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第八話「八勇者」(前)

 相変わらず、後宮の和風屋敷は浮世離れていた。

 竹から水が滴り小気味良い音を鳴らす。かつて開拓王が夢想した異界の理想郷。彼の要望に応え転士ナナが再現してみせた故郷。半世紀前から時が止まっているようだ――八勇者が一人オーレリィもまた、変わらぬ姿で敷居を跨ぐ。

 そして、奇天烈な催しに苦笑するのだった。


「何事ですか、陛下」


 場違いな生臭さに眉を顰める生真面目な聖女。今代のクリスタリカ王は気まずそうに「遊び」の言い訳をする。


「おお、オーレリィか。これはその、我が妃を労わっての趣向でな……」


 口に反して太平王の隣で貶められているのは第二王妃のジョゼフィナである。名門アルタル家の血筋を引く高貴な身はあられもなく晒され、麗しいドレスの代わりに薄い生肉で飾り立てられる――ただの「食器」として。


「こうでもしなければ、テンキは精のつく食事を取らぬでな。放っておくと病人じみて麦粥に干した梅のような物しか食わん」

「存じております」


 解体したばかりの新鮮な馬刺しに舌鼓を打つ第五王妃に一礼して、オーレリィは考え込む。

 ――何事にも凡庸な王が妻というより娘に近いテンキを思って羽目を外したか、それとも妖妃が人間を魅了してやらせるいつもの「遊び」に過ぎないのか。

 捧げられた第二王妃にしても同じだ。齢三十を過ぎてなお若々しい肌、されど年相応に弛んできた肉付きに持て余す情欲、実にテンキ好みの女である。このような遊びを前々から仕込まれたが、今となっては本人が望んだ姿かもしれない。なにしろ吐息の甘さが尋常でない。


「本来ならフグ刺しと相場が決まっておるのだが。百歩譲って生食は許しても、魚だけは駄目と言う」

「捕らせばよいではないですか。イワシ漁は軌道に乗ったのですから」

「油と肥やしとしてはな。それも何十年がかりか。海の民と陸の民では精神性が違うのじゃ」

「配慮されているのですね」

「いつかは産業として成り立つかもしれんが、それは我ではない者がやれば……」


 テンキは言葉を切って口に赤い身を放り込み、酒で流し込む。見た目の幼さとは裏腹に。あどけなく頬を綻ばせてみても、やはり中身が滲み出た酒池肉林。


「さて、陛下とジョゼフィナ様は引き続きお楽しみあそばせ。私めは奥で休みます。くれぐれもご内密に」


 金色の瞳が怪しく光る。パペット達は二つ返事で頷いた。一体この世の誰が逆らえようか。たとえ八勇者であっても例外ではなく、妖女に手招かれるがまま座敷に上がる。

 愛用の座布団に腰を下ろし、少女は司令官へと変貌した。


「……スナフの秘密基地が見つかった」

「らしくないことで。いや……これは」

「十中八九、罠じゃろ。でなければそんな失態、犯すか? あやつが」

「しかし見過ごすわけにもいかないと」

「当然じゃ。この世に完璧な計画など有り得ぬ。向こうが動いた以上付け入ることも出来よう」

「私が行ってよろしいので? 今日は東方へ出立せよと仰られるものかと」

「そちらは」

「片が付きましてよ。御機嫌ようオーレリィ。相も変わらず鉄面皮」


 背後からもう一人、現れる勇者。セイラとそっけなく名を呼ぶだけの同僚に彼女は怪訝な顔をする。一方で二人の上司は上機嫌に、


「お帰り、新たなチートも使いこなしておるようで何よりじゃ。ラスカルも機を見て戻す。こちらもそろそろ仕掛けていこうか」


 不敵に笑い、手元の紙を丸めて放る。忠実な部下は受け取り渋々コピーして隣に渡す。その地図に印は二か所。一つは西区のある地点、もう一つは――王都南方、第三ゲットー。


「御心のままに」


 絶対勅命(コントローラー)が、八勇者を戦場へと駆り立てた。



 八勇者ネロは人の形をしていなかった。

 勿論彼女の意思で。その理由が大の人間嫌いとは身内でなければ想像もつかない。大衆向けの芝居などでは大分マイルドに描かれるせいだ。その変幻自在の能力からトリックスターとして扱われ人気も高い、皮肉なことに。

