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つば広の大きな帽子の下から、突き出た鼻と牙。
コートの袖裾から覗く手足には凶悪な爪が生え、全身が硬い毛に隙間なく覆われている。
そんな化け物が、テーブルの下から引っ張り出された。
「ぎゃあああっ! 命だけはっ、命だけはどうかぁぁっ!」
遠吠えのように泣きながら、狼男は即時に命乞いを始めた。
「ごめんなさいすみません俺お金とか持ってないんですぅっ! かわりに靴でもなんでも舐めますからどうか痛いことはしないでくださいぃぃっ!」
「・・・なんだこいつは」
ザンは振り上げた拳を下げた。ロイも眼鏡の位置を直しつつ、考え込む。
「・・・あなたは狼男ですよね?」
念のために確認すると、喚いていた狼男は一度黙った。
「? おおかみ、おとこ? なんですそれ?」
「お前のことだろが」
「え? いや、俺はギーっす。狼男なんて名前じゃないっす」
「てめえの種族の名前だ!」
「ええ!?」
狼男、ギーは心底驚いていた。
「い、いや、狼男って、だって、なに・・・?」
「魔物の一種です。人語を解す狼、または半狼半人の姿の者を指します」
「俺だ!」
丁寧に説明され、ようやくギーは自覚した。
「お、俺、魔物だったんすか・・・」
「他になんだと思ってたんだよ」
「ちょっと毛深くて狼っぽいけど、ギリ人間かなあ、って」
「余裕で魔物だろ」
「いやだって普通に喋れますし物も考えられますし、獣じゃないよなあって思ったらやっぱ人間かなあ、って。でもまさか魔物だったなんて・・・」
手元を見つめ、ギーは呆然としている。
「あなたは本来、人を喰らう獰猛な生き物なんですよ」
「お、俺、人なんか喰わないっす! そもそも宗教上の関係で肉喰えないんすよ!」
「お前その面でベジタリアン・・・つか、なんの宗教だ」
「人を襲うためではないとすると、なぜ街に出て来たんですか?」
「いやあ俺すっげ田舎に住んでるんすけど、友達のサミーが都会にはおもしろいもんがいっぱいあるぞーってゆーから、見物っす。あ、サミーはウサギっぽいやつで、あいつはウサギ男っていうんすかね? 顔がウサギなんすよ。村には俺やサミーみたいなのがいっぱいいてですね、でも、大人たちは皆おんなじ人類だーってゆーもんで、俺も人間ってことでまあいいのかなって、思ってたんすけどね」
「・・・あなたは一体どこから来たんですか?」
「ええっと、ダフの村ってわかります?」
それで、ロイはすべてを悟った。
「もしかして、シルワ教徒なんですか?」
「そうっすそうっす!」
ギーは喜んで手を合わせる。そして例に漏れず物を知らないザンは首を捻った。
「おい、なんだよそれ」
「魔物を擁護し、共生を謳っている宗教があるんですよ。ダフの村といえば辺境にある彼らの本拠地です」
「要は犯罪者どものアジトか。んじゃ、こいつ締め上げて場所吐かせたほうがいいんじゃねえか?」
「場所はとっくにわかってますよ。ただ、途中に深い森などがあってまず辿り着けませんし、そのせいか特に派手な活動もしない集団なのでほとんど放置されているんです。たまには新聞くらい読んだらどうです?」
「そんな暇あったら酒飲む」
妙に自信を持って断言するため、ロイはもう相手にしないことにした。
「どういう経路でここまで来たんですか?」
「駅までは歩いて、あとは普通に汽車で来たっすけど・・・」
「その格好で汽車に乗って、騒がれなかった?」
「それは、サミーが人に気づかれにくくなる魔術をかけてくれたんす。俺はでっかくてびっくりされるだろうからって。まさか銃ぶっぱなされるほど驚かれるとは予想してなかったっすけど。で、必死こいて逃げ込んだ先では喧嘩に巻き込まれちまうし。なんか憑いてるんすかね?」
