38枚目 救世
「キミの復讐は矛盾している、アグル・バレンダ」
床を蹴飛ばしたアネイヤが刹那の間隙で肉薄し、炎大剣の刃がアグルを襲う。
アグルはとっさにペインティングブレードでそれを防御。
全身を突き抜ける衝撃を利用して再び後方へ飛び下がった。
「仇を殺せる時に殺さない。それはキミの甘さだ」
――続く彼女の言葉は、アグルの『背後から』聞こえた。
とっさに振り返るアグル。
その先では、何故か後方へ先回りしていたアネイヤの炎大剣がアグルのすぐ眼前まで迫っていた。
着地を狙われたのだ。
白の幽鬼で距離を『騙す』のは間に合わない。
「――《黒の虚偽》ッ!」
瞬時に直感が下した判断に従い、アグルは白の幽鬼に命令。
大きな丸太を『描き』出させ、それでアグルの身体を殴り飛ばさせることでどうにかアネイヤの炎大剣から逃れた。
床に強く身体を打ちつけながら転がり、距離を取るアグル。
今度はアネイヤが追ってくることはなく、彼女は炎大剣を手放してパチパチと拍手をしていた。
「フン、ボクを殴ろうとしても炎で防がれて無駄だろうからって、まさか自分を殴って避けるとはね。大した判断力だ、反吐が出るよ」
「……なんで、後ろに」
「キミと同じ手品さ。見なよ」
言って、最初にアグルがいた場所を指差すアネイヤ。
アグルがちらりとその先を一瞥すると、最初に襲ってきたアネイヤの身体が炎と化して消失してしまった。
「炎の偽物。ちょっとした意趣返しだよ。キミの《黒の虚偽》は、紛い物と言っても源流はこのボクにある。キミにできてボクにできないことじゃない」
「………………」
「驚いて声も出ないかい? それとも、何か策を巡らせてるのかな?」
けれど、それは無駄なことだ。
再び、アネイヤの声がアグルの背後から聞こえた。
視線の先にいたアネイヤが消失する。
膝をついたまま周囲を見回そうとしたアグルの首筋に炎大剣の刃が触れた。
二度目の模倣。
すぐに彼女が背後にいると分かった。
「遊びは終わりだよ、アグル・バレンダ。キミが抱く偽りの復讐ごときで、ボクのこの復讐を止めさせなんかしない。これで――」
「その台詞は、そのまま返すぞ!」
アネイヤを遮るアグルの雄叫び。
刹那――真紅色の全てが凍てついた。
アグルが床に突き立てたペインティングブレード。
それが触れるのは床に描かれた術式――そこに染み込ませていたアグルの絵具だ。
戦闘中、絶えず《黒の虚偽》によって使用した絵具の全て、アグルが持ちうる全てを費やして白の幽鬼が世界を塗り替える。
全てを焼き尽くす真紅の地獄から、全てを凍てつかせる氷絶の凍土へ。
模倣魔術
氷の聖女ラトレイナの術式。
アグルの《黒の虚偽》が、世界を白く染め上げた。
周囲をうごめいていた炎が一斉にその動きを止める。
あらゆる温度が反転し、絶対零度の白い冷気がアグル以外の全てを氷漬けにする、アグルが使える最後の隠し玉だ。
……おそらく、コレが通用するのは一瞬だけ。
アネイヤはすでに間合いの中。
回避も防御も、間に合わせない。
床に突き立てた金短剣を引き抜き、アグルは振り向きざまに――
「だから、無駄なんだよ」
――――リィィン。
ひどく耳に残る、破砕の音。
それは周囲の凍土と――アグルの振ったペインティングブレードから聞こえた。
「――…………」
打ち砕かれた金短剣の破片が散らばり、床に落ちていく。
アネイヤの炎大剣に砕かれたのだ。
同時に滅却樹の真紅色の炎が外部からホールを覆う凍土を突き破り、瞬く間に白一色の世界を焼き尽くした。
白一色の氷の世界から、再び真紅色に燃え盛る炎の地獄へと。
壁も。
床も。
天井も。
アグルが塗り変えた全てが、アネイヤの炎によって再び塗り替えられていく。
――最後の最後である隠し玉が、破られた。
……それでもッ!