 それでも開拓王存命の内に離反した「裏切りの転士」としても知られている。このバトルロイヤル以前は転士間の私闘が禁じられていた原因でもあった。物語では「無敵のハイジ」に敗れ旅に出たと専ら語られるが、その後の消息を知る者はいなかった――今の今までは。


「こんな鳥が、八勇者の……?」

「失礼な赤毛だな。私が私じゃなきゃ何なんだ。しかし八勇者とか言うな、あいつらと一緒にされるのは虫唾が走るわ!」


 鳥から虎へと変貌しものすごい剣幕で威嚇するものだから、一同たじろぐ。


「で、お前ら何? こんなガキまで転士とは世も末だがまぁいい、ただでさえ最強の私を盤石とする養分となれ」

「そんな!」

「ネロ様、わけのわからない料理を口にされるのは些か悪食ですよ」

「ん……賢いベアトの言う通りだ。じゃ、一応名前とチートを教えてから死ね」


 ベアトリトスの助け舟を察したタカノは相棒の手を優しく押しのけて、自己紹介する。


「四十四位、タカノです。チートは残機無限(コンティニュー)、不死身の体です」

「不死身ねぇ、何その下位互換。私の五体改造(ボディーチェンジャー)は瞬時に身体を作りかえられる。事実上死などありえない。いっらないわパス。次」

「ア、えと四十八位、アケミ。チートはその、何というか……」

「ハキハキ喋れ、じゃないと殺すぞ」

「すみません! 日々宝箱(デイリーガチャ)といって、日替わりで何かわからないアイテムを出せます……けど」

「ハァ? なにそれ。私の嫌いなものの一つは運頼みよ。そんな能力、こちらから願い下げだわ。こりゃアンタ達は肉壁として使った方がマシね。しっしっ、あっち行け」


 言い換えればただちにクリスタルを奪うつもりはない、だ。緊張が解けてアケミはへたり込み、タカノはホッと胸を撫で下ろす。

 すっかり客への興味を失くした獣は二本足で立ち、器用な猿の手をしてムゥムゥの頭を撫で始めた。


「さて、ムゥムゥちゃんの初壁越え成功をお祝いしないとね。頑張ったねぇよーしよしよし」

「むぅむぅむぅ!」

「お勤めご苦労ですムゥムゥ、こちらのバケットを持っていきなさい」

「わぁ、新鮮な白パンに卵! 有難うございます御婆様、ネロ様! でも撫でるのはそろそろ……」

「そう言わず~って何見てんだよミソッカス共。見せもんじゃないよ。と言うか同じ息も吸いたくないんだけど。特に赤毛! 勝手に座り込むな、シャキッとしろシャキッと」


 ムゥムゥを可愛がる一方でネロはアケミを威圧した。がもう怯まない。気遣って差し伸べる友の手も取らず独りで立ち上がって、思わず口走る。


「シャ、シャキッとしました。だから一つ聞いていいですか?」

「嫌だ断る帰れ」

「ボク、強くなりたいんです! 八勇者みたいに。どうか、その……ご教授していただけませんか?」

「あ?」


 虎の尾を踏むとはこのこと。ネロの腕が軟体動物が如くしなやかに伸び、あっという間にアケミの首根っこを掴んだ。そのまま伸び続け壁に激突させる。ああっ、とはタカノの悲鳴だ。

 ところがアケミが宝箱を落とした途端、ネロは腕を放した。得体の知れないソレを回収するのを優先して。奪ったチートアイテムを確認する。


「ふーん、中身は本、いや魔導書の類ねぇ。基礎チートの言語変換でも読めないが……術者にしか効果はわからないか。だがこちらが手に入れたなら発動もしない。一手余分にさせただけだ。一手じゃ足りないな」


 何とか痛みに耐えて銃を抜こうとするアケミを大勇者は見下ろす。間にタカノとベアトリトスが割って入ると勇者は奪った本を放棄した。戦意ごと。フンと鼻を鳴らして鴉に変化し飛び去っていく。


