スターダスト・エスケープ
───白い玉座。
エルフ国首都ヴィーズブラーインが中心、王侯府九重宮殿にも、すっかり夜が訪れた。
遥か高くに見上げた天窓から、月を追う大狗が光って見える。
円蓋の内側から半球状に膨らんだ向こうには、満天の星空の広がる夜が訪れているのがわかった。
そうか、もう夜になったのか。
「スコーグルフローディウッルル」
厳かに響く嗄れた声に、俺は正面に向き直る。
俺がいるのは、円蓋の中心にあたる位置だった。赤い絨毯が敷かれた真ん中に、エルフ国立騎士軍、王族親衛隊の正装で俺は直立している。
赤い絨毯はそのまま真っ直ぐに俺の目の前を伸びていき、十余段ある段差を這って上がって玉座の脚の下を潜る。
銀と金に彩られた古式床しい玉座に御座すのは、エルフ国が君王。
名をガンダールヴル ⅭⅡ=アヴ=ユングヴィと仰る。
「本当によいのだな」
「愚問に御座います。我らが王よ」
鋒を持った言葉に付け込まれぬよう、きっぱりと言い放つ。
「彼の舟星嬢は、そなたの兄を殺したその人であるのだろう。それを、そなたが身を張ってまで……」
宥めるような王の御諫言を、皆まで宣わせはしない。
「私は、ブリクスト=スコーグルフローディウッルルに御座います」
コバルトグリーンの瞳を真っ直ぐに向けて、俺は王に奏す。
「〝殺された〟私自身が、舟星嬢の無罪を求めるのです。あの事件の唯一にして最大の被害者たる私が、彼の者の潔白を信憑し、表明するのです」
ここにいるのは、俺と王だけではない。
玉座を中心に円を画くようにして俺を取り囲んだ九人の近衛騎士が、無言のままに冷たい圧力を仕掛けてくる。
しかし、そんなものに構ってやる必要などない。
「どうしてこれが、唾棄すべき意見として扱われましょう」
「…………」
王の沈黙。
「……貴様は第一級の〝ソールの槌〟に処される。それを覚悟の上の発言と受け取って、よいな」
「勿論です。素より無かったはずのこの命、今在るのは王のご寵愛と、彼の者への思慕の御蔭です」
「………」
「我らが王よ、あの悲劇を繰り返してはなりません。今回苦しみ、逝くのは私だけで十分に御座います」
「………よろしい」
玉座から立ち上がり、響く声に乗せて王は宣言する。
「これより、処刑の儀を執り行う! 受刑の者はブリクスト=フラム=リョースヘイムル=スコーグルフローディウッルル。刑は〝ソールの槌〟!」
円に並んだ騎士の響きを聞きながら、俺は安堵の息を吐いた。
──これで漸く、一息吐ける。
満天の星空の下。幾筋もの星屑が、目映いばかりに星空を奔っては消えてゆく。
今宵は星屑の降る夜らしい。最期に見上げた空がこれというのは、なかなかの僥倖ではなかろうか。
周囲には黒い装束に身を包んだ十数の審判騎士が、着々と刑の執行の為に準備を進めている。罪人を裁く審判府に、厳しい試練を乗り越えて奉公する〝沈黙の騎士〟達。騎士軍の中でも特殊な立場に位置する彼らだが、中には俺の知っている顔もいるだろう。
ふと、そんな彼らへの自責が起こった。
俺達は騎士だ。
君主に仕えて忠義を尽くし、そこには一切の私情を挟む余地などない。
けれど、と俺は思う。
顔見知りを殺す準備をする時間とは、どんな気分なんだろうと。
「…………」
顔も分からぬ顔見知りの心中を鑑みて、俺は申し訳なく思った。
俺の勝手で、顔見知りを第一級の刑に処する手伝いをさせられる……そんな辛苦を味わわせてすまない。
けれども俺は、彼らの辛苦よりも綿天の為に命を賭したい。そう強く思う。
鬱蒼と茂る草原の只中に敷かれた一片の薄縁の上で跪座に直り、星屑の飛び交う夜空を堪能してやや経った。
「スコーグルフローディウッルル第一級処刑囚」
正面から声を掛けられて、視線を目の高さへと戻す。
四方を見ると、俺を囲むように正方の祭壇のようなものが組まれていた。ルーンを刻んだ杭を地に打ち、そこを頂点として辺を稲妻に見立てた木皮でぐるりと幾重にも囲う。
俺の後ろには、既に執行の者が柄の短い槌をぶら下げて待ち構えていた。
今まで見たことのない、そして陥ったことのない状況に殊の外息が上がったが、顔を正面に向き直し、深呼吸を試みる。
………いざ、ブリクスト今生の別れ。
俺は神話の終末の一場面を、じんわりと想起する。
───彼の雷の大神は、黄昏の最中毒の大蛇の吐息を浴びて相打ったという。
───その真っ赤に灼けた槌を三度振るって。
「これより審判の儀を執り行う」
