第八話「八勇者」(後)
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「今度という今度は許ぜん! 子供を撃つなんぞ!」
「悪魔はクリ野郎のクズ共にごわす! 天誅下すべし!」
地下の集会所の一つに集まった者達が次々いきり立つ。怒りの声は地上にまで響き渡らん勢いだ。「やめんか」とザオヤーガは諌めるが、火に油を注ぐに同じ。
「兄貴ィ、怖気づいちょるんか!? サツが撃ったんはオデらの」
「わがっどるは! 考えとんじゃ少しは静かにせい言うとるだけがや!」
弟ザオヤーグに吹っかけられ、つい苛立ちから机を叩きつけた。粗末な木製だ、容易くひび割れる。彼とて冷静ではない。
早朝、事件が起きた。ゲットーを仕切る警察長が緑肌族の少年と口論になり、相手を射殺したのである。何もその少年が壁越えをして盗みを働いたというわけではない、にもかかわらず命を奪うのはいくらなんでも横暴が過ぎる――特に同じ部族の者が怒り狂うのも無理はない。
しかも少年の親が反政府組織「暁の薔薇団」に与していたのが拍車をかけた。この集団は急進的な共和主義でヴァルヴァーネも受け入れ、同じテロリストでもあくまで没落貴族を中心とする反王党派「エトール騎士団」などとは対立関係にある。故にゲットーにも根を張り勢力を広げていた矢先にこれだ。好戦的な彼らはしきりに報復を煽る。
「外んいる薔薇団の仲間も支援してくれるっつー話じゃけん、今こそ独立ん時じゃなか? のう耳長のベアト婆や」
鼻高族の長にして暁の薔薇団の一員でもある壮年の男がベアトリトスに詰め寄る。他の部族の若い衆も同じように婆様婆様と最長老に縋った。けれど首を縦に振らない。先程から一向に。
「いけません。今事を起こしたとして、クリスタリカ正規軍が全力を出せば勝ち目がない。貴方達はこのゲットーを地図から消す気ですか!」
「おう消してやろうでねか! こん忌々しいゲットーなんざ捨て、奴らの都を奪い取りゃあよか!」
威勢のいいことを言う緑肌の青年に周りが湧きたつ。ベアトリトスは呆れて物も言えない。ザオヤーガもこれには苦虫を潰したような顔をするのだった。
「そう上手くいくつもりで結果がこんゲットーじゃ。甘う見るんはやめい!」
「言うでも兄貴、あん時と違う。銃も新しいん揃えたし、こっちにも転士ばおる。もう負け繰り返すことねぇべ」
「せやせや、外ん連中に聞いたんやが、八勇者三人おらんちゅう話や。今が機じゃなかいつすんや! もう我慢できん!」
そうじゃそうじゃと報復論は勢いを増すばかり。彼らの言う通りいざという時の戦力を整えてきたのは確かだ。それでも聡明なベアトリトスにはわかる、到底武力蜂起を実行できるレベルではないことが。けれど過去の戦争を知らない世代にはピンと来ないだろうことも、逆に知っていればこそ我慢の限界にあることもわかっていた。
そんな彼女を慮る視線をザオヤーガは送り、小さく溜息を吐いてから、切り出した。
「ようわがった。じゃ、この件はうちでやらせてもらう。耳長とは関係ね。バア様には迷惑かけん。だがんこそ、バア様も口出さんでええか」
「ザオヤーガ! 貴方」
「部族の問題に他の部族は手ぇ出すな。元々そうだったろ? そうゆうことじゃ。行ぐぞおめぇら」
緑肌族の長の決心に歓声が巻き起こる。血気盛んな若者達は次々と武器を取り、意気揚々と地下壕から飛び出していく。彼らを弟にまとめさせながらも、しかし渋い顔には変わらぬザオヤーガを残して。
「ふふ、私も微力ながら手伝わせていただくわ」
その場にいたモルガンも妙に楽しげに口元を歪ませ、流れに乗った。彼女転士の存在は士気を大いに向上させる。