「ネロ様は非常に気難しい方でして……本気ではないようで幸いでしたがお気を付けください。ムゥムゥ、御二方は貴方に預けます。家に案内してあげなさい」

「はいお任せを。大丈夫かアケミ、立てるか?」

「うん……やっぱまだ、マイナス……」


 尖塔の隙間に手をかざし、遠いな、とアケミは呻いた。聞こえる友の悲鳴も遠ざかっていく――そのまま倒れ込んで、彼女の意識は途絶えた。



「……読書に熱中も結構だが、彼女起きますぜ」

「もう、今いいところなんだから。この一節が訳せたら後は……」


 ひそひそと聞こえる話し声は、トーンの違いからして男女二人組。うち男の方は何処かで聞き覚えがあるな――とアケミは思った。

 見知らぬ天井。重い頭を横に向ければ、武器の山。どこか既視感を覚える光景だった。記憶を継ぎ接ぎした夢だろうか。否、アケミの横たわる部屋はつい先程覗きこんだ第三ゲットーの地下倉庫。鐘楼で倒れた彼女はひとまずここに安置された。

 夢見心地な赤毛の少女は額に手をやる。熱い。今朝から体調不良を自覚していたので、疲労から一気に悪化したということもすぐに気付いた。


「おっとお休みのところ悪い。すぐ出て行くから」


 男の方が声を掛ける。その屈強な体格はまるで怪人のようだが、クリスタリカ人だ。というのもその顔をアケミは見知っている。


「あんた……確かサタニエの運転手の」

「しぃー! お嬢の名前は出さないでくれ」


 これで彼女は納得した。この量の銃器を揃えるなど並大抵のことではない。ロフォカレ商会程の流通ルートがなければ。


「あらガヴァンさん、その子サタニエのお友達? 面白いわね」


 いつぞやの商人の後ろで、甘ったるい女の声がする。そいつが立ち上がればガヴァンの頭上から顔が出る。約二メートル。すらっと長い脚はカンカンと鈍い金属音を鳴らすが、甲冑などは身に着けておらず明らかに異様。右目は前髪に隠れて見えないが、左目を覆うというより埋め込まれているレンズがカチカチと勝手に動く。焦点を合わせているらしい。ヴァルヴァーネとはまた違うタイプの怪人だ。


「私はモルガン。知の探究者。よろしく」


 アケミははぁと気のない返事をした。熱で頭がぼんやりとしている。明らかに危険そうな相手を前にしても動けない。

 だが、銃を向けられたなら飛び起きた。奪われたキリコの銃。しかもトリガーを握る鋼の腕にも不自然に数字が浮き出ていれば。


「なっ、転士!? わっ」


 具合の悪さで上手く立てず、みっともなく膝を付く。長身のモルガンの威圧感はこれまでの敵に勝るとも劣らない。


「警戒しなくていいのにぃ。同じ客同士でしょう?」


 モルガンは銃を逆さに向けてみせるが、どこか胡散臭さは拭えない発音だった。あのヨミと同じ雰囲気をアケミは感じ取って余計緊張する。

 更に見透かすようなことを言うのなら――


「強くなりたいんでしょう。なら私が貴方を強くしてあげる」


 ――それは、悪魔の誘惑。

 アケミに有無を言わせず、彼女は儀式を始めた。隣の武器商人に何やら吹き込んで、六つのダイナマイトを取り出させる。その雷管をなんと、リボルバーの弾倉に一つずつ詰め込んでいくではないか! 大きさが違い過ぎるというのに、全て収納されてしまう。

 物理法則を無視した、魔法とも言うべき所業。人はそれを「チート」と呼んだ。新米転士も今更驚かない。


「ハイ、これで貴方の銃は爆弾砲にアップデートされたわ。甘い照準でも確実に敵をボン、ってね。私の悪魔合体(ジョイントプログレス)なら無機物と無機物、無機物と有機物を融合させるなんて造作もないの。有機物と有機物は合体できないけど……今はまだ、ね」


 モルガンは含みのある言い方をした。平然と自身の体を機械化している女だ、他の生物と合体可能ならきっとするに違いない。厚いレンズの裏には狂気が宿る。


「で、これ。タダであげてもいいのだけれど、貴方はそれで納得するかしら?」

「何か……何を要求するつもりで?」

「そんなに身構えないで。命と引き換えなんて言わないから。クスクス。代わりといっちゃなんだけど、あの本、いただけないかしら」


 アケミは目を丸くする。そんな役に立たない物でいいなら構わないところだが、かえって申し訳なくもなる。


「でもそれ……」

「読めない。そうね、だって古代クリスタリカ語で書かれているもの! かつて旧都ミスリウムを中心に今より遥かに広い地域を支配していた古代文明の。とても興味深いわ。貴方もそう思うでしょう?」