審判府の長が、俺の正面の祭壇に立ってそう宣告した。
「受刑の者はブリクスト=スコーグルフローディウッルル。執行の者はアービオルン=ビョールク。立ち会う者は、君王ガンダールヴル ⅭⅡ=アヴ=ユングヴィ」
ざっ、と一斉に、周りを取り囲んだ審判騎士達が剣を眼前に掲げる。黒い装束の集団に、刃の光が宿った。
「受刑の者は、ここに辞世の言を述べることを許す」
審判府の長がじろりとこちらに視線を移した。しかし俺はその視線には応えず、彼の隣に御座す王の方へ目を寄せて、
「………この星屑降り積む世界に、安寧を」
一言そう告げた。
王は、真っ直ぐに俺の方をご覧になっていた。
「承った」
審判府の長は頷いて、手元の白く塗られた樺の木皮に刻まれた執行の手順を読み上げる。
「それでは、受刑の者は跪座と沈黙を貫くこと」
俺は崩れかけた跪座を正し、一文字に口を噤む。審判府の長は俺が二つの条項をきちんと熟したのを確認して、
「……執行の者は前へ!」
「はい」
俺の後方に控えていた審判騎士の一人が、一歩前へ歩み出た。
「エルフ国刑法第九百と九十九の項其の一、『それが国家的かつ特殊な案件である場合、君王の承認する特殊な事例に限り、その案件に関する罪業と懲罰の一切を、審判府忠勤を除く准士官以上の階級を有する国立軍騎士が本人の承諾の下に請け負うこと、これを可とす。』──今条項を採用し、王族親衛隊ブリクスト=スコーグルフローディウッルル尉官を、舟星綿天嬢の国家禍乱罪に代わる名誉罪とする!」
恐らくは初めて実現する判例であろう、審判府の長が拝読したその刑罰を、俺はずっと前から知っていた。
それはシャルノが読み漁った、エルフ国の法律に関する厚い書物に載っていたものだ。この法を知らなければ、俺はここまで来ることができなかった。
「罪名は名誉罪。刑は第一級、〝ソールの槌〟」
俺の背後で槌を構える審判騎士が、その手に力を込めるのが分かった。すると、
「………ブリック」
「?」
周りの誰にも聞こえないような声で、俺の背後に立つ審判騎士から声が掛かった。
「わざわざ死にに来たのか」
……一体何だ?
俺が警戒の念を向けると、
「……忘れたか。サクスのアービオルンだ」
………! 思い出した。
騎士学校の同期で一、二を争うサクス使いだった、あのアービオルン=ビョールクか。
確か、騎馬の授業で色々指導してもらった覚えがある。
さっきは気付かなかったが、まさか直接の執行がこいつだったとは………。
「こんなところで死ぬつもりか」
例の黒い装束で、彼の口元の動きは誰にも気付かれていないのだろう。
「ここに、我らが君王ガンダールヴル ⅭⅡ=アヴ=ユングヴィのご承認を賜る!」
アービオルンの低い声に、審判府の長の声が重なる。
「折角優良の成績を修めて王族親衛隊にまで登り詰めたというのに……それを名誉の死で綴じるつもりか」
「………」
アービオルンは屹立を解かず、沈黙を強いられた俺に語り続ける。
「たかが人間の小娘一人を庇って、家柄も今まで築き上げた地位も棄てて死ぬのか。……下らんことで、騎士の魂を蔑ろにするなよ」
いかにも生真面目なこいつの言いそうなことだ。
だが確かに、今の俺は王への絶対の忠誠よりも、綿天を庇うことを優先している。一流の騎士として、誇れることは何も無い。
確かに俺は、騎士の魂とやらを蔑ろにしてしまったかもしれない。
だが、それは今に始まったことではない。俺は騎士学校に入ったときからずっと、君王へではなく、綿天への想いを胸に今日まで闘ってきたのだから。
「今なら俺が、騒ぎを起こして儀を中断させてやることもできる。それでもおまえは、死にたいんだな」
僅かに頭を、前に傾ける。
「…………」
───これは、〝俺達〟が二人の力で辿り着いたエンディング。
ブリクストの身分と、シャルノの知識で勝ち得た綿天を救う最後の良策。
それを、こんなところで邪魔されてたまるか。
それ以上、アービオルンは何も話し掛けてはこなかった。
「我、ガンダールヴル ⅭⅡ=アヴ=ユングヴィはここに、ブリクスト=スコーグルフローディウッルルを刑に処することを承認する」
王の承認の後は審判士の裁決、審判騎士による演舞、そしてアービオルンの手による刑の執行。
………それで全てが終わる。
* * * * *
……あと数分もしない内に、俺の身体は槌に叩かれてだろう。その前に。
走馬灯とはいかないけれど、俺は俺の──ブリクストの人生をゆっくりと、身の内に刻み込むように思い返す。
