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憧憬のルーネリアン  作者: 翠屋みとこ
第3章 沈黙より踏み出して

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第23話 〈アリガトウ〉

 授業開始から三日経った金曜日、二限目の魔法実践が終了した。

 草原では太陽の動きが無いため、時間の経過を感じにくい。よって皆、学院のどこにいても聞こえるという【魔法鐘】が鳴らす、予鈴と終鈴を頼りにしている。

 ライカとキャシーも例に漏れず、終鈴が鳴り始めるとすぐに魔法を解き、杖を制服に仕舞った。男子はズボン、女子はスカートに杖を入れるための細長いポケットが付いている。


「よし授業終わり! ご飯ご飯!」

「お腹ペコペコです! 早く行きましょう」


 ティアリはそんな二人を「あの」と呼び止めた。


「ごめんね、先に行っててもらえるかな。ちょっと……やりたいことがあって」


 ライカは驚き「え! 何でですか、僕待ってますよ」とティアリに詰め寄る。それに対しまごつくティアリを見て、キャシーはライカの口を両手で塞いだ。


「ライカ。ティアリにだって、誰にも見られずに試したいことが一つや二つあるのさ。詮索はよくない、うん」

「む、む……!」

「ティアリ、食堂の席は取っておくから後でおいで」


 ティアリは、可愛いく片目を瞑る彼女に胸を撫で下ろした。さらりとこういうことが出来るキャシーは、やっぱり凄いなあと思いながら。


「あ……ありがとう、キャシー」


 キャシーは微笑むと、納得のいかなそうなライカを引っ張り、草原を出る扉へと歩いて行った。





 二人を見送った後、ティアリは自身が魔法で生み出した猫と向き合う。

 今日授業で召喚したのは三毛猫だった。日によって変わる毛並みを、ティアリはこっそり楽しみにしている。

 魔術語学の授業でわかったことだが、魔法は細かな指示がない部分は効果が無作為に選出されるらしい。ティアリのブローチに込められた魔術指示文は〈杖の示す先の地面に、猫を出現させよ〉というものであり、毛並みは指定されていない。よって毎度異なるものとなっていた。


「猫ちゃん、今日もありがとうね。えっと……〈アリガトウ〉。〈テイシ〉」


 杖の先端を猫に載せて詠唱する。〈テイシ〉を受けた猫は、砂がさらさらと流れるように身体が分解されていった。魔法生物の猫を見送ったティアリの前に、宙から学院長が降り立った。


「ティアリさん、授業お疲れ様です。……何をしていたのですか?」

「え、ええと」


 少し恥ずかしく思えたが、猫に話しかける自分を学院長は見ていたかもしれない。そう思ったティアリは、杖を制服のポケットに仕舞ってから返答した。


「前の魔術語学の授業でありがとう、の言い方を習ったので、猫ちゃんにお礼を言おうかと思って」


 ブローチに込められた魔法は、〈ハツドウ〉で魔法が発動し〈テイシ〉で停止するよう設定されている。使用されていた魔力がブローチの石に還り、透明から白に戻るという仕組みだ。


