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第七話「怪人ゲットー」(後)

 日の光は直上に、ゴンドラの中は束の間の影を得た。

 ぶらり揺れるケーブルキャブにてアケミはぶるっと震える。大きなくしゃみが狭い個室内で反響した。


「風邪、かも」

《なっさけねーなーオイ。オマエラ転士の肉体は常人より丈夫に出来てるんだぜ。それなのにこの体たらくかよ》

「アケミちゃん、やっぱりしっかり栄養取らないと」

《タカノの言う通りだ、食べたもん上から下から全部出しやがって、勿体ねーぞ》

「はい、いやちょっと待って……見てたの!?」

《あったりめーだろ、オレサマは監視役なんだから》

「こ、この、クソひよこ~」


 アケミは顔を真っ赤にしててんせーくんを捕まえようと暴れる。しかし相変わらずすり抜けるだけ。デリカシー皆無なひよこはなんだ元気じゃないかと煽るのだった。

 結局アケミとタカノの山籠もりは一日しかもたなかった。見つけた隠れ家は怪獣に壊され、ダーントン家まで戻っても痛ましい爆撃跡を目の当たりにするのみ。致し方なく野営するも虫と獣に悩まされた。期待していた魚も淡白すぎて味がせず、オマケに腹を壊す始末。もう懲り懲りというわけだ。


「この世界の人が魚食べないのはよくわかった……やっぱり鶏肉だよね、てんせーくん!」

《八つ当たりとかアホめ、つか魚じゃなくて生水のせいじゃねーの。タカノは平気だったんじゃん》

「うっ、そう言われると……でもさ」


 続く文句はアケミ自身の大きな欠伸で遮られた。初野宿でほとんど眠れなかったせいか。「いいよ休んで、具合良くなってね」とタカノの優しい言葉を聞けば、すぐさま電池切れになるのだった。

 下山も下山で神経をすり減らしたのだから仕方ない。キリコの一件と怪獣出現が重なって麓は不気味なほど静かだったが、地元民が出歩かない分東方軍の人間に見つかれば一発アウト。無事駅まで辿り着いたから良かったものの心臓に悪い。


「危険じゃない仕事なんてない、か」


 ベルナーレの言葉を反芻するタカノ。個室の外は牧歌的な景色が広がっているが気を抜けず睨む。

 結局どこにも安全な場所がないのなら、情報を得る為に都心部へ戻るというのも妥当な選択――話し合いの末、二人で決めたことだ。

 けれどタカノにはこうも思えてならない。アケミは決して戦って生き残ることを諦めていないのではないか。昨日こそ敗北感に打ちひしがれていたものの、彼女の闘志に付いた火は消えやしない。刻々と迫るタイムリミットが絶えず焦り立てるのだから。


「てんせーくん、私はね、アケミちゃんに頼られたいんだよ」


 置物じゃない、誰かにとって価値ある存在でいたい。そう願うもののどうしても出来ないことがタカノにあった。それを親友が自分の分まで頑張ろうとしているのは理解している――

 すなわち、同族殺しを。


《なんでオレサマにんなこと聞かせんだよボケ》

「神様は欲深い私をどう責めるのかなって。あの子に頼りたくなくて神頼みなんて、虫がいいかしら」

《知るかよ。テメーが勝手に救われたり裁かれたりしてると思い込んでるんだな》

「はは、辛いなぁ。信心が揺らぐことばかりね……」


 タカノは袖が千切れて剥き出しの腕を見る。余命は六十時間を切ろうとしていた。相棒はもっと短い。その残酷な現実につい溜息が漏れる。

 移り変わる景色。ドラグーナ川が見えてきた。対岸の都市は華やかなる地獄。転士は追われた天国をそこに見出して、つい釘付けになる。

 そして、タカノは自らの目を疑った。

 ――ケーブルの上に人影。目と目が合った瞬間、そいつはゴンドラに向かって真っすぐ走り出す。

 なんたる出迎えか! その曲芸師はふらつくことなく綱渡りの動きとは到底思えない。まるでチートでも使っているみたいに――


「アケミちゃん! 大変起きて!」

「うーん、どちら様……?」


 アケミが薄目を擦って瞼を開けた時にはもう、そいつは窓に張りついていた。バキっと何かが折れる音と共に扉が開いたなら、百年の眠りも覚めよう。

 全身をマントで覆った不審者が乗り込んでくる。ああ、空中に吊るされた密室なら安全なんて保障はない、むしろ墓場となろう。逃げ場がなければ追い返す他ない。タカノはアケミを庇うように前のめりになって刺客を押しかかる。があっさりかわされ、逆に落ちそうになるところを手掴みで引き戻された。