ヒャールンヘイムルの貴族の家に生まれ、不自由なく育った。
俺が産まれて一年、シャルノが産まれた。
俺が五つになると、父が剣の先生を付けてくれた。
七つの頃、両親の仕事の関係で弟と共に人間世界へ移り住んだ。父が働くことになったのは、日本という極東の島国の大使館だった。
日本語は何年か勉強してから行ったからさほど問題はなかったが、当然ながら周りは人間ばかり。初めの内は髪や耳をじろじろ見られたり、遠巻きにひそひそと噂話をされたりした。
そんなとき、隣の家に住んでいた同じクラスの人間の女の子──綿天が、「お耳長いね」なんて言ってふにゃりと笑ってくれた。
俺と綿天、シャルノと綿天の出会いはそれぞれ違ったけれど、俺達兄弟にとってあの子は大切な存在だった。
それから程なくして友達ができ、段々と学校に馴染み、皆で探検ごっこをしたりした。
今思えばあの日々は、俺の人生の中で一番楽しみに溢れていたのかもしれない。
そしてあの秋の日、俺は………脇腹を貫かれて死んだ。
───それから二年、俺は騎士学校に入学した。
剣や武術の訓練を受け、毎日朝から晩まで扱かれて、何度も挫けそうになったけど……諦めはしなかった。
それに、騎士学校での生活は辛いことばかりじゃなかった。
後ろのアービオルンを初めとして、沢山の騎士を目指す仲間に出会った。警察騎士を目指していたパンサリ、小柄だけど大食漢のヨゥシ、天文に詳しいコイラ……挙げていったら限りがない。
よかったことは他にもある。
フリーヤニルという愛馬を得ることができた。
この国を守る騎士達が、どんな訓練を積んで……どんな思いを持っているのかを、知ることができた。
卒業課程で優良の成績を修め、王族親衛隊に入ったのはついこの間のことだ。
そして綿天に再会して、漸くここまで漕ぎ着けた。
俺は、自分の人生を無駄にしたなんて欠片も思わない。
ブリクストの人生を歩んだことで、俺はシャルノが手に入れることのできなかったものを手にすることができた。
だから───もう満足だ。
父と母、そしてあの子も俺の選択を尊重してくれることだろう。
「…………」
あと十数秒の内に、俺は槌で叩かれ絶命する。
これで正真正銘、ブリックもシャルノもこの世界から消えてしまう。
ごめんよ、父さん、母さん……綿天。
俺は家族や友に恵まれた、貴い人生を送ることができた。
………予定外だったとはいえ、最後に綿天と……唇を交わすことができた。
それが何よりの幸福だ。
審判府の長が、短く一文を言い放つ。黒い装束のアービオルンが俺の背後で槌を振りかぶって、
………さらば、綿天─────
* * * * *
緑豊かなヒャールンヘイムルの、とある貴族の屋敷。
廊下の大窓を開けて、星屑が降るのを見つめる淡いピンクの髪の侍女は、
「平安なる主よ、慈悲深き婦人よ。どうか、あの方の命をお守りください………」
その白い頬に涙を伝わせ、手を組んだ。
* * * * *
「待ったああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
星屑の降りしきる空の下、あやしげな集団がシャルノを取り囲む真夜中の草原で、私はありったけの声をしぼって叫んだ。
シャルノに振り下ろされようとしていた黒装束のハンマーを持つ手が、空中で止まる。
そこにいた全員が驚いて、一斉に私のほうを振り返った。
「なんだ!」「なんだ?」
「日本語か?」「女だ!」
「どこだ!」「どこから聞こえた」
「西の方角、丘の上に侵入者だ!」
「どうやってここまで入ってきた!」
「警備は何をしていたんだ!」
「待て、あれは人間じゃないのか?」
「人間? どうして人間がこんなところに」
「……待て、」「彼奴、まさか……」
「──舟星綿天!」
彼らは口々に声を上げて、私を見つけ、私の正体を当ててしまった。
星屑回廊を渡った先は、切り立った小さな崖になっていた。ここから落ちたら骨折はまず間違いないだろう。
崖の下に見下ろす草原は、月明かりと星屑の降るせいでとても明るい。輪の中心にいるシャルノのベイビーブルーの髪もはっきりと見える。
シャルノはあんぐりと口を開けてこっちを見ていた。この間見たターコイズグリーンの軍服みたいなものを着て座っているけど、その手首にはかたそうな手錠がはめられている。
じゃあ後ろの人はもしかして……シャルノを、殺そうとしてた………ッ?