「部族の垣根を越えて団結せねば勝てない、いや一丸となってもクリスタリカ人の方が多いのですよ……」
とうとう背を向けて出て行くザオヤーガにベアトリトスは投げかけるも、結局彼を止めるには至らなかった。彼自身、同胞を抑えきれなかったように。
「何ですかこの騒ぎは?」
「ザオヤーガ、とうとうやるのか!?」
ちょうどその時、異様な雰囲気の集団と鉢合わせてタカノが困惑する一方、状況を悟ったムゥムゥは顔馴染みに縋りついた。
「戦いになるんだろ? じゃ、じゃあ、あたいも連れて行ってくれよ。めーっちゃ強いし絶対役に立つから!」
「あん?」
ザオヤーガの眼光が鋭くなる。
「連れて行くわけねぇだ! 遊びじゃねぇ危ねぇ。ガキは大人しく待っとれや」
「そんな……そんなこと言わずにさぁ!」
「じゃかましい! 転士様よぅ、すまねがムゥムゥの面倒見てくんねぇが」
「……わかりました。ムゥムゥちゃん、ここはザオヤーガさん達に任せよ、ね」
「子供扱いすんな! うがー!」
癇癪を起こすムゥムゥ、だがすぐ大きな手で弱点の耳を撫でられむぅむぅ鳴くだけになる。
「おめぇを死なすわけにいかねぇんだよ……」
名残惜しそうに、緑肌の大男は手を退けて去る。すぐ後を追おうとするムゥムゥだったが今度はタカノに耳を押さえられてしまった。
「くっそぅやなやつザオヤーガのヘソ曲がり! あたいだってなァ」
「違うよ、きっと心配してくれてるんだよ」
彼女を撫でる彼の目は決して厳しいだけではない――そう、タカノには見えた。不穏な状況に恐れを感じつつも、ひとまず駄々っ子を引き取ることにする。
一方先の喧騒が嘘のように静まり返った集会所に、どこからともなく鼠一匹入り込んだ。長い耳の傍に寄り、静寂を破る。
「あいつらを殺してでも止めるべきじゃなかったのかしら」
悪魔のような囁き。それでもいつもなら柔らかく応対するところ、ベアトリトスは険しい顔のまま答えた。
「その通りですが相変わらず手厳しいことを仰る。それに沸き立つ感情を抑えるのは難しいものです、私でさえこの歳になっても。貴方は如何でしょう、ネロ様」
「フン、言うな。私にも身に覚えくらいある。でなきゃこの世界に転生しはしなかった……ああ歳を取るのは厭ね、近頃昔のことをよく思い出す」
「私もです」
耳長族の長老は笑顔を作ろうとするも上手く出来なかった。鼠姿のネロも酸っぱい顔をして、
「あー野暮用を思い出した。今の内に済ませておこうかな」
そそくさと出て行く。これ以上互いの古傷を刺激したくなくて。
「戦ってくれ、とは言わないのね」
長い耳なら辛うじて聞こえるか聞こえないかの塩梅で、小さな英雄は呟く。そうしてベアトリトス一人取り残された。
彼女は首飾りに括ったブローチを握る。先祖代々受け継いできた品で、亡き弟の形見。今でも彼女は鮮明に思い出せる――燃え盛る故郷、次々と一族が死に絶えていく様を。その度に昏い感情の炎が燻った。
――その炎は今、ゲットー全土に燃え広がる。
暁の薔薇団と共に反旗を翻したヴァルヴァーネ達は第三ゲットー警察署を襲撃、瞬く間に制圧した。圧政に加担したとしてクリスタリカ人の警官は皆殺し、無惨な屍が吊るされた――彼ら曰く自由の旗として。
ゲットーを囲う壁の内側にもう一つ、土嚢や柵で壁が築かれた。そのなんと手早いことか! 慌てて暴動鎮圧に動いた駐屯兵も足止めを食い、潜んでいたゲリラに悉く討ち取られた。反乱開始から五時間も経てば抵抗する者もいなくなり、ひとまずレジスタンス側が勝利を収めた――かに見えた。
独立が声高に叫ばれ、指導者ベアトリトス九世は熱狂に迎え入れられる。