 まず最初にふさふさした感触。次に独特の臭いが鼻に突き、それから視覚が特異さを訴えかけた。隠してもしょうがないとそいつはフードを外し、素顔を晒す。

 ――人間でも、転士でもない。


「か、怪人……!」


 一見人の形をしているがキメ細やかな黄銅色の毛に覆われ、鼻は黒く、頭頂部に兎か狐かみたいな大きな耳も生えている。緑に変色した髪の毛先は硬く、それ以上に爪は狼の如く鋭く、筋肉質。おおよそ「あの世」の住人がイメージする「獣人」である。


「転士、で間違いないな」


 怪人は逞しい腕でアケミも捕まえ、豪快にもう片方の扉を蹴り飛ばした。脚の形は猛獣の後足そのもののフォルムだ。時間差で激しい水の音が聞こえる。次は自分の番だと察した転士は戦々恐々。


「ま、待って、ボクは何もしてない、だから殺すのは」

「安心しな、あたいは味方だ。あたい達の国に来てもらう。説明は後で、な!」


 少々予想と違っても悪い予感は当たる。怪人はアケミとタカノを抱え込んだまま、ゴンドラを飛び下りた。


「おい、誰か落ちたぞ!」


 堤防から派手な水飛沫を目撃した王都民が叫ぶ。何事かと野次馬が集まってきた。


「何だ何だ?」

「ケーブルキャブの乗客が落ちたんですって、ほら見て扉が」

「こりゃひでえがなんで落ちるんだ、心中かいな?」

「そういやさっきケーブルの上を人が渡ってたぞ」

「んなことあるかいあーた、おーい大丈夫そうかー? 駄目だ返事ねぇな」


 観衆が注目する水面の下では、怪人が爪でアケミ達の上着を引き剥がしていた。乗客の服を遠目に見た者達に死んだと思わせる為に。そして大きなマントの内に顔を隠し、こっそり泳ぎ始めた。


「ぶはっ、痛ッ、何するんだ!」

「むぅ、ごめんよ。駅には軍人がいてヤバかった、こうするしかなくて……それにこっちが近道だから。えーっとあの水道管、いいから来て」


 川の途中で怪人は脇の下水道に潜り込む。強烈な悪臭に心底厭な顔をしながらも背に腹は代えられず、アケミも続く。例のごとく着水の際に庇ってくれたタカノの骸を抱えながら。

 そうして誰もいなくなって、壊れたゴンドラだけが王都に辿り着いた。



 地下水道の歩道に上がって、怪人は確認した。一人の無事と、動かないもう一人を。


「……あたい、やっちゃった?」


 アケミにきつく睨まれ、怪人はしゅんとする。亜人種とはいえ見れば顔立ちは幼く悪意など滲み出ない少女だ。更に死体が復活するなりきょとんとする。


「大丈夫? アケミちゃん、と怪人さん」

「第一声が人の心配って全く……なぁ、タカノちゃんに謝って」

「ご、ごめんなさい」


 怪人の少女は素直に耳を下げる。ところが何か引っかかったらしく、ぴょこんと二方向に立てた。


「あれ? あれれ? ワルグリアとヨミ、だよね」

「え? 私はタカノと言います」

「ボクはアケミだけど……」

「ヤッバ、無理言って壁越えやらせてもらったのに御婆様に怒られる……どどどどどうしよう」


 おどおどし始めるものだから、アケミとてあまり憎めなくなるどころか共に不安になる。


「どうしようって言われましても、まずあんた何者? どうするつもりだったの?」

「あ、紹介がまだだった。あたいのことはムゥムゥと呼んでくれ。ヴァルヴァーネだけど転士を取って食いやしないから」

「ムゥムゥ?」

「変な名前って思ったろ! あたいも変な通り名だって思ってるよ! 真名は伴侶と子にしか教えないしきたりなんだ。ヴァルヴァーネならどこの部族もそうさ」


 クリスタリカ人は怪人と呼んで差別はしても区別しないが、と愚痴を付け足す。ヴァルヴァーネとは怪人とされた者達の言葉で人と違う道を行く者、すなわちムゥムゥ達自身を指した。