「シャルノー!」
他の人なんて気にしてられない。シャルノの安否を確かめるために、思いきり叫ぶ。
「わ………綿天? な、な……なんで、こんなところにいるんだ!」
大きな声が返ってきた。よかった、とりあえず無事みたいだ。
シャルノの後ろにいた黒い装束の人が、振りかぶったハンマーみたいなものを下に下ろした。
「………? 今、俺のことシャルノって………」
呟く声は聞こえなかったけど、表情でなにを言ってるのかなんとなく分かる。……そうだよ。
「私、もう知ってるよ。……あなたがブリックじゃなくて、シャルノだってこと!」
「……………!」
周りの人はなにを言ってるのかわからないって顔で、眉をひそめてお互いに顔を見合わせている。あの人達はたぶん、ブリックとシャルノの秘密を知らないんだ。
「………そんな……、……なんで………」
口に出して、シャルノはすぐに気づいたみたいだった。
「………あの子……。あの子が、話したのか。………そうか。あれだけ言っておいたのに、話しちゃったのか……」
力なく、シャルノはうなだれた。
「……………畜生」
「…………………」
……そうだよね。せっかく命までかけて正体を隠してたのに、私がそれを知って……ここにやって来ちゃったら、そりゃ困るよね。
でもね。その方法じゃ、私もシャルノも、ブリックだって……救われないよ。
私が次の言葉を伝えようとして、
「待たれい」
そこに、低くおごそかな声が響いた。
草原にいた全員の頭がそっちに向く。顔も見えない真っ黒の装束を着たあやしげな騎士みたいな人たちは、そろって姿勢を正した。
よく響く低い声を出したのは、輪のなかでいちばん華やかな衣装を着ている……白いひげを生やした王様みたいな人だった。ゆったりとした身体のラインが見えない大きな服を何枚も重ね着して、高い身長と同じくらいある木製の杖をついている。
西洋の王様が着るような衣装は、一度だけ体験で着せてもらった十二単にも似ている気がした。
「見受けるに、其方は舟星綿天だな」
おじさんは、いかにも王様らしい偉そうな口調で崖の上の私をじろりとにらんだ。
「………はい」
「たった今、ブリクスト=スコーグルフローディウッルルは其方の代わりとして処刑の儀に身を投じたところだ。この採択はもう決して覆らぬ」
………!
やっぱり、いまからシャルノは処刑されるところだったんだ……! 間に合ってよかった……………。
「よって其方は我が国の法において、既に大罪人ではない。──単なる不法入国者だ」
王様おじさんの声が鋭くなった。
「お……お待ちください! この者をエルフ国へ、ここへ連れて来たのは私です! 彼女は私に連れて来られたです、何の罪もありません!」
「……あの」
王様おじさんから必死になって私をかばうシャルノを見て、私は口をはさまずにいられなかった。
どうしてシャルノは、こんな偉そうなおじさんにへこへこしてまで私のことかばうの……!
「私は、そこにいるシャルノと話に来たんです。どなたか知りませんけど、黙っててもらえますか」
「……………ッ!」
崖の下が、ざわついた。
シャルノ、黒い装束の騎士、そして伝統衣装みたいな服を着込んだ数十人が、そろって息を呑んで固まったのが遠目にもわかった。
「ちょっ、綿天……この方は………!」
シャルノの顔が青ざめてる。
……? どうしたんだろう。
ちょっと言いすぎた?