けれど彼らは何も知らない。束の間の勝利に過ぎないことも。全ては仕組まれたシナリオ通りに進んでいることも。その最中、転士モルガンがガヴァンと共に姿を消したことも。
眠るアケミなどはこの蜂起さえ知らずにいた。何も言えず、タカノも付き添うのだった。ゲットーの行く末を不安に思いながら――
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王都郊外、山奥。そこに場違いなほど立派だが寂れた屋敷があった。
使用人も代々一人か二人しかおらず、滅多に人が来ない。クリスタリカの民には忘れられた地だ。その主人を知らない者は誰一人いないというのに。
八勇者ハイジ――王国始まって最大の英雄。その隠居先である。
ところが最近はやや賑やかになった。軍の監視が交代で付くようになって。勿論テンキの差し金である。この最強の転士が動き出せば神の遊びなど一瞬で片付く、そんなことは有り得ないからこそ成り立っているゲームだが、万が一のことを考えてのことだった。
兵隊達が眠れば、代わりに客人が来た。正確には刺客が監視役を眠らせているのだと、遅れてやってきた鳥は判断した。
メイドも眠っている。鳥は警戒して蛇に化けるが、だんだん異形の姿を保てなくなってきた。足が生えて歩き、手が生えて扉を開ける。すると部屋の中の先客に声を掛けられた。
「まさか貴方がここに来るとは、ネロ」
「それはこちらの台詞だって。どうせ見えてた癖に、スナフ」
「彼女を見ようとすればそうもいかないのだけれど。貴方が珍しく人の姿なのも、まだ敵視しているということですか」
「相変わらず嫌味ったらしい奴。それにしても完全反射は健在ってか。無敵のハイジ」
ここに伝説の八勇者の三人が揃った。実に四十数年ぶりのことだ。
ネロはスナフとは目を合わさないようにしてベッドに近づき、ハイジを睨んだ。しかし焦点を合わそうとしても合わない。異世界でも見ているかのようで。
腹を立ててネロは手を出す、が次の瞬間にも彼女の指が捻じ曲がり、自身の首を絞めようとした。自ら跳ね返りの腕を手折り、舌打ちする。
これがハイジが無敵と謳われた証だ。彼女のチートはあらゆる攻撃を跳ね返す。故に最も多くの怪獣を屠り、最も多くの怪人を滅した。一度も傷が付かず、浴びるのはいつも返り血。故に血染めのハイジとも呼ばれた。
「無駄ですよ」
「わかってる」
「では何しに来たのですか。ハイジには誰も敵わない。誰の物にもならない」
「フン。木端ですらやる気でいるのに、お前はいつまでも逃げてるのかって言いたくなっただけよ。そっちこそ、こいつを盾に籠城か? 切羽詰ってるな」
「まさか。かつての同胞を看取りに来ただけ。それに心配無用。オーレリィは私の幻を追いかけています」
「小賢しい。ハイジはお前のことなんか嫌いだった」
「でしょうね。忠告は耳に入れてもらえなかった」
「はぁ……ったく、返事くらいしなさいよ!」
しかしハイジは答えない。虚ろな目には旧友の姿も映ってはいない。
「目を逸らす癖、貴方から学んだのかしら。手遅れになってから。貴方は良かったわね、一人王の支配を受けずに済んで」
「何が言いたいスナフ」
「貴方のせいでしょう。ハイジに戦争を押し付けて逃げたから、壊れてしまった」
「私のせい? 冗談じゃないわ! 何でもかんでも背負うコイツが馬鹿なだけだ。なぁ、英雄」
やはりハイジは答えない。人々の期待に応えようとひたすら敵を殺戮し続けた彼女は、やがて自らの行いに耐えられなくなった。生きている限り呪われる、されどチートのせいで自死すら叶わない。ストレスのあまり、在りし日の紅蓮の髪は一本残らず漂白されてしまっている。