「古代、文明?」

「なんかそういうの、あるらしいんですぜ。俺には専門外だが本物の旧都ってのは地下に埋まってて、今ある街ってのはお宝探しで人が集まって出来たんだそうですわ。社長の受け売りだがね」


 未知の分野に対しガヴァンの雑な補足も聞くが、イマイチ本の価値にはピンと来ないアケミだった。


「貴重な文献、なんですか? でも何が書いてあるかわからないんじゃ……なぁてんせーくん、最初に異世界の文字も読めるし話せるから大丈夫って言ってたのに、昔の言葉は読めないのなんでさ」

《あ? なんで公用語以外対応させなきゃなんねーの? 知るか勉強しろ!》

「ええ、その通り古代クリスタリカ語をある程度習得して解読を試みているの。で断片的にはわかっているの。古代クリスタリカは今より遥かに高度な文明を築いていた……我らがクリスタルを使ってね。この本にその技術が記されているかもしれないわ」


 モルガンは興奮して、背中から突き出たパイプから煙を噴いた。


「ねぇ貴方、ここはどこだと思う?」


 突拍子もない質問にアケミは困惑するが、話者は構わず続ける。


「私達がいた宇宙の外よ」

「はい?」

「想像することしか出来なかった外側の世界。エデン、あるいはヴァルハラ。まさに『あの世』ね。そして私達の前世は、クリスタルの中にある。古代クリスタリカ人が作ったいわば文明シミュレーション、それが地球の歴史なのよ!」


 更にとてつもない論の展開に、言葉も出ない。部外者のガヴァンもまた彼女の与太話が始まったと肩を竦める。


《おい、真に受けるなよアケミ。コイツの妄想だからな》

「仮説よ。でも旧都の出土品にオーパーツと似た物も……まぁ、それを証明する為にも古代クリスタリカ文明を研究しているわ」


 ついでに怪人のルーツも古代クリスタリカにあるとモルガンは言う。彼らは当時の技術をいくつか受け継いだが故に、長らく現クリスタリカ人より優位に立っていたのだと。対してミストリスを追われたクリスタリカ人はノウハウを失い、停滞を余儀なくされた。転士の登場までは。


「その、どうして古代クリスタリカとやらは滅んだんです?」


 熱でぼんやりとしながら、なんとなく浮かんだ質問をアケミは訊く。モルガンはニタリと笑って、


「怪獣よ」


 また煙を背中から出しながら古文書を抱きしめた。代わりに改造銃は宙を舞い、アケミの右腕に吸い込まれた。落ちた、のではない――弾かれることなく、腕に収納されてしまった。一瞬で背筋が凍る。


「な、何をした!」

「サービス。取り出そうと念じたらすぐに取り出せるし、逆も然り。不意打ちに最適じゃない。クスクス、強くなれて良かったわね!」


 悪趣味に笑いながら、半人半機の転士は部屋を飛び出した。追いかけようとするアケミだが体が思うように動かない。結局彼女は思い出せなかったが、モルガンは例のブラックリストで四番目、すなわちキリコ以上の危険人物としてマークされる輩であった。バツ悪そうに手を振り、ガヴァンも後に続く。