皆の様子を不審がっていると、
「きッ、貴様………!」
灰色の伝統衣装を着た丸い眼鏡と口ひげのおじさんが、わなわなと肩をふるわせて、
「なんということを! 貴様、あろうことか、君王陛下に向かって黙っていろだと……? 貴様の大罪を不問にしてくださったのは、君王陛下だというのに! それなのに貴様は──」
「よい」
「………!」
怒りに狂う灰色の伝統衣装のおじさんを、王様おじさんが片手で遮った。王様おじさんはちらりとござみたいなものに座ったままのシャルノに顔を向けて、
「リョースヘイムルの青年よ、半時は与えぬ。……それで答えを出せ」
「王………」
それだけ伝えると、王様おじさんは星屑だらけの夜空に向かって大きく両腕を広げた。
「──Glíkr Sleipnir, vanr hǫlðr af Skógrfrodiullr eða fljóð af Funahoshi!」
ノルド語らしい言葉でなにか唱えたかと思うと、その大きな身体は光に包まれてあっという間に消えてしまった。
「えっ?」
一瞬の出来事だった。
周りを見てみると、さっきまで何十人といた黒い装束の騎士たちや伝統衣装のおじさんたちも軒並み消えていなくなっていた。
残ったのは、私とシャルノだけ。
「…………」
「…………」
おかしな儀式みたいに飾りつけられた、シャルノを取り囲む稲妻みたいな木の板が風に揺れた。
しんとした夜の静けさが、辺りに戻る。
「………綿天」
先に沈黙をやぶったのは、シャルノだった。
「………えっと、……何から言えばいいのか、わかんないや……」
無理に笑顔を作ろうとするシャルノは、言葉につまってしまった。代わりに私が話す。
「……私、全部聞いたから。あの日ブリックが死んじゃったことも、シャルノがブリックになったことも、シャルノがいま私の身代わりになろうとしてたことも……全部」
「………弱ったな」
ばつの悪そうに頬をかくシャルノの手首で、手錠が金属の音を立てた。
それを見て、胸が締めつけられる。
「あの子があんなにおしゃべりだとは思わなかった」
「……私も」
くすっとシャルノは笑った。それを見て私も微笑む。
「あの子、怒るとけっこう激しいんだね」
「えっ、そうなの? 今まで怒ったところなんて見たことなかった」
「あの子って、どれくらい一緒にいるの?」
「あの日……綿天と分かれたあの年から一年くらい経ってからだから、ちょうど五年くらいかな」
「そんなに?」
「家族みたいなもんだよ」
「……そっか」
こんな穏やかな時間はいつ振りだろう。
………ずっと長い間、味わっていなかった気がする。
「………シャルノ」
その名前を呼べることに、胸の底から喜びを感じる。
「……なに?」
「……呼んでみただけ」
「………そっか」
まるで告白を控えた少女漫画のヒロインと男の子みたいな会話だな、と私は思った。
思っておいて恥ずかしくなった。
「ねえ、綿天」
「はっ、はい」
声が上ずってしまった。変に思われてないかな。
「……綿天は俺のこと、許してくれる?」
「……シャルノこそ、私のこと……許してくれる?」
ひときわ大きな星屑が、二人の間を奔っていった。
* * * * *
「おいお前、何をしている!」
二人のいる処刑場から離れた、数十人の審判騎士や審判士が国王と共に移動した先。黒い伝統衣装に身を包んだ審判府の長は、弓を携えた審判騎士の一人を怒鳴りつけていた。
「大罪人だぞ! あそこにいるんだ、さっさと奴を射れ!」
「し、しかし……彼女は既に大罪人ではありません。それにこの弓は、先ほどの演武に使った祭祀用の物ですし……」
「構うものか! どちらにせよ、第一級の国家禍乱罪を裁く大事な儀を妨害したんだ。それだけで第二級の罪くらいにはなるぞ。加えて奴は不法入国、不法侵入も犯している。これだって立派な大罪だ。ほら、わかったらさっさと──」
「控えろ」
「くっ、……君王陛下?」
「審判府の長ともあろう者が、これしきの事で取り乱すものではないぞ。情けない」
「はっ、はあ。申し訳ございません。……しかし、しかしながら……」
「案ずるな」
君王は明るい夜空の下、二人のいる方角を押し立って見遣りながら、
「ここは、〝立会人〟に一任してもらおう」
審判府の長と弓を携えた審判騎士は顔を見合わせた。
* * * * *
改めて顔を上げてみると、星屑だらけの夜空はこれほどかというくらいに開けていた。
高い建物も、過度な明かりもなにもない深緑の自然から見上げる星空は、写真や絵には収まりきらない気がしてやまなかった。
「綿天」
下の草原で、シャルノが私を呼んだ。
「僕は知ってたんだ」
その表情は、昔のシャルノのあどけなさを取り戻していた。
「綿天が兄さんのことを好きだって」
「………そっか」
「それに僕らも、二人とも綿天が好きだった」
「え……?」
「初めて人間界に行って、初めて日本に行って。右も左も分からなかった僕らの手を、綿天は優しく引いてくれた。だから……ブリックも僕も、綿天のことが大好きだったんだよ」
「……私はなにもしてないよ」
子供の頃の話なのに、なんだか照れ臭い。
「感謝されるようなことなんて、私はできてないよ」
それを聞いて、シャルノは首を横に振った。
「初めに僕ら兄弟に話しかけてくれたのは、綿天だった。皆が遠巻きにエルフの子供に注目する中たった一人、綿天だけが友達にするみたいに、僕らに話し掛けてくれたんだ」
シャルノはコバルトグリーンの瞳を閉じて、
「──僕らは君の純真さに救われた」
まるでお祈りするみたいに、手錠のついた手を胸の前で組んだ。
だったら………。
「だったら私は、シャルノの一途さに………救われたんだよ」
……ああ、どうしよう。
恥ずかしくってシャルノの顔が見られない。
「私がいなくなった後も、シャルノがずうっと私のことを好きでいてくれたから、私はいまここで……こんな素敵な空の下で、シャルノとお話できるんだよ」
「…………」
火が出ちゃいそうな顔を、さわやかな夜風が滑ってくれる。シャルノも……そうなんだろうか。
あれから、どれくらい経ったんだろう。月がずいぶん動いたような気がする。
「………ねえ、シャルノ。最後に訊いていい?」
「なに?」
目を閉じて、すうっと息を吸う。
なんだかまるで告白みたい──って、これはもう言ったっけ。
肺に膨らんだ息を今度はゆっくり吐いて、
「──私、まだシャルノが好きだとか……そんな無責任なこと言えない。中途半端な気持ちを、胸いっぱいに伝えることなんてできない。シャルノの言う通り、たしかに私ブリックのことが好きだった。でも、私のことを助けに来てくれたシャルノに……すごくドキドキした。……ほんとだよ。だから、だから………!」
勇気を出して目を開けると、目の前にはいつの間にかシャルノが立っていた。
「わっ………」
驚いて倒れそうになるのを、シャルノが腰を支えて止めてくれる。
「あ、ありが………」
「……」
お礼を言おうとする私に、シャルノは小さく首を横に振った。
………?