「……ネロ。もし過去を悔いるなら、今すぐゲットーに引き返すといい」
「あ? 昔みたいに私を惑わそうなんて自惚れが過ぎる」
「親切心で忠告するのに。ラスカルとセイラが来てますよ」
「クソッ、動きが早すぎる!」
ネロは躊躇いなく振り返り、疾風の如く去った。翼を広げ全速力で飛ぶ。
「さて、どちらにさよならを言えば良かったのかしら? ハイジ」
同じ勇者同士の来たるべき対決を、スナフは冷徹な目で見つめていた。
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「配置完了しました!」
「ご苦労様ですわ。ではまず私とラスカルが一網打尽にしますから、貴方達は包囲を保ちつつ待機。ああ、勿論逃亡者は全員射殺。一人も通すな」
「は!」
いかめしい老将軍はお嬢様の形をした最高司令官に傅く。ヴァルヴァーネを封じ込める城塞北壁の上、八勇者セイラは最前列に立った。その隣の勇者もまた、仮面の下に見目麗しい少女の顔を隠している。同僚のように着飾ることもせず、抜身の刀身を確かめて。
「こちらもモグラの穴を埋めてきましたよ。全く、勇者様は人使いが荒い」
屈強な兵士達を掻き分けて、ファッショナブルな服の少女が入り込む。また転士だ。
「じゃあロカイユはしばらく休憩していなさい、そうね……あの鐘楼が崩れたら中での作業、始めてもらいますわ」
「はいはい」
転士ロカイユは面倒そうに返事をするが、内心では乗り気だった。八勇者に命を握られているから仕方なく来たものの、いざ雑然とした街並みを見ると段々苛立ってきて解体したくなる――建築家の性故に。
「それにしても汚い街ですね。再開発して、人が住めるようにしないと」
セイラは当然とばかりに鼻で笑ってゲットーの方を向く。
「セイラ様、ラスカル様、御武運を」
暁の空を背に、二人の勇者は颯爽と飛び降りた。
空中でセイラはポケットを裏返し、中身を取り出す。その一つであるダーツを前方に放った途端、彼女の体も投げられていた。正確に言えば、ダーツの位置に瞬間移動していた!
跳躍動具――ヘスターの移動自在を吸収して得た新たなチートである。しかもただワープするだけでない、律儀にも直前にダイナマイトを投下していくのが「火薬庫」の専売特許だ。
一方ラスカルの右籠手に巻かれた鉄線が解けていく。先端に小型の錨が付けられた特注のワイヤーだ。これを巧みに操り眼下の建物に引っかける。このままでは壁に激突するが、向かい側にも左籠手の同じ物で引っかけて勢いを削ぎ、強靭な脚で蹴って道の真ん中に降り立つ。ちょうど背後で爆発がした。
「な、何事だ!?」
哀れな通行人は驚愕している間にも首と胴体が離れた。ラスカルの愛刀ヤスツナは目にも止まらぬ速さ。瞬く間に二人、三人と半獣が斬られた。敵の出現に気付いた反乱者達が銃を構えようとすれば、それより早く腰の拳銃を抜き、正確に撃ち抜く。
剣を振るえば宮本武蔵、銃を握ればビリー・ザ・キッド。ラスカルの万能武人とは武器を使いこなす、ただそれだけのチートだ。それだけで誰にも止められない。
爆発も止まない。地上を駆けるラスカルに対しセイラは屋根を伝いながら、空爆を続ける。一面灰燼に帰しながら潜むレジスタンスを炙り出し一網打尽にする、所謂焦土作戦だ。これの非情さは、少数の敵と反乱に加担していない大半の住民とを区別しないことにある――目に映る物全て、焼く。斬る。殺す。
「来よったぞ! 撃で!」
張り巡らせたバリケードを盾にゲリラ達は砲火を浴びせる。しかしラスカルは少しも怯まず弾幕に突っ込んだ。