「……そうでしたか」


 細かな雨が地面に染み込むように、穏やかな感心と慈愛を持った声だった。そこに「何故意味のないことをしているのか」といった嘲笑は一切感じられない。

 目元が見えないため、表情から伝わる情報は半分にも満たない。だからこそ彼は、自身の声色に気を遣っているとティアリは思う。あらぬ感情を読み取られないように。


「あの、わかってます。魔法生物がどういった存在なのか、っていうのは」


          *


 魔法概論の授業において、エドガーはこう説明していた。


「魔法生物の定義とは【魔力で作られた動体】である。この動体とは即ち、生物ではないということだ」


 エドガーは教室にいた三人の使い魔のうち、近くにいた一体を魔法で引き寄せた。


「この使い魔も学院長が作った魔法生物だ。言わば、魔術指示文によって行動を定められた人形……つまりは」


 エドガーは、魔法で杖を剣のように鋭く尖らせてから、使い魔の左腕を肩から斬り落とした。生徒たちは悲鳴を上げるが――使い魔は動かない。落ちた左腕を見ようともしない。


「――心が無いのだよ。こいつらには」


 エドガーが侮蔑的な視線を送った時、使い魔がようやく口を開く。教室中に響き渡る大声だった。


「左腕、損傷確認。ただちに修復作業を行ってください」

「生物を真似ただけのただの魔力。模型だ」

「この命令を三回以上無視した場合、学院長に状況報告がなされます。繰り返します、ただちに修復作業を――」


 淡々と口だけを動かす使い魔。とても人間とは思えない統制された抑揚は、生徒たちの使い魔に対する印象を【人間のように見える者】から【音声を発する人形】へと塗り替えてしまった。戦慄する彼らを横目に、エドガーは再び詠唱し、使い魔の左腕を縫合してから端に追いやった。


「学院長は【魔法生物に心を入れてはならない】と定めた。本能を持ち、思考によって動くものを不必要に殺めることは、大陸神の教えに反する卑劣な行いだ。学院長はこれからの授業において、数多の魔法生物を生み出し、その度に破壊する諸君らに殺生という咎を背負わせたくないのだろう。

 もっとも、心のある魔法生物の生成には膨大な魔力が必要。我々には関係のない話だがな」


          *


 魔法生物には心がない。一度消滅してしまえば元には戻らず、たとえまた同じ魔術指示文を用いて召喚したとしても、決して前と同じ猫にはなり得ない。

 その制約は理解している……だけど。


「ちゃんとありがとうって言いたかったんです。だって、わたしのために来てくれた子たち、ですから」


 たとえ彼らが心を持っていなくとも。

 それを願い、魔法で呼び寄せたのは紛れもない自分だから。


「自己満足、にはなるんですけど」


 言い終える頃には、なんて大それたことを! と恥ずかしくなってきたティアリが、萎れた花のように俯いていた時だった。

 ……ポン、と旋毛に何かが触れた。


「――貴女は、心優しい人ですね。頭を撫でてあげましょう、よしよし」


 硬い手袋の感触が、頭の上で左右に揺れる。突然のことに驚き、しばしされるがままとなった。


「え……あ、あの。先生?」

「魔法生物は貴女の〈アリガトウ〉を感じることは出来ません。ですが――お礼を言ったという事実だけは残存すると、私は思うのです」


 学院長の撫で方は一貫して優しいものだった。何故だか、懐かしい気持ちにさせられる。


(……お母さんとお父さん以外の人に、撫でられるの、初めてだ……)


 目頭が熱くなる。自分のためにやっているだけのことを認められて嬉しいだなんて、思ってもいいのだろうか。


「けれど、あまり思い詰めないでくださいね。私やエドガーの言う『魔法生物を一つの命として考えなくともいい』という説明は、貴女たち生徒のためでもあり、同時に彼らのためでもあるのですから。