「………続きは?」
「えっ…………、」
シャルノの顔が近い。
月と星屑の逆光のせいで、シャルノの顔が私の瞳いっぱいに映り込む。
…………。
そのシャルノの真剣な表情は、あの時…………、
「……しゃ、シャルノ………」
「……うん」
キスしたのを、思い出してしまった。
「……時間がかかると思うけど、それでも………私のこと、待っててくれますか………?」
……シャルノの返事は、おでこへのキスだった。
* * * * *
「……スコーグルフローディウッルル」
「!」
草原を見ると、そこには王様おじさんと、一緒に消えた人たちが立っていた。
「………君王陛下」
シャルノが王様おじさんを見下ろして、そう呟く。
……王? 陛下?
えっと、もしかしてあのおじさんが………、
「決まったか」
……え、エルフの王様?
「はい」
シャルノは堅苦しさをなくした、あか抜けた笑顔で微笑んだ。
「──僕は生きたい」
「…………」
王様は目を細めて、一層強くシャルノの顔を眺めた。すると、
「……き、貴様まで気が狂ったか!」
灰色の伝統衣装を着たおじさんが、また声を張り上げた。
「君王陛下! 彼奴は親衛隊騎士の身でありながら、あろうことか第一級の審判から堂々逃れようとしておりますぞ! これは審判を、法を侮辱した行為です!」
「…………」
王様は黙ったままシャルノの顔を見つめて動かない。
……ど、どうしよう………。
このままだと、シャルノはまたあの人たちに囲まれて、あのハンマーで……殺されちゃうの………?
「何をやっている、お前らはあの逆賊どもをとっ捕まえろ!」
灰色の伝統衣装のおじさんが周りの黒い装束の騎士たちに命令する。そして数人の黒い装束の騎士たちが腰の鞘から剣を抜いたところで、
「……君王陛下!」
ひと足先に、シャルノが叫んだ。騎士たちの動きが止まる。
「僕らはまだ、生まれたばかりの名もない星だ!」
それは、詩にも似た叫びだった。
「僕らはまだ、どこへ行くかも、どこで輝くかもわかっていない、稚い火花だ! だからその黄昏が来るまで、僕らを──夜空を駆ける星影を、見逃してはくれませんか。……王よ」
「…………」
王様は、なにも言わない。
言わないままだったけど、王様は右手を胸のところへ持っていってそこにあるエルフ国の国章を指で触った。
他の人たちも胸に国章をつけていたけど、王様のそれは鈍く銀色に光っている。なにをやってるんだろう、と私が王様のことを見ていると、
「──綿天!」
突然、シャルノが私の手を取った。
「えっ?」
ぐいっと引かれるがままに、身体と足が前に倒れる。
に、逃げるってこと? ………って!
ちょ、ちょっと待ってシャルノ、そっちは崖───!