「人間の街に魔物が出てきたらそうなるんだよ」
「はあ・・・それであの~、アニキたちは何者なんすか? 追い回してくる人たちと服が似てるっすけど」
ギーは恐る恐る、ザンらを見上げた。
「我々はグラウクスの者です。グラウクスは知っていますか?」
「い、いえ」
「人を襲ったり、人里に下りてきた魔物を討伐することが我々の仕事なんです」
「はあ・・・って待ってください? 俺が魔物ってことはつまり、俺はその、討伐ってのをされるんすか?」
「そーなるな」
ザンが凄むと、大柄な相手の体がびくんと跳ねた。
「――どうして?」
そこへ、メルが声を滑り込ませた。
「どうして殺すの?」
メルはザンとギーの間に入り、仲間たちに問う。
「人間を襲う気がなくて、何も悪いことしてなくても、人間じゃなかったら殺すの?」
問いはただただ純粋で、すぐには誰も答えなかった。
ややあって、ロイが口を開く。
「敵意があるにせよ、ないにせよ、領域を侵すということは、それだけで排除の理由になってしまうんですよ。縄張りに入られた獣が問答無用で相手を襲うのと同じことです」
「・・・化け物が、人間の中にいたらいけないの?」
「いけないと言うより、難しいのです。残念ながら」
「・・・っ」
「あ痛っ!」
メルがぎゅう、っと毛皮を握り、ギーが悲鳴を上げた。
「殺すのやだ」
「メルさん・・・」
「殺すのイヤっ」
メルはほとんど睨みつけるような強い眼差しをしている。それを真っ向から受けているザンは、面倒そうに頭を掻いた。
「あのなあ、俺らが見逃したところで、どーせ他の連中に見つかりゃ殺されるんだ。大体、そいつの言ってることが本当かどうかもわからねえだろ。実は人間喰い殺しまくってんのかもしんねえぞ」
「そんなことないっす!」
「黙ってろっ。仮にだ、そうだった時、お前は後悔しねえのか」
「バイコーンは殺さなかったよ」
メルは一歩も、引かなかった。
「人を襲うのに、角が使えるから殺されなかった。危ないか危なくないかじゃなくて、使えるか使えないかで決められるなら、わたしはっ――」
最後の言葉を、メルは息と共に飲み込んだ。怒りの表情でありながら、一方で、今にも泣き出しそうな顔でいる。
するとノアがメルの傍に行き、床にしゃがんだ。本を開き、ポケットからチョークを出して床の上に大きく魔法陣を描く。
「ここに・・・立つ」
出来上がった陣の中央を、ギーに指し示す。メルが警戒して毛皮をより強く握り、再びギーが悲鳴を上げた。
「なにするの?」
「・・・姿を、変える・・・人の、形にすれば、街を出られる・・・」
メルはきょとんとした表情になる。
「逃がしてくれるんすかっ?」
ギーが嬉々として目を輝かせ、ザンは鼻を鳴らし、ロイは苦笑いを浮かべた。
「俺ぁ知らねえぞ」
「仕方ありませんねえ」
二人に、止める気はなかった。
ギーが陣の中央に立つと、ノアが呪文を唱える。ギーの体がぶれて形が崩れ、一瞬後にはずっと小さな少年の姿に変わっていた。コートもあわせて縮んでいる。どこをどう見てもただの人間だった。
「術は・・・二週間、もたせる・・・その間に、人のいないところまで、行く・・・」
「うわあうわあありがとうございまぁっす! でも、これならちょっとくらい観光してっても」
「すぐ帰れ即消えろ」
浮かれるギーにすかさずザンが釘を刺す。
「二度目はねえぞ」
「う、うぃっす」
ギーは怯えながらこくこく頷いた。
「帰る手段はありますか?」
「普通に汽車で・・・あ、でも俺お金ないんだった。財布落としちゃって」