素人の鉄砲などそう当たる物ではないとはいえ無謀すぎる、と誰もが思うだろう。しかし八勇者は伊達ではない。弾道を読んで動き、急所だけは左籠手に備え付けたミスリウム製の盾で防ぐ。その裏でクナイを取り出し、逆に狙撃手の脳天を次々撃ち抜くなど容易い。
こうなれば恐れるのはラスカルではなく、相手の方だった。あっという間にバリケードの内に侵攻される。最早銃口を向けているのは彼女の方だ。人はこう呼ぶ、「勇者」と。あるいは――
「化物……!」
暁の薔薇団の男は悲鳴と共に撃ち抜かれた。たった三十分前には反乱後の展望など熱く語っていた者にこの最期は予想できなかっただろう。その場最後の一人とてそうで、なすすべなくズボンを濡らす己が様を信じられない。ラスカルの存在などはなおさら。
「……ネロは何処」
そいつの膝を撃ちながら、ラスカルは重い口を開いた。哀れな青年は命乞いすら出来ず呻くのみ。その時二人の頭上に爆弾の雨が降った。
無慈悲な炎が死体を吹き飛ばす。生者は瞬時に逃れたラスカルのみ。
「こんな下っ端をやったくらいでは埒が明かないでしょう? さっさと次行きなさい、ラスカル」
「指図するな、セイラ。替え、寄越せ」
「くっ、そっちこそ!」
嫌々ながら、今度は補給用コンテナを落とすセイラ。中は消耗品の投擲武器と弾薬でいっぱいだ。これを受け取るなりラスカルはまた走り出した。背後から迫る爆発は通りを外れ住宅密集地へと続く。協力を惜しむなというテンキの命令には逆らえないが、八勇者の中でも特に我の強い二人、二手に分かれるのは自然だった。
空爆に頼らずともラスカルは駆け抜けていく。その速さたるや、陸上の金メダリストにダブルスコアで勝てる。当然チートによるものだ。それも万能武人とは別の、半世紀前には持ち得なかった機動力だから、今の彼女は伝説以上。応戦する怪人の命は紙屑のよう。
「第二陣突破されたらしいぞ!」
「八勇者が出てくるなんて……もうおしまいだぁ!」
「クソッタレがウダウダ言ってないで死ぬ気で止めい! 向かって来よる前に待ち構えんか!」
この頃にはもうザオヤーガ達主力部隊にも事が伝わっていた。火の手を見れば一目瞭然である。がまた一人、彼らが根城にするゲットー警察署に伝令役が来た。
「塔の耳長御婆から、ここを放棄して八番地に出ろってさぁ」
「ああもうお節介焼きバア様、言われんでもそうするがや!」
ザオヤーガは頭を掻いて、「片じけねぇ」と呟いた。それから弟以下緑肌の勇士達を引きつれアジトを放棄、地の利を生かしたゲリラ戦を仕掛ける。
けれどすぐに知ることになる――ラスカルを止める手立てなどないことに。
第三ゲットーの迷宮とも言われる八番地に入り込んだ彼女は袋の鼠、あばら家の影から壁の隙間から、あるいは地下へと続く穴から歓迎を受ける。だが一人一人返り討ちにした。仮面の下の表情は窺い知れぬが、どこか楽しんでいる風だった。でなければ自分からわざわざ複雑な横道に逸れたりしない。
「相手は一人じゃ、何故止められん!」
とうとうザオヤーガ・ザオヤーグ兄弟も目撃する。刀、拳銃、クナイ、ワイヤー、その他あらゆる武器を用いて仲間達を殺していく恐怖の権化を。
「クソ、兄貴、弾がねぇ! どうする!」
「どうした? 怪人共よ。玩具に頼らず自慢の肉体で戦わないか?」
「馬鹿者退け!」
こちらの声が聞かれているということは既に敵の間合いだ――ザオヤーガは絶望する。叫んだところでもう弟は助からない、かつての戦争で両親を失った時と同じと思えば。
ヤケクソで立ち向かおうとするザオヤーグだが、右腕が飛ぶ。左腕が切り離される。両脚には毒の沁み込んだスリケーンが刺さって一歩も動けない。後は頭を残すのみ。