 ムゥムゥはざっくりと説明した。王都の西方や南方は元々ヴァルヴァーネの土地であったこと、開拓王の時代に征服され僅かな生き残りはゲットーに移住させられたこと、そして今苦しんでいること、支配からの解放を望むこと、その為に――


「つまり、ヴァルヴァーネの為に転士である私達に戦ってほしい、ってこと?」

「や、むしろ逆だよ。あたい達が協力するんだ。今なんか内輪揉めしてるんだろ? 御婆様が言うには王に与しない転士が生き残ればいい、んだって。寝る場所も食い物も用意するからさ、ゲットーに来てほしいんだ。その方が安全なんだって」

「それは、そうかもしれないねアケミちゃん」

「ボク達も国に追われてるしね……」

「じゃ、じゃあ」


 くるりと振り返って期待の眼差しを向けるムゥムゥ。アケミはタカノが頷くのを見て、一緒に行くと改めて伝えた。


「やったやった、結果オーライ! よろしくな、アケミ、タカノ!」

「う、うん」

「よろしくねムゥムゥちゃん」

「ちゃん? こ、子ども扱いするなよぅ! あたいもう六歳なんだから!」

「大分年下……よね?」


 ムゥムゥは大人げなく頬を膨らませる。人間の六歳と比べれば遥かに成熟した体で、成長スピードは勿論いつから成人と扱うかも違うことは冷静に考えればわかることだ。


「じゃあムゥムゥさん、かしら」

「ただでさえ変な渾名に付け加えないでおくれよぉ。アケミぃ、この転士怖い」


 タカノに妙な苦手意識を持ったか彼女はアケミの背中に隠れた。体は成長していても仕草はやはり幼い。タカノの「ちゃん」付けは親愛の証だったが。

 急くようにアケミの手を取って、ムゥムゥは光の届かない奥へ奥へと進む。暗闇でこそ光る眼でもって、足取りに迷いがない。離れ離れにならないようもう片方の手でタカノの腕を強く握っている分、アケミの鼻を悪臭から防ぐ術は何一つなかった。彼女はふと昔読んだユーゴーの『レ・ミゼラブル』で主人公が下水道を通って逃れるシーンがあったのを思い出し、タフなジャン・バルジャンのようにはなれないと涙を流す。


「うげぇ、えぐい臭いよ……もうやだおうち帰りたい」

「今帰るところだって、もうちょいしたら横道入るから」

「真っ暗でどこがどこだかわかんないってば!」

「あ、ここここ」


 泣き言ごとグイッと引っ張られた。下水の流れる音がだんだん遠ざかっていく。その分進めば進むほど道は不安定に、細くなっていく。


「ねぇアケミちゃん、王都の地下には大昔の坑道が残っているって聞いたことがあるわ。確か都市改造の時に整備されて、一部は下水道にも利用されているって」


 不安げな相方を慰めるようにタカノは薀蓄を披露する。これにムゥムゥも乗っかって、


「連中が知らない道もある。あたい達はそれを利用して、足りない部分は掘り足して、壁越えするのさ! まさかぁ、言葉通り城壁をポンと飛び越えて王都に入るだなんて思った?」


 自慢げに鼻息を立てる。アケミはふと昨日の怪人のことを思い出した。


「壁越え……っての結構やってるわけ? ゲットーから逃げ出したり、ボクら転士を攫ったり、他にも」

「あたいの仕事は何もかも初めて。普段壁越えやってるのは食べ物着る物を取ってきて帰ってくるのが仕事。戻ろうとしない奴なんかいないよ、戻れない奴がいるだけ。迷って出られなくなるとか、見回りにルートバレて罠を仕掛けられたりとか。見つかりゃ良くて炭鉱送り、悪けりゃ銃殺」

「え……この道大丈夫なの?」

「うーん、運試しさ。まぁあたいならなんとかなるって」


 なんとも根拠のない自信である。自己肯定感の乏しいアケミなどは一瞬羨ましく思うが、一秒後に耳を天井にぶつけて鳴くみっともない生物がそこにいた。

 危険じゃない世界なんてありやしない。地上も地下もその点に関しては同じだ。それも越境するなら尚更――


「……狭い」


 アケミは呟いた。穴倉のことではなく、前世の自分がいた場所を指して。危険をひたすら避けて閉じこもっても、安寧は得られなかった。だからここにいる。小石を蹴散らし土を噛みしめる。