 言うなれば、自分たちを作った者に従うことが彼らの願い。どうかそれを叶えてやってください」


 ティアリは静かに頷くと、学院長を見つめた。


「……でも、先生には心がありますよね」


 見た目は十代半ばの、ライカと体格の変わらない少年だ。けれど話す言葉、立ち振る舞いには老成さが入り混じっている。

 言動と年齢、ついでに言えば立場も揃わない彼はきっと――人間ではない。

 入学式で、皇子クラウスに対する学院長の返答の通り。


『貴方も随分と意地悪な人だな、と思いまして』

『人ではありませんけどね?』


 ライカのペンダントを【借りた】のも、こうやってティアリの選択を褒めたのも学院長の意志なのだろう。心があるからこそ、考えていることの全てを読み取ることが出来ない。

 学院長は吐息混じりに微笑むと、肩を竦めた。



「ふふ、そうですね。隠しているつもりはありませんので教えてあげましょう。

 私は、とある男の人格と記憶を映し取った魔法生物。故に心を持っている……というよりも、複製したという方が正確でしょうか」



 人格と記憶、それらは一言で言えば心そのものである。

 つまり、学院長は使い魔たちとは異なり【心を持った魔法生物】だということだ。


「私という存在が生まれたのは九十年前、ですが元の人間の記憶を含めるなら、百十五歳になりますかね」


 さらりと告げられた真実は、魔法学院の生徒になっていなければ信じられないものだったろう。

 思いの外驚愕の感情は湧き上がらず、ティアリはただ納得したと言わんばかりに「そうだったんですね」と言いながら頷いた。

 そのことに、学院長は少し不満気味だった。


「おや、意外と驚かない」

(流石にもう、慣れたというか……)


 もし普通に生きていたら、実は人間ではありません、少年に見えるけど百年近く生きています、などという荒唐無稽な話は信じられなかっただろう。

 逆にもっと彼のことを知りたいと、その瞳に何が映っているのかを見てみたいとさえ思う。


(聞いてもいいのかな。『その男の人とは【ルーネリアと魔法の石】に出てくる人のことですか』って……)


 童話がいつ成立し、絵本になったのかはわからないが、百年前だとしてもおかしくはない。ならばその可能性はある。

 しかし、躊躇われるのもまた事実であった。童話の中では、ルーネリアは嘘つきだと蔑まれ非業の死を遂げているのだ。おいそれと訊いて良いことではないだろう。

 逡巡に揺れた結果、やはり話さない方が良いだろうと結論づける。眉を顰める少女に学院長は追及せず、話題を変えた。


「そうだ。私、貴女に謝らなくてはならないことがあったんでした。

 入学試験の話です。試験会場はこの草原だったでしょう。あれ、実は貴女だけなんです」


 キャシーが言っていた通り、大抵は出身町に設けられた公民館で、一般の学院試験を装って行われたと学院長は語った。ティアリだけが特別だった、というのはあながち間違いでもなかったようだ。


「今年は新入生の集まりが悪くて。各州を巡っていたところ、貴女を見つけまして! なのでちょっと強引に連れ出させてもらいました」

(かなり、だった気がするけど……)

「私が直接猫に変身し、路地裏まで来てもらったのは良いのですが、貴女の町から草原までは大分距離がある。なので線路で無理やり繋いだんですが……怖かったでしょう? 真っ暗闇の中、あの速度で駆け抜けたのは」


 つまり、扉に入った先にあった何もない空間は、魔法空間そのものだったということか。


(エドガー先生の授業で言ってた、息のできない空間……放り出されたら、死んじゃうっていう……)


 得体の知れない【あれ】に載せられた時のことを思い出したティアリが背筋を震わせていると、学院長は頭を下げた。


「本当にごめんなさい。しかしそうまでしても、私は貴女がこの学院に来てくれて良かったと思います」

「先生……」

「――ああ、もうこんな時間ですね。すみません、大分話し込んでしまいました。お昼はどちらで? 食堂ですか」


 ティアリが頷くとほぼ同時に、学院長は彼女の手を取った。

 そして――抱き上げるとそのまま浮上する。


「ひゃあっ!?」 

「それは大変です。早く行かないと休憩が終わってしまいます」


 ティアリは小さな肩に腕を回し、思わずしがみついた。突然のことに驚き、金の髪が麦畑のように風にたなびいているのを呆然と見つめる。

 どこに行く気なのか、と聞く前に彼は告げた。


「大丈夫。食堂まで()()()()()できる、特別な近道を教えてあげましょう!」


 飛び続けること数秒、とある扉の前に着地したと同時に、学院長はティアリの背中を押した。触れた所から小さな風が生み出されたように、ティアリは扉へと入って行った。

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