15 馬鹿でも風邪は引くのです
泥に足を取られながら畑から上がると、待ち受けていたのは残ったバケツの水の洗礼だった。お陰で泥は落ちたものの、ちょっと手荒ではないでしょうか?
「リーアさん、ひどい!」
「殿下に無礼を働いておいて! この程度で済むのだから、ありがたく思いなさい」
「えぇ……」
リーアさん! 立ち去る前に、せめてタオルの一枚でも貸してください!
残念ながら心の声は届かなかったようだ。仕方がない。髪の水気を絞りながら、ふとすでにこざっぱりした殿下と目が合った。
「災難だったな」
泥はおろか、水気もない。服は泥遊びをする前のように綺麗だ。頭の天辺から爪先までピカピカだ。
「ははは……」
一方わたしは、濡れ鼠状態である。なんか、もう笑うしかない。
「泥はすっかり落ちているぞ」
「ありがたいことです」
悪戯に濡れ鼠にしただけではなかったらしい。ついでに水気も飛ばしてくれたら非常にありがたいのだけれども。
「お前も風邪を引かぬうちにーー」
歩み寄ってきた殿下の足が止まる。そして、気まずそうに目を背けると、シャツのボタンを外し始める。
「殿下?」
もしかして暑いのかな? お天気は良いけれど、服を脱ぐまでは暑くないはず。
なのにすべてのボタンを外し終え、シャツを脱いだ殿下は、上半身裸だった。薄い胸板に白くて滑らかな肌。まさに幼児のお着替え中のような状態だ。
「殿下、いくら暑くてもシャツは着ていた方がいいですよ」
若いと肌のきめが違うなあ。
わたしだってまだ若いと思いつつも、やっぱり幼児には新鮮さは敵わない。羨ましい、なんて感想を抱いてしまう。
すると殿下は、ずいっと白いものを押し付けてきた。
「これは……」
シャツです。殿下の脱いだシャツです。
もしかして、洗濯しておけってこと?
差し出されたシャツの意味がわからず、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「羽織っておけ」
羽織るも何も、サイズが小さい。戸惑いながらも小さなシャツと殿下を交互に見ると、殿下の顔が赤い。もしや、早速風邪を引いてしまったのか。
「ちょっと失礼しますね」
殿下の小さな額に手を当てる。む、ちょっと熱い。
「殿下、お熱が」
しかし殿下は、わたしの手からするりと逃れてしまう。そしてさらに顔を赤らめながら目を背けてしまった。
「俺のことはいい。透けているぞ、さっさと隠せ」
透けてる? 何が?
何気なく自分の胸元を見て納得する。白い体操着が濡れて、茶色いギンガムチェックのブラが透けて見える。漫画にあるあるのシチュエーションだ。
「ああ、すみません。お見苦しいモノを披露して」
「いいから早くしろ」
「はいはい」
「返事は一度でいい」
「はーい」
殿下ってば、ちっちゃいのに紳士だな。さすが王子様。
せっかくの好意を無駄にしないため、小さなシャツで胸元を覆った。
「はい、もう大丈夫です」
まだ赤い頬をした殿下が微笑ましい。何というか野良猫を手なづけたような気分だ。
ニッコニッコしていると、殿下は呆れたように溜め息を吐く。
「お前は……」
「はい?」
「もう少し慎みを持った方がいい」
「わたしほど慎み深い女子はいないと思いますが」
「どこがだ」
殿下はそっぽを向きながら、腕組をする。
「言っておくが、俺はお前より背が高い」
「へえ、そうなんですね」
今度は苦い顔で額を押さえてしまう。頭が痛いのかな?
「お前は……意味がわかっているのか?」
「だから、殿下の方が本当は背が高いんですよね?」
「本当に、わかっているのか?」
「もちろんです。呪いが解けたら背比べしましょう!」
「……ああ、そうだな」
膝に手をついて脱力した殿下は、大きな大きな溜め息を吐き出した。