「うわああああいやだああ兄ちゃんんんん」
「ちょっと待ったぁ!」
彼が何十何百と狩られた命の一つに加えられようとした時、何者かが割りこんだ。刀は弾かれ弧を描く。ラスカルはワイヤーで難なくヤスツナを回収しつつ、太腿に括っていたナイフを抜いて斬りつける、がまたも防がれる。
鍔是り合うは爪。転士と対峙する、怪獣の血が濃く出た緑髪の獣人。
「ムゥムゥ!? 何しどるボケェ!」
「うっさいザオヤーガ! あたいが助けてやるのに!」
ムゥムゥが得意げに言う間にもラスカルは長刀を繰り出す。間一髪かわすが、相手の狙いは邪魔者をどかしてナイフをザオヤーグの胸に放ることだった。
「ああクソッ、よくもやったな!」
「よさんか! ガキは引っ込んでろ!」
怒声を上げながらも狼狽するザオヤーガをよそに、ムゥムゥは闘志満々で敵を睨む。全身の毛を逆立て筋肉を膨らませ、爪をより鋭く尖らせる。効果は僅かとはいえこれは怪獣の変形能力に近い。地面を思いっきり蹴れば弾丸のように飛び出す。
流石のラスカルもこの至近距離で避けることなど出来ない――と思いきや、咄嗟のブリッジ回避。その反応速度にムゥムゥは驚いた。彼女の優れた動体視力でも敵の回避運動を全く捕えられなかったのだから。
「なんだ今の、チート!?」
二回行動。元の持ち主はこれ以上同時間に行動することが可能だったが、相性の関係でラスカルは二回が限界である。けれど元来の万能武人と組み合わせれば十分凶悪だろう。
「お前……面白いな。久しい期待感だ。やっと少しは楽しめそう、か?」
仮面の転士は不気味な微笑みを口元で表す。さしものじゃじゃ馬娘も背筋がゾッとした。本能が近接での斬り合いを怖れ、自然と距離を取る。両手を地面に付け、より獣らしく、より感覚を研ぎ澄ませていく。
予備動作を最小限に飛び掛かるムゥムゥ。すれ違いざまに喉笛を掻こうと爪を伸ばす――がラスカルの太刀筋を瞬時に見切って無理だと判断し、回避に専念して離れる。もう一度試すがやはり一手上回れず。とはいえこのヒット&アウェイ戦法の有効性は疑わなかった。
もっと化物の力を引き出せば。あるいは――
「捨て身なんざやめい、やめてくれ!」
ザオヤーガは彼女を止めようと躍り出る。聞き分けがないならせめて自分がラスカルの注意を引きつけようと。だが皮肉にも逆効果で、若いヴァルヴァーネを余計焦らせてしまった。
三度目の突撃はザオヤーガを意識した分精彩を欠いた。そもそも歴戦の勇者に同じ手がそう通じるはずもない。容易く動きを読まれ、眼前には刃。一手遅く避けきれない。
「ぎゃあっ! 目が、目が!」
ムゥムゥの右目が裂けて血を噴いた。これでも頭がスライスされていないだけ浅く済んだ方だ。ラスカルの仮面もまた赤く染まるが、返り血であって無傷。
緑肌の大男が悲しみの雄叫びを上げ、ようやく彼の狙い通り敵の注意を引いた。あっという間にクナイが刺さる。けれど止まらない。まさに必死でラスカルに食らいつき、初めて圧し掛かることに成功した。胸元に大きな穴を開けながらも。
どうしてここまで必死になれるのだろうか――ザオヤーガ自身不思議がった。昔好きだった半獣族の、種族を超えて結ばれることはないと知っていた女の、死の間際の懇願に心打たれたからか? 生きて子供を産めないと知った母親の「娘の面倒を見てほしい」という呪いが強すぎたせいか? けれど彼は面倒事が嫌いだった。その娘ムゥムゥのことも面倒でしかないと思っていた。
――はずだった、のに。
「こんダラズが……オデらで敵うはずね、転士をば、呼べぃ……」
「ザオヤーガ!? で、でもザオヤーガは」