 入れ代わり立ち代わるようにして、慌ただしく二人、倉庫に入ってくる。タカノとムゥムゥだ。


「アケミちゃん、大丈夫!? 良かった、目を覚ましたのね……」

「急に倒れたもんだからびっくりだよ。ほら、薬貰ってきた。感謝しろよ~んじゃあたいの家まで送るけど、歩ける? 担ぐ?」

「あっ、うん……有難う」


 今にも泣きだしそうな友の顔を見て、とても大丈夫ではないなどと言えなくなるアケミだった。彼女自身このまま流れに任せた方が安心で――

 右腕のむず痒さに、耐えようとした。



 薄汚れたゲットーの雑多な細道の影、ひっそりと建つあばら屋にも、新鮮な光が差し込む。


「おはようムゥムゥちゃん」

「ムゥムゥだってば! おはよタカノ。アケミならまだ寝てると思う」


 少女達の明るい声を、ボロボロの布の上でアケミは聞いた。頭がぼんやりとするのは寝起きのせいではない、一晩経ってなお熱に浮かされている。

 ふと右腕を掲げてみれば、34という残り寿命が目に入る。しかし仕込まれた銃の異物感は今や消え失せてしまった。人間不思議と慣れるもんだなと彼女は思う。

 ――このまま殺し合いにも慣れていくのだろうか。

 そうでなければ生き残れないと誰かに言われている気がするアケミだった。強迫観念だ、減っていく残存時間が否応なく焦らせる。


「あらアケミちゃん、おはよう。調子はどう?」

「タカノちゃんおっはー……もう大丈夫、と言えたらいいんだけど……」

「気持ちはわかるけど、これ以上無茶したら悪化するだけだからね」


 タカノは釘を刺す。しばらくガタゴト物音がした後、ムゥムゥも近づいてきた。朝食――ゲットー基準では豪勢な――を持って。


「しっかり食べないと大きくなれないぞお客人! 昨日貰った卵があるから元気出しなよ」


 そう言うなり獣人は器用に爪で生卵を割り、そのまま中身を自分の口に放り込んだ。この蛮行にタカノはぎょっとする。


「だ、駄目だよ! 生で食べちゃ!」

「えっなんで? 心配無用だよ毒とか入れようないし」

「ああ、タカノちゃんというかアメリカじゃ生卵食べないんだっけ。日本人は平気なんだけど。へぇ、ヴァルヴァーネもイケるんだ」


 文化の違いに感心しつつ、アケミはムゥムゥから卵を受け取る。しかしタカノはなお静止して、


「いや、そういう問題じゃなくて衛生的にどうなのかって。元の世界とは違うんだから……またお腹壊しちゃうよ?」


 品質管理の観点から難色を示した。卵に限らず生食はひとえに徹底的な鮮度管理と殺菌処理の賜物であり、安全とは高度な技術あってこそだ。


「そっか、そうだよね。普通無理なんだ。あたいが特別丈夫なだけか」

「ごめんねムゥムゥ、卵焼きにでもしてくれると助かるよ」


 アケミは卵をムゥムゥに返そうとする。が相手が受け損なって、落として割ってしまった。勿体ないことをしてしまったと腰の低い客は平謝りする。

 ところがムゥムゥときたら病人以上に上の空。足元を見さえしない。異常を感じ取ってタカノが心配する。


「どうしたの?」

「ああボクが怒らせちゃったんだ……ごめん、貴重な卵を」

「ううん。あたいのせい。あたい、先祖返りで怪獣の血が濃いから、平気なの多分そのせい」


 ムゥムゥはひどく悲しそうな顔をして、見られまいと背けた。けれど耳の震えは隠せない。


「そのせいでさ、あたい、嫌われるんだよね。お母さんのお腹を破って生まれてきた化物、だってさ。御婆様はそんなことないって言ってくれる、でも優しいから、嘘じゃないかな。ピコは正直にさ、あたいだけ病気にかからないのはずるいって。あたいが代わりに死ねばよかったのに」

「ムゥムゥ……」

「はは、だからさ、どうしても壁越えしたくって。役に立てば皆の仲間に入れてもらえるかなって。どうせ失敗してもいいし」

「死んでもいいなんて言うなよ!」


 アケミは叫んだ。声を張って全身から力が抜けていくがお構いなしに。

 投げやりな今のムゥムゥが前世のアケミ自身と重なって見えた。他人事でいられない。ともかく励まさなければという感情が病人に鞭を打つ。


「その、全然人のこと言えないけど……でも! 確か駅で待ち伏せされてるとか、あの時言ったよね。ボクらを助けてくれたんじゃないか。役に立ってるし! ボクはムゥムゥのこと、ゴホゴホ」

「アケミ!」

「嫌いじゃないから、ゲホ、ごめん咳が」

「なんだよアケミぃ、無理すんなって」

「ムゥムゥちゃん、本当に今までよく頑張ってきたんだね。だから無理しないで、泣きたい時は泣いてもいいんだからね」


 ふわふわとした獣の体が後ろから優しく、包み込まれた。そう言うタカノは既にさめざめと涙している。今度はムゥムゥも拒否せず、むしろ自分から寄りかかってボロボロ泣いた。