 おそらくもうすぐ開けるとムゥムゥが言って間もなく、広い空間に出た。安堵の深呼吸が一つ。続いて二人分合わせて一つ。


「着いた、のかしら?」

「ああ、とりあえず壁越え成功だ! やったやれば出来るじゃんあたい! 正直ちょっと不安だったんだよ……これで皆に顔向けできる、ちょうど今!」

「今なんて? だ、誰かいるのか!?」


 急に手を放されてアケミは不安げに闇の中の影を追う。けれどやはり目を凝らしても見えず、獣人の荒い息遣いしか聞こえない。

 宝箱を開いてみて、とタカノの耳打ちが割って入った。言われるがままチート「日々宝箱(デイリーガチャ)」を発動させ、眩い光が闇を掃えば――異様な光景を移した。

 白い壁。徐々に輪郭がハッキリしてわかる。正しくは、白「骨」が積み重なって出来た壁と。


地下墓地(カタコンベ)……!?」

「クリスタリカと転士に奪われた同胞達だよ」


 冷ややかな声色でヴァルヴァーネの末裔は答えた。髑髏を二つ手に取って抱きながら。


「ここは元々古代の遺跡かなんかだったけど、ちょうどいいからと死体を放り込んだんだってさ。一度土に埋めたけど土が腐るからとかかんとか、御婆様が子供の頃の話であたい知らないんだけどさ。ただ抜け道をここから掘るのは、壁越えしようって時に覚悟を決める為ってのはよくわかる。一線越えたら死者と同じ、帰って来れないとしても……先に行った皆が迎えてくれると思えば、まぁいいよね」


 壮絶さにアケミもタカノも絶句する。圧し掛かるは歴史の重み。転士達の凄惨な殺し合いはまだ一週間にも満たないが、ヴァルヴァーネの過酷な道程は半世紀かけて今に至る。


「……よくないよ!」


 溜めてから、タカノはつい感情を露わにした。目を丸くするムゥムゥ。


「ごめんなさい、そんなのあまりに哀しすぎるから……でもクリスタリカが、私達が強いているんだよね」

「やや、責めるつもりはないって。そっちも昔の戦争の時にはいなかったんだろ。でも実を言うと、ちょっと知ってほしかった。あたい達も忘れちゃいけないことだと思ってるから」


 全部「御婆様」の受け売りだけど、とムゥムゥは耳を逸らしてみせた。死者は決して喋らないが、無言の内に語りかけてくるような気配だった。

 アケミの体はブルブル震えていた。ただでさえひんやりとした地下、服を剥ぎ取られた上、背筋の凍る背景まで見せられたせいなのは言うまでもない。

 ちょっと待ってとムゥムゥは屍の山を探り、中に隠していた宝を取り出す。それはポンチョに似た古びた服と腰布が二組。さらに五芒星が掘られた板に紐を通した首飾り――ヴァルヴァーネの身分証を渡す。促されるまま二人は身に付けた。


「その飾りなくさないでよ。持ってないとお縄だからね!」

「成程。五芒星に一つ足せばダビデの星、ね」

「ボクもそれ思った。ヤな気分」

「……大事にしてね。それじゃ一旦上に出るから、来てくれ」


 再び案内人は歩きだし、二人の客人も後をついて行く。すぐに突き当たった階段を登り、蓋を押しのければ淡い光が差し込んできた。しかし僅かにだ。薄暗い天井がまだ空を覆い隠している。

 地下トンネルの出入り口は、廃屋だった。ムゥムゥが古い寺院と簡潔に言えば、賢者ヱナの宗教改革以前の物と理解するタカノ。そういう事情に疎いアケミは相方の薀蓄を聞いて、そういえば建築様式がサスト寺院とは違うと目が行く。


「そうそう。タカノ、あんな格好してたけどさ、説教とかはやめてくれよ。ここの連中、クリスタルの神しか認めない坊主を良く思ってないから。異教徒だからってあたいはそこまで偏見ないけどさ」


 そう言いながらまたムゥムゥはアケミの背中に隠れる。タカノは壁を作られていることに落ち込む素振りを見せた。「タカノちゃんは優しくてボクよりずっと人間出来てるんだからね」などと間のアケミは必死にフォローする。