「あるよ」
メルはスカートのポケットからガマ口財布を出してそのままギーに渡した。
「あ、メルさん、その中の一枚か二枚の紙幣で十分ですよ。全部渡すとかえって危ないですから」
「なの?」
ロイの助言を受けて、メルは最も高額な紙幣を二枚ほど出し、ギーに渡した。
ギーは感涙にむせびながらそれを受け取り、何度も何度もお礼を述べた。
「ありがとうございます、ありがとうございますっ! ええと、メルさん、ですか? それとアニキたちも! 俺、このご恩は一生忘れないっす! メルさんとアニキたちに誓って、生涯絶対に人は喰いません!」
「わぁったから早く行け」
「はい! 本当に本当にありがとうございました!」
少年姿のギーは大きく手を振り元気よく、店を飛び出していった。
「・・・やっちまったな」
酒瓶をひっくり返して魔法陣の痕跡を消し、ザンがぼやく。ロイのほうはすっかり開き直っていた。
「やっちまいましたねー。まあ実際、シルワ教は殺生を禁止していて、だからこそ魔物の討伐にも反対しているわけですから、彼の話に嘘はないと思いますが」
「ったく、ガキがガキみてーなことしやがるから」
ザンに横目で睨まれたメルは、そっぽを向いてしまった。
「帰りましょう。ザンも、無断外出がバレる前に戻ったほうがいいですよ」
「まだ飲み足りねえのによー」
男たちの一番後ろに付いて、メルも店を出た。
メルはずっと曇り顔でおり、歩調も遅く、少しずつ前の三人との距離が開いていく。それでもメルは足を速めなかった。
あるところで、ノアが歩調を緩め、メルと並んだ。視線は本に固定したまま、ぼそぼそと隣へ話しかける。
「俺たちも・・・使えるから、生かされてる」
メルは、顔を上げた。
「あの二人が、言ってたのは・・・大勢が、思っていること・・・現実」
「・・・知ってる」
「でも・・・ザンも、ロイも・・・ほっとしてた」
「え?」
「殺すことが、平気な奴は・・・ただの化け物、だから」
ノアは生気の薄い、灰色の瞳をメルに向ける。
「だから・・・嫌わないで、やって」
メルはノアを見つめ、前にいる二人の背中を見つめ、
「――うん」
少しの間の後に頷いて、ザンのところまで駆けていった。
ノアも歩を速めると、待ち構えていたロイが声をかけた。
「フォロー、ありがとうございます」
前にいるメルには聞こえないくらいの声量で言う。ノアはゆるく首を横に振って応えておいた。
「ところでギーという狼男のこと、引っかかりませんか?」
話が変わると、途端にロイのトーンも変わった。
「なぜ彼にかけられた不可視の魔術は、王都に着いた途端に解けてしまったのでしょうか」
ロイの、眼鏡の奥の黒瞳はいつもより鋭くなっていた。
ノアも思いついたことを話す。
「・・・単純に、魔力が尽きた、か・・・解けるように、されていた、か・・・」
「後者であれば、単なる田舎者の都会見物ではなかったのかもしれませんね」
「嘘を、ついた・・・?」
「というより、彼自身は何も知らず、彼以外の者の意図に動かされていた可能性はありますね。考え過ぎかもしれませんが、なんとなく、今日は嫌な予感がするんですよ」
「・・・懐かしい、感じ」
「なんですか?」
ノアは虚空を眺めながら呟いた。
「あの、狼から・・・懐かしい、感じがした・・・ような」
「? 知り合いというわけではなかったんですよね?」
「・・・」
ノアは答えず、漠然とした己の感覚に不審とわずかの不安を抱いていた。
怪物メモ
・人狼
満月を見て変身、狼の皮をかぶって変身、最初から獣人、など形態は色々。ベラルーシが故郷という説があるよう。