「《黒の――」
「残念だけどね」
もはや、アネイヤの向ける眼差しに憎悪の色はなかった。
呆れ、失望、憐憫……まるで子供のみっともない悪あがきでも見ているかのように、わずらわしそうに嘆息して、彼女は告げる。
「キミの力は、ボクの怒りには通用しない」
アグルが手を伸ばしたその先で、白の幽鬼を炎が襲った。
「滅却樹の炎は『真実へ回帰する炎』だ。キミの《黒の虚偽》――世界を上塗りするだけのチカラじゃあ、いくらやってもボクには通用しない」
真紅色の火炎に絡め捕られ、悶え苦しむようにその身をよじらせる白の幽鬼。
とっさにアグルは立ち上がり、白の幽鬼の元へ駆け出そうと床を蹴る。
だが、それよりも早く――
アネイヤの投げ放った炎大剣が、白の幽鬼を穿ち抜いた。
黄金の刃が深々と突き刺さり、白の幽鬼の動きが止まる。
アグルが手を伸ばしたその先で、白の幽鬼は瞬く間に炎の中へと呑み込まれ、一片すら残さず焼き尽くされた。
残ったモノは、真紅色の火炎がわずかに散らばる虚空のみ。
アグルの伸ばした手は、何も掴むことなく終わった。
「――……あ、ああ……ッ」
……まるで、アルトネイアを失った時の焼き直しであった。
白の幽鬼の元へ向かおうとした足がつんのめり、両膝をつくアグル。
茫然と目を見開いた彼の胸元に、近づいて来たアネイヤが炎大剣を突き付けた。
「得物は砕け、燃料は底を尽きた。頼りの幻影もこれで終わりだ。もう、キミが扱える力はない。仮に扱えたとしても、ボクの炎はそれを焼き尽くす」
言葉と共に、炎大剣が大きく振りあげられる。
「終わりだよ。キミの復讐を、ボクの糧にさせてもらおう」
もう、アグルに対抗する術はなかった。
燃え盛る真紅色の炎に照らされ、黄金の剣身を輝かせるアネイヤの炎大剣。
その輝きを茫然と見上げながら、アグルは心の奥でうめいた。
……何もできないまま、終わるのか。オレは……
だとすれば、きっと、これが罰なのだろう。
アルトネイアを守ることもできず。
彼女と交わした約束さえ果たさず。
挙句の果てには復讐に取りつかれてもなおそれすらも成し遂げられなかった。
まさしく半端者だ。
アルトネイアの代わりにもなれず、復讐の鬼になりきることもできなかった男の末路。
約束も、復讐も、何一つ成し遂げることができないまま、アグルは――
『あ~あ、ここまで来たのに。もう諦めちゃうの?』
……ああ、本当に。
アグルはここで終わりのようだ。
走馬灯のような幻聴まで聞こえてきては、本当にどうしようもない。
背後から聞こえる、からかうような口調で語りかけてくる性悪女の声。
それは昔と何ら変わることなく、膝を突くアグルをいびりきにていた。
『あの子……アンシアちゃんだっけ? あの子には「オレは復讐を果たす」なんてかっこつけたのに。いざ無理だと分かったらすーぐヘタレちゃうんだ』
「……うるさい」
『ホント、アグルってばいっつもそう。憶えてる? 初めてシた時、アグルってば緊張のしすぎで最後の最後でヘタレそうに――』
「それは今関係ない」
もういい。もう、黙ってくれ。
……これ以上、お前の声を聞いてしまえば、オレは――
「やめろ。やめてくれ。オレは、お前との約束を破った。お前の決意を無駄にした。お前を裏切ったんだ。責められるならまだしも、そんなことを言われる資格なんて――」
『あるよ。だってアグルは戦ってくれてる』
「それはオレの復讐のためだ」
『それでも、だよ』
優しく、慰めるような『彼女』の声が、アグルの耳に届く。
『だって、もう何もしなくてもアタシを殺したクライちゃんは死ぬ。世界は道連れで犠牲になっちゃうけど、あの子は自らの罪の意識と共に苦しんだまま死ぬはずだよ。なのに、アグルはそれで納得していないでしょ?』
――それは、オレの手で復讐を果たすためだ。
のど元まで出かかった言葉が、急速に勢いを失ってしまう。
どうせ、もう叶わないことだ。
アグルはアネイヤに敗北し、彼女が託してくれた守護者の権能を奪われて――アネイヤの復讐が達成される。
今更何をしたところで、意味はないのだ。
「……悪い。お前との約束も、託してくれたモノもすべて使って、このザマだ。何もなせなかった、とんだクソ野郎だ。やっぱり、オレとお前は――」
『違うよ。そんなの当たり前じゃん』
吐き出そうとした弱音を――
アルトネイアの言葉が、遮った。
『アタシとアグルは違う。アグルは魔術の一つも使えないし、ヘタレだし、むっつりスケベだし。うん、完璧超人なアタシとはまるで別人だよ』
「……パンツも穿かないお前にはだけは言われたく――」
『けど、アグルは諦めない』
アグルのささやかな反論を無視して、アルトネイアは告げる。
――それはまさしく、昔の奔放な彼女のままで。
『負けず嫌いで、一度決めたらそれに向かって突っ走っちゃう。アタシが諦めそうになった時だって、ずっと隣で励ましてくれた。……どんなに嘘を吐いてはぐらかしても、そこだけは変わらない。そこだけは、ちゃんと覚えている』
それが、アタシの知ってるアグル・バレンダっていう男の子。
それこそが、アタシの、大好きな人。
『だからさ、アグル』
――きっと、他人はこれを呪いとでも言うのだろう。
どれだけアグルが目をそむけ、彼女を裏切ろうとも。
アグルの意思を、絶望すら蝕むようにして、アグルを掴んで離そうとしない。
復讐を選んだアグルを無理矢理に引き上げ、強引に前を向かせようとする。
きっと、アグルは彼女じゃなかったらこうはさせなかったし、彼女だってアグルでなければここまですることはなかった。
それは、もしもアグルたちの立場が逆であったとしても何一つ変わることがなかっただろう。
……たとえ、アルトネイアが何者であろうとも。
消して途切れることのない、固く繋がれた呪いの縁。
それこそが、アルトネイアの願い。
アグルとアルトネイアの絆である。
『一緒に、世界を救おう』