 ヴァルヴァーネはそれぞれの部族の祖先を神として崇めることもあるが、基本的には自然崇拝のアニミズム。この廃寺院は彼らにも今のクリスタ教徒にも不要の場所。だからこそ、秘密を隠すに必要とされた。


「えーともかく、ようこそあたい達の国へ。歓迎するよ転士様」


 黄泉路の旅はようやく終わりを迎える。しかし扉を抜けると、また地獄だった。



 クリスタリカ第三ゲットー。ドラグーナ下流域で王都に隣接し、人口一万と西方の第一ゲットー二万五千に次いで多い。がそれに対し敷地はあまりに狭い。どこからでも見える高い壁が空さえ狭める。

 ここは元々城塞都市だったという。怪獣の襲来を知らせる鐘楼は使われなくなって久しい。元の住人は都市改造で整備された王都九区に移り住み、代わりに怪人達が閉じ込められた。

 環境は劣悪という他ない。ガス灯なんて洒落た物はおろか水道もない。老朽化したレンガ造りの家はまだいい方で、折れ曲がったあばら屋も少なくない。通りは家すら持てず座り込む乞食で溢れかえる。彼らがいない所はその分ゴミや排泄物まみれだ。

 地下水道にも引けを取らない悪臭に顔をしかめながら、来訪者はこそこそ歩く。おっかなびっくりすれ違う人々を観察すれば、怪人といっても意外と自分達と変わらないという感想をアケミは抱いた。多少耳が尖っていたり、肌が色黒か緑がかっているくらい。その中でもムゥムゥは目立つ。逆に視線を感じることも多く、注目されるのが苦手な元引きこもりは気が気でなかった。


「ねぇ、ムゥムゥ。その、大丈夫なの? 怪しまれない?」

「なんだよぅ。その飾りがあればここの住民さ。警察が来てもあたい耳がいいから抜け方教えてやる!」

「そりゃ頼もしい、けどこれはどうやって手に入れたの?」

「あー、あーこれね。あたいの家族の」

「貸してくれていいの? これがないと出歩けな」

「死んだ」


 思わず立ち止まる。また人の地雷を踏んでしまったとすぐさま反省するアケミ。ムゥムゥは彼方を寂しげに見つめるも哀しみを誤魔化すように両手を振った。


「いや、家族と言ってもさ、たんに身寄りがない者同士同じとこに住んでただけ。ピコもゼータも部族違うけど、ゲットーは狭いからよくあることだよ。そう、よくあることだから。飢えも病気も」


 ゲットーでは麦などの供給が制限されている、と彼女は言った。わざと食糧不足にしてヴァルヴァーネの人口が増えないようにする政策。一般的なクリスタリカ人より高い身体能力を持つ彼らを政府は恐れた。開拓王時代の征服戦争に参加した者もまだ生きているのだから、互いに。

 だからこそリスクの高い壁越えをする、という地下の話に繋がってくる。タカノはもしやあの二つの髑髏がムゥムゥの「家族」だったのではないかと思い当たり、心を痛めた。


「まぁあたいは普通と違うから元気元気! だけど……うわっ」


 強がるムゥムゥだが突然タカノに抱きしめられ困惑する。


「辛かったよね……ごめんね……」

「なんでそうなる! 離してくれよ!」


 タカノ自身が腕を離すより早く、獣は力づくで少女の体を引き剥がす。その断絶はそのままゲットー育ちと王都の転士の差だった。


「辛くなんかない。あたい達のこと、わかった風に言うなよ!」


 つい大声を出したものだから、周囲の目線が一斉に注がれた。しまった、とムゥムゥは冷や汗をかく。同時に耳がビクっと動く。一秒も経たず状況判断を済ませ、今度は逆に二人の異邦人を手繰り寄せた。


「あわわサツが来た! 付いてきて」

「ムゥムゥちゃんごめんね、私……」

「今いいから、でもムゥムゥちゃんじゃなくてムゥムゥ!」


 すばしっこいムゥムゥに引きずられるようにして、崩れかけの小道に入る三人。そこからはもう複雑怪奇な迷宮。けれど道を知り尽くした兎は迷いなくアリス達を案内していった。ゲットーに隠された更なる異世界へと続く、兎穴まで。