「行げ! 生ぎろムゥムゥ!」
ザオヤーガが切り刻まれるのを見る前に、ムゥムゥは走り出した。決して振り返らず、ただただ必死に。潰れた右目から血の涙を流しながら。
その無防備な後姿をラスカルは撃ち抜くか? 否。ちょうどその時爆弾が降ってくれば、ワイヤーを使って屋根によじ登り、セイラの行く手を阻むように刀を横に突きだした。
「迎えに来てやったのに、何ですの!」
「アレはまだ殺すな」
「言われずともわかっていますわそれくらい。ええ、ネロを舞台に引きずり出してもらわないと」
夕焼けよりも街の方が勢いよく焼け爛れていく。暁の薔薇はなべて頭を垂れて灰になり、反乱の声はほぼ沈黙した。今や蜂起に関わらずただただ日常を送っていた住民達が生きながらに火葬されるばかり。
されど八勇者の二人にとっては、まだ余興に過ぎなかった。
8
アケミは長い昼寝から目を覚ました。すっかり熱は引いて、体もよく動く。ふと窓を見れば空が赤い。
「気分はどう、アケミちゃん」
「上々。もう大丈夫。でも随分時間かかったな……」
右腕に刻まれた余命は24時間を切った。いてもたってもいられず飛び上がる相棒の肩を、タカノは優しく掴む。
「アケミちゃん落ち着いてよく聞いて。今ちょっと大変なことになってる。どうもゲットーの人達と警察が揉めたらしくて、内戦になりそう」
「えっ!?」
件の武器庫がアケミの脳裏に浮かぶ。そういうことになる予感がなかったわけではない。だけに状況は概ね飲み込めた。
「ボクらも戦う、のかな。というか寝てる場合じゃなかった、起こしてよ!」
「ごめん……アケミちゃんが治ってからじゃないと、戦うにしてもここから出て行くにしても」
「そう、だよね。こっちこそごめん……出て行くって?」
「まず私の意見を述べるね。私は転士じゃない人間とは戦えない。ベアトリトスさんも無理強いしないと言ってくれた。と同時にこちらに転士がいれば向こうも転士を出してくるかもしれないと。その時の為に残るのが一つ、私達が出て行くことでそれ自体を避けるのが一つ。私は後者の方がいいと思う、迷惑かけたくないから。アケミちゃんはどうしたい?」
「ボクは……」
続く言葉は突如轟音に遮られた。地震か、否。爆発の音だ!
アケミは思わずあばら屋の外へ飛び出す。そして近隣の家屋が崩れ落ちる瞬間を目に焼き付けた。ああ、空が赤いのは夕焼けのせいだけじゃない。ゲットー自体が燃えている。
――もうとっくに、選択肢は一つしか残されていない。
名前を呼ばれて振り返れば、マスケット銃を手にしたタカノがいた。
「どうしたの、それ……」
「分けてもらったの。こうなったら私も戦うよ」
「大丈夫、なの?」
タカノはコクっと頷く。真剣な眼をして。
《アッハハハハ! タカノもやる気だぜなぁ! いいじゃねぇか、戦場にこそ生きる糧があるもんだぜ。どうせオメーラの残り時間は少ねーんだ、この祭りに転士が集まるのを祈ってさぁ、迎え撃つしかねーだろ!》
煽り立てるてんせーくんには目もくれず、アケミは相棒の手を引いて走り出す。これ以上小路地にいるのも危険だ、まず大通りを目指した。途中で逃げ惑う耳長族の男女とすれ違う。
「母様!」
「あんたらそっちはもう駄目だ、地下に逃げるしかないよ!」
声を掛けられて振り向けば、女の方――外見で判別付かぬがもう一人の母親らしい――が手招いていた。だがすぐさま、この親子は爆炎に包まれた。アケミは絶句する。最早退路などない。
炎に追われ、少女達は必死に走った。ようやく開けた通りに出れば――なんという地獄の一丁目か。家屋も死体も目に映るもの全て、燃え盛っているではないか!