「うるせーぞガキ!」


 すると隣の家屋から野太い怒号が響く。途端にムゥムゥの涙は引っ込んでしまった。大きな獣耳がしなだれる。客二人は一層彼女が不憫に思えてならなかった。


「ごめん、なさい。迷惑かけて、こんなつもりじゃ……火を起こしてくる」

「待って、私も手伝うよ」

「じゃあボクも……というか卵落としたボクが悪いんだから」

「病人は寝てなきゃ駄目です!」


 きつく断られ、起こしかけた上体を倒すアケミ。タカノは元の優しい口調に戻して諭す。


「アケミちゃんもちょっとくらい休憩したっていいんだから。ずっと傍で見てきたからハッキリ言える。貴方はちゃんと前に進んでいるから。マイナスには戻らないんだから」

「ありがとうタカノちゃん。しばらく大人しくしとく……それとちょい頼んでいいかな? 動けない間外の情報を集めておいてほしいんだけど」

「わかったわ。ベアトリトスさんに色々お聞きしたいこともあるし……そうね、私も前に進まないとね」


 ふと見せる思いつめた相棒の横顔に不安を感じるも、上手く言語化できないアケミだった。会話はそこで終わってしまう。

 朝食後、ムゥムゥの案内を頼りにタカノは街に繰り出した。一人残されたアケミはというと、絶対安静の約束を守って回復に努める……とならないのが彼女の性格の難儀さだ。

 ――こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。

 せめて体を鍛えようと腹筋などしてみる。目指すはワルグリアの頑強さ。しかし元引きこもりの現病人には厳しいのが現実。数回でへばり、大の字になって大きな溜息一つ。かような惨めな姿を誰かに見られているような気がして、溜息二つ。

 ふと窓を見れば、実際に猫が覗いていた。溜息の代わりに乾いた笑いをアケミは漏らす。


「猫ちゃんの期待に沿えそうなことは何も……あれ、そういや珍しい、こっちで初めて見る」


 王都にはペットでも野良でもいなかった――アケミは思い返して不思議がった。しなやかな毛並みの黒猫は欠伸をする。その仕草は異世界であっても変わりない。

 その愛らしさに警戒心を解くなり、猫は空きっぱなしの窓から飛びかかってきた。優れた身体能力の前に病人は太刀打ちできず、あえなく圧し掛かられる。追い返そうと腕を振り回すアケミだが、容易くかわされる始末。


「こいつ!」

「アンタ、馬鹿ァ?」


 そして、黒猫は口を開いた。アケミも開いた口が塞がらない。猫が喋るなど! とはいえすぐ正体に思い当たる。なにせ昨日喋る動物と会ったばかりなのだ。


「ネロ! ……様」

「違います~可愛い可愛い猫ちゃんですにゃあ~」


 うそぶくが、八勇者のネロ本人に違いなかった。


「それにとっても賢いからね、この世界の猫は家畜化しなかった。いえ人間を家畜にしなかった。何百何千年前に愛想尽かしてね。古代クリスタリカ人ってのはよっぽど救えない連中だったのよ」

「それで王都じゃ見かけなかった……」

「で、アホの赤毛は何してる? ぜーはーぜーはー言いながら」


 黒猫ネロは傍若無人に病人の上で動き回る。可愛げがないとアケミは思いつつ答える。


「ちょっとした特訓、みたいな」

「ハッ! 強くなる為に? だから馬鹿なんだにゃあお前」


 ムッとするアケミの顔に肉球を押し当て、ネロは嘲った。


「強くなってさぁ、どうすんの? 言っとくけど、何もいいことないよ」

「そんな、弱いよりは絶対いい、です! 強くなればタカノちゃんを守れるし、きっとやっとスタートラインに立てる……力がないせいで失ったり、傷ついたりしたくないんです」

「ったく、これだからガキは。力を得ればその分失うし、余計に傷つくこともあんのよ」

「それは……貴方の経験、ですか?」

「あ? 私のとは言ってないでしょ。別の馬鹿よ。その赤毛見ると厭でも思い出して反吐が出るわ。でもま、そんだけ経験値に差があるってこと。そのまま実力の差になる。七十年分よ、一朝一夕で追いつけるもんか。だーかーらー今から鍛えたところで無駄よ無駄」


