第八話 迷うなメロス!
N>一歩進んで二歩下がるみたいな!?
メロスは躊躇した。
水使いのシャーマンを倒して、川傍の峠をのぼり切った時だった。
メロスの集音センサーは激しい水音を拾っていた。すさまじい勢いである。彼には知る由もなかったが、それは学生服の少年が切り札として水源近くに蓄えておいた昨夜の豪雨であった。ほとんど氾濫していたように思えた川の水だったが、あれでもまだほんの一部だったらしい。だが押し止めていた力がなくなり、それが今、堰を切ってあふれ出していた。濁流滔々と下流に下り、橋げたも繋舟も木端微塵に跳ね飛ばしながら、猛勢一挙に押し寄せてくる。そして見るまでもなく、川の淵には、さきほど寝かせておいた少年がいる。メロスにとっては降って湧いた災難だった。
「クッ……なにを馬鹿な」
振り返ろうとする自分を、メロスは止めた。
だがそんな暇はない。
時は刻一刻と消えて行く。
それでも決断せねばならなかった。
できることなら、地面に拳を叩き付けたかった。ぼろぼろと泣きたかった。
メロスは迷った。あの学生服の少年は敵だ。妨害者だ。はした金のために、およそ数えきれない生命を奪ってきた外道であり、今は、メロスの正しき行いを邪魔したばかりだ。おそらく彼の人生に褒められるべきところなど一つもないに違いない。強きにおもねり、弱きを虐げてきた人外畜生と罵られるべき悪逆の徒だ。かえりみるに、自分はどうだ。正義のため、友のため、真に尊いものがこの世にはあると示すために走ってきた。命を懸け、愛する妹と唯一の故郷に別れを告げてここまで来たのだ。そんな決意と、天秤にかけろと言うのか。メロスは歯を食いしばらずにはいられなかった。
それでも、
「ええい、ままよ!」
メロスは叫び、飛ぶ。
迷った時間は一秒にも満たない。
もはや、壁のごとき大瀑布は目と鼻の先まで迫っていた。
戦闘の傷をおして川淵へと駆け寄り、寝かせておいた樹木ごと少年を引っこ抜く。ちんたらと救助している時間はない。「えいや」と気合の掛け声に任せて、対岸へと投擲した。運があれば樹がクッションの役割を果たすだろう。結果を見届けることは敵わなかった。轟々とうなる津波は、巨大な圧力を伴ってメロスの身体を飲み込んだ。
暴流の中、上へ下へとメロスの身体は翻弄される。人の意志によってもたらされた、欠片のような力とは違う、純然たる自然の大破壊。超科学技術の化身であるアンドロイドであっても、今や満身創痍であるメロスには、その中で姿勢を維持することは至難の業だ。しかたなく、メロスは適当な巨岩に腕を突き立て楔にした。
まったく馬鹿め!
このお人よしめ!
メロスは愚かな自分を叱咤した。
だが、それでも悔いはない。敵とはいえ、それでも軽々に命を見捨てられようか。いいやできない。知類の知類たる由縁は、慈悲の心にこそある。己の意志のために、他を切り捨てるのでは、あの王と変わらぬではないか。ならば、負けるわけにはいかぬ。
耐えてくれセリヌンティウス。君が危険にさらされるといわれようとも、天秤を傾けることはできなかったのだ。目の前に救える命があるなら救いたい。冷静な判断など、機械的思考など、犬に食わせろ。
だが流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。破損した部分が、悲鳴を上げる。耐水機能も万全からは程遠い。メロスは濁流の根底にあって、ゼウスに手を挙げて哀願した。
「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に西に傾きかけています。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです」
濁流は、メロスの叫びを嘲笑するように、獰猛に彼を痛めつける。ねじ切られるような圧力の中にあってはメロスもついに覚悟した。さすがに、この水量を吹き飛ばせるだけのエネルギーはもうない。ならば行く他ないだろう。ああ、ご照覧あれ天上の神よ! 世の不条理に負けぬ意志と誓いの力を見せてやる! メロスは大岩より腕を放ち、次々と地面を貫きながら必死に歩を進めた。千万の流星をかき分けるような苦行を、メロスは全身の力を込めて踏破する。ときに渦の引き込みに耐え、ときに流れくる岩石を打ち砕きながら、なんのこれしきと波をかき分け、めくらめっぽう獅子奮迅のアンドロイドの姿には、神も慈悲の心を思い出したのか、ついにはその先に道行きの光を照らしてくれた。対岸の水面である。メロスは力を振り絞って、重圧の中を走りぬいた。既に一刻の猶予もない。発熱する装甲の温度に、最低限体表の水を蒸発させると、すぐにまた先を急いだ。陽は既に西に傾きかけている。
関節部を軋ませながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
その中心に立つのは、どういうわけか小柄な子供であった。だが、その瞳には強い光が宿っている。先の凶悪な刺客以上のプレッシャーを感じた。メロスは、その光の正体を知っている。
これは意思だ。
これは感情だ。
これは誓いだ。
この幼い刺客が持つ、瞳の強すぎる輝きを、メロスは確と見取って警戒を強めた。
メロスは問う。
「貴様。少年。お前は何者だ」
少年は答える。
「我は賢者アキレスの子。ネオプトレモス」
「旧世界の破壊者メロス。我と共に来い。それが神の定めた運命だ」
T>さらなる困難がメロスを襲う!?