 雑多な元城塞町の、小さなトンネル。その中に入っていけば一人の怪人――やはりみすぼらしい身なりのゴブリンのような小男――が寝転んでいた。息を切らしたアケミをよそにムゥムゥはやぁと気安く声を掛ける。すると彼は昨日の空はどうだったかと聞いた。


「赤い雨、明日は虹」

「さてそろそろ起きっか。よくやったなムゥムゥ」


 門番は体を起こし、下に敷いていた布を剥がす。すれば現れる、秘密基地への侵入口。

 降りて再び地下道を歩く三人。だが今度は灯りが付いている。通路を少し行けばすぐ扉に突き当たった。


「ここ、昔の倉庫を壁越えの宝の隠し場所にしてる。後で皆で分けるんだ。そんで会わせたい人がいる」

「もしかして、ムゥムゥのおばあさん?」

「皆の御婆様さ! とっても物知りであたいにも優しくて、頼れるんだ! 御婆様ただいまムゥムゥ帰りました!」


 勢いよく戸を開けるムゥムゥ。しかしすぐ追い返され、閉じられた。敏感な獣耳が小刻みに震える。扉の向こうから現れたのは「御婆様」には到底見えない。


「おい、ムゥムゥ!」

「げっザオヤーガ」


 身長は180を超え、痩せてさえなければムキムキマッチョだろう体格の良さ。肌の緑色は深いが髪は薄く、鼻は平たい。あえてファンタジーの亜人に当てはめるならオークが近いか。そんな巨人がムゥムゥ一行を威圧していた。


「おんめえ、派手に紐車ぶっ壊したろ。あんだけ耳長んバアさんに目立たんようにって言われとったやが」

「な、なんで知ってる!?」

「例の商人が仕入れてきおったわ。んで、後ろの二人がアケミとタカノゆー転士で間違いねぇんか?」

「うん、そうだけど……あれ? 最初ワルグリアとヨミとかいうのを連れて来いって言ってなかった?」

「おんどれ、しゃんと話聞いとったがや! ゴラ!」


 ザオヤーガは力を込めて思いっきり、半獣の伸びた耳を押さえつける。


「むぅむぅむぅ~~~~!」

「コイツぁ、むぅむぅ鳴くもんでムゥムゥって名じゃ。聞いたがや? すまねぇ、騒がし奴だろ」

「いえ、賑やかで良い子だと思います」


 タカノのフォローにこれ幸いと背中に隠れるムゥムゥ。訛りのキツイ緑肌族(オー・ヨダ)の男は目付きも鋭い。


「あ、あの御婆様は……」

「塔の方、客も一緒じゃ。はよ行って無事なん見せい!」


 ザオヤーガに急かされ、ムゥムゥはタカノの背中を左手方向に押す。ボーっと突っ立ているアケミもふさふさの手に引っ張られた。


「あたい、苦手なんだ。ザオヤーガの奴、すぐ怒って耳掴むし。アケミもビビってちびっちゃったか?」

「いや……あの部屋の中、何か置いてなかった? その、銃、とか」


 先の会話中、アケミはチラリと見えた扉の向こうに釘付けだった。一丁や二丁の猟銃ではない、クリスタリカ近衛兵も使っているような本格的な武器がずらっと並んでいたのだ。


「あー、あれね、暁の薔薇団? とかいう連中が勝手に……御婆様は戦争を望んじゃいない、多分」


 バツ悪そうにムゥムゥは言う。このまま地下から新しい目的地に行けると話題を変えて有耶無耶にした。彼女自身、倉庫が食糧より火器で満ちていく現状に戸惑いがあった。

 またしばらく歩いた後地上に這い出ると、街のシンボル鐘楼の内部だった。見上げれば天井は遠く、ひたすら階段がうねっている。外からはやたら目立てど中の様子を窺い知れない、即ち密談には持って来い。

 案内人がサクサク登っていく後ろ、歩き疲れたアケミはエレベーターが欲しいとつい弱音を吐く。そう、王都の十五重塔のように。

 ――あの日からずっと傍にいてくれた。今も気遣って優しい視線を送ってくれている。そんなタカノの前でいつまでも駄目なアケミのままではいられない。

 アケミの気持ちだけは前へ前へ前のめっていくが、体は追いつかない。踊り場に差し掛かると足が動かなくなった。


「アケミちゃん、休憩しよっか」

「なんだ? どこか具合悪いのかアケミ」

「御足労かけてすみません」


 その時上から声がした。カツカツと階段を下りる足音と共に。ムゥムゥが御婆様と呼べばその人が現れる。


「この度は第三ゲットーにお越しいただき有難うございます。私はベアトリトスが九代目、恥ずかしながら最年長故皆の相談役などを務めています。このような場所で申し訳ありませんが歓迎いたします。転士タカノ様、アケミ様」