 大勇者の言うことはもっともである。経験の差は埋めようがない。それでも若いアケミは諦めきれない。


「じゃあどうすれば……!」

「アンタさぁ、今自分に何が出来て何が出来ないかもわかってないんじゃないの? チートの発動条件は? 発動までの時間は? 持続は? 回数は? 射程距離は? 正確に把握してんのかしら。じゃないとお話にもならんならん」

「能力の、把握」

「フン、私達には当然のことだがね。それから一つ一つ、何かを切り捨てていった先にあるのが『強さ』よ。ゆめゆめ忘れるな!」

「待って、教えてほしいことが!」


 話はそれでおしまいだ、と黒猫は颯爽と鴉に変化し飛び立とうとする。追いすがるアケミ。咄嗟に力を込める。すると宝箱が出現した――窓を塞ぐように!

 それは狙ってやった、というほど意識してではなかった。ネロに言われたことが念頭にあったとはいえ。すなわちチート能力に射程というものがあるのなら、ある程度離れた場所に宝箱を出すことも出来るのではないか? しかしこれをよりにもよって気難しい彼女相手に試してしまうのは、とんだミスだった。

 しまったとアケミはすぐさま蒼ざめる。宝箱と衝突した鳥はぐにゃりと溶けて衝撃を殺し、アメーバみたいに這いつくばったと思いきや宝箱にもアケミの四肢にも絡みついて固まり、細長い大蛇の体で締め上げる。


「やりやがったなクソガキ! 言っておくが仕掛けたのはお前からだ、正当防衛として殺してしまっても仕方ないなベアト!」

「ぐぇっ、そんなつもり、じゃあ……ただ、訊きたいことが……」

「なんだ命乞い?」

「ネロ様は、人間が嫌い、だから怪人の味方を……でも、彼らも人間じゃ……人間と何が違うのか、って……」

「……フン!」


 思わずネロは拘束を緩める。アケミの頭に引っかかっていたのは、やはり先程のムゥムゥの話だった。彼女の境遇を知ればクリスタリカ人もヴァルヴァーネも大差ないのではないか、仲間外れを作って差別するような負の人間性においては――なのに後者だけ見逃すのは筋違いでは、と疑問を持たずにはいられない。この問いが核心を突いたのは幸いだろう。

 概ね図星でその通りだとネロは答えた。と同時に否定した。


「私は誰の味方でもない。ああ、いくら赤毛でもわかるか。人間という生き物は自分より下を作って見下していないと安寧を得られない、目下の者になら何をしてもいいと暴力を振るう……そんな下劣な精神性のまま何十年何百年と……ヴァルヴァーネの各部族の強い結束だって、異端を蹴り出すことで成り立っているわ。同じ。だから別にゲットーの守護者になんかなるものか。ただ……」


 大蛇は完全に拘束を解き、アケミから離れて言う。


「あの子には……ベアトには借りがある。彼女の故郷、彼女の家族、返しきれるものじゃない。でも、仇への憎しみを抑えてでも、私の力を必要としてくれるなら手を貸すくらい全然……チッ、こんなこと言わせるじゃないわよ!」


 気恥ずかしくなって蛇は一目算に逃げ出した。壁に突き当たれば縮み、ミミズくらいになって隙間を抜け、あっという間に気配も消える。


「はぁ……殺されるかと思った……」

「何ビビってるわけ? あの子の手前殺すわけないじゃない!」


 天井から罵倒が聞こえたが、今度こそ最後だった。


「なんだ、あんまり変わりないんじゃないの」


 アケミは独り言を続ける。大切な人を守る為に戦うのは自分もネロも同じだと思った。けれど実力には圧倒的な差があるのも思い知らされるばかりである。

 まずは先の「離れた距離に宝箱を出現させる」を何度も試してみることにした。家の中のどこまで届くか――これを知っていればキリコ戦でタカノの手を煩わさずともワルグリアにアイスニードルを渡せたのに、と後悔しながら。

 この頼りない能力でも戦えるようにならなければ。この時のアケミは目先に囚われて、大先輩の教えを真に理解せぬままだった。いつの間にか現でなく夢の中で特訓していることにも、気付けぬほど疲れていた。

「八勇者」(後)につづく

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