シャルノが甲高く口笛を鳴らして、勢いをつけて思いっきり崖に飛び込む。
「ちょ、死───っ」
身体が宙へ跳ぶ。
一瞬、私を支えるものは本当になにもなくなって、下からの暴風が身体に吹きつけた。ぎゅっと握ったシャルノの手だけを頼りに、落下する恐怖と闘って、
「………あれ?」
ぼすんと、お尻がなにかにぶつかった。続いてがきん、という金属音。
地面はまだ下のはずだ。それにいくら下が草でも、こんな柔らかい衝撃のはずがない。
かたくつむった目を、恐る恐る開けると、
「………フリーヤニルくん!」
ぶるるん、とフリーヤニルくんは嬉しそうに唇を震わせて急上昇。
「きゃーっ」
どんなジェットコースターでもこんなスリルは味わえないだろう。
「綿天! このまま逃げよう!」
フリーヤニルくんに跨ったまま、私に振り返って楽しそうに言ってのけた。
シャルノの手は、まだ私とつながっている。そっか、いまの音ってフリーヤニルくんが手錠を壊した音だったのか。
「逃げるって、どこまで?」
野暮な質問だな、と思いながらも私は前に座るシャルノに尋ねる。
答えは一つしかないのに。
「どこまでも!」
私とシャルノを乗せた六本脚のフリーヤニルくんは、その真っ白な毛並みを明るい夜空に吸い込ませていった。
* * * * *
「………王よ! に、逃げましたぞ!」
「あのセクショールニル、なんて速さだ……」
「は、早く捕まえねば……! おい、誰か、馬を出せ!」
「……何を騒いでおる」
「く、君王陛下? 何を、とは………」
「儀は終わった。審判騎士は場の撤去を」
「は………?」
「儀は……終わった、と? そう仰られたのですか?」
「し、しかし、処刑囚が逃げてしまっては……」
「終わるも何も………」
「何を言っておる」
君王は低く滑るような声で、
「ブリクスト=スコーグルフローディウッルルは、確かに槌をくらって死んだじゃろう」
「…………はい?」
「……君王陛下は、いったい何を仰っておられるのです? 見たでしょう! 白いセクショールニルに乗って逃げる、あの二人を!」
「あれはブリクストの弟、シャルノ=スコーグルフローディウッルルじゃよ」
「へ……?」
「は…………」
「お、弟……?」
「あの人間の娘も、国交回復の為に極秘で儂が呼んだ人間界からのゲストじゃ。あの娘がここにいることに、何の問題もない」
「……………」
「……………」
「おっと、ブリクストの遺体が見当たらんのう」
「そ、そうですぞ。遺体が無ければ、ブリクストは裁かれたことには──、」
「勇猛な騎士ブリクストは無事、ワルキュリャに連れられてワルホッルへ逝けたようじゃのう」
「……………」
「……………」
「……………」
この国は未だ君主制。いくら民主的に意見を取り入れたとしても、王の云うことは絶対。
彼らは匙を投げた。
どうやらブリクストは死んだらしい、と。
君王は一人、フリーヤニルが消えていった夜空に目を向けながら、
「………………」
降りしきる星屑を、老いた瞳で眺めていた。
* * * * *
フリーヤニルくんは、星屑が四方八方に流れる夜空の真っ只中を六本の脚で軽快に駆ける。
身体に感じる、シャルノの背中が大きくて熱い。
今度はしっかりとわかる。
私の前で白馬を進ませているのは……シャルノだ。
「話をしよう、シャルノ。……二人で」
「うん」
「いままでのこと、今回のこと、それに………これからのこと」
「僕も、そう思ってた」
「あと、フラム=リョースフリョートさんとどういう関係なのかもね」
「えっ、わ……綿天? もしかして僕のこと疑ってる?」
「べつにぃ」
疑ってなんかいない。
シャルノと私の手は、まだしっかりと握られたままだから。
東の空を見ると、一夜限りの夢をかき消すみたいに遠くから、秋の夜空はうっすらと白み始めていた。
まだ空の上から降り積む星屑が、薄く流れる日の光にさらされて真っ白に消えていく。
……ここはエルフ世界。
幻想的で美しくて、緑がいっぱいの理想郷。
そして私の大好きな、二人の兄弟の生まれ故郷。
これから私がどんな運命を辿るのか、それは全然わからないけど……。
この世界で、彼と一緒にいられるのなら。
どんな運命でも進んでいける。
満天の星屑のなかを逃亡する私とシャルノは、いつまでも互いの手を握っていた。
失った三人の時間を、取り戻すように。
~fin~
※自分の敬愛する作家さんの流儀に則って、この後書きには本作のネタバレは含まれません……が、一部解説などを含みます。
こんちにはこんばんは。
桜雫あもる です。
いかがだったでしょうか、『星屑エスケープ』。
途中から「女性向け恋愛ファンタジー」という枠を超えた何かに変わりつつあったので、ラストは本当に試行錯誤の連続でした。
〆切もギリギリですし、死に物狂いで空き時間を見つけては書き溜めを繰り返していたように思います。
まずは簡単に解説をば。
宮殿の名前が「九重」なのは、北欧神話の世界観が「九つの世界」から成り立っているからです。
