異母弟妹たちのことだ。

 部屋の隅で肩を寄せ合い、震えながら嵐が過ぎ去るのを待つ二人の瞳。

 その怯えた色を見るのが、私には一番辛かった。


 手の中にある金平糖の瓶。

 封を切ろうとして、やはり躊躇いが勝って指を止める。

 私一人の楽しみにしてしまうには、この輝きはあまりにも眩しすぎた。


「……永太(えいた)と琴(こと)への、お土産にしようかな」


 数百人ほどがひっそりと暮らす、山に囲まれた小さな集落。

 清らかな小川がせせらぎ、四季が静かに巡るこの長閑な風景は、決して嫌いではない。

 春には山桜が薄く霞み、夏には蛍が水辺に浮かぶ。

 この場所にも、美しいものはちゃんとある。

 それでも、いっそどこか遠く……鳥のように、どこまでも遠くへ行けたなら。

 そんな、叶いもしない空想が不意に胸を過る。


 考えたところで、この山を下りて何ができるわけでもない。

 行く宛も、頼れる人も、お金もない。

 浮ついた夢物語に耽る暇があるなら、今日を凌ぎ、明日を繋ぐことだけを考えなければ。

 そうして私の日々は、砂が零れるように過ぎていく。


「姉さん。昼間に、新八さんと睦まじくお話しされていたんですって?」


 鈴が放ったその一言で、夕餉の空気は一変し、逃げ場のない檻へと変わる。

 箸の触れる音も、味噌汁の湯気も、急に遠ざかった。

 誰かの目に触れていたのか。

 ……あるいは、初めから。


「全く。容姿ばかりあの女に似て、いやらしい。男を誘惑する術だけは一人前だこと」

「新八さんから、永太と琴にと、お土産の品をいただいた。それだけです」

「あらぁ、本当にそれだけかしらぁ?」


 鈴が口元に手を添え、わざとらしく目を細める。

 母の面影を色濃く残すこの顔をなじられるのは、もはや日常の儀式のようなもの。

 父も、亡き母も、そして継母も。皆、この集落で生まれ育った者たち。

 父が婿入りしてまで母を娶ったこと。

 その母が亡くなった直後、後妻の座に収まった継母は、十六年経った今も、母への暗い執念を根に持っているのだ。


「そうだわ!姉さん。せっかくその顔があるのなら、隣町の大店の主とでも縁組すればいいのに!」

「あら、名案ね!そうなれば、我が家も安泰だわ!」


 隣町の主といえば、五十を優に超えた男。

 それも、過去に四人もの妻が、数日も持たずに逃げ出したという、不吉な噂の絶えない人物。

 二人は楽しげに、ありもしない妄想を事実のように塗り固めていく。

 まるで、それがもう決まった縁談であるかのように。


 父が二人を諌める気配は、微塵もない。

 ただ黙々と箸を動かすその背中は、この光景を当たり前の景色として受け入れている。

 一度でいい。

 こちらを見てほしかった。

 けれど、その願いも、とっくに口にするには遅すぎた。


 ふと、隣に座る永太と琴に目を向ける。

 二人は怯えに瞳を揺らしながら、小さな手で懸命に茶碗を握りしめ、口を動かしていた。

 こぼさないように。

 叱られないように。

 ただそれだけを考えている子どもの顔。


 実の母と姉が醜く嘲笑う姿を、この子たちに見せ続けなければならない。

 申し訳なさに、胸の奥がぎりりと軋んだ。


 鉛を飲み込むような心地で進む夕餉。

 味など微塵も感じないまま、ただ胃に流し込み、逃げるようにその場を後にする。


 言い返せば、火に油を注ぐだけ。

 こうして沈黙を守り、気配を消して立ち去ることだけが、私に許された唯一の抵抗。

 背中にまだ鈴の笑い声が刺さっている。

 零れた溜息は、夜の寒さに白く溶けて消えた。


「おねえちゃん……およめに、いっちゃうの?」


 隣の布団から、琴が縋るように小さな手を伸ばしてくる。

 その柔らかな熱を持った指先を、私は壊れ物を扱うようにそっと握り返した。

 小さな爪の先が、私の掌に不安ごと食い込んでいる。


「行かないよ。……永太と琴が大人になるまで、お姉ちゃんはずっと、二人のそばにいるから」

「ほんとう?」

「本当」

「……ことも、ずっといっしょ!」


 もぞもぞと幼い体が同じ布団に潜り込んでくる。

 細い腕が、私の袖をぎゅっと掴んだ。

 安堵したのか、ほどなくして規則正しい寝息が聞こえ始める。


 明日になれば、また新しい傷を付けられるのかもしれない。

 それでも、今はこれでいい。

 私の腕の中で眠る、この二人の温もりがある。

 頼りないくらい小さくて、けれど、私をこの家に繋ぎ止める温もり。

 それだけで、私はまだ、明日を望むことができるのだから。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
主人公の心情、簡単にはいかない家族関係など、とてもわかりやすく描写されていて思わず感情移入してしまいそうになりました。強いて言えば、もう少しルビが欲しいです。 これからも頑張ってください。
継母と異母妹の虐め。 自分だけなら耐えられるけど、 幼い異母兄弟の事まで考えられる梓は優しいですね。 なんとか梓も報われて欲しいものです。
切なくて、胸が締め付けられるような物語でした。 継母と異母妹からの陰湿ないじめの中で、幼い弟妹を守るために耐え続ける梓の姿が痛いほどにリアルで、静かな強さを感じます。特に弟妹との布団でのやり取りは温か…
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