 彼女は恭しく頭を下げた。イントネーションはクリスタリカの標準語に近く聞き取りやすい。「耳長の」から連想される通りの知的なエルフだ。最長老と言いながらどう見ても若々しい少女の顔立ちであるのも。

 だが数段上の位置にいるのに目線がピッタリ合った。比較的小柄なアケミの半分くらいしか背丈がない。そういう病気の人を前世のバイト先で見かけたことを彼女は思い出す。耳長族(ルフ・エイン)の場合そういう種族なのだが。


「貴方が私達を呼んだのですね」

「はい。貴方方が追われているのは承知しております。ここならば王都よりも見つかりにくいでしょう。どうかご安心を。ムゥムゥ、よくやってくれましたね」

「えへへ、あたいにかかればざっとこんなもんです」

「些か悪目立ちしたようですが」

「うっ、すみません御婆様……水責め裸釣り鞭打ち、なんでも覚悟してます……」

「そんなことしませんよ。ただ、ちょうどあの方が上に来ていますから、今報告なさい」

「ええっ!?」


 ムゥムゥが素っ頓狂な声を上げる。不穏さを感じてアケミがどうしたと問いかけるが、幼い獣人は耳を押さえて聞いていない。代わりにベアトリトスが答えた。


「貴方方と同じお客様です。ただムゥムゥがこうなる通り、少々癖のある御方ではありますが」

「それって転士……」

「すでに御二方迎え入れています。勿論同士討ちは避けていただいて」

「あの、すみません。私達転士を迎え入れるのは、その……ゲットーの人達にとって良い気がしないのではないですか。ベアトリトスさん、貴方はもしや戦争を経験しているのではないですか? それなのに」

「仰る通り、歓迎する者ばかりとは言えません。私も弟を……ベアトリトス八世や多くの仲間を失いました。その傷が癒えるには時間がかかるでしょう。けれど長い歴史で見れば、三百年ほど前に鼻高族(ルフ・ガンド)の野心家がクリスタリカを占領し支配していたこともあります。彼らもまた雪辱を味わい火器を発展させ転士を揃えた。一方我々は進歩しなかったから負けた。そういうことなんです。我々は変わらなければならない。暮らしを良くする為には力が必要です。皆にそう納得させていますので、御心配なさらず」

「それは失礼しました。是非、私なんかで良ければ協力させてください!」


 タカノは深々と頭を下げる。クリスタ教の細かな教義より、縋るものを救うという原則を優先して。


「前に進む力が必要、か。ボクも何とかしたいと思ってる、けど……」


 アケミも友人のようにハッキリ言いたかったが、つい言い淀んでしまう。そもそも頼られるほどの力もなく、むしろ欲する側なのだからと。

 年長者は若く悩める転士に微笑んで、


「アケミ様、是非あの方にお会いください。きっと貴方の求める物を持っていますから」


 手を差し伸べた。その言葉を聞いてアケミは一歩踏み出した――大丈夫、身体はまだ動く。

 ベアトリトスに導かれ、一行は天に昇った。鐘の撤去された鐘楼の最上階。そこで待ち受けていたのは――



「人間が私の視界に入るな、帰れ!」


 突然怒声が上がった。低く、地獄から唸るような声。口を開いたのはムゥムゥでなければベアトリトスでもない。タカノなどは驚いて両手で唇を覆っている。


「しゃ、喋った!? 蛇が?」


 アケミが叫んだ途端、そいつはもう蛇の形をしていなかった。脚が生えて直立し、鋭い目で睨む。牙の代わりに大きな嘴を携え、今にも相手を飲み込まんと。


「むぅ、こいつら転士ですってば!」

「なら餌か」

「お待ちくださいネロ様、貴方様の同志となる方々です」


 慌てて二人の怪人が止めに入るが、異形の者は生やした羽をバサッと広げてなお威嚇する。その姿はハシビロコウという大型のコウノトリの仲間に近い。


「ネロ……様?」

「えっ、その名前って」


 ――八勇者、変幻自在のネロ。伝説が目の前に現れた。

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