ほんとにただそれだけです。
月を追う大狗は、ハティという狼のことです。
あの有名な北欧神話の猛獣フェンリル(フェンリス狼)の子供とされる狼で、月蝕は彼が月に追い付いたから起こる現象なんだとか。
王様の名前は、
○ガンダールヴル…アールヴ(エルフの起源となった北欧神話の小神族)の最後の王の名
○ⅭⅡ…ローマ数字で「102」。つまり百二世ってことです。長続きですね。
○アヴ=ユングヴィ…「ユングヴィの」
という意味です。
「〜世」という時は、英語圏ではⅡ(Second)、Third(Ⅲ)という風に序数詞で読むのですが、これもまた古ノルド語の序数詞がわからず苦労しました。
とりあえずアイスランド語での序数詞を参照し、体裁を整えてみましたがたぶん間違ってます。
「ソールの槌」に関しては、「槌」というワードが出た時点で神話マニアならピンと来ると思います。
そう、雷神トールの鎚ミョルニルです。
古ノルド語の発音では「トール」より「ソール」の方が近いので、後者を採用しました。
物も金属製なので「鎚」が恐らく正しいのでしょうが、なんとなく「槌」の方が素朴な雰囲気が出るかな? ということで木製にしてみました。
毒の大蛇はヨルムンガンドのことで、北欧神話の最終戦争ラグナロクにて、トールはヨルムンガンドと相討ちとなります。
王様の仰った「Glíkr Sleipnir, vanr hǫlðr af Skógrfrodiullr eða fljóð af Funahoshi」は、直訳で「スコーグルフローディウッルルの男と舟星の女以外は、スレイプニル(主神オージンの乗る神速の軍馬)のように」という意味です。
以前解説した「セイズル」という方の魔法には、動物の姿を用いて高速で移動する魔法があったようですので、それを参考に致しました。
シャルノが放った痛々しいポエムで使っていた「火花」は、北欧神話における星がムスペルヘイムルという灼熱の国から飛び出た火花が空まで浮かび上がったものだと考えられていたから。
「黄昏」はご存知、「神々の黄昏」からです。実はここだけの話、「神々の黄昏」よりも「神々の運命」と訳すのが元を辿れば正しいんですよね、恐らく。ラグナロクについて書かれた文献の綴り違いや、ワーグナー作の劇のせいで「黄昏」と訳す方が日本では主流になっちゃってますが……。
今作は先程も申したように「女性向け恋愛ファンタジー」作品です。
第一部前書きにも書いた覚えがありますが、一迅社文庫アイリス様主催恋愛ファンタジー大賞に応募させていただくにあたり、「恋愛ファンタジー」という要素で最初に思い付いたのがエルフでした。
北欧神話に起源を持つ、魅力的な設定を沢山有するエルフ。
『指輪物語』(J. R. R. トールキン著)を読んだことのない自分ですが、エルフや神話への思いには自信がありました。
作中ではなるべくエルフの世界観を壊さないよう、ヨーロピアンな雰囲気や北欧系の地名や人名を全面に出していったのですが、そういうのは個人的に中々楽しかったです。
なにせ凝り性なもんで。
……いつも通り設定が自分のなかでどんどん膨れて濃密になってしまい、〆切ギリギリの投稿となってしまいましたが。
自分の性別は男ですから、女性がどんな理想の男性像を持っているのか、どんな物語がいいのかさっぱりわかりませんでした。
そこで、数少ない昔馴染みの女性知人のツテや母の持っていた少女漫画(『ときめきトゥナイト』シリーズ)を参考に、物語の内容や雰囲気を構成していきました。
初めは本当に、少しの量で終わらせるはずだった物語が、時間を経るごとに自分の中で深くどんどん深く掘り下げてしまい、ここまで来てしまいました。
「予定とは狂うもの」。これを座右の銘にしたいくらい予定が狂ってしまいました。
ですが時間を掛けた分、文章量はかなり多くなったものの皆様に主人公の心情を楽しんでいただける作品になったのでは?と勝手に思っています。
ただ、本当ならもう少し話を壮大にして、主人公が家族や友人などの身近な人達にも「世界の敵」と見なされる描写を入れたかったのですが………時間や尺、物語の構成の都合上、省くほかありませんでした。
そこだけは特に悔やんでおります。
………あと、最後の最後にラヴモード全開の文章を書いてしまいました。は、恥ずかしい……!
恋愛小説や漫画を書かれる皆さんは、こんな羞恥を乗り越えてらっしゃるんですね………尊敬します。
自分が他で書いている『殺し屋』シリーズ同様、もしかしたら『星屑エスケープ』の続編を書くことになるかもしれません。
予定は未定で、「予定は狂うもの」なので確約はできませんが、書くとすれば学園モノになります。
WEB小説で大賞に応募するのは初めてなので、少々緊張しています。
一迅社文庫アイリス様。拙作ですが、お楽しみいただければ幸いです。
ご一読ありがとうございました。
桜雫あもる