「これが、戦争……!?」
アケミが記録映像などで知るソレは、全てモノクロだった。だから実感がない。この赤さには――
「アケミちゃん見て!」
タカノの言葉で我に返る。一面の赤に浮いた緑の点をアケミも認めた。あの髪の色は間違いなく、彼女達がよく知る相手――ムゥムゥだ。
四足歩行で疾駆する獣人はあっという間に目の前に立つ。息を切らして顔を上げたなら、アケミもタカノも思わず息を呑んだ。
「ムゥムゥ! その傷!?」
「ハァ、ハァ、あたいのはたいしたことない。でもザオヤーガは、皆は……ごめんよ、あたいらじゃ敵わなかった……」
「目痛む? すぐ手当てしてあげるから。ねぇ一体何が」
「お願いアケミ、タカノ! 助けて! あいつらを倒して!! うぅ」
顔の右半分からだくだくと青い血を流しながら、ムゥムゥは懇願した。大人ぶる余裕もなくしてタカノの胸元に縋りつく。
「……タカノちゃん、逃げて」
ムゥムゥの後、もう一つの人影が飛び出した。アケミの喉が震える。その影が色濃くなるにつれ、最も恐れる姿になっていく。深紅の鎧に靡くマフラー黒々と。
――八勇者ラスカルが、追ってきた。
「あら、ようやく見つけましたわ袋の鼠。ネロはいないようだけど」
更に追い討ちが掛かる。アケミ達が通ってきた路地の方から。いつの間にやら角の建物の屋根から見下ろしていた――八勇者セイラが。なんという悪夢か! 夢ならどんなに良かったかと願えど、四日前の応天門で見せた姿となんら違いがない。
「セイラ様、ラスカル様、これは何ですか? 貴方達がやったのですか!?」
「ええ、それがどうしたのかしら」
答えを聞いた途端、タカノはセイラに銃を向けた。引き金に置く指が震えながらも。これには相手も驚いたか尋ねる。
「どういう冗談? クリスタ教の司祭が異教徒の肩を持って、王の命に従う私に刃向うというのは。わかっているんでしょうね?」
「はい。私は私なりに神を信じるだけです。かつて何も信じえなくなった私でさえ救ってくださる神が、慈悲深い神がこのようなこと、許すはずがありません!」
「こりゃ傑作ですわ! イカレた信心ですこと! 貴方の都合で教義を捻じ曲げるなんて。黙っていれば見過ごしてあげた、なんてことないけど、もう許されないな四十四位タカノ!」
「私はもう逃げたくない。自分からも……ごめんねアケミちゃん」
マスケットを構えたままタカノは目配せした。ここは死守する、たとえ相手を殺してでも――という覚悟を表して。
《さてアケミ、お前はどうする? どうしてくれる!》
「そんなの、決まってるよ……」
今すぐ逃げ出したい。震え上がる体はそう訴えかける。されどアケミは一歩も退かなかった。燃え滾る血潮が一歩前に進ませる。
目の前の八勇者が恐ろしい。けれど壊されるゲットーを、傷つけられたムゥムゥを目にしながら、無視して生きていく方がもっと恐ろしい。こんなことされて頭に来ないわけがない。それにてんせーくんの言う通り、今がクリスタルを得る最後のチャンスだろう――
アケミは決意を胸に、右手を翳した。仕込まれていたキリコの銃がするりと飛び出し、掌に収まる。そしてラスカルに銃口を向け、宣言した。
「ボクは戦う。誰だろうと八勇者だろうと、大切なモノ傷つける者全てと戦う! 来い、ラスカルッ!!」
仮面の英雄もまた、大きく口角を吊り上げながら、刀を構